第22話 要塞の料理外交
殺気に満ちた拠点の一角に、即席の調理スペースが設けられた。魔族たちが警戒しつつ見守る中、陽人とエリザ、そして騎士団の青年が手分けして準備に取りかかる。
「まずは火を使わせてもらいますね。危ないので、周りに燃えやすいものは置かないほうが……」
陽人が控えめに声をかけると、武装した魔族の一人が鼻を鳴らしながら周囲を片づけ始める。リーダーらしき男が腕を組んで睨んでいるのを横目に、陽人は荷車から取り出した食材と調理器具を整頓した。
「ふん、こんな場所でどんなマネをするつもりだ? 毒でも仕込めば、ただでは済まさんからな」
リーダーの苛立ちを含んだ声に、エリザが少しだけ怒気を帯びて返す。
「そのあたりは私が監視しています。……それでも不安なら、あなた自身が材料を確認しても構いませんよ」
「けっ、そうまでして料理を作らせたいのか……」
リーダーは舌打ちするが、結局は材料を改めるでもなく、遠巻きに睨みつけるだけに留まった。彼らにも内心では食欲や好奇心があるのか、完全に排除はせず、陽人が“動きを見せる”のを待っている。
陽人は深呼吸をし、周囲の空気をじっと感じ取る。激昂を抑えてじっと観察を続ける魔族たち――その数は十名ほどだが、いずれも屈強な面々だ。ちょっとしたきっかけで刃を向けられかねない。
(大丈夫。やるしかない……。あの人たちも、きっと本当は腹が減ってるはずだ)
そんな根拠のない自信を胸に、陽人は鍋を持ち上げ、火の上にかける。ここでどんな料理を作るかは既に頭の中でシミュレーション済みだ。
「エリザさん、さっき用意してもらった肉、ここに並べてもらえます? ある程度下処理しないと臭みが出るかもしれないので」
「わかりました。少し切り込みを入れて、臭み消しのハーブをすり込めばいいんですね?」
「うん、そうそう。あとは焦げないように焼き色を付けてから煮込みに入れるので、表面だけサッと炒めておいてください」
エリザは最初こそ渋い顔だったが、今ではキビキビと動いて手伝っている。騎士団の青年も武骨な割に手先は器用で、陽人の指示通り野菜をカットし、魔族特有の苦味の強い野菜は細かく刻んで下処理を行っている。
「み、見ろよ……あの人間ども、本気で飯を作ってるぞ」
傍観していた魔族兵が、半信半疑ながら口走る。リーダーは腕を組んだまま、渋い表情で鍋の中の様子を見ている。
「くだらん……こんな小芝居で何が変わる。俺たちが食事に釣られるとでも思ってるのか」
とはいえ、その視線には明らかに興味が混じっていた。煮込みの香ばしい匂いが立ち始めると、腹が鳴ってしまう者もいる。武装蜂起した手前、“うまい料理に屈する”など恥ずべきことだと感じているのだろうが、体は正直だ。
「陽人、この野菜、まるで大根みたいな食感だな。煮込みに入れれば甘みが出そうだけど……」
「そうそう、煮込みの終盤に入れてあげるといいかも。先に肉と薬味を炒めて、香ばしさを出しておくよ」
鍋の底に広がる肉の脂が、コトコトと音を立てる。そこに香草を加えて香りを引き出し、魔族のスパイスをほんのひとつまみ。異世界の発酵調味料を加えると、煮込んだ際に深いコクが生まれるはずだ。
(よし、前に城で作った“辛味+酸味+甘み”の合わせ技でいく。ここの魔族はきっと刺激を好むはずだし、適度な酸味があれば人間の舌にも合う)
温度や火加減を微調整しながら、陽人はひたすら鍋をかき混ぜる。やがて立ち上る湯気に混じって、ジワリと香辛料と肉の芳ばしい匂いが広がった。
「……くんくん……何だ、けっこういい匂いじゃないか」
思わず本音を漏らした魔族兵に、リーダーが睨みを利かせる。
「バカを言え。こんな匂いに惑わされるな。奴らが我々を籠絡しようとしているだけだ」
しかし、リーダー自身も唾を飲み込みそうになるのを必死に堪えている。それを見て、エリザが小さく呟いた。
「やはり、お腹は空くものなのね。彼らも戦いに身を置いていても、体は正直……」
陽人はそれを聞き、微かに笑みを浮かべる。
「みんなが空腹なら、料理はきっと正しく作用してくれる。……よし、もう少しで仕上がりだ」
手順の最終段階。軽く煮込んだ肉と野菜を一度取り出し、ソースを煮詰めて味を濃縮させる。そこへ発酵調味料とわずかな蜜を加え、辛味と酸味のバランスを整える。細やかな配慮をすることで、単なる唐辛子ベースの辛さだけではない複雑な深みが生まれるはず。
「はい、これで……完成かな」
陽人は鍋の火を弱め、小皿を用意した。魔族たちは依然として腰に手をかけるが、匂いに惹かれて一歩二歩と近づいてくる。リーダーは憮然とした表情を崩さないが、明らかに気になる様子だ。
「ほら、もしよかったら味見してみてください。毒見が心配なら、エリザさんや騎士団の彼が先に食べてもいい」
そう言って陽人がスプーンを差し出すと、エリザが無言で受け取り、一口試す。彼女の瞳が一瞬大きく見開かれ、唇がわずかにほころんだ。
「……うまいわ。前よりコクが深い。辛いだけじゃなく、酸味がアクセントになっていて、あとを引くわね」
エリザが正直に感想を述べると、騎士団の青年も「じゃあ俺も」とスプーンを持ち、勢いよく口に運ぶ。
「こ、これは……! 今まで食ったどの煮込みとも違う。一見辛そうだが、中に甘みや旨味がぎっしり詰まってる……」
興奮した青年の声に、魔族たちがさらに興味を示す。やはり食欲は抑えがたく、誰かが一人味見を申し出れば、後に続く者が出てきてもおかしくない。
「……おい、毒は入ってなさそうか?」
「この二人が死んでないから大丈夫なんじゃないか? くそ、匂いがうまそうすぎる……」
リーダーは未だに腕を組んで踏ん張っているが、周囲の兵士たちは既に限界に近い。ついに一人が意を決して、恐る恐るスプーンを手に取った。
「し、仕方ねえ。どうせ戦うにしても腹が減ってると力が出ねえし……一口だけだぞ」
その男が煮込みを口に含んだ瞬間、恍惚とした表情が浮かぶ。じわっと押し寄せる辛味の奥に旨味と甘酸っぱい風味が絡み合い、一気に食欲を刺激してくる。体が熱くなるような感覚と同時に、「もう一口、もう一口」と欲望を増していくのだ。
「こ、これは……う、うまい……」
感極まった兵士が素直に漏らした言葉に、周囲の魔族たちが思わずどよめく。続いて別の兵士も我慢できずスプーンを差し出し、あっという間に鍋の周りには人だかりができた。
「おい、俺にも食わせろ!」
「待て、争うんじゃない……って、元も子もないか」
陽人は苦笑しながら皿を配り、煮込みを少しずつ取り分ける。まさか武装した魔族たちが食べ物の取り合いをするとは、微笑ましいような、複雑な光景だ。
リーダーは今なお腕を組んでいるが、体はごまかせないのか、小さく唸っている。
「……くだらん。たかが飯で……」
そう言いつつも、彼の背後からはいかにも“自分も食べたい”という空気が漂っていた。エリザはその様子を見逃さず、小声で囁く。
「どうせなら、リーダーさんも食べてみたら? そうすれば、あなたの言い分にも説得力が増すでしょう」
リーダーは「うるさい」と睨むが、周囲の兵士たちが「うまい、うまい」と大騒ぎしているのを見て、ついに限界が来たのか、仕方なさそうに片手を伸ばす。
「……一口だけ、だぞ。どうせ大したことはないだろうが」
その口調とは裏腹に、彼は皿とスプーンを受け取り、少しだけ煮込みをすくう。そして、ゆっくりと口に運んだ瞬間、表情が変化した。
「…………」
周囲が息を呑む中、リーダーは無言で味わい、飲み込み、もう一度スプーンを動かす。二口、三口と無心で食べ続け、その後、深く息を吐いた。
「……何だこれ。こんなに複雑な味があるのか……?」
その瞳には驚愕が浮かんでいる。彼もまた、想像以上の味わいに心を揺さぶられたのだろう。陽人は思わず安堵の表情を浮かべた。
「どうです? これが俺の……というか、人間と魔族の食材を組み合わせた料理なんです」
リーダーは震える声で何かを言いかけるが、プライドが邪魔をして素直になれないのか、口ごもっている。と、そのとき背後から別の魔族が駆け込んできた。
「リーダー! 外に魔王軍の増援らしき姿が……このままでは攻め込まれるかもしれません!」
緊迫した報告に、場が一気に引き締まる。リーダーは慌てて皿を置き、険しい顔に戻った。
「くっ……やはり連中は力で押し通る気か。こんな飯で丸め込まれるわけには……!」
一転して戦闘ムードに陥りそうな空気に、陽人の心臓が高鳴る。せっかく料理で対話が生まれかけたところだが、時間が足りないというのか。
エリザも騎士団の青年も身構える。リーダーが再び武器を取ろうとしているのを見て、陽人はとっさに声を上げた。
「待ってください! 魔王軍は、これ以上争いを望んでません。だからこそ俺たちが先に来たんです。もう少し、話し合いを……!」
しかしリーダーは眉間にしわを寄せ、言葉を吐き捨てるように言った。
「口でどうこう言ったところで、戦いはそう簡単に止まらない。……ああ、確かにこの料理はうまい。だが、それとこれとは別だ!」
食欲と誇り、そして現実の脅威が交差し、拠点の空気はにわかに混乱を深めていく。だが、陽人はまだ諦めたくなかった。
(俺の料理が、どこかで誰かの心を動かしてくれるなら……今しかない!)
彼は再び鍋をかき混ぜ、追加で煮込んだ肉を取り出しては小皿に盛り付け、目の前に差し出す。腹を空かせた魔族たちは食べるか戦うかの板挟みで揺れている。
次回、魔王軍が迫る中、リーダーが下す決断とは。果たして料理は戦火を回避する決め手となるのか、陽人の“最終手段”が今ここに試される……。