第2話 料理という生存戦略
薄暗い城の牢獄に閉じ込められた陽人は、まだ現実を受け入れられずにいた。
「異世界転移ってマジかよ……」
だが考えても仕方ない。彼にできることは何もない。
そんな時、牢獄の扉が開き、あの長身の魔族が再び現れた。
「我が名はゼファー。魔王だ」
陽人は息を呑んだ。魔王が自ら囚人に会いに来るという異例な事態に、ただ震えることしかできない。
ゼファーは鋭い眼差しを陽人に向けた。
「先ほど貴様が持っていたアレはなんだ」
「アレ……?」
「茶色で、香ばしく、何とも言えない芳しい匂いを放つ……あの食い物だ!」
陽人は唐揚げのことだと気づき、焦りながらも答えた。
「ああ、あれは『唐揚げ』……日本料理ですけど」
魔王ゼファーの表情が微かに揺らぐ。
「それを再現できるか?」
魔王の瞳には、恐怖でも威圧でもなく、明らかに「期待」があった。
陽人は直感した――この状況を生き延びるためには、自分がこれまで培ってきた『料理』しかない。
「材料さえあれば」
その一言が、陽人の運命を決定づけた。
翌日、陽人は魔王軍の兵士たちに連れられて城の近くの巨大な市場へと足を踏み入れた。奇妙な見た目をした野菜や果物、陽人の知らない動物の肉が並び、異様な活気に満ちていた。
「これならいけるかも……」
陽人は市場を歩き回り、見た目が鶏肉に似た淡い色の肉を選んだ。手触りや色味から脂の乗りも良さそうだ。
厨房に戻り、陽人は慣れない道具を手にして調理を始めた。異世界の食材だが、切った感触や油に落とした際の音は案外馴染み深い。
だが、最も頭を悩ませたのは香辛料だった。見慣れない形状や香り、色の粉末が並び、彼は慎重に味見を重ねていった。
「この赤い粉……信じられないくらい辛いな。あ、でも黄色いこれは意外と爽やかかも……?」
しかし、何度調合を繰り返しても、どこか日本の唐揚げの「馴染みの味」には辿り着けない。唐揚げの香ばしさやジューシーさは再現できても、日本特有のあの「馴染み深い味」がどこか足りなかった。
「これじゃ、昨日食べてた唐揚げには全然敵わないな……」
厨房の片隅で陽人は溜息をついた。自分が元の世界で食べ慣れた味に再現できないことが、ひどくもどかしく感じられた。
それでも陽人はあきらめず、異世界の香辛料を駆使して、何度も唐揚げ作りを試みた。
やがて厨房には香ばしい匂いが漂い、周囲の魔族たちも興味深げに集まってくる。
「……よし、とりあえず完成だ」
陽人が皿に唐揚げを美しく盛りつけると、魔族たちは興奮気味にざわめき始めた。
魔王ゼファーが唐揚げを一口噛んだ瞬間、その表情は明らかに変わった。
「これは……!」
その驚きと喜びの表情を見て、陽人は複雑な心境のまま微笑んだ。満足とは言えないが、少なくとも異世界での生存戦略が本格的に幕を開けたことを理解した。
ゼファーが驚愕の声を上げると、他の魔族たちも次々に唐揚げを口に運び、その旨さに歓喜の声をあげ始めた。
翌日から魔王軍は、人間世界侵略の計画をそっちのけで、陽人の料理に夢中になり始めた。毎日のように新しい料理を求めて陽人の周囲には魔族が集まり、戦略会議の場はいつしか料理試食会へと姿を変えていった。
そして、いつしか陽人は魔族たちから親しみを込めて「料理の魔術師」と呼ばれるようになった。魔王軍の侵略作戦は次第に先延ばしされ、やがて人間世界では「魔王軍が侵略を止めた謎の料理人」の存在が噂として広まり始めていた。