第18話 混ざり合う味と疑心暗鬼
午後、陽人とエリザが共同で新レシピを試すために厨房へ戻ると、既に魔族の助手たちが材料を並べて待ち構えていた。肉や魚、野菜や穀物、さらには人間界由来の香辛料や発酵調味料――まさに人間と魔族、双方の食文化が一堂に会したような光景だ。
「わあ、ずいぶん集めたね。これなら何だって作れそうだ」
陽人が感嘆の声を上げると、助手たちは誇らしげに胸を張る。だが一方、厨房の隅には従来派らしき魔族が目を光らせており、“余計なことをするな”という圧を全身で放っていた。
「……相変わらず監視が厳重ですね」
エリザが低く呟く。彼女自身も同じく監視役であるはずが、今は陽人を監視する立場と、周囲から監視される立場の板挟み状態にある。まるで奇妙な三すくみだ。
「まあ、気にしても仕方ないよ。今日はせっかくだから、エリザさんのほうからも意見をもらえたら嬉しいんですけど……」
陽人は笑顔で彼女に問いかける。エリザは一瞬戸惑ったように目を伏せるが、やがて観念したように材料のほうへ視線を移した。
「わたくしは料理の素人ですが……人間界のハーブや調味料についてなら、多少の知識はあります。魔族には慣れない味かもしれませんが、たとえばこの酸味のあるソースなどはどうでしょう?」
そう言って指し示したのは、酢に似た香りを放つ液体と、複数の香草。人間の食卓ではサラダやマリネのような形で使われることが多いが、陽人が見ている魔族食材とはどう組み合わせるべきか悩ましかった。
「酸味か……たしかに魔族料理は辛味か苦味が強めだから、酸味は逆に新鮮かもしれない。あまり尖った酸っぱさにならないように、甘みかコクを足すといいかも」
「コク……そういえば、あなたが使っているあの茶色い発酵調味料は独特の甘さがありますね。あれを混ぜれば、意外にうまく融合するかもしれません」
エリザと陽人は、まるで理系の実験をするかのように食材同士の組み合わせを思案する。いつの間にか警戒し合うよりも先に、料理談義で盛り上がっていた。
「よし、じゃあ早速試そう! 俺が下ごしらえを進めるから、エリザさんは野菜を切ってもらえます? このハーブも刻んで下味に混ぜ込むといいかも」
「……わかりました。ですが、変なものを混ぜてはいないでしょうね?」
「まさか。毒や呪術なんて、そもそもそんな技術も知識もないですよ」
軽く冗談めかしたやり取りだが、周囲で聞いている魔族たちの中には苦い顔をする者もいる。おそらく、料理の香りが漂ってくるたびに「これは人間の罠なのでは」と疑念を深めているのだろう。中にはアレルギー反応でも見るかのように、ハンカチで鼻を押さえている者さえいる。
――陽人は手際よく肉をカットし、エリザが刻んだハーブや香草と合わせる。酸味のソースを少しずつ足して味見を繰り返すうちに、キッチン全体に爽やかな香りが広がっていった。
「ほら、嗅いでみて。意外と甘酸っぱくて、食欲が湧いてくる匂いでしょ?」
「ええ、思ったより悪くない……。ただ、魔族にはパンチが足りないかもしれませんね」
エリザが冷静な感想を述べると、陽人は頷きながらスパイスの棚に手を伸ばす。
「確かにね。じゃあ、魔族向けにちょっと刺激的なスパイスを足してみる? ただし辛味が強すぎると、人間側が食べられなくなるかも……」
「……そこは塩梅が難しいですね」
二人はこのバランスを模索しながら、少量を鍋でサッと煮込んでテストし、再び味見を繰り返す。やがて、酸味・甘味・辛味の三要素がほどよくまとまったソースが完成し、肉に絡めて仕上げた時には、なかなか魅力的な香りを放っていた。
「おお……なんだ、この匂いは」
いつの間にか背後にいた魔族の助手が目を丸くしている。鼻をくすぐる香りに誘われ、ほかの魔族も「ふらふら」と寄ってくるが、まだ警戒心のある者は遠巻きに見ているだけだ。
「とりあえず試食してみるか。エリザさん、あなたも食べてみてください」
陽人は小皿を用意し、肉料理を盛りつけた。エリザはほんの少し迷った様子だったが、監視を続ける目的もあるのか、サッとスプーンを手に取る。
「……いただきます」
口に含むと、甘酸っぱい風味が先に広がり、そのあとじんわりとした辛味が追いかけてきた。ハーブの清涼感と発酵調味料のコクが底支えとなり、予想外の深い味わいを醸し出している。
「これは……何と表現すればいいのか。今まで食べたどの料理とも違う……」
エリザが珍しく感情を露わにしたのか、瞳を見開いて驚きの声を漏らす。もちろん、陽人が狙った通りの新感覚の味だ。魔族も楽しめる刺激と、人間向けの酸味と甘味が同居している。
「でしょう? まだ試作段階だけど、結構いけそうな気がする。あとは魔族向けに辛さを増やしたバージョンとか、人間向けに酸味を引いたバージョンを作ってみて、最終的に折衷点を探すイメージですね」
陽人が力説すると、エリザは少し反抗的な目つきをしながらも、再度スプーンを運ぶ。その様子に、周囲の魔族たちも興味津々で、勇気ある者が「俺にも味見させろ」と近づいてきた。
「くっ、こんなものに惑わされるか……!」
と息巻く者もいたが、匂いに惹かれて一口だけ試してみると、案外「……悪くない」と認めざるを得ない模様。苦い顔をしながらも、どこか満足そうにしているのが微笑ましい。
「まさか、こんな酸っぱいのが美味いとは……」
「どうだ、いい香りだろう? 陽人様が工夫したんだぞ!」
助手の魔族が得意気に言えば、強硬派の者たちも小さく唸るだけで否定はしない。確かに、言葉にするのが難しい新鮮な美味しさがそこにあったのだ。
――そうして生まれた“魔族と人間の折衷ソース”は、一部の者に絶大な好評を博しながら、同時に「こんなもの、戦士の魂を鈍らせるだけだ!」と従来派を苛立たせる存在にもなっていく。皮肉なことに、料理が好評になればなるほど、両陣営の分裂を深めてしまう可能性もあるのだ。
陽人はそんな危うさを感じつつも、どうにも止まらない。「美味しい」の力で世界が少しずつ変わるなら――そう信じているが、裏で不穏な動きが渦巻いていることも知っている。
そして、エリザは未だに複雑そうな表情を浮かべながら、新ソースをもう一口味わった。彼女の中で、わずかながら“料理はただの敵意だけではない”という思いが芽生えているのかもしれない。それが“洗脳”ではなく、“共存の兆し”になるとしたら……。
しかし、見守る従来派の魔族や、人間側の過激派たちが黙っているはずもない。強硬手段に訴えようとする者も、すでに動き始めているという噂が耳に入り始めていた。
次回、新ソースの評判が広まる中、魔族と人間それぞれの強硬派が大きく蠢き出す。料理の力は本当に戦火を止められるのか、それともさらなる対立を呼び込んでしまうのか――物語は大きな転機を迎えようとしている。