第13話 新たな波紋と人間界の動向
従来派との衝突が回避されてから数日後。城のあちこちでは、以前よりも陽人の料理を欲する声がさらに高まっていた。あの武闘派リーダーが、こっそり陽人にレシピを尋ねる姿が目撃されるほどだ。
「まさか、あのゴツい幹部が料理に興味を示すとは……」
キッチンの片隅で、小柄な魔族の助手が驚きを呟く。陽人は苦笑しながら、フライパンを返していた。
「でも、彼らなりに『誇り』を大切にしたい気持ちはあるはずだから、押し付けにならないように気をつけないとね」
「そっか。兄貴は大変だなぁ」
陽人は肩をすくめながらも、どこか充実感を覚えていた。従来派の一部が料理に心を開き始めたことで、魔王軍全体が少しずつ変わりつつあるのを感じるからだ。
しかし、その一方で人間界の動きはどうなっているのだろうか――。騎士団の青年の協力もあって、陽人が“洗脳術”を使っているという疑惑は多少和らいだものの、一部の貴族や商人は未だに警戒を緩めていないと聞く。
「……おい、聞いたか? 人間界の王国から大使が来るらしいぞ」
廊下で兵士同士の会話が聞こえてきた。陽人は思わず足を止め、聞き耳を立てる。
「王国の大使? 何をしに来るんだ?」
「さあな。とにかく、人間界の要人が魔王城に来るってんだから、また何か起こりそうだな……」
陰謀の香りを漂わせるその話に、陽人は胸騒ぎを覚えた。もしこの大使が彼を“スパイ”として疑っていたら、面倒なことになりそうだ。とはいえ、魔王領と人間界の和平を進める上では避けて通れない問題でもある。
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「陽人、ちょっとよろしいか?」
その日の夕方、魔王ゼファーから直々に声を掛けられた。執務室に通されると、彼はいつになく真剣な表情をしている。
「実は近々、人間の王国から正式な大使が訪れることになった。どうやら、ここ最近の平和傾向を“視察”するという名目らしいが……」
ゼファーは渋い顔をしながら続ける。
「その大使たちは、貴様――陽人に強い関心を持っているようだ。『魔王軍が侵略を止めた理由が、本当に料理だけなのか確認したい』とね」
「やっぱり……」
陽人は額に手を当て、予想していた事態が現実味を帯びたことを思い知らされる。先日の騎士団の青年との“試食対決”で大事には至らなかったが、それだけで全員が納得するはずもない。
「宴のとき以上に疑いが強まっているかもしれませんね。もし俺の料理を見て“何か裏がある”と決めつけられたら……」
ゼファーは小さく息を吐いた。
「だからこそ、お前の力が必要なのだ。俺も決して頭を下げるつもりはないが、手荒な手段で人間の大使を追い返すのは最悪の展開だからな」
「わかりました。俺なりに精一杯やってみます」
陽人が決意を込めて頷くと、ゼファーは微かにほほ笑んだ。かつては人間を見下していた魔王が、今や陽人に信頼を寄せているのが伝わってくる。
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数日後――城の正門から、大使一行が乗った豪奢な馬車が入ってきた。御者や随行兵士の態度は厳つく、人間界の威圧感をアピールしているかのようでもある。
「ようこそ、魔王城へ」
魔王ゼファー自らが出迎えると、大使の一人が鼻息荒く馬車を降りた。豪華な衣装に身を包んだ中年男性で、高慢そうな印象を受ける。
「これはこれは、魔王殿。貴公が人間界との和平を望んでいると聞き、はるばるやって参りました。……さて、“謎の料理人”とやらもここにいるのだろうな?」
第一声からして、相手の態度にはどこか上から目線の匂いがある。ゼファーの眉がぴくりと動いたが、陽人は慌てて一歩前に進む。
「は、はい。俺のことです」
「ふむ。これがあの“魔王軍を骨抜きにした料理の魔術師”か。どれほどのものか、ぜひ見せてもらおうではないか」
大使の目には明らかな警戒と、どこか興味本位の色が混じっていた。後ろに控える数名の役人や騎士たちも、同じように陽人を値踏みするような視線を送ってくる。
「まずは、大広間で歓迎の宴を用意してあります。……料理については、その場で存分にご堪能いただけるでしょう」
ゼファーが丁寧に案内を申し出ると、大使はふんと鼻を鳴らした。だが、そこにある料理を見ずして帰るつもりはないだろう。人間界にとっても、魔王軍の変化は重大な関心事なのだ。
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大広間では、ずらりと並んだ料理が来賓を待ち受けている。陽人が魔族の助手たちと共に数日かけて考案したメニューは、前回の宴よりも一層豪華な品揃えだ。人間界の食材もふんだんに使い、“和洋折衷”ならぬ“魔洋折衷”とも言うべき独特のメニューが揃っている。
「おや、なかなか彩り豊かではないか。……これは、どのような味付けをしている?」
大使の随員らしき貴族が、ある肉料理を見て興味を示す。陽人は笑顔で対応しながら、簡単に説明を加えた。
「異世界のスパイスと、人間界のハーブを組み合わせたソースです。酸味と甘味をバランスよく調整してみました」
「ほほう。では、ひと口……」
その貴族が口に運ぶと、思わず瞳を見開く。
「これほど馴染みのないスパイスを使っているのに、実に深い味わいだ……!」
隣にいた役人風の男も、別の料理をつまんで同様に驚きの声を上げる。大使本人はまだ難しい顔をしているが、周囲からは次第に賞賛が湧き起こり、雰囲気が少しずつ和らいできた。
しかし、陽人の心配はそれだけではない。先日の従来派の一件のように、料理を拒絶する層がいるのが人間界でも同じなのだ。
「ふん、美味いは美味いかもしれんが、これで魔王軍が本気で侵略を諦めたとは思えん。単に油断させるために振る舞っているかもしれないだろう?」
大使の補佐官らしき人物が、そう嫌味っぽく呟く。陽人は答えに詰まったが、そこへゼファーが堂々と声を上げた。
「美味い料理で得られる平和と、美味くない戦いの末に得られるもの――貴様らがどちらを選ぶかは自由だ。だが、俺がこうしてもてなしているのは嘘偽りない事実だ。仮にそれを罠と疑うなら、好きにすればいい」
その迫力ある物言いに、大使の補佐官は黙り込む。たとえ疑いがあっても、目の前の料理の魅力を完全に無視はできないのだ。
「さて、大使殿。そろそろあなた自身も、陽人の料理を試してはいかがですかな?」
ゼファーが静かに促すと、大使はじろりと陽人を見て、そっとフォークを手に取った。息を呑む周囲の視線を感じながら、大使は口元に料理を運ぶ。
「……っ」
一瞬、言葉を失ったかのように大使が動きを止める。豊かな香りと旨味が口の中いっぱいに広がり、脳が幸福感で満たされていく――そんな表情に見える。
だが、次の瞬間、大使はおもむろに顔を背ける。
「こ、これは……たしかに美味い。美味いが……このままでは、あなたたち魔王軍の手のひらの上に乗せられているように思えてならない」
そう言葉を絞り出すと、大使はフォークを皿に置き、険しい表情を浮かべる。
「美味い料理に釣られて戦意を失うなど、人間としてあってはならない。ましてや魔族相手に、我らが警戒を解く理由にはならん!」
厳しい言葉が場の空気を凍りつかせる。周囲の随員たちも複雑そうな表情だ。もしかすると大使は、良くも悪くも“美味しさ”という快楽に屈したくないのかもしれない。
(やっぱり、一筋縄ではいかないか……)
陽人は唇を噛み、視線を落とす。味で感動してもらえただけでは不十分。人間側の誇りや、魔族に対する根強い敵意までは覆せないのだろう。
すると、ここで騎士団の青年が進み出た。
「大使殿、先ほどの料理はいかがでした? 少なくとも、毒や洗脳の類ではないはずです」
青年は真っ直ぐな瞳で大使を見据える。自分も同じように疑っていたが、陽人の料理に心を動かされたことを話そうとしているのだ。
「……ふん。確かに毒ではないだろうな。洗脳かどうかは分からないが……」
大使が言葉を探していると、魔王ゼファーが低く言った。
「もし貴様らが本当に平和を望むのなら、腹を割って話す必要がある。料理はそのための手段の一つにすぎん。……それすら拒むというのなら、帰ってもらっても構わんぞ」
ゼファー独特の強引さも相まって、大使の顔色が変わる。帰るにしても、何の成果もなく戻ったら立場が危ういのは目に見えている。ましてや料理がこれほど美味かった以上、「まったく得るものなし」というわけにもいかないだろう。
「……まあ、そう焦らずともいい。今はまだ様子見としよう。どうせしばらく滞在することになるのだから、ゆっくりと見極めさせてもらう」
大使が大仰にそう言って、再び料理を口に運ぶ。その横顔には未だ警戒心が残るが、美味さを噛みしめているのは明らかだ。
こうして、再び人間界と魔王軍の間に複雑な空気が流れ始めた。大使は「こんなところで負けてなるものか」という意地を覗かせ、陽人の料理を警戒しながらも食べ続ける。周囲の隙を窺いながら情報を収集し、何らかの“証拠”を掴もうとしているのだろう。
――次回、魔王城での大使一行の滞在を通じて、人間界と魔王軍の衝突は新たな局面を迎える。陽人は再び板挟みになりつつ、料理を通して誠意を伝えようと奮闘するが、大使の背後で暗躍する勢力の影がちらつき始める……。