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見えない気持ちの輪郭

 黎は毎日、心の中で自分を探していた。周りの世界がどんどん遠くなり、自分だけが浮いているような気がした。紗那との関係は壊れ、学校でも自分を取り巻く空気が冷たく感じられた。楓は相変わらず優しく接してくれていたけれど、その距離感がますます微妙になっている気がして、黎はそのことをどうしても心に引っかかりを感じていた。


 ある日の放課後、黎はまた美術室でひとり、スケッチブックに向かっていた。心の中の揺らぎを言葉にすることができず、ただ色と形で表現することで少しでも楽になれればと思っていた。しかし、その日はいつもと違って、何を描いても心が満たされなかった。


 ドアが静かに開く音がした。振り返ると、そこには楓が立っていた。


「また、来たのか?」


「うん、少しだけ。入ってもいい?」


 黎は黙ってうなずくと、楓は無言で席に座った。二人の間に、しばらくの沈黙が流れた。その沈黙は、以前には感じなかった、どこかぎこちなさを持っていた。


「なんだか、最近、元気ないな」


 楓がぽつりと言った。その言葉に、黎は少しだけ胸が痛んだ。楓は何も言わずに自分を見守ってくれていたが、今その優しさが、逆に辛く感じられることがあった。


「うん、ちょっとね」


「でも、俺、あんまり強くは言えないけど……もし、無理してるなら言ってほしい」


 その言葉を聞いて、黎は少しだけ顔を上げた。楓の目は、真剣そのものだった。黎は少し間を置いた後、静かに答えた。


「最近、自分のことがわからなくて。何をしても、すごく虚しくて……」


「それは、わかるよ。俺も、昔そうだったから」


 楓は静かに言った。その言葉に、黎は驚いた。楓もそんなことを感じていたのか。それでも、楓はどこか冷静に振る舞っていた。それが、余計に黎には遠く感じられた。


「でも、それがどうしても耐えられなくて。最近、学校に行くのも、家に帰るのも、何もかもがつらくて」


 その言葉が、黎の口から自然にこぼれた。その瞬間、楓は黙って頷き、黎の隣に座った。二人だけの静かな時間が流れる。黎は、楓の存在がただの「気配」でなく、心の中に入り込んできていることに気づいた。


「楓、僕、わからないんだ。自分が、何を感じているのか、どうしてこんなに混乱しているのか……」


「黎、そんなに急ぐことはないよ」


 楓は優しく言った。その声に、黎は少しだけ安心する。けれど、同時にその安心感が、黎をもっと深い混乱に導いていた。


「俺も、昔は悩んだ。自分が何なのか、わからなくて。でも、時間が経てば、少しずつわかってくると思う」


 その言葉に、黎は静かにうなずいた。だけど、心の中では不安が広がっていた。楓の言葉が本当なのか、それとも楓自身が何かを隠しているのか、黎にはそれがわからなかった。


 家では、母が何も言わずに黙っていた。何も言わなくても、母の目がどこか悲しげに見えることに、黎は少し気づき始めていた。それでも、母と心を通わせることができるわけではなかった。


 父は相変わらず、黙って家にいる時間が長かった。父の「普通であれ」という圧力は、黎の心に重くのしかかっていた。自分の中にある揺らぎが、父に理解されることはないだろう。その思いが、黎をますます孤独にさせていった。


 その日の夜、黎はベッドの中でひとり、天井を見つめながら思った。


「僕は、本当に何を求めているんだろう」


 その問いに、答えが出ることはなかった。ただ、目を閉じて眠りに落ちるだけだった。


 翌日、楓がまた黎の前に現れた。今度は少し違った雰囲気で、黎に声をかけてきた。


「今日は、一緒に帰ろうか?」


 その提案に、黎は少しだけ戸惑った。けれど、心の中で感じる何かが、楓と一緒に過ごす時間を受け入れたくなっていた。


「うん、いいよ」


 二人で歩く道は、何も変わらなかった。でも、黎の心には少しだけ温かいものが芽生え始めていた。


「楓、僕……」


 言葉にできなかった。でも、心の中で楓に何か伝えたいと思った。


 楓は、黎を静かに見守っていた。


 その夜、黎は眠れないまま布団の中でじっとしていた。今日の帰り道で楓が言った言葉が、ずっと耳の中で響いていた。


「君は君でいいんだ」


 その言葉が、黎にとってどんな意味を持つのか、今はわからなかった。でも、何かが少しだけ変わり始めているような気がした。


 次に進むには、まだ少しだけ時間が必要だった。

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