9 再会
王太子の補佐を務めているヘルミナの元にはいつも重要な話が伝わってくる。
今日もたらされたものは、これまでにない事柄だった。
エドワードが出兵の準備を進めているというのだ。
ヘルミナはすぐに、ミハイルの元へ向かう。
「ミハイル様っ」
「どうしたんだ、慌てて……」
ミハイルはのんびりと出迎えた。
「エドワード様が出兵の準備をしていると聞いたのですが、本当でしょうか」
「ああ。北部でまたマーナガルム侯爵家の残党が反乱を起こしたらしい」
「マーナガルム……」
マーナガルム侯爵家はウロディアが反乱を起こした時に最後まで戦った貴族だ。
ヘルミナの婚約者であるスレイの家だ。
これまで侯爵家は何度とも反乱を起こすたびに鎮圧されてきたが、全滅を避け、粘り強くたびたび行動を起こし、ウロディアたちの手を焼かせていた。
「ミハイル様。どうして国王陛下はエドワード様にばかり功績を立てさせるのでしょうか。私は悔しくてたまりませんわ。剣の腕前も、軍の指揮も、あなたのほうがエドワード様よりもずっと優れているはずなのに、下賤の民までエドワード様万歳、軍神万歳などと戯れ言を口にしているのですよ。まるでエドワード様こそが王太子に相応しいと言うかのようではありませんか! 私はそれが悔しいのですっ!」
「だが、相手は賊だ。私がわざわざ行く必要もない。これこそ露払いは、エドワードにでも任せておけばいい」
「……そもそもの話ですが、本当に殺さなければいけないのでしょうか。侯爵家は武の名門だと聞いております」
「その通りだが、何が言いたい?」
「ミハイル様は今の状況を何とも思われないのですか? エドワード様は王立騎士団の団長で、エドワード様の為ならば命を惜しまない兵が大勢いるのです。一方、ミハイル様に従う兵はどれほどいるのでしょうか」
「私は王太子だ。エドワードに命令する立場にあるんだぞ」
「それは、国王陛下がご存命だからではないでしょうか」
ミハイルの顔が強張る。
「もし万が一のことがあれば、エドワード様が、ミハイル様を今の地位よりを引きずり下ろすかもしれません」
「そんなこと……」
「ありえないと言えますか? 国王陛下がどのような手段で、国王におなりあそばれたかをお忘れですか?」
ミハイルはごくりと唾を飲み込んだ。
「私はそれを恐れているのです」
「……それと、今回の侯爵家の件と、どういう関係があると言うんだ」
「ミハイル様にだけ忠誠を誓う優秀な兵が必要ではありませんか? 侯爵家には優れた兵士がたくさんいるはずです。彼らを説得し、ミハイル様の味方につけることができれば……エドワード様にも負けぬ兵を手に入れられないでしょうか」
ミハイルの目が見開かれた。
そんなことは考えたこともなかったのだろう。
「私に忠誠を誓う……」
「それをみすみす殺させるのですか?」
「いや、そんなことはさせないっ。そうだな。君の言う通りだ。侯爵家の人間たちを失うのは、それこそ国益を損なう!」
「そうでございます。是非、国王陛下に進言なさってください。ご自分が説得に向かわれる、と」
「しかし私たちは連中からしたら仇だ。説得など聞くだろうか」
「彼らは名誉に生きる者たちです。罪人として処刑された侯爵家の当主たちの名誉を回復すると持ちかければきっとうまくいきます。それから、交渉には私も参ります」
「駄目だ! 危険過ぎる!」
「ご安心を。彼らは女子どもを殺すような恥ずべきことは決していたしません。それに、ミハイル様の周囲で、最も弁舌に優れているのは私だと思いますわ」
「それは確かにそうかもしれないな。しかし父上が首を縦に振るだろうか」
「私にお任せ下さい」
すぐにヘルミナは国王を説得する文言を作製した。
これまで討伐軍を送りながら、こちらの損害は増えるばかりで完全に倒すことができず、戦費を浪費している。
聖女の力に頼れなくなった今、王国の領地拡大には優秀な侯爵家を懐柔するのが一番であること。
侯爵家の女子どもを人質にし、彼らが背くのを防ぐこと。
結果的に説得は成功し、ミハイルが説得に向かうことが決定した。
そして説得から数日後、ヘルミナたちは侯爵家の本拠へ向かうことになった。
軍と行軍をするヘルミナは、ミハイルと友に馬に跨がっていた。
馬車では時間がかかりすぎると言うことで、こういう移動の形で落ち着いたのだ。
「驚いた。ヘルミナは見事に馬を乗りこなすのだな」
「見事ではありませんが、これくらいは」
今のヘルミナは金髪をポニーテールに高く結い上げ、乗馬服姿だった。
「だが無理は禁物だぞ。辛くなったらすぐに言え」
「ありがとうございます」
数日後、侯爵家の残党が根拠にする山にたどりつく。
「……イサドラ、やっぱり……」
「殿下、大丈夫ですわ。何度もご説明したではありませんか。彼らは誇り高い侯爵家。たとえ反乱軍となった今もそれは変わりません。何の武器も持たぬ婦女子を攻撃するような恥ずべきことを行うことはありませんから」
「……う、む」
「ミハイル様のためにも侯爵家をしっかり説き伏せてまいります」
「無理だと分かればすぐに戻ってくるんだ」
「はい」
ミハイルは、一人の騎士を護衛としてつけた。
ヘルミナたちは交渉の使者だけがつけることを許される赤い羽根飾りを身につけ、山へ分け入っていく。
(うまくいくわ。きっと。彼らが前国王に忠義を尽くすというのなら……私の正体を知ればきっと……)
ヘルミナはオニキスのネックレスをぎゅっと握り締める。
(スレイ、どうか力を貸して)
護衛としてつけられた兵士は不安そうにキョロキョロと辺りを見回し、鳥のはばたきや、小動物が草むらを移動するそんな些細な音にまでいちいち反応する。
見ていて呆れる。
これでは護衛どころではないだろう。
「よそ見をしないで胸を張りなさい。私たちは王国のためにこれから重要な交渉に臨むのですよ」
「……は、はいっ」
兵士が声を上擦らせる。
しばらくすると、目の前に男が現れた。
身なりこそ粗末だが、しゃんと伸びた背筋や隙のなさは、盗賊や傭兵のそれではない。
「小娘が何の用だ?」
「あなたも王国の兵士であったなら、この羽の意味が分かるはずでしょう。あなたたちと交渉がしたいの。これ以上、無駄な血を流さないために。ここには、これまでの罪を不問に付すという宥免状があるわ」
「……少し待て」
しばらくして男が戻ってくる。
「話だけは聞くと仰せだ」
その時、草むらから男たちが現れる。
「ひっ!」
動揺した兵士が剣を抜こうとするが、ヘルミナが止めた。
「平気よ。ただ、目隠しをするだけ。でしょ?」
「肝が据わった女だ」
目隠しをされ、ヘルミナたちは縄を握らされる。
そして歩き続けること、二十分ほど。
ほうぼうから聞こえる様々な環境音のせいか、方向感覚はすっかり狂っている。
やがてさっきまで肌を撫でていた風が途切れたことやで、自分が部屋の中に連れてこられたことを知る。
促され、椅子に座らせられる。
「ようこそ」
低いが、よく通る男の声。年の頃は二十代から三十代くらいか。
「私の護衛は?」
「安心しろ。外で待たせてある」
「そろそろ目隠しを外しても構わない?」
「ああ」
目隠しを取れば、向かいのテーブルに男が立っていた。
右目には革製の眼帯。
目尻の切れ上がった目元は涼しげで、瞳の色は琥珀。
良質のオニキスのように混じりけのない漆黒の黒髪。
「……っ」
その姿を目の当たりにした瞬間、ヘルミナは頭を激しく殴られるようなショックを覚えた。
「どうした。息が上擦り、震えているぞ」
「……水が欲しいわ」
男は立ち上がると、背後に置かれたテーブルに置かれてあったコップに水を注ぐ。
「ほら」
目の前にグラスが置かれた瞬間、ヘルミナは男の右手首を掴んだ。
「……どういうつもりだ?」
手が震える。
ますます男の顔が怪訝なものになる。
「自分から触ってきてどうして震える」
「手の平を、見せて」
「は?」
「お願い。見せて」
男が眉を潜めながらも、手首を返す。
ドクン!
鼓動が強く拍動する。
手の平には大きな傷跡があった。
すでに治りきっているが、目を凝らすまでもなく、かつてどれほど深い傷を負ったかは一目瞭然だった。
「なぜこんなことをさせるのか説明しろ」
ヘルミナは深呼吸をして、混乱する頭に空気を取り込んだ。
「一体何なんだ」
要領を得ないヘルミナに、男は舌打ちをした。
殺されたと思っていた。
『ここは俺に任せて、先に行け!』
『いや、一緒に!』
『お前は王女だ! そしてお前を守るのが、婚約者である俺の務めだ!』
そう言って、当時十五才の少年は、ヘルミナの目の前で迫り来る敵兵に斬り込んでいった。
それを昨日のことのように覚えている。
「……山で、狼に襲われた時、あなたがかばってくれた傷……」
ヘルミナは声を絞り出しながら、傷跡をなぞる。
かつて何度もそうしたように。
男の左目が瞠られる。
ヘルミナは、その男の琥珀色の瞳をじっと見つめる。
「太陽のような瞳」
子どもの頃から、ヘルミナはスレイの瞳が大好きだった。
「どうして……」
「私よ、スレイ。ヘルミナよっ」
声に涙で濡れる。
ヘルミナは愛する人――侯爵家の嫡男にして許嫁でもあった、スレイ・マーナガルムの首に飛びつく。
彼はその逞しい腕で、ヘルミナをしっかりと抱き留めた。
背中に回された腕が小刻みに震えている。
「……お前は死んだと……」
「でも生きている。夢じゃないわよ」
「想像以上だ」
「……何が?」
「お前が大きくなったら、この大陸一の美人になると思っていた。お前は本当に綺麗になった……」
「あなただってすごく逞しく……格好良くなったわ」
お互いに涙を溢れさせる。
互いに死んだと思っていたのだ。
でも違っていた。
「話したいことがたくさんある」
「私も。でも、今は……」
「そう、だな。もっとするべきことがあるな」
互いにどちらから離れるべきかを問いかけるように見つめ合い、ふっと同時にお互いの口元が緩める。
「それで?」
「今、私は王太子ミハイル・デ・ルイの恋人なの」
「なん、だと。あいつらは、陛下たちの仇……」
「誤解しないで。全て計画のため。両親、そしてサンタクルス王家のおじさまやおばさまの復讐を遂げ、この国を取り戻すために」
「……無茶をしやがって」
「無茶くらいしなきゃあいつらを破滅させられないでしょ」
「強くなったんだな。子どもの時は夜を怖がる甘えたがりだったくせに」
「ならざるをえなかった。大切な人を奪われ続ける日々だもの。昔のままではいられないでしょう。お互いに」
と、スレイは、ヘルミナの首元に目を留めた。
「それ……」
「覚えてる?」
首から下がったオニキスの首飾りに、スレイは触れる。
「当然だろ。俺がした、初めてのプレゼントだ。少しでも、俺の色を身につけていて欲しくて……」
スレイは、オニキスの表面を指先で撫でた。
「当然じゃない。一番の宝物なんだから」
「……それで、俺たちのところに来たのも、計画の一環なんだろう。話してくれ」
「王国に降伏して欲しいの。そして一緒に、あいつらを破滅させるのに協力して欲しい」
ヘルミナは自分の計画を話す。
全てを聞き終えたスレイは頷く。
「……分かった。お前を信じる」
「ありがとう」
ヘルミナとスレイは肩を並べてテントを出た。
交渉は決裂するものと疑っていなかった兵士たちが、ざわつく。
「勇敢な我が侯爵家の騎士たちよ! 我々は、これより王国軍に下る!」
「スレイ様! 国王ご夫妻や、ご両親の仇に膝を屈するというのですかっ!?」
「このままではじり貧になり、全滅するだろう。俺はここまで付いてきてくれたお前たちをそんな目に遭わせたくない。そして俺にはこの血統を継ぎに残す責務がある。無論、受け入れられない者がいることは承知している。従えない者は名乗り出てくれ。十分な路銀を用立てる。だが、俺はこれが最良の決断であると考えているっ」
兵士たちは顔を見合わし、悔しげな顔をする者もいたが、誰も名乗り出ることはなかった。
「……感謝する」
スレイは深々と頭を下げる。
ヘルミナはスレイたちを引き連れて山を下りれば、
「イサドラ!」
猛獣から遠ざけるようにヘルミナの腰に腕を回して抱き寄せる。
スレイの柳眉がひくりと震えた。
「無事か? 怖い目には遭わなかったか?」
「大丈夫です。何の問題もございませんわ」
ミハイルは、スレイたちに目をやった。
スレイたちは片膝をつき、最敬礼をする。
「王太子殿下。マーナガルム侯爵家の当主、スレイと申します。今日より、王国、そして殿下に忠誠を誓います」
スレイに合わせ、他の兵士たちも倣った。
「それは本心からか」
「無論でございます」
ミハイルは剣を抜くと、スレイの顎を持ち上げさせる。
「言っておく。お前はもう爵位を名乗っていい貴族ではない。王国に背いた賊だ。分かっているか?」
「もちろんでございます」
「背けば皆殺しにするが、忠実に動くならば相応の見返りを与えてやる」
剣を鞘に戻ると、ヘルミナへ手を差し出す。
「イサドラ、行こう。これできっと父上も、君の実力を認めて下さるはずだ」
「ミハイル様。どうしてあんなことを」
「身の程を弁えさせることも重要だ。──全員、帰るぞ!」
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