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8 第一王女のお茶会

 騒動から一週間。

 ヘルミナの体調はすっかり回復していた。

 毒を仕込んだのは、ヘルミナ自身。

 致死量を計算してぎりぎりに設定したのだ。

 一つ間違えるととんでもない結果になっていただろうが、復讐のためには我が身を犠牲にしなければうまくはいかないと覚悟を決めてもいたから、躊躇はなかった。

 お陰でヘルミナの自作自演だとは誰も気付いていない。

 むしろ伯爵家に命を狙われた悲劇の令嬢として大勢の貴族たちから同情を買えたのは思わぬ収穫だ。

 このことによって国王たちは、ミハイルのそばからヘルミナを排除することが難しくなったのだから。


(ここまでうまくいくとは予想外だわ)


 ヘルミナが扉をノックすると、「誰だ……」とミハイルの疲れきった声が聞こえた。


「私です。イサドラですわ」


 ドタドタと荒々しい足音がすれば扉が開く。


「会いたかったっ」


 抱きしめられる。


「ここ最近、王宮へ来られず申し訳ありません。今回の騒ぎで家の者たちが必要以上に神経質になってしまって……」

「お前が死にそうになったのだ。当然だ」

「ミハイル様はひどくお疲れですね」

「……最近、よく眠れなくてな」

「親友と信じた方がとんでもない人間だと分かったのですからしょうがありません……。こちらをお持ちして良かったです」


 ヘルミナはティーセットを示す。


「喉は渇いていない」

「これは私がブレンドいたしました、特性の茶葉でございます。気持ちを落ち着かせ、眠りへ誘う効果がございます」

「私のために?」

「はい。ミハイル様は私のために、大切な親友を失われたのですから」


 ミハイルは感動したように目を潤ませる。


「ではお茶を淹れますので、お席へ」

「ああ」


 ポッドからカップにお茶を注ぎ、差し出す。

 お茶を口にすると、「美味しい」とミハイルは微笑んだ。


「ああ、確かに君の言う通りだ。体が温かくなって……」


 ミハイルはうとうとしはじめた。


「私の膝でお眠りください」

「ありがとう。君の膝なら、どんな豪華で美しいベッドよりも安らげそうだ」


 まるで赤子をあやす母親のように、膝の上へミハイルを寝かせる。

 頭を何度も優しく撫でると、彼はうとうとし始め、寝息をたてはじめた。


「ミハイル様、もっと私に依存してくださいませ」


 復讐はまだ始まったばかりだ。



 セシルのいなくなった穴は、ヘルミナが埋めた。

 滞りがちだった王太子の執務環境は劇的に改善した。

 セシルが使っていた人間たちは信用できないということで解雇され、ヘルミナが選んだ人間たちに取って変わった。

 全員、前王派の関係者たちだ。

 その日、ヘルミナはミハイルの執務室へ向かおうとしていた。


「――あら、イサドラじゃない!」


 その声に足を止める。

 ディザベルが庭先でお茶会をしていた。

 周囲には侍女たち。


(最悪だわ)


 本当なら無視して立ち去りたいが、さすがにそうする訳にもいかない。

 そんなことをしたら余計に面倒なことになりかねない。


「……ごきげんよう、王女殿下。お茶ですか?」

「とてもいい天気だから」


 ディザベルは、大きな日傘の下で微笑んだ。


「それは楽しそうですね」

「あんたは、雑用?」

「いいえ。殿下の補佐を務めておりますので。大切な仕事です」

「ふうん。それにしてもそんな野暮ったい服、よく着られるわよねえ。さすがはメス豚」

「インクで汚れることもありますので、こういう服のほうがいいんです」

「ま、いいけど。それよりお茶に付き合いなさい。お茶の一杯くらい飲んでいけるでしょ?」


 薄ら笑いを浮かべながら、お茶を差し出される。


「では、一杯だけ」


 席に着く。

 さっさと飲んで、立ち去ろう。


「それにしても、危うく死ぬところだったんでしょう。あんたも不運よねえ」

「ご心配ありがとうございます」

「アハ! 誰が心配してるって言ったぁ? 死んでくれたほうが良かったに決まってるじゃないっ!」


 ディザベルは満面の笑みを浮かべた。

 ヘルミナが紅茶に口をつける。

 ディザベルはますます口角を持ち上げた。


「飲んだ? 飲んじゃった?」

「え……」

「あら~。飲んじゃって平気かしらぁ? 毒、入っちゃってるかもよぉ」


 手元が狂い、カップを倒してしまう。

 白いテーブルクロスに紅茶がじわじわと染みこんでいく。


「キャハハハ! なぁぁぁに動揺してるの、おっかしぃっ! 冗談に決まってるでしょうが!」

「……王女様。そのような冗談はおやめください……」


 膝の上に載せた手を怒りのせいでぎゅっと握りしめ、立ち上がろうとするが、背後にいた侍女が肩に手を乗せて、半ば無理矢理座らせようとする。


「何を……」


 バン!


 ディザベルが平手でテーブルを思いっきり叩く。

 びくっとしたヘルミナが、ディザベルに向き直る。

 彼女は責めるような眼差しを向けてきた。


「一杯付き合うって言ったばかりでしょう。最後まで付き合いなさいっ。まだお茶を一口くらいしか飲んでないじゃない」


 新しいカップに紅茶が注がれ、差し出される。


「早く」


 ヘルミナが紅茶に口をつければ、肩にかかっていた侍女の手が離れる。


「では失礼いたします」


 立ち上がろうとしたその時、よろけてしまう。

 ディザベルと目が合った。


「毒じゃないから安心しなさい。ただの、痺れ薬」


 ディザベルはクスクスと笑う。

 いつの間にかその手には短剣が握られていた。

 立ち上がったディザベルはおもむろに背後に回り、ヘルミナの髪や耳、そしてうなじを爪先でくすぐるようになぞる。


「本当に馬鹿なメス豚。はぁ。あんたみたいな女がお兄様のそばにいるなんて、ありえない。お兄様はぞっこんなのも意味不明。あんたみたいなメス豚がいるだけで、本当に不愉快。ねえ、どうしてお母様があんたのことを嫌ってるか分かる? それ、あんたが男爵家の小娘の分際でお兄様に手を出そうとしてるからだけじゃないの。この金髪! お母様の大っ嫌いな前王妃と同じなのよねえ! お母様、前王妃が死ぬ間際に髪に火をつけさせたっていうくらいだしっ! キャハハハハ!」


 はじめて知る事実に動揺を覚えながらも、ヘルミナは笑みを浮かべた。


「何がおかしいのよっ!」

「王女殿下。あまりに悪ふざけが過ぎますよ」

「は?」


 ヘルミナはテーブルクロスを勢いよく引っ張った。

 お湯の入ったポットや、カップが引っ繰り返り、周囲にいたメイドたちを巻き込む。


「いやああっ!」

「あ、熱いぃぃ!」


 ディザベルがそれに気を取られた瞬間を狙い、ヘルミナは足払いをかけた。

 彼女は突然のことに何が起こったのかも分からないまま引っ繰り返る。


「平気ですか?」


 ヘルミナは立ち上がり、悠然とした笑みをたたえて見下ろす。


「な、なんで! 痺れ薬はっ!?」

「あなたが何も考えず、お茶会をするはずがないもの。当然、飲んだフリをしたの」


 と、足元に短剣が転がっている。


「あっ」


 ディザベルが手を伸ばすが、ヘルミナが先に拾い上げた。


「本当に悪い王女様」


 クスクスと微笑む。


「これ、返すわね」


 ヘルミナは剣を思いっきり振り上げると、ディザベルめがけ振り下ろした。


「ひいいい!」


 ディザベルが悲鳴を上げて、顔を庇う。

 髪を何本か切りながら、顔すれすれの地面に短剣が食い込んだ。


「ひ、ひい……」


 ディザベルは表情を引き攣らせ、目を見開く。

 歯の根が合わず、ブルブルと震えている。

 その時、ふわりとした独特の香りを感じた。


「気を付けないと。立派なレディが粗相だなんて……」

「し、死ね、死ねええええ!」


 恥ずかしさに赤面しながら、ディザベルが叫ぶ。


「言い触らしたりはしないですから、安心して下さいね。それじゃ、私は仕事に戻ります。お茶会、楽しかったですわ。王女様」


 ヘルミナはドレスの裾を翻し、その場を立ち去った。


(小娘の相手も疲れるわね)

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