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5 取引

 王宮にはいくつも庭がある。

 その中の一つ、蔓薔薇の庭で、ティータイムを過ごすことになった。

 昔からお気に入りの場所だった。

 母と侍女とみんなでよく、このそばを流れる川で遊びながら、一緒の時間を過ごした。

 執務を終えた父がこっそりやってきて、川遊びに夢中になっているヘルミナを抱き上げてくれたことを昨日のことのように思い出す。


「まだ季節柄、薔薇は咲いていないのに、君はここが好きなんだな」

「はい。とても素敵なんですもの」


 軽く物思いに耽っていたヘルミナははっと我に返り、頷く。


「──殿下、王太子ご夫妻のことはどうでしたか?」


 セシルが聞いてくる。

 彼もまた叔父一家と同じく、標的の一人。

 ミハイルの補佐官としてサンタクルス王国侵攻時に民間人の拷問を行い、必要な情報を冷酷に集めていることが分かっている。


「別にいつものように母上が大袈裟に騒いだだけだ」

「……本当ですか?」


 セシルがちらりと、ヘルミナを見てくる。


「はい。ですが、ミハイル様が殿下が庇ってくださいましたから、セシル様が心配されるようなことは何もありませんわっ」


 ふふ、と笑ったヘルミナは、ミハイルの腕にしがみつく。


「ああ、そうだとも」

「分かりました」


 心のそこからは納得していないという顔だったが、それ以上、セシルは突っ込んではこなかった。

 侍女たちの手でお茶の準備が整う。


「マヌエル様、お茶はいかがですか?」


 ヘルミナは、王太子親衛隊の隊長を務める将軍に声をかけた。


 マヌエル・キュネー。


 がっちりとした固太りの体格に、オリーブ色の短髪。明るい茶色い瞳の寡黙な男性だ。

 五十代半ばで、軍にいる者でマヌエルに鍛えられなかった者はいない、生粋の軍人。

 ミハイルの剣術の師でもある、優秀な軍人だ。

 彼は、ウロディアの謀反の時、そしてサンタクルス侵攻時に大きい功績を残していた。


「任務中ですから、結構でございます」

「そうですか。欲しくなったら、いつでも仰って下さいね」

「ありがとうございます」

「イサドラ、何をしている?」


 ミハイルが呼びかけてくる。


「マヌエル様にお茶をお勧めしていたのです。任務中だからと、あっさり断られてしまいましたけれど」


 おどけるように舌を出す。


「しょうがないな。あまり困らせては駄目だぞ」

「でもたくさんの人たちとお茶をしたほうが楽しいですから」

「それでも、だ」


 席に着き、美しく剪定された生垣を眺めながら、お茶を飲む。


「イサドラ、覚えているかい?」


 ミハイルが不意に言った。


「何をです?」

「初めて私たちが出会ったのは、茶会の席だったんだ」


 ぽつりと、ミハイルが言った。


「はい。殿下が卒業生として出席された、在校生との語らいの会の席上でした」

「君は茶会の準備をしていたな」

「顔を合わせる栄誉に緊張し、隅で縮こまっていたのを、ミハイル様が『君も近くへ』そう声をかけてくださいました。その時の気持ちをどう表現したらいいか……」

「そして君は自作の詩を見事に読み上げた」

「はい。ミハイル様は誰よりも褒めて下さり、私を学園で開かれる詩作の発表会に出るよう後押しをして下さいました。本来であれば私のような下級貴族の娘が出席などとてもできないような歴史ある大会でしたのに」

「君はそこで、一等を得た」

「はい。そしてその帰りに、私の作った愛の詩に心奪われたと告白をしてくださいましたよね。私の人生で最も幸福な瞬間ですわ」

「嘘をついていることがあった」

「え?」

「実は君に心を奪われたのは、あの愛の詩がきっかけではなかった。一目惚れだったんだ。あの茶会の席で、君の吸いこまれそうなほど青い瞳を目の当たりにした瞬間、全てのものがどうでもよくなるような錯覚になった。あんなことは本当に初めてで……」

「光栄ですわ」


 一目惚れというのは知らなかった。

 仮にそれがなくても、ミハイルを落とすことは難しくない。

 彼を徹底的に調べ上げた結果、王太子という立場ゆえに周りから遠巻きにされている上に、誰もがミハイルではなく、将来の王妃である聖女アデレイドのことしか見ていないことに対して鬱屈とした感情を持っていることが明らかだった。

 だからヘルミナは徹底的に甘え、頼り、ミハイルの自尊心をくすぐれば、心をものにするのは簡単だ。


(アディの魅力に気付かない時点でどうしようもないけど、そういう人間で都合が良かったのは確かね)


 語らいつつ、お茶の時間を過ごす。


「ああもう、夕暮れだ」


 ミハイルは真っ赤に染まった空を見上げながら呟く。


「ミハイル様と過ごすと、時間があっという間に過ぎてしまいますわ」


 ミハイルが急に抱きしめてきた。


「いつまでもこうしていたい。離れたくない……っ」


 耳元にミハイルの熱い息遣いが掠める。


「私もです」

「……いっそこのまま神の御前で愛を誓えれば、どれだけ幸せだろう」

「ですが、婚礼は誰からも祝われなければ。ミハイル様は将来の国王なのですから」

「君の為ならば、王太子などという地位も捨てられる」

「そんな!」


 ヘルミナは大袈裟に驚いて見せれば、ミハイルは無邪気に微笑んだ。


「ほんの冗談だ」

「……びっくりしました」

「ふふ」


 ミハイルは子どもっぽい笑顔を浮かべた。


「たとえ、私が王太子でなくても、君は私についてきてくれるだろ」


(やめてよね。王太子でなかったら、あなたには何の価値もないんだから)


「もちろんですわっ」

「そう言ってくれると思った」


 ゴホン、とセシルが咳払いをする。


「分かっている。親友のお前を無職にしたりはしない」

「それは助かります」

「イサドラ、馬車まで送ろう」

「ありがとうございます」


 馬車のところまでミハイルがついてくる。


「セシル。彼女をしっかり送り届けてくれ。頼んだぞ」

「かしこまりました」

「では、失礼いたします」

「またな」


 頭を下げたヘルミナは馬車に乗り込むと、そのすぐ後にセシルが乗ってくる。

 馬車が動き出す。


「で、これからどうする?」


 対面の席に座っていたセシルが口を開く。


「どうする、とは?」


 セシルは不愉快そうに目を細めた。


「私の妹と、王太子殿下の話だ」

「すみません。今日は色々あったせいで失念しておりました」

「私は聖女を排除するのに力を貸した。今度はお前が約束を果たせ」


 セシルが協力したのは善意からではない。

 聖女を排除するのに、ヘルミナは彼の妹をミハイルの正妃にすることを条件に、協力させたのだった。


(ミハイルは親友だと思ってるけど、セシルのほうは打算で付き合ってる訳ね)


『殿下は今はお前にぞっこんだが、所詮、一時的だ。飽きられ捨てられる前に、私の妹が嫁ぐのに協力しろ。そうすれば、悪いようにはしない』


 そう持ちかけられ、ヘルミナは了承したのだ。


「ガーデンパーティーを開きましょう。そこで、妹君を紹介するんです」

「パーティーの名目は? 殿下はパーティーが好きではない」

「珍しいものの披露というのはどうでしょうか」

「それで納得されるか?」

「私がお願いすれば、ミハイル様は叶えてくださいますわ」

「……まあそうだな」

「ですからセシル様にはこれから、こちらのリストにあるものをご用意下さい。もちろん妹君も領地からお呼び下さいね」

「どうして私が? お前が用意すればいいだろう」

「中には、おいそれとは入手できない貴重な品物もございます。男爵家の娘が注文してすぐに届くとは限りませんから。しかし伯爵家のセシル様でしたらスムーズにことが運ぶかと」

「いいだろう。手配しておこう」


 やがて馬車が男爵家の屋敷前で停まる。


「お送り下さってありがとうございます」

「イサドラ」


 馬車を降り際、セシルが声をかけてくる。


「何か?」

「裏切るなよ。お前ごとき、殿下の後ろ盾がなければ、吹けば飛ぶような一介の男爵令嬢に過ぎない」

「承知しておりますわ」


 ヘルミナはにこりと微笑む。

 セシルは、フン、と小馬鹿にしように鼻を鳴らすと、扉を閉める。

 去って行く馬車を見送ったヘルミナは、にこりと微笑んだ。


「最高のパーティーに致しましょ。セシル様」

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