4 呼び出し
翌日、ヘルミナは侍女によって叩き起こされた。
「お嬢様、すぐに着替えて下さい」
「どうかしたの?」
眠い目を擦りながら起き上がる。
「今、王宮より遣いの方がお見えになられまして。速やかに王宮へ来るようにと……」
「分かったわ」
侍女が慌てる一方で、ヘルミナは落ち着き払っていた。
ドレスに着替え、使者の元へ。
使者はベンジャミンと応接室にいた。
「お父様、おはようございます」
「イサドラ嬢でいらっしゃいますね。わたくしは陛下の使いで参りました」
「王宮へ参りましょう」
使者と共に馬車で王宮へ向かう。
到着するなり、すぐに王家のプライベートな空間へ連れて行かれる。
王女だった頃と何も変わらない。
そしてかつて父が執務室に使っていた場所が今や、王の執務室にされていた。
「失礼いたします」
部屋の中には白いもののまざりはじめた青い髪と顎髭を生やした、ウロディア。
その傍らには、頭の上でまとめあげた赤い髪に金色の瞳の王妃エステリナ。
そして、不満な表情を隠そうともしない王太子ミハイル。
「国王陛下、王妃殿下、そしてミハイル様、ご挨拶申し上げ……」
「何を悠長に挨拶をしておるのかっ! お前は自分が何をしたのか分かっているのか!?」
ウロディアは青筋を立て、感情的にテーブルを叩く。
「何のことでしょうか」
ヘルミナはとぼけた。
「聖女のことだ! お前が聖女を追放するよう、ミハイルに言ったそうではないかっ!」
「はい、確かにそのように申し上げました」
背筋を伸ばし、悪びれもせずに告げる。
エステリナが鋭い視線を向けてきた。
「あなた、自分がどれほど愚かなことをしたのか、自覚があるの?」
「愚かなことをしたとは思っておりません」
堂々と言い放つヘルミナに、二人は呆気にとられた。
「聖女などと言いますが、アデレイドの聖力は弱まっていたではありませんか。陛下もそれはご存じのはず」
「それは……」
顔を赤黒くさせるほどに激昂していたウロディアは言葉に詰まる。
「男爵令嬢ごときが陛下に対してなんて不遜な物言いを! お前ごときが勝手に判断していいのではないのよっ!」
その時、それまでずっと黙っていたミハイルが恐る恐る口を挟む。
「母上。私は、これで良かったと思っています。聖女の力が弱まった女より、イサドラのほうがよほど王家を支えてくれますっ」
「そう言って頂いて嬉しいですわっ」
にこりと微笑んだヘルミナは、ミハイルに抱きつく。
「おやめなさい!」
エステリナからの叱責がとぶ。
彼女はこめかみに青筋を立て、ヘルミナをキッと睨み付けてくる。
「支えるというのはどういうこと?」
「もちろん、私の妻として……」
「そもそも男爵家の娘ごとき、王妃になどなれるはずがないでしょう。私はそんなことは決して許しません。陛下もそうですよね!?」
「もちろんだ。王妃などありえん。側妃ならまだしも……」
「側妃だなんて。私は、イサドラを心の底から愛しております。これほどまでに人を愛したことなどありません。父上や母上がなんと言おうと、彼女を王妃に……」
「黙りなさいっ! どれほど、愚かなの! 話にならないわ! とにかく、イサドラ、あなたは今後、王宮へ立ち入ることを……」
「母上、理不尽すぎます。いくら王妃といえども、そのような決定権はないはずです」
「王太子として冷静に考えなさい。そんな小娘に執着するなんて……嘆かわしいわ!」
ミハイルは、ヘルミナの手を引く。
「どこへ行くの! まだ話は終わっていないわよっ!」
「父上や母上がなんと仰ろうと、あの出来損ないの聖女はすでに追放済みです。おそらく今頃、動物にでも食われているでしょう。失礼いたしますっ」
「待ちなさい、ミハイル!」
エステリナは声を荒げるが、ミハイルは無視してヘルミナの腕を掴むと、部屋を出ていく。
部屋を飛び出して廊下をしばらく進むと、ミハイルは足を止めた。
「殿下……手が」
「……父上と母上に逆らったのは初めてなんだ」
手が小刻みに震えている。
ヘルミナは、手を包み込むように握った。
「嬉しいですわ。私のためにそんな勇気を出してくださるなんてっ」
「当然だ。君のためなら、何だってできる」
「ふふ。ありがとうございます。ですが、よろしかったのですか?」
「気にするな。ご自分の思い通りになららないとすぐに怒鳴る方だ。こういう時は頭が冷えるのを待つに限る。それより怖かっただろう? こちらこそ、すまなかった」
「いいえ、殿下のお陰で怖さも消えてしまいました」
「そうか」
満足そうにミハイルは微笑んだ。
両親に叱られることを恐れるようなミハイルも、サンタクルス王国侵攻時に一軍を率い、大勢の民間人を血祭りに上げた残虐性を持つ。
今すぐその顔をズタズタに斬り裂いてやりたい。
ヘルミナの心にはそんな、どす黒い感情が芽生える。
「――あらあら、お兄様ったら。お説教のあとなのにもう、そんな女と戯れていらっしゃるの?」
嘲笑と言っていい声に、ヘルミナたちは振り返る。
腰まで届くほどに美しい赤い髪をツインテールに結わえた、銀色の瞳の少女と言ってもいいあどけない表情の娘が侍女を従え、歩いてくる。
ディザベル・ラ・ルナ。
国王夫妻の長女で、ミハイルやエドワードの妹に当たる。
容姿に恵まれ、王家の妖精とも呼ばれるが、中身は妖精とは賭け放たれた、トロールのような残忍さを持つ。
ナルシストで、王家以外の人間を常に下に見ている。
貴族まではぎりぎり人間扱いするが、使用人を含めて全員、代えの利く物としてか見ていない節がある。
「王女殿下にご挨拶申し上げます」
ヘルミナはカーテシーをするが、ディザベルは眉を顰めた。
「あ? 誰が口を開けていいって言ったの。このブス!」
「ディザベル、何て口をきくんだ! 謝れ!」
ミハイルが怒るが、ディザベルは気にしない。
「嫌よ。どうしてそんなブスの豚なんかに謝らなきゃいけないの?」
「ディザベル!」
「嫌。ぜっったーい謝らないわ」
ディザベルはつん、そっぽを向く。
「……殿下、私なら大丈夫ですから」
「だが」
「ほーら。そいつは身の程を弁えてるのよ。お兄様だってどうせ、お遊びなんでしょう?」
「私は本気だ。心の底から、イザドラを愛しているっ」
「無理無理。その女との結婚を、お母様が許す訳ないわ」
「それはまだ、イサドラの良さを知らないからだ。きっと分かって下さる」
「じゃ、頑張って。じゃあね、メス豚さーん。ぶーぶー。アハハハハ!」
高笑いを響かせ、ディザベルは去る。
「すまない。妹が……」
「いいえ。いつものことですから」
「少々甘やかしすぎたんだ」
(少々? あのイカれ具合を見て少々だなんて、倫理感がどうかしてるのは兄妹共通なのかしら?)
ヘルミナは、ミハイルたちとは従兄妹だが、同じ血が流れているのがとても信じられなかった。
「お茶にしよう。庭で準備をさせる」
ミハイルは取り繕うように言った。
※
「ミハイルが私に逆らうなんて!」
「気弱なあいつにしてはずいぶん、勇気を出したな」
ウロディアは呑気にそんなことをうそぶく。
「あなた!」
「そ、そう怒鳴るな」
「親に逆らうことを感心などしないでください。あの小娘との仲をお認めになられる訳ではありませんわよね!?」
「もちろんだ」
「ではどうするのですか」
「お前は考えすぎだ。あれはただ一時の恋に酔い痴れているだけだ。一過性の熱病のようなもの。そのうち飽きる」
「あなたがそうだったように、ですか?」
ウロディアの喉の奥から呻きをこぼした。
「……もう昔のことはいいだろう」
「そうですね。まあ、ミハイルはあなたのように女と見れば誰彼構わず手を付けて、取っ替え引っ替えしないだけマシ、というべきでしょうか」
「しつこいぞ」
「しつこくもなります。誰がそのもろもろの後始末をしてきたと思って?」
ウロディアは気まずげに目を反らし、咳払いをする。
「それよりアデレイドのことだ。どうしたらいい?」
「……ミハイルの言う通り、今ごろ動物にでも食われているはずです。ああもう! 聖女を失うなんて……!」
「だが、あいつの言うことも最もではないか。聖女の力は明らかに衰えていた。お陰で、農作物の収穫量も減少していた。むしろここは考えを改めても良いかもしれないな。両親を殺した女をいつまでもそばにおいておくリスクのほうが大きかった。こうなったのは怪我の功名ではないか?」
「……そう言えなくはありませんが」
「そうだろう。イサドラのことも時間が解決する。むしろ私たちが口うるさく言えば、かえってあの娘に固執するかもしれない」
「思春期もほとんどなく、従順だったあの子に、今さら手を焼かせられるなんて……」
「落ち着いて、茶でも飲もう」
「……ええ」
ウロディアは手元のベルを鳴らした。
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