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3 絆

 イサドラ・フォーガン。

 それは偽名だ。

 本名は、ヘルミナ・デ・ルナ。

 ルナ王国の第一王女。

 しかしその名前をこの国で名乗ることは許されない。

 なぜなら自分はとうの昔に死んだ人物だからだ。


 時を遡ること、十年前。

 ヘルミナにとって叔父にあたるウロディアが謀反を起こし、両親を殺害。

 ちょうど、今日のように美しい月明かりの晩だった。

 ヘルミナはパーティーからの帰り、馬車の扉に寄りかかりながら月を見つめて、そう思う。

 眠っているヘルミナは叩き起こされ、訳も分からないまま侍女に手を引かれ、秘密の脱出路から城外に出た。

 振り返ると、真珠城とまで呼ばれた白亜の城からはいくつもの黒煙が立ち上っていた。

 あれから何が起こったのかはよく覚えていない。

 気付けば、サンタクルス王国の城だった。

 サンタクルス王国とルナ王国は長年の友好国であり、侍女はその縁を頼ったのだった。

 王国は不思議な力を持つ聖女と呼ばれる存在のお陰で豊かさを維持していた。

 そして当代の聖女は、第一王女のアデレイド。

 二つ年下のアデレイドとは幼い頃から頻繁に交流していて、二つ年上のヘルミナのことを実の姉のように慕ってくれたし、ヘルミナ自身もまた、アデレイドを本当の妹のように慈しんだ。

 おじさま、おばさまと慕う、サンタクルスの国王夫妻から両親が殺され、叔父が王位に就いたことを告げられた時、全く現実感がなかった。

 十歳のヘルミナはその時まで身近な誰かを亡くすということを経験してこなかったから尚更だ。

 ヘルミナにとってウロディアは決して悪い印象はなかった。

 むしろ父との仲も良かったと思っていたくらいだ。

 その人が自分の両親を殺し、国を乗っ取ったということが理解できなかった。

 愛してくれる両親や将来次ぐべき王位、そして毎日世話をしてくれてい忠実な人たち──全てを失ったヘルミナは、与えられた離宮で日々を無為に過ごした。

 何かをする気力も沸かず、侍女に懇願されてようやく食事を取るという有り様だった。

 眠ることもままならなかった。

 夢の中で城内のあちこちから聞こえる悲鳴を思い出し、汗をびっしょりとかいて飛び起きることも一度や二度ではなかった。

 取り乱すヘルミナを侍女はそのたびに優しく抱きしめ、ヘルミナが泣き疲れてうとうとするまでそばにいてくれた。

 そんなヘルミナに心を取り戻させてくれたのが、アデレイドの存在だった。

 両親にはきっとヘルミナをそっとしておくようにと言われていたのだろう。

 離宮を与えられてしばらくは来なかったが、不意に現れたのだ。


『お姉様、お庭でとても綺麗な花が咲いていますわ。一緒に見に行きませんか』

『……ごめん。アディ。行きたくないの』


 ベッドの上で膝を抱えたヘルミナはそう素っ気なく告げた。

 いつもなら彼女の手を引いて、どこへでも一緒に行っていた。

 今だって気持ちとしては応じてあげたい。

 そう思いながらも、動けなかった。

 じっとしていても辛いし、誰かと一緒にいても辛い。

 そんな苦しさの中で全てに背を向けることしかできなかった。

 しばらくしてアデレイドが戻ってきた。

 その手には花瓶に生けた花がある。


『こちらに置いておきますね』


 かすかに花の甘い香りが部屋に漂う。

 普段ならその香りだけで嬉しくなっているのに、ヘルミナの気持ちは凍り付いたままだった。

 アデレイドを無視するように背中を向けた。

 彼女が煩わしく、無視していれば、そのうち来なくなるだろうと思ったのだ。

 しかしどれだけヘルミナが無視しても、アデレイドは毎日のように来ては花瓶を変えた。

 それから昨日何があったかを話した。

 聖女としてどんなことを学び、どんなことができるようになったか。

 使用人の新人が来たとか、ベテランの使用人の誰それはこういうことが苦手だとか。

 城下では今こんなことが流行っているとか。

 どうでもいい、下らないことばかり。

 ヘルミナが無視しても、アデレイドは一方的に話した。


『それじゃあ、また明日も来ますねっ』


 そう言って、アデレイドは帰っていった。

 その日は、かなり強く雨が降っていた。

 さすがのアデレイドも今日ばかりは来ないだろう。

 そう思っていたのに、びしょびしょに濡れたアデレイドがいつものように、花瓶に花を生けて持ってきたのだ。


『お姉様、今日の分です』

『……馬鹿、何してるの。びしょびしょじゃない……』

『大丈夫です。これくらい。私、元気ですから。それで、昨日、私――』

『お願いだから、もう来ないで。話なんて聞きたくないのっ』


 雨でびしょびしょに濡れている姿に、罪悪感を覚え、ヘルミナはつい大きな声をあげてしまった。

 どうしてそんなに構うのか。

 自分なんかのために、そこまでする必要ないはずなのに。


『……ごめんなさい、お姉様』


 アデレイドはびっくりして、それから悲しげに目を伏せ、去って行った。

 アデレイドは何も悪くないのに。

 後悔と罪悪感とで、胸がズキズキと痛んだ。

 でも同時に、もうこれできっと来ないだろうと思った。

 実際、翌日からアデレイドは来なかった。

 望みが叶ったはずなのに、胸にあったのは寂しさだった。

 そのうち、庭先でメイドたちの話す声が聞こえた。


『聖女様のお風邪は大丈夫なのかしら』

『長引いてしまっているみたいね。お医者様は重たい病気じゃないって仰られてるけど』

『今年の風邪は質が悪いって言うから』


(風邪って、あの日のせい?)


 自分が悪いわけじゃない。

 アデレイドが頼みもしないのに勝手にやったんだ。

 でも心配する気持ちはなくならなかった。

 我慢できず、ヘルミナは本当に久しぶりに離宮を出た。

 長い間、部屋に籠もりきりだったせいで足が萎え、よたよたとふらつきながら、ヘルミナはアデレイドの部屋を訪ねた。

 誰に尋ねなくても、何度も通った部屋だ。

 場所を忘れるはずもない。


『アディ』

『お姉様……?』


 部屋に飛び込むと、アデレイドは起きていた。

 侍女が風邪がうつってしまうからと言ったが、『お願いです。少しでいいから話をさせてください』という懇願に、しぶしぶ了承してくれた。

 アデレイドは頬が赤く、熱のせいか目が潤んでいた。


『……お姉様。ごめんなさい。お花を届けられなくて……。明日には風邪を治して、お花を……』


 こんな時にもヘルミナの心配をするアデレイドに、顔をくしゃくしゃにさせた。


『どうして、こんな無茶をするの。わ、私はずっと、無視してたし、この間は怒鳴りもしたのに……』

『お姉様が大好きだから』

『え?』

『大好きなお姉様のために何かがしたかったんです。前みたいに一緒にお話をして、一緒にお散歩をしたくて。だから、お姉様のためにできることをしたくて。本当なら私がもっともっと聖女の力が強くなれたら、お姉様を助けられるんですけど、私はまだまだだから……。でもこうしてお姉様が来てくれて、嬉し

いっ!』


 アデレイドは笑顔を見せた。

 体調が悪くて、辛くて苦しいはずなのに。

 その時、初めてヘルミナは自分のそばにはこんなにも自分を心配してくれている人がいるんだと自覚したのだ。

 アデレイドだけじゃない。

 侍女や、離宮を与えて見守ってくれているおじさまやおばさま、使用人の人たち。


『ありがとう、アディ……ありがとう……』


 涙が溢れた。

 考えてみれば、国を失ってから泣くのは初めてだった。

 ぐちゃぐちゃになった心を吐き出すように、ヘルミナは泣いた。

 すごく情けなかったと思う。

 自分より年下の子に縋り付いて泣くなんて。

 それもアデレイドは風邪を引いていた。

 そんなヘルミナの頭を、アデレイドは小さな手で何度も撫でてくれた。

 泣き止んだヘルミナは恥ずかしさに頬を赤らめながら、『今度は私が花を届けるからね』と言った。

 それからアデレイドの風邪が治るまで毎日のように花を届け、それから彼女が眠るまでずっと話をした。

 アデレイドの風邪が治ると、一緒に庭を散歩した。

 最初はぎこちなかった笑顔も自然と浮かべられるようになった。

 全部、アデレイドのお陰。

 彼女がいなかったら、今のヘルミナはなかった。

 しかし平和な時間はいつまでも続いてはくれなかった。

 ルナ王国が乗っ取られた五年後、叔父たちはサンタクルス王国へ宣戦布告をしてきた。

 目的は、聖女――アデレイド。

 大軍が、サンタクルス王国へ押し寄せた。

 アデレイドが大人であれば、もっとやりようはあったかもしれない。

 しかし当時、まだ聖女として半人前だった彼女には為す術もなかった。

 王国軍は自然豊かなサンタクルスを蹂躙し、人々を兵士や一般人の区別なく虐殺した。 そして彼女はルナ王国の手中に落ちた。

 二度も国を失ったヘルミナは、貴族、ベンジャミン・フォーガン男爵に救われた。

 彼は前国王に忠誠を誓う数少ない貴族であり、兵士に襲われそうになっていたヘルミナを救った。

 新しい名を与え、遠縁の娘として養女にしてくれた。

 そんなヘルミナとアデレイドが再会したのは、ルナ王国の貴族学校。

 魂の半分とようやく巡り会えた。あの時のことは今もはっきり覚えている……。


「――お屋敷に到着いたしました」


 御者に声をかけられ、ヘルミナははっと我に返った。


「ありがとう」


 馬車を降りて屋敷に戻ると、使用人から報告を受けたらしいフォーガン男爵家の当主であるベンジャミンが駆け足気味にやってきた。

 彼は養女相手には絶対しないような、最敬礼で出迎えた。

 六十歳の、好好爺然とした男性である。


「殿下。首尾はいかがでございましたか」

「うまくいったわ。アデレイドは、母国へ無事に追放されたわ」


 ベンジャミンは安堵したように息をつく。


「それはようござりました。では、これから」

「父上と母上、そしておじさまとおばさまの仇を取る。……これを」


 ヘルミナは折り畳んだ紙片を渡す。


「これは?」

「必要になるから回収してきて」

「……かしこまりました」

「お願いね。おやすみ」

「おやすみなさいませ」


 ヘルミナは自分の部屋へ入ると、バルコニーに出る。

 春のひんやりと冷たい夜風が頬を撫でた。

(今ごろ、アディも同じ月を見ているのかな)

 アデレイドがいない心細さに胸が潰されそうなくらい辛い。

 そんな気持ちを振り払うように、ネックレスを引っ張り出す。

 それは琥珀の石。

 かつて許嫁からもらったもの。


(きっとうまくいく……。だから応援していて、スレイ)


 琥珀へ口づけを落とした。

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