3.北歴482年 夏その3
「おい、貴様!盗み聞きとはいい度胸だな」
怒りをにじませるその男は陽のある時間に見ると、頬やこめかみに切り傷がある厳つい見た目の男だった。普段の自分であれば、これだけの勢いで凄まれると体を硬直させていただろうことは、想像に難くない。だが、昨日の出来事があったお陰で普通に接することが出来る。
「お客さん、昨日伝え忘れて申し訳ないんだが、うちの宿からチェックアウトする時間なんだ」
「貴様、我々の会話を聞いていただろう。扉の手前で暫く立ち止まっていたことは分かっているんだ」
どうやら少し立ち聞きしていたのはバレているようだ。
「いや、そりゃ話し声が聞こえたからね。入っていいかどうか迷ったのさ」
「どこからどこまで聞いた!何を聞いた!」
「お客さん落ちついて、扉越しにはなんも分からなかったよ」
「いーや、貴様昨日の出来事と言い怪しい!」
「なにがだよ!昨日のはあんたらが武器を持ち込んでいるのが悪いんだろうが!それに俺は生まれてからこの方、ここの宿の息子でしかないわ!怪しいなんて言われる筋合いはないね!早く出てってくれるか?掃除が出来ないんだ!」
傷の男の顔を見ていると昨日の出来事を思い出し、口から思っていたことがすべて出て行ってしまう。自分がここまで口達者だとは思わなかったので少し驚いた。
「なんだと貴様!」
「よい!落ち着けリカード!」
「ですが、カルード!こいつは」
「黙れ!良いと言っている!宿の息子さんよ、騒いですまなかったな。あと少ししたら出て行くよ、ただもう少し時間が欲しい」
「太陽が中天に登る前に出て行ってもらわないと、今晩分の料金を請求するけどいい??」
「分かった。もう一つの部屋はもう掃除してくれて構わないよ」
「はいよ~」
隣の部屋の掃除をたった今湧いてきた怒りと昨日の怒りを合わせて、ものすごい速度で終わらせた後で受付に戻ると、丁度6人組が階段を下りて来た。
「チェックアウトを頼む」
「はいよ。荷物持ってくるから待っててな~」
彼らは、昨日脱衣所から持ってきた剣も合わせて7本の武器を受け取ると、慣れた手つきで武器を身に着けている。剣とかに疎い自分でも分かる、随分と綺麗な所作だった。さっき部屋の前で少し聞こえた会話だと、王子なんて単語も出ていたので、どこぞの騎士か何かだろう。
「追加請求ないよな?」
「ん?あぁ、ないよ!大丈夫さ」
「それは良かった。さぁ、行こう」
「ご利用ありがとうございました~」
男たちが宿から出て行ったのを確認し、残った部屋の掃除を済ませた。
「ターリ!ターリ!」
「んだ?親父~」
「厨房の事は終わったんだが、こっちは大丈夫か?」
「あぁ、昨日は客も少なかったからな。もう終わったよ」
「それじゃあ準備は終わりだな。戦争が起きるらしいから、人手も少なくなりそうだ。今日は暇かもな」
「買い出しも大丈夫かい?」
「あぁ、別にいいだろう」
この後の暇な時間は昨日の勉強の続きをしようかと考えていた時、今日耳に入ってきた話を思い出した。
「あぁ、親父。そういえば」
「なんだ?」
「最近滅亡した国なんてあるか?」
「そりゃ~最近って話が何年かによるんじゃねえか?俺が覚えているだけでも50は国が滅亡してるぞ」
それは言われなくても分かっている。この大陸の国と王の多さったら、現地民でも分からなくなることがあるって話だった。下手したら一つの城と少しの領地で王を名乗り始める奴もいるらしい。
だが、今そんなことはどうでもいいのだ。先程の6人組は、流石にそこまで小さい国の者達ではないだろう。
「え~っと、ここ一年とか二年とか?」
「そこらへんだと……先月位に客が話していたヤツかな?」
「先月の客?」
「あぁ、行商人の客だったんだけどな。そいつ曰く北西の小国?ナントカナントカって国が無くなったらしいぞ」
「全部曖昧じゃねえか!」
「んな、興味ない話を覚えておけるほど暇じゃねえ!それにしても、いきなりどうした?貴族でも見かけたか?」
「いや、さっきの客なんだけどよ。偶々聞こえた話の中で”王子”って単語が出て来てたから」
「それで、どっかの亡国の王子だと思ったのか?」
「まあ、そんなところだ」
「やめとけ、やめとけ。興味持つだけ無駄だ。この宿とそこの食堂で亡国の王子を名乗る奴なんて100人は見たぞ」
「だけど……」
「どうせ、この温泉街で暮らす限り縁がない話だ。それより、お前今日は”お勉強”するのか?」
「その予定だけど」
「そうか、頑張れ。俺は温泉組合の会合に出て来るよ」
この温泉街には習わしがある。戦争前夜だったりで人出が少なくなると、全ての温泉宿の主が集合して、今後の方針を会議する。という名目で2~3日に渡って宴会が行われる。最近は規模が大きくなって、この温泉街にある店という店の主は全員集合しているらしい。
親父も仕事から解放されて酒を好きなだけ飲めるという事実に、目がどこか輝いている。
「戦争が起きそうで、みんな客居ないから暇なのか」
「そうゆうこった。多分帰って来るのは明日か明後日だ。食い物は好き作って食っていいぞ」
「はいよ~、飲み過ぎて死ぬなよ」
「俺は酒のみじゃねぇからな。それじゃ」
「いてら~」
今にもスキップを始めそうな軽い足取りの親父を見送り、勉強を始めると時間はあっという間に過ぎる。陽が完全に落ちても、今日は客が一人もいない。そういえば明日にでも西方の民族によって、砦が攻撃されるような話をしていた。本格的に戦争が近くなったのだろう。夕食も食べてやることもなくなったので、蝋燭を無駄に消費しないようにすぐに寝床に入ることにした。
ーーーーーーーーーー
「我らが獣王!こちらに王国の宝剣を持って参りました!」
「でかした!ということは?」
「はい!ディミトリの野郎は自らの血で窒息しましたよ!」
「第一王子が無様な物よ。あいつは策略に弱すぎるな!獣人族が完全に味方する訳無かろうに」
「仰る通りでございます!我らは誇り高き獣人族!何度敵に下ろうと、何度でも立ち上がって見せましょう!」
「ほら、その剣を寄越せ」
「こちらに」
部下が片膝をつき、王国の宝剣を献上した。
「……簡素だが、素晴らしい剣だな。もっとド派手なものを想像していたぞ」
「ですが本物に間違いありません。私がこの手でディミトリの手から奪いましたから」
「そうか、お前が言うのであれば信用できるな」
剣を抜き軽く振るってみるが素晴らしい出来の物だった。均一の取れた刃に安定した重心を持った、切れ味が見るからに良い手入れの行き届いた剣。
派手なもの好きの獣人族の価値観とは合わないが、これも宝剣と言われればそうだとも言える。
「これの持ち主は誰であるべきなのか」
「…それは、獣王以外におりません。獣王がこの大陸全てを統べる瞬間を皆心待ちにしております」
「……ふむ」
この王国の宝剣を手にした瞬間から、いつもは気分が良くなる部下のおべっか使いにも、どうも気分が乗らなかった。
「暫く我々に敵はいないだろうな」
「左様にございますな。王国は散り散り、属国同盟国はバラバラとなりました」
「我々の軍隊は、ディミトリの指揮のおかげで無傷のまま訓練を積めた。この機を利用し大陸の西半分を手に入れよう」
「ついていきます。我らが獣王」
はじめまして。都津 稜太郎と申します!
再訪の方々、また来てくださり感謝です!
今後とも拙著を、どうぞよろしくお願い致します。