1.北歴200年 冬
主役がいない宴会にはどんな意味があるのだろう。戦勝の宴に戦の指揮官が居ないのは何の冗談なのか。居並ぶ貴族の誰も彼もが、中央で満足げな笑みを浮かべる王にこの疑問を投げかけることはなく、その心の内を隠したままだ。
「アンドレよ、お前はホーネッカーの予言をまだ信じているのか?」
「ハハッ、父上、それはまだ私が10にもなっていない頃の話です。私は今年で20ですよ?過去の話です」
一呼吸おいて、アンドレが取ってつけたような笑顔から、真面目ぶった顔に変わる。
「大賢者ホーネッカーの話によれば20年後は北歴200年である今年であります。ですが父上の統治によって、世界は平和に保たれ全て順調に進んでおります。”20年後から300年間、大陸に吹き荒れる嵐”などくる気配もございません。すべては父上の『徳』のなせる御業かと」
「ハハハハハ、相変わらず口がうまいの、アンドレは」
「私は嘘が付けぬだけにございます」
逆だ。息を吐くようこのアンドレは嘘をついている。
この世界が平和だと思っているのは国王の周りだけだ。3年続いた酷暑の後の3年の冷夏によって、作物は枯れ、民は飢え、税収は減っている。それによって次々と起きる反乱の鎮圧に、疎まれている第一王子が出されていることを分かっていて、暗愚の国王である父は目を背けているのだ。
そしてアンドレは自分の手中にどうしても王位が欲しい。現状は王の寵愛を受け、次の王と目されているが、そうではなくなった時には第二王子である私も、第一王子の兄上も、父上をも殺してまで王座を奪う事を厭わないだろう。
いつも通り周りにとっては空気のような存在である、私の頭上を飛び越して国王である父と、その寵愛を受ける第三王子アンドレの会話が弾んでいる。
「シモン、セシル。何か食べたいものはございませんか?」
「はい、エリーズ姉上。私たちは満足しております」
「そう、それはよかったわ。なにかあれば私におっしゃいなさい」
「はい、エリーズ姉上」
長姉であるエリーズの優しい演技にも反吐が出る。
貴様は私たち兄弟と同じ国王の前王妃の子であり、もはや忠誠などないではないか。それどころか国王の寵愛を受ける現王妃の子である、アンドレと末弟シモン、末妹のセシルに刺客を送るほど憎んでいるではないか。それにエリーズは反乱準備の為に、自分の嫁ぎ先である”東方大公”バクスト家に多額の資金を横領していることを私は知っている。
だが二人の末弟・妹はまだ10もいかぬ年だ、彼らの目には年の離れた優しい姉に見えるのだろう。
ここにいる大小の貴族・王族問わず、誰もが自分が王国の権力を握りたくて仕方なく、水面下で準備をしている。
そしてそれは私もだ。
「なんの騒ぎだ?」
「偉大なる父上。恐らく私の手配したものでしょう、行き違いがあったのかもしれません。見てまいります」
「ヴァレリーの手配か!それは楽しみであるな」
宴が始まって1時間、初めて名前を呼んだな。暗愚なる我が父よ。
王の卓を離れ、左右の卓に勢ぞろいした貴族たちを横目に見ながら、大扉へと向かう。権力などほぼ無い私にさえ、貴族たちの媚び諂う視線、敵視する視線が体に纏わり付くのを感じる。
退出時に一礼し外に出ると、扉の前には白い布を掛けられた大量の料理とそれを運ぶ者たちが、衛兵と揉めて口論になっていた。
「どうした」
「これはヴァレリー第二王子殿下。こ奴らが食事を運び込むと言っているのですが、その予定はありません」
「構わん通せ、私から王への贈り物だ」
「殿下、失礼を承知で申し上げますが、毒見を通していない、予定にない料理はいくら殿下でも無理でございます」
「私の贈り物を貴様如きが止めるのか?」
「決まりですから」
「わかった、貴様の所属と名前は?」
「近衛第二騎士団所属のパトリス副団長にございます」
「おい!そこのお前!団長を呼んで来い」
正面扉を警備していたもう一人の大柄な男は、突然の指名に驚き、体を飛び上がらせた。屈強な見た目の割に、小心者なその男は急いで駆け出した。
「おい!行くな!」
「構わん行け」
こちらを振り向き鋭く睨む、第二騎士団のパトリス副団長は肝が据わっている。
「困ります!宴の正面扉の警備は第二騎士団の持ち場です!勝手に私の部下に………」
目を見開いたパトリスは、自分の腹部から飛び出す剣と、そこから滴る自分の血を見つめている。
「すぐに通せば、もう少しこの世に居座れたのだがな」
「おぃ…」
素早く口を塞がれ、彼の最後の絶叫を聞けた者は自分達以外にいなかった。
「隠しておけ、入るぞ」
大扉を開け放つと全員の視線が、自分に注がれた。次いで自分の後ろにぞろぞろと付いてくる、豪奢な料理に目を奪われたようで、目が合うのは正面の王のみだ。
「偉大なる我が父上、此度の祝勝会の為に私が用意させた、南の特産物を使った料理にございます」
「素晴らしい!皆に配ると良いぞ!」
南の属国の反乱軍を粉砕して勝利した、第一王子の兄が居ないにも関わらず何が祝勝会だ。
ただ貴様らが権力を誇示したいだけではないか。
「では、皆に料理を配りたまえ」
それぞれの手元に行き渡ったところで、笑顔の国王がこちらを見つめたまま動かない。国王が一番最初に食べるのが慣例になっている為、他の者達も手を付けられず戸惑った視線を国王に送っている。
「ヴァレリーよ、まず最初にお前が食べてみるがよい」
猜疑心だけは一丁前な我が父は、愚かにも私がこれらの料理に毒を盛ったと考えているのだろう。
「では、こちらの南の海で取れた魚のムニエルから頂くとしましょう」
マナーなどは脇に置き立ったまま、国王から視線を外さず口に運ぶ、他の物も同様に一口ずつ食べていく。安全が一品ずつ確認されると共に、作り笑顔の国王は少しずつ真顔に戻っていった。
「ふむ、では私も頂くとしよう」
大ホールがにわかに活気づき、再びくだらない宴の様相を呈し始めた。だがここにいる全員が、今から本当の宴が始まるを知らないのを、心の底から羨ましく思った。
「シモン、セシル私からのプレゼントだよ」
自分が差し出した皿の上に、綺麗な焼き菓子が所狭しと並んでいるのを見て、かわいい子供の二人は目を輝かせながら、食べ始めた。
国王が心配そうな顔で見ている。あなたは私たちに、国民たちに、その慈しみをひと欠片でも与えたことがあったのだろうか。
「よく、よくお食べ」
後ろからこちらに近づく足音がする。それに合わせて、私も国王の前へと移動した。
視界の隅に、料理人とその手に持つクローシュで隠された料理が目に入る。手配通りのようだ。
ここまですべて順調である。
「いかがした?ヴァレリー」
貴族たちにざわめきが広がり始めた。それも仕方が無い事だ。王の面前に立つのは褒賞を受ける時か、処罰を受ける時のみ。それ以外、自分の意志で前に立つときは、死を恐れず意見を述べる時のみである。そのまま何もせずにいると、波のように広がったざわめきが落ち着き、自分の背中に視線が集まっているのが分かる。
「シモン?セシル?」
静まり返った大ホールに響き渡る、エリーズ姉上の叫びにも似た呼びかけに、またもやざわめきが返ってくる。ここにいる人間の目線は、白い泡を吹き目の前の食卓に突っ伏した、二人の子供に奪われている。ただ、目の前の国王のみは、私から視線を外さない。
「ヴァレリー、貴様、謀ったか」
「父上こちらは、私からの戦勝祝いでございます」
私が手で示した先に料理人が立ち、クローシュを開けた。
皿の上に乗せられた、現王妃であり、アンドレとシモン、セシルの母の首に、姉上が息をのむ音が少し離れた私の位置まで聞こえてくる。
「兄上!!貴様は!!!!」
「落ち着けアンドレ、お前に話すことはない」
立ち上がり、近衛騎士を大声で呼びつけるアンドレを無視して、国王に視線を戻した。国王は動揺することなく、こちらを見つめ返してくる胆力があった。その視線は、普段アンドレや、末弟妹に向ける慈愛の視線だった。
その勇気を、自分に都合の悪い事と向き合うために使っていれば、前王妃を愛し続けることが出来ていたら、子供たちを平等に愛すことが出来ていれば、こうはなっていなかったかもしれない。
「父上、苦しむ王国民から目を背け、我らの母を謀殺した時から、こうなることは決まっていました」
「そうか」
父の言葉に答えるように大扉が開け放たれ、大人数の騎士たちが、王族も貴族も全てを囲むように壁沿いに展開し始めた。その様子を確認して、先程まで恐れ慄き、怒っていたアンドレは、余裕の表情で指示を出す。
「おお!やっと来たか!騎士達よ!この反逆者を生かして捕らえよ!私がこ奴の首を落とす!」
だがこの言葉に反応する騎士はいない。「早うせぬか!」と怒鳴り散らすアンドレを尻目に、運び込んだ料理の傍へ行き、豚の丸焼きの下に隠された、片手剣を引き抜いた。
「全員だ、一人も逃すな全員殺せ」
切りかかる騎士たちに、貴族は逃げ回り、捕らえられ、首が飛んだ。阿鼻叫喚の大ホールから、逃れることが出来るものは一人もいない。名前も思い出せない一人の零細貴族が、足元に転がる様に逃げて来て、騎士に胴体を貫かれた。必死に手を伸ばし、恨みの視線をこちらに向ける彼を無視して、国王の面前へと戻ろうとすると、今度はアンドレが食事用の小さいナイフを持って構えていた。
「その勇気だけは、高く買おう」
こちらに突っ込んできたアンドレの右腕を切り落とし、絶叫するアンドレの首を切り落とした。権力に憑りつかれた、愚かな兄弟よ。貴様にかける言葉は特にない。
血の海に静かに横たわる弟の横に、女性が突き飛ばされてきた。隙をみて逃げ出そうとしていた、長姉のエリーズだった。
「ねぇ、ヴァレリー。あなたは私と同じ母を持つ姉弟でしょ?行っていいわよね?」
「確かに、姉上に特に恨みはない」
「じゃあ行っていいわよね?ね?」
哀憫の目をして下を見つめる長姉の顎を、剣で顎を持ち上げ視線を合わせると、その表情には恐怖が混じっていた。ゆっくりと前に出した剣は、抵抗と共に女性の首の薄皮を突き抜ける。静かに弟の隣に倒れ込むエリーズは、目を見開き、恨みを込めた視線だった。
エリーズに恨みはないが、バクスト家と共に反乱を企て王国に仇成す者を、このまま見逃す訳にもいかない。
国王は座したまま、騒動が始まって以来動くことなく、こちらを静かに見つめている。彼の瞳には、ここで起きた全ての出来事が映っている筈だが、反応はない。
大ホールが静かになった。
自分と騎士、国王以外にこの場で動くものは一つもない。もう最後だ、国王の後ろに立った。ここからは、鮮血に染まる大ホールが、100年続いてきた王国の終焉が見える。
「国王よ。いや我が父よ。最後に言い残す言葉はありますか?」
「……300年に渡って続く嵐が来る。最後には大陸全てを飲み込む厄災が、この世界を無に帰すだろう」
「無に帰す?厄災とは何の話だ?」
「これが、私の最後の言葉だ」
「ホーネッカーの予言か?」
「………」
それ以上の言葉を紡がない我が父は、最後まで一度も命乞いをしなかった。
そして最後まで我が父は、私を見ることはなかった。切り離されて地面に落ちた父の首は、視線はどこまでも遠い未来を見ているようだった。
はじめまして。都津 稜太郎と申します!
再訪の方々、また来てくださり感謝です!
今後とも拙著を、どうぞよろしくお願い致します。