狐憑き巫女は京の守護者
廃仏毀釈の余波によって打ち捨てられた廃寺の中に閉じ籠もっていたのは、明かりも灯さずに怪しげな祭礼に耽る黒い法衣の集団だった。
「ヘンリー・スティール・オルコットに厄災を!」
「そして我等が黒主崇教に栄光を!」
今年の二月十日に知恩院で開催された仏教講演で名を馳せた米国の碩学を呪う、黒い法衣の一団。
それは危険な教義を持つ禁教の中でも、特に過激に先鋭化した宗派である黒主崇教に他ならなかった。
『オルコット氏を呪殺した所で自分達が台頭出来るはずもないのに、何と愚かな…!』
荒れるに任せた本堂の見える木立に潜みながら、私は黒主崇教に対する義憤の念を新たにするのだった。
私こと深草花之美が所属する嵐山の牙城大社は、帝のおわす京の都を守護するため、平安の時代より戦ってきた歴史を持つ。
そんな私達にとって、邪教の信徒による狼藉は許されざる物であった。
そして何より仏教の良き理解者であるオルコット氏を失う事は、日本の仏教界の大きな痛手であり、国内外に多大な悪影響をもたらす事は想像にかたくない。
そこで牙城大社が擁する霊能力者集団である京洛牙城衆は、黒主崇会の抹殺とオルコット氏の護衛の為に行動を開始したのだ。
そうした事情で和歌山と堺の県境に位置する廃寺を張っていた私の元に、青白く輝く一つの光が下りてきたのは、張り込みを開始してしばらくの事だった。
一見すると人魂のようだけれど、優しさと温もりの感じられる淡い光。
それは同じ京洛牙城衆に所属する飯綱使いの使役する、管狐の一匹に他ならなかった。
「相分かりました、好機来たれりですね。」
愛らしい馴染みの管狐に軽く微笑んだのも束の間、私は己が精神を一点へ集中させた。
「天地玄妙、神変転身狐!」
そうして先祖代々受け継がれてきた神道九字を切った次の瞬間、私の五体を力の奔流が荒れ狂った。
「おおおっ!」
四肢の関節がミシミシと軋み、全身がカッと熱くなる。
古武道で鍛えた靭やかな四肢には獣のような俊敏さと猛々しさが加わり、感覚器官は第六感に至るまで鋭敏に研ぎ澄まされていった。
こうした身体の変化に伴って、ゾワゾワと総毛立つような感覚が頭頂部の辺りを刺激するけれども、それは決して錯覚ではなかったの。
何故なら白銀に輝く私の髪はみるみるうちに逆立ち、まるで狐の耳みたいな形になって硬化したんだから。
精神を集中させて感覚器官を強化するだけでなく、細胞の配列さえも組み換えてしまう秘技。
この狐憑きの術こそ、我が一族に代々伝わる護国の力なんだ。
「転身完了、とうっ!」
人間と白狐の入り交じった姿へ化身した私は、月も星も見えない漆黒の夜空へ弧を描いて飛び上がったの。
「たあっ!」
そうして古びた廃寺の屋根へ着地し、そのまま力一杯踏み抜いてやったんだ。
豪快に鳴り響く轟音と、雨霰と降り注ぐ瓦と天井板。
突如として祭壇を破壊された邪教徒達は、何が起こったのかも分からずに動揺するばかりだった。
「な、何者だ!?我等の黒ミサを冒涜する者は…グオッ!?」
黒い法衣を纏った魔導士が錫杖を構えて怒号を上げるも、次の瞬間には口から青白い光を吐き出して昏倒し、ビクビクと痙攣した後に息絶えてしまった。
自らも知らないうちに管狐に憑依され、その生命力を吸い取られてしまっては、流石の魔導士とて為す術もない。
我が同胞である飯綱使いが繰り出す術の冴えは、いつ見ても惚れ惚れする鮮やかさだ。
『御見事ですよ、武信さん。それでこそ、京の都を守る京洛牙城衆の戦士!それでは私も、行動開始といきましょう!』
そう心の中で呟くと、私はサッとトンボを切り、破壊された祭壇の上へ降り立ったんだ。
「貴様、よくも神聖なる祭壇を!」
「この不心得者め!」
仲間の魔導士を倒された邪教の信徒共が、こちらを見上げながら罵っている。
手に手に西欧式のサーベルを携えている事からも、私を生かして帰す気がないのは明白だった。
「黒魔術を会得したのは上出来でしたが脇が甘かったようですね、黒主崇教の皆様方!」
しかし堂内に充満した殺意の念も、キッと私を睨め付けてくる憎悪に狂った無数の視線も、私を怯ませる役には立たなかったの。
それらはむしろ、白狐憑きに転じた私の獣性と闘争本能を存分に刺激したんだ。
「我が皇国の安寧秩序の為にも、オルコット氏は討たせません。京洛牙城衆の戦巫女である深草花之美が御相手します。御覚悟を!」
そうして女袴の腰に帯刀した業物の鯉口を切り、白刃を迸らせながら飛び降りたんだ。
黒い法衣を翻しながら襲い掛かってくる、黒主崇会に帰依した狂信者の群れ。
怪しい黒魔術の仕業か、彼等は生身の人間とは思えない程の力と俊敏さを備えていた。
だけど敵に歯応えがあればある程、私の獣性と闘争本能もまた高揚してくるの。
「死ぬが良い、女狐め!」
「おおっと!」
敵の刀風をサッと腰を落として回避した私は、すぐさま体勢を整えたの。
「むんっ!」
そして両手と両足で力強く床板を蹴り上げ、口で柄を咥えた業物で群がる敵を討ち据えたんだ。
直立姿勢と四足歩行を自在に切り替えて戦うのは、白狐への転身を会得した我が一族の得意技だよ。
「おおっ!なんだ、コイツは!?」
「この物の怪め!」
狼狽する邪教徒の怒号が、頭の上で飛び交っている。
さっきまで直立して刃を振るっていた敵が突如として四足歩行を始め、高速移動と突進を仕掛けてくるんだもの。
慣れていなければ狼狽えるのも仕方ないよ。
そうして敵の数を確実に減らしていった私は、女袴から白い尻尾が食み出ている事に気づいたんだ。
『よし…好機到来だね!』
湧き上がる闘争本能が白狐への転身を促進させている事を自覚した私は、邪教徒の一人を思いっ切り蹴り上げると、咥えていた愛刀を青眼に構え直して精神を集中させたの。
そうして丹田に力を入れ、腹の底から叫んだんだ。
「飯綱招魂、白狐刀!」
裂帛の叫びを上げた次の瞬間、愛刀の刀身が眩く発光した。
そして青白い炎を揺らめかせたんだ。
管狐の霊力を刀身に纏わせ、悪鬼羅刹を両断する霊刀と変える秘術。
これは様々な条件が合致して初めて発動出来る、とっておきの大技なんだ。
「悪鬼退散、成敗!」
そうして群がる敵を一気に薙ぎ払って炎上させた私は、邪教の巣窟と化した廃寺を木っ端微塵に吹き飛ばしてやったんだ。
墨を流したような夜の闇を、紅蓮の炎が赤々と照らしている。
それはさながら、悪を浄化する清めの炎のようだったよ…
真っ白い雪化粧を纏った嵐山に、白鷺や鴨を始めとする水鳥達が遊ぶ大堰川。
嵐山に居を構える者ならば親の顔よりも見た渡月橋の冬景色だけれど、こうしてまた御目にかかれたのは本当に喜ばしい事だよ。
何しろ、あの壮絶な修羅場と化した県境の廃寺から無事に生還し、目的の成就と仲間達の無事を確認するまで、本当に気の休まる事が無かったのだから。
そうした事情もあって、渡月橋を渡る足取りも自ずと軽くなってしまうな。
だけど私の足取りが軽い理由は、それだけじゃないんだよ。
それはね…
「オルコット氏は無事に本国へ帰国出来たそうですよ、花之美さん。オルコット氏の来日は日本の仏教界を大いに勇気付ける物でしたが、彼自身にとっても実り豊かな物だったそうです。」
「そうでしたか、武信さん。私達の頑張りが報われたんですね…」
親しげに私の事を呼んで下さる穏やかで優しい声色には、思わず頬が緩んでしまうの。
この管狐の収まった竹管を束帯の腰に下げた眉目秀麗な殿方は稲倉武信さんと言って、京洛牙城衆が誇る飯綱使いの一人なの。
昨夜の戦闘で私を援護してくれた管狐がいたけれども、彼等は武信さんの頼もしい相棒なんだ。
「白蔵君、あれから大丈夫でした?刀に憑依して貰った時、思いっ切り薙ぎ払ってしまったんですけど…?」
「お優しいんですね、花之美さんは。今は疲れて管の中で熟睡中ですけれど、白蔵なら大事ないですよ。御心配でしたら、私の寮まで後程いらして下さい。落雁か八ツ橋で宜しければ、茶の用意でもしておきますよ。」
管狐を使役する武信さんと、白狐に化身する力を御先祖様より受け継いだ私。
共に狐の力を借りて戦う者同士という縁もあってか、私と武信さんは自然と同じ隊で戦う事になり、平時においても何かと一緒になる機会が増えたんだ。
そうして親密になった結果、互いの術を連携させて効果を高め合う事さえ出来るようになったんだよ。
武信さんが使役している管狐の白蔵君を刀に宿らせる飯綱招魂の術だって、そうして編み出したんだ。
だけどここ最近は、武信さんの事を単なる戦友の一人とは思えなくなってきて…
「おっ!深草の姐様ったら、見せつけて下さいますね!この絹掛雅、若輩者ながらあやかりたい所存ですよ。」
「もう、絹掛さんったら…」
先の戦いで初陣を迎えた後輩には茶化されてしまったけれど、私が武信さんを殿方として意識している事は、正直に言って図星だった。
そう言えば武信さんは、先程は何と仰っていたのかしら…
「お茶で八ツ橋をやるのも悪くないですけど、私は甘酒をお供にするのも好きなんですよね。深草の姐様は、八ツ橋にはお茶と甘酒のどちらを合わせますか?」
そうそう!確か「茶の用意でも」って仰っていたはずよ。
殿方の方からお茶にお誘い頂けるという事は、きっと武信さんも私の事を憎からず思って下さるに違いないね。
もしも私と武信さんが結ばれたなら、私と武信さんの良い所を受け継いだ子供を授かるんだろうな。
管狐を使役しつつ、白狐にも転身出来る。
その子はきっと、京洛牙城衆の明日を担う頼もしい戦士に育つに違いない。
そう考えると、是非とも武信さんと祝言を挙げたい所だよね。
嵐山もじきに雪解けだけど、私にも春が来ると良いんだけどなぁ…