5.彼のご依頼
「運のいい騎士殿だ。 いるようちの組合に。 それもただの特級裁縫士じゃないよ? 至上最高の腕を持つと言われる本当に特別な特級裁縫士がね」
その斡旋所の受け付けにそう言われた時正直ホッとした。
確かに恥をかくことには潔く腹は括ったが、かかないに越したことはないのだから。
「ユーリィ。 お前をご指名のお客人だ」
そう言って、係りの者は俺が入る前にこの斡旋所に居たまだあどけなさが残る少女にそう呼びかけた。
艶やかな緋色の髪、新緑の萌出ような瑞々しい翡翠色の大きな瞳をした少女。
背丈なんか俺の胸に届くか届かないかと言うほど低い。
彼女は、持っていた荷物を床に置くとしっかり俺に向き合い、
「騎士様、ご指名を受けましたユーリィ・ルヴェルネと申します」
そう言って俺に対して、完璧な淑女の最高礼を彼女は取った。
「ご依頼の詳細を賜ります。 何を御所望でしょうか?」
俺の眼をしっかりとらえて彼女はそう聞いてきた。
「聖布と呪式糸を使った、紋章入りのカフスを一つ作ってほしい」
その時の俺は、「彼女が本当に特級裁縫士なのか?」と言う疑問すら持たずにそう彼女に依頼していた。
信用あっての商売なのだからここの係が嘘をつく訳はない、と思われる。
彼女が外見的に幼く見え、特級裁縫士見えなくても技術重視の世界で年齢は関係ないと思えた。
けれど、アイツの話では特級裁縫士でも作れる者と作れない者がいるようなことを言っていたのを思い出す。
はたして、彼女はこの依頼を受けてくれるだけの腕前を本当に持っているのだろうか?
俺は、彼女の返事をじっと待つ。
彼女は、俺の眼をじっと見ていた。
何かを探る様な感じではなく、ただじっとその澄んだ瞳で俺の眼を見ている。
「そのご依頼、確かに承ります」
どのくらいたった後なのか、短かったのか長かったのかそれすら分からない間見つめあったあと、彼女はそう静かに了承の言葉を発した。
その言葉に、内心俺はホッとした。
が、次に彼女が話してくれたことを聞いて愕然としてしまった。
彼女が言うには、カフスを作る材料がこの界隈では手に入らないという。
確かに聖布や呪式糸は、最高級品として扱われているのは俺でも知っている。
そんなものを容易く手に入れることが出来るのは上流階級の者か腕利きの商人位だろう。
失礼ながら、この裁縫組合の斡旋所はどう見ても上流階級相手の斡旋所ではないことは一目でわかる。
材料が都合出来ないのもうなずける。
多分、仕入先の伝手が無いのだろう。
かといって俺の方にも伝手は無いのは同じだ。
これでは、カフスを作ることが出来る特級裁縫士が見つかっても意味が無い。
気づかれないようにそっと溜息を吐いた。
仕方が無い、潔く諦めよう
そう思った時、彼女の必死な表情が目に入った。
何か一生懸命考えているようだ。
初対面の相手に対してどうして彼女は、こんなにも必死になってくれるんだろう?
俺が、そう不思議に思った時だった。
彼女が突然荷物の一つを盛大に開けると中から何かを取り出した。
真珠色の光沢を放つ純白のドレス。
男の俺でも、純粋に称賛出来るような出来栄えで優美な刺繍を施された何処からどう見ても婚礼衣装だと一目でわかった。
「あっ」と、俺が声を上げる間のことだった。
彼女は躊躇いもなくドレスの布地に鋏を入れ胸元に施されていた刺繍の糸をほどいてしまった。
俺は、その作業を茫然と見ていた。
止めることもできず、ただ見ているだけだった。
「騎士様、騎士様の紋章の意匠をお教え頂けますか?」
彼女のその言葉で我に返った俺は、左腕につけていた袖のカフスを外すと彼女に渡した。
俺の紋章は、北方の秘境に生息していると言われる一角獣と月光樹を組み合わせたものだ。
意匠的には、難易度が高いモノとされている、らしいが。
彼女は、別段なんの苦もないような表情で色合いをどうするか俺に聞いてきた。
渡したカフスは、銀ボタンで出来ているため色合いが解らなかったみたいだ。
色合いなど俺に聞かれても答えるほど美心眼を持っている訳でもないので、取りあえず今度即位する皇帝陛下直属の騎士団の方翼である黒騎士団の団長に任命されるとのことを伝える。
すると彼女は、「土台になる聖布は漆黒、一角獣は真珠、月光樹の葉は銀緑でどうでしょうか?」と遠慮がちに押し付けるわけでもないそう提案してくれた。
俺は、「それで頼む」と即答した。
なぜなら、その色合いは俺の個人軍旗と同じだったから。
偶然なのかどうかなど解らないが、俺に異存はなかった。
その後、彼女が納品期限を聞いてきたので2日遅くとも3日目の早朝までと言うと、彼女はすこし思案顔で頷くと、斡旋所の係からメモ紙を受け取り何やら書き込んでいる。
「騎士様、大変申し訳ないのですがここに描かれている地図の金具問屋へ行ってカフス用の金具を手に入れてきてくださいませんか?」
とても申し訳なさそうに手紙と地図を差しだしながら彼女は俺を見上げながらそう聞いてきた。
なんでもこの後直ぐにでもカフスを作る為の作業を始めなければならないらしい。
そんなことはお安いご用だった。
この時俺は、自分が出来ることはなんでもやろうと持っていたのだから。
でなければ、彼女の好意を無駄にすることになる。
分解したあの婚礼衣装は、彼女が着る筈のモノだったんだろう。
古来から婚礼衣装は聖布と呪式糸を使って作られていると聞いたことがあったから。
メモを受け取ると明日の昼までには確実に届けてほしいと言われた。
俺が「了承した」と、言って頷くと彼女は「お願いします」とホッとした顔に笑顔を浮かべて俺に頭を下げた。
その後、俺達のやり取りを聞いていた斡旋所の係の者が作製した契約書を確認してくださいと手渡されてそれに目を通す。
材料費、縫製代、紹介料、総合の金額が思ったほど高くなかった。
かなりの金額を予想していた俺は、拍子抜けした。
俺のそんな様子に気づいた斡旋所の係の者が声をひそめて教えてくれた。
なんでも、裁縫組合には組合格付けと規定があってそれ以上の金額を請求できないという。
「本来なら、特級裁縫士には別料金が発生するのですが、その別料金をもらう為にはもっと格付けの高い組合の組合員であることが条件なので」
と、彼女の方をちらっと見ながら斡旋所の係は悔しそうな表情を浮かべた。
俺は、契約書にサインをして、写しの方を受け取ると後ろに控えていた彼女に向かって「たのむ」と一言言うと彼女は「たしかに賜りました」と、自信に満ちた表情で力強く頷いた。
俺は、後は彼女に任せて斡旋所を後にした。
この時が、俺と彼女の一番最初の出会いだった。
この後、俺は彼女のことを忘れられなくなることになるとは思いもよらなかった。
結局彼の名前は、また出てきませんでした(汗
次回は、さてはて誰の視点になりますか?
2012/06/05 一部修正加筆
2013/04/09 一部登場人物の容姿色を変更