27.彼の安息
残存する団員やここの城塞街に住まう者達に迎えられて、俺は城砦の扉を潜った。
この時思ったよりも城砦の人々に友好的に迎えられたのは、先行して俺の居住区の整備の指揮の一端を担ってくれた彼女のお蔭だと後にアイツから聞かされた。
入城に際して全ての所要が済、自分の居住区となる一角に下がった俺を迎えてくれたのは、青を基調とした落ち着いた居室。
そこは、どこかホッとするような空間だった。
その空間に溶け込むように、彼女はいつもの笑顔で俺を迎えてくれた。
室内着に着替える際、着替えを手伝いつつ部屋の説明をしてくれる彼女。
いつもなら、纏わりつかれる鬱陶しさから自分でする着替えも、彼女が手伝ってくれるのがどこかとてもうれしく感じた。
彼女が今でも宮廷の居室にいたときの様に侍女の仕事をしているのは俺が望んだから。
特級裁縫士である彼女にこんな仕事を強いるのはしてはいけない事だと判っていたが、願わずにはいられなかった。
新たに雇い入れるより今まで俺の世話をしてくれていた彼女を俺専属の侍女としてそのまま使えてくれていた方が都合がいい、というのは建前だ。
単に、彼女に俺の側にいてほしかっただけ。
完全なる俺の我儘だった。
宮廷にいたときとは違い、ここでの侍女の仕事は主に俺の居室内での身の回りの世話だけなので仕事が大変という訳ではない。
大変だったら、初めから諦めていたが。
この事を彼女に告げた時、彼女はほほ笑みながら即答で了承してくれたのだった。
着替えが済、居間の長椅子で寛ぐ俺に彼女は温かい飲み物が入った陶器の酒杯を差し出してくれる。
宮廷に居た時も、疲れをとり安眠できるようにと、いつも淹れてくれる。
温めた葡萄酒に檸檬の果汁と蜂蜜を垂らしたもの。
これを飲むと、体が温まりとてもよく眠れ、次の日体がとても軽くなるのだ。
ゆっくり味わいながらひとくちひとくち飲む。
ふと気付くと、彼女が窓の外を見ていた。
何を見ているのだろうかとその視線を追うと、彼女の視線の先には夜空に淡く輝く満月。
「今宵は、満月だったのか」
無意識に俺はそう言葉にしていた。
最近、日中の空はおろか夜空など見上げる余裕などなかった事に気づく。
「……もう月の半分も過ぎていたんですね」と、彼女はぽつりとつぶやいた。
少し悲しげに、痛みをこらえるような声音で。
俺も今までの事を少し振り返ってみた。
最後に月を見たのは、いつだったか。
記憶をゆっくりとたどる。
そうしていきあたったのは、職人街を駆けずり回ったあの時。
彼女と初めて出会ったあの日。
満月より少し欠けた十六夜。
月齢は15日で一周する。
二周で一月の計算になるから確かに月の半分を過ぎた事になる。
彼女と初めて出会ったあの日を思い出し、今まで聞けなかった問いをふと聞きたくなった。
けれど、それは彼女を傷つけることになりかねないので慎重に切りださねばならない。
「……聞いていいだろうか?」
少しためらい気味にそう彼女に話しかけ、彼女の意識を俺に戻す。
彼女は、俺の問いかけで我に返ったのか、ハッとした顔であわてて姿勢を正して俺に向き直った。
「ずっと、聞こうと思っていたことなのだが……」
そう切り出したのは良いが、とても聞きづらい。
彼女は、ちょっと怪訝そうに「何でしょうか?」と首を少し傾けた。
「ユーリィ、君と初めて出会ったあの時、鋏を入れたあの婚礼の衣装は誰のものだったんだ?」
思い切ってそう聞くと、彼女は一瞬目を見張ったあと何かに耐えるように目を瞑り、
「私が、着る予定の物でした」
と、淡く笑みを浮かべながらそう応えてくれた。
その答えは自分が推察した通りの答えだった。
けれど、その言葉を心の中で反芻して少し違っていた事に気づく。
彼女の答えは過去形だ。
つまりは……
そこから導き出そうとしていた意味を考えようとした矢先、
「……でも、着る予定がなくなった物なので、お気になさらないでください」
彼女は、あっさりとその意味を告げた。
それは、予定していた婚姻が何らかの理由で立ち消えた、という事だ。
彼女の身の上に起きたことを考えると、痛ましく思う。
婚礼の衣装が出来上がっていたという事は結婚の儀式は目前だったと推測できる。
その直前でそれがなくなるのだ。
俺には、図りしきれない彼女の心痛。
けれど、その彼女の心痛を思う半面、俺は確かにそのことに対して歓喜した。
浅ましくも、うれしく思ってしまった。
そのおかげで、今、彼女は俺の目の前に居る。
俺の傍らに居る。
「ならば、俺が君に告げても何の問題も無いということか」
無意識に出た呟き。
近くに居た彼女には聞こえたのだろう。
「何を?」と、そんな言葉が聞こえてきそうなほどきょとんとした彼女の顔。
その愛らしい顔を見つめながら、
「俺は、君が好きだ」
夜空を照らす満月の魔力か
その場の雰囲気だったのか
俺はそう彼女に告げていた。
「え?」と、何を言われたのかわからないように瞬きする彼女。
「俺は、ユーリィ、君のことを愛している」
もう一度、言葉をかえて彼女の瞳を見つめながらそう告げる。
彼女に届くように、ゆっくりと。
今、俺は彼女に向けてどんな表情をしているのだろうか?
自分でも表情が動かない鉄面皮と自覚している。
けれど、それが最近崩れる時があるというのも気づいていた。
それは、彼女と相対している時。
二度目に告げた後、彼女もようやくその意味が理解できたのかすごい勢いで顔が赤くなった。
歓喜、恥じらい、戸惑い、それらが混ぜ合わせたような表情の末、彼女は一瞬泣きそうな顔になった。
「……身分など気にしないでいい。 そもそも、この国の法律に身分差の恋愛、婚姻を禁止するものは無いのだから」
彼女が、考えそうな事を最初から断ち切る。
確かに、この国に身分差で婚姻を禁止制限するものは無い。
要は貴族は貴族、平民は平民といった具合に。
ただ、この帝都にいる特権階級の貴族たちはそれを由とせず、『身分に釣り合わない婚姻は忌むべきもの』と、変な不文律があるのは知っている。
それをしようものなら、嘲笑され、蔑まれ、爪弾きにあう。
けれど俺にとっては、そんなことはどうでもよかった。
彼女を得られるのなら、貴族共が俺をどう思っていようがどうでもよかった。
「ユーリィ、君の気持ちをきいてもいいだろうか?」
彼女の目をみて、彼女の気持ちを問う。
俺が勘違いをしていなければ、俺に対して少なからず好意をもってくれているはずだ。
今まで共に過ごしてきた短い日々でもその端々から伺え知れたから。
それは、どのくらいの間だったのか。
短かったのか、長かったのか。
少しうつむき加減で葛藤と躊躇いの表情を繰り返す彼女。
俺は、彼女の答えを急かすことなく彼女を見つめながら根気よく待った。
その末、彼女がしっかりと俺と視線を合わせたその時、
「……お慕いしています」
その小さな呟きは、俺の耳にしっかりと届いた。
俺は、傍らに立っていた彼女を引き寄せると自分の腕の中閉じ込めた。
小柄な彼女はすっぽりと俺の腕の中におさまってしまう。
彼女の肩から緊張で硬直する気配が伝わってきた。
彼女の髪に自分の顔を埋めると清涼感のある香草の香りがした。
この高鳴る心音はどちらのものか。
ふと見ると彼女の耳が赤く染まっていた。
少し悪戯心を起こしその耳元にそっと口付けを落とす。
びくっと彼女が、震えた。
そのしぐさがとても愛らしく、愛おしく。
彼女の顔が見たくて、少し彼女の体を離しその滑らかな肌の頬に手を添え上を向かせる。
赤く染めた頬、潤んだ新緑を思わせる翡翠の瞳、ふっくらと柔らかそうな形の良い唇。
その唇に吸い寄せられるように自分の唇を重ね合わせた。
部屋に差し込む柔らかい月の光の中
食むように 啄ばむように
何度も 何度も … …
今幕、最終話ですw
ようやく、書きたかった場面が書けましたぁ!
あの後、二人がどうなったのかは……読者様にゆだねまする~♪(ご想像にお任せします)
さて、次は先にも宣告していたように幕間2話の後に新幕になります!
※この世界の暦に関しては『世界設定』のほうにアップしましたのでよろしければ参照してください。
※誤字報告ありがとうございます!修正しました(汗