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十月の出来事B面  作者: 池田 和美
7/11

十月の出来事B面・⑦



「クゥアーット!」

 三脚の上に座ったカメラの前で、カチンコが鳴らされた。太陽がだいぶ傾いて、空はとっくに真っ赤である。

「よおし、これでココの撮影は終了?」

 スキニータイプのジーンズに、紅柄色の半袖ブラウス、さらに直射日光除けのレース地のボレロというファッションの由美子が、日よけに被ったアポロキャップの鍔の下から目線を斜め前にやった。

 自主製作映画なので、根本的に人手が足りない。スタッフがそのままモブ役をやっている象徴のように、カメラマンの少年はカウボーイスタイルの衣装のままだ。

 その彼が半分振り返ると、親指を立てて仕事が完了したことを伝えた。

「オッケー? ホントにオッケー? オッケーね! そうよね! 絶対!」

 ディレクターチェアに座った由美子が何度も念を押すと、その様子が面白かったか、こちらもまだ映画の衣装を着たままのサトミがやってきた。

「まあ、まだ大学の乗馬部で馬に乗っているシーンとか、模型部に発注した騎兵隊の駐屯地とか、色々あるけどね」

 サトミの注意も半分しか耳に入らなかった。

「でも、ここでの撮影は終わりよね?」

「たぶん」

 由美子に念を押され、横に立つ明実がスマートフォンを起動した。ざーっとスクロールさせて表示されているデータを確認したようだ。

「町の全景を二種類。<コーモーディア>の看板をさげた店の外観。夜の建物をフィルターつきで。保安官事務所。司令官執務室。窓を破って逃走のシーン。葬儀屋。町に入って来るところを悪役が見ているシーン。廃墟の賞金稼ぎ…」

 映画の衣装の上に白衣という、いつもの格好とはちょっと違う明実はウンと頷いた。

「屋外は済んでおるな」

「屋内は?」

 由美子のすかさずの確認に、再び明実は画面を撫でていった。

「呑んだくれている卑怯者。ウチの秘書たちの出番。別の町の酒場…」

 画面をチェックしていた明実の視線が揺れた。由美子の背後へ微笑みかけたのでなんだろうと半分だけ振り返った。この西部劇に出て来る町そのものの廃墟の中で、そこだけが現代日本を示す小物で散らかされていた。会議室で使うような長テーブルには、それぞれ個人が持ち込んだ荷物。いまは使用していないレフ板。昼食時にどこからか配達された弁当は、いつの間にか片付けられていたが、熱中症予防のために多めに用意された飲み物の容器はそのままだ。

 撮影するのに便利なように『常連組』が作った撮影拠点である。

 一軒のテラスにつくられた撮影拠点は荷物置き場だけでなく、休憩スペースも設けられていた。

 明実が微笑んでいたのは、その休憩スペースに広げたエア・マットに向けてである。

 幾重にも毛布が重ねられた上に寝ていた二人がモゾモゾと動き出していた。どうやら目を覚ましたようだ。

(起こしちゃったかな)

 明実の付属品扱いで図書委員会の自主製作映画に参加させられていたヒカルとアキラであるが、端役から大道具スタッフまで、使えるだけこき使われていた。

 連休直前の放課後に攫われるようにロケ地(ココ)へ来てから、それこそ寝る間も無いほどに仕事が与えられたらしい。由美子が連休初日の早朝に現場に着いた時点で、だいぶお疲れの様子であった。

 で、やっとできた隙間の時間に、二人は昼寝を始めてしまったというわけだ。

 疲れていたのだろうと由美子は気遣い、二人がまだ手を付けていない残りの仕事は、まだ元気が残っている男子へと振り分けた。

(まあ、もう終わりだし。起こす手間が省けたかもね)

 由美子は頭を起こして周囲を確認しているアキラの寝ぼけた顔を見てそう思った。その様子は、どうやら今まで不思議な夢でも見ていたようだ。現実の認識が遅れているような呆けた表情は、アキラの面差しに似あって、由美子の保護欲がいたく刺激された。

 ヒカルはまだアキラの体に顔を埋めるようにして抱き着いていた。従姉妹という事で仲が良いらしいが、恵美子がからかうように由美子からもそれ以上の関係に見えてきた。

「後は東京へ戻ってからになるかの?」

 明実はスマートフォンの画面を再確認した。

「模型部による特撮、大学の乗馬部協力による馬のシーン、小屋内部での、残りの室内のシーン…。ええと、体育館裏と校庭での荒野のシーンとか、撮らなければいけないシーンは、まだまだあるぞい」

「でも、ここでの撮影は終了?」

 由美子の明るい声に、反対するかのように明実がつけ加えた。

「あと、ここでやっておきたいのは、ダイナマイト小屋の爆発シーンじゃな」

「爆発って…」

 キョトンとした由美子は、台本の当該シーンが掲載されているページまで、ベラベラっと捲った。夜に騎兵隊の弾薬庫が爆発するシーンの予定を確認した。

「そこは模型部の特撮じゃないのかよ」

「まあね」

 主要人物の役と、制作役という二足の草鞋を履いているサトミが、四六時中浮かべている微笑みの質を変えた。例えるなら、夜明けの波一つない湖の桟橋で一心に神の慈悲へ祈りをささげる修道女のように澄んだ表情であった。

「でも、建物が一発で吹き飛ぶような豪快なシーン、欲しいと思わない?」

 オリバー・ツイストのように目を輝かせて言うセリフでは無かった。

「やっぱり爆破するなら本物を吹き飛ばさないとね」

「おまえ、爆発好きだなあ。さすが爆発炎上火気厳禁とか呼ばれているだけあるわ」

「失敬な」

 由美子の呆れた声にサトミは言い返した。

「ボクは清廉潔白眉目秀麗だぞ。誰が爆発炎上火気厳禁じゃ」

 心外だと言わんばかりにふてくされるサトミを、周囲にいる全員が指差していた。

「おまえしか居ねーだろーが」

「御門だって爆発好きだろ?」

 形勢が悪いと見るや論調を変えて来た。

「うむ。爆発は男の浪漫であるからのう」

 明実は腕組みして頷いていたりした。

「はあ」

 由美子の口から、ふかあい溜息が出た。

「王子、王子」

 どうやら脱力感に苛まれた由美子へ声をかける者がいた。体の線を目立たなくするAラインの桃色ワンピースに、クロップド丈をしたレースのカーディガンといったお洒落をした少女である。頬の高さで揃えられた誰よりも青い黒髪に、白磁の陶器よりも白い肌を持った、和風美人という形容詞がとても似合う娘だ。

 誰でもない、由美子の右腕として図書委員会の副委員長を務めてくれている(おか)花子(はなこ)女史だ。映画では「主人公」の傍に寄り添う「少女」の役を割り振られていた。出番の収録は終わっているので、衣装から私服へ着替えたのであろう。まさかアメリカ原住民(ネイティブ・アメリカン)の格好で帰路につくわけにもいくまい。

「なあに? ハナちゃん」

「なんか王子の関係者だーっていう人が来てるみたい」

「関係者?」

 由美子は思いっきり訝しむ顔になった。

「ダレ?」

「ほら、前に学校まで面会に来た、会社の人」

「成田さんか。ドコにいンの? 案内して」

 来訪者が父親の会社の人間と知って、由美子はディレクターチェアから立ち上がった。

「うん、こっち」

 待たせている場所が遠いのか、花子が背中を向けて小走りに走り出した。

「片付けとけよ」

 捨て台詞のように周辺にいた男子へ命令すると、慌てて由美子も後を追った。

 西部劇に出て来る町並みといった道を走り抜ける。だが整備がされていないことは一目で分かるほど荒れていた。ここが、サトミが地権者と話をつけてきたという元テーマパークであるが、よくもこんな場所があったものだと由美子は感心するばかりである。

 馬車も行き交えるほど広い道を、撮影も終盤という事を見越した『常連組』たちが、荷物を片付けるために歩いていた。ダラダラと歩いている連中を、身軽な二人は軽快に追い越していった。

 施設の端っこにある空き地を撮影隊は駐車場として利用していた。いまそこに駐車しているのは、大学生の槇夫先輩が足にしているマイクロバスと、明実のツテで研究所から借りたトラックである。

 トラックの方には、引き揚げ準備のために人が集まって荷物を積んでいた。どことなく動作が緩慢なのは、三日間に及ぶハードな撮影スケジュールのせいであろう。後で研究所の人が回収に来て、月曜日の放課後には高等部の駐車場に移動している手はずになっていた。

 マイクロバスの方は『常連組』たちが乗って東京へ帰る足となる。

 いまそこに、見慣れないスポーツカーが加わっていた。

 黒塗りのポルシェという地味なのか派手なのか、ちょっと評価に困る車の横に一人分の影が立っていた。

 由美子の姿を見つけて腰を折って礼をするのは、由美子の父親の会社で秘書室長をしている成田という男だ。

 この残暑の中でも上下黒いスーツ姿というのは異様であるが、他はこれと言って不思議なところがある男ではない。中肉中背という言葉はこのためにあると言っていい程のシルエットである。

 だが大きな会社で秘書室長という肩書で由美子の父親の懐刀として働く男が常人であるわけがない。近づくと、まず目の鋭さに驚かされるが、それよりもこの暑さの中で汗を掻いている様子が無い方が異常であった。

「こんにちは成田さん」

 ありがとうと花子へ目線で伝え、由美子が成田へ挨拶すると、再び彼は頭を下げた。単純な動作ゆえに彼のキビキビとした動きが強調された。

「こんな場所まで押しかけてしまって申し訳ありません」

「なにかあったの?」

 撮影拠点の方へ戻ろうとした花子を目だけで足止めした由美子は、いつもとは違う雰囲気を成田から感じ取った。

「お迎えに上がりました」

 丁寧に述べる成田の前で、大人向けにした由美子の顔が曇った。

「あら? 連休中のスケジュールは全部、延期または中止にしたと思ったけれど?」

 由美子の記憶が正しければ、月曜日である明日の朝までフリーのはずであった。

「クロマ参議院議員の政治資金パーティが入りまして」

「クロマ?」

 由美子は脳内の名簿を検索した。

(国会議員だとは言え、重要度四、難易度二、総合でEランク程度の人物だったはず。それとも、なにか問題が発生して評価に変化を加える必要ができたのかしら?)

 キョトンと不思議そうな顔で小首を傾げていると、再び成田が頭を下げた。

「奥さまとご一緒に参加なされるようにと、社長から」

「…まあ、いいわ」

 高校生ともなれば、もう十分に父親の人脈形成のための手駒という自覚があった。由美子が金銭的に恵まれた生活を送っていられるのは、両親だけでなく顔も知らない一族の努力があることも理解していた。突然の予定変更を拗ねてぶち壊すほど子供でもないつもりだ。この程度の予定変更は表情も変えずに受け入れなければならないだろう。

 そして幸いな事に、聞かされている予定では、この後は片付けをして帰るだけで、ここでの撮影(しごと)は終わったはずだ。それを少々早めることになるようだ。

「どこで?」

 当然の質問に成田が口にしたホテル名は、都内で一級の物だった。いつもの行動範囲ならば電車で一本の距離であるが、ここからはだいぶ遠い場所である。

(そのためのスポーツカーね)

 おそらく最速で由美子をパーティ会場まで連れていくために用意しただろう黒い車を見た。疎い由美子は知らなかったが、成田が乗って来たのは最新モデルであった。

 まだエンジンが冷めきっていないのか、ボンネットからはチリチリと金属が収縮する音がしていた。

「荷物を取ってくる時間はあるかしら?」

 由美子の確認に成田はドライバーズグラブを嵌めた手で袖を捲り、頑丈さが売りの腕時計を確認した。

「それぐらいならば」

「了解したわ。五分待っていて」

 由美子は来た道を戻り始めた。慌てて花子がついてくる。

「というわけでハナちゃん。残りの仕事を押し付けるようだけど、後はお願い」

「片付けて帰るだけでしょ? まあ大丈夫じゃないかな」

 頬の高さで切りそろえられた花子の黒髪が揺れていた。

 先ほどまで由美子が座っていたディレクターチェアの所まで戻ると、人数が増えていた。サトミと明実は変わらないが、上から下まで黒い服で揃えたヒカルと、デニム地のサロペットに同じように黒いパフスリーブブラウスを合わせたアキラが並んでいた。

 二人の顔色からは疲労の文字は感じられなかった。やはり由美子が男子に仕事を割り振ったのは正解であったのであろう。

「あたし、家の用事で迎えが来ちゃったのよ」

 手短に説明しようと早口で喋ると、由美子の台詞を補強するように、車を停めている方向から派手なエグゾースト音が聞こえて来た。五分で出発できるように、成田がポルシェの暖機運転を始めたのだろう。

 遠くから響いて来た爆音に全て理解しているという顔でサトミが頷いた。

「うん。後はやっておく」

 四人の前を通り過ぎ、テラスに置かれた自分のバッグを手に取った。子供が一人入れるような大きさのボストンバッグである理由は、三日間の連休を撮影期間とし、毎日県境を超えなくてもいいように近くのビジネスホテルに泊まったからである。

「どっせい!」

 持ち上げるだけでも変な声が出た。が、肩にかけようと失敗し、荷物の重さに体が持っていかれてフラフラとなった。

「まあまあ」

 そのままピンク色のボストンバックと一緒に地面へ倒れ込む寸前に、伸びてきた腕がガッシリと支えてくれた。

「運ぼうか?」

 映画用の衣装に、化粧をしたままのサトミが、由美子の顔を覗き込みながら微笑んだ。

 ふと頼りそうになったところで、勝気な性格が頭をもたげた。

「いい。おまえに持たせると、なンか仕掛けられそうでヤダ!」

 折角支えてくれたサトミの手を振り払うと、ボストンバッグを振り回した。もうちょっとでサトミのコメカミに当たるというところで避けられてしまった。

「ひどいなあ、俺がなにを仕掛けるっていうんだよ」

「時限爆弾」

 即答した由美子の言葉に、他の四人が笑った。

「じゃあ、後はお願いね」

 由美子は花子に向けて手を挙げた。その掌に自分の掌を合わせて花子が微笑んだ。

「うん、やっとく」

「おまえらも、ちゃんとハナちゃんの言う事聞いて、キビキビ働くンだよ!」

「へいへい」

 由美子の捨て台詞のような指示に、一同は首を竦めるのだった。



 暗闇の中で小屋が燃えていた。

 火の勢いは強く、すでに屋根にまで炎は回っていた。

 小屋の前には二人ほどの人影があった。炎の照り返しで青いワイシャツにジーンズを身に着けた少年が、立てた三脚の後ろで何か作業をしているのが見えた。もう片方の白衣を着た少年は呆然と立っているようにも見えた。

「点火!」

 三脚の後ろにいた少年が声をかけると、立っている少年が何かを握り込んだ。

 途端に大きな爆発音とともに小屋が粉々に破壊された。

「撤収!」

 小屋が跡形もなく吹き飛ぶほどの大爆発であった。もちろん爆発音も相当な物で、敷地の外まで結構な音が響いたであろう。耳にした地元の人間が通報して、警察や消防が飛んで来るのは間違いないだろう。ただ火事の炎は爆発に伴う暴風で吹き消されて、辺りは暗闇になってしまった。

「うひゃひゃひゃひゃ」

「げらげらげらげら」

 炎の照り返しが無くなり暗闇となった中で、二人が腹を抱えて笑っているような気配がした。そんな何をやるにしても手探りでしかできないような暗闇に、二条の光が投げかけられた。

 笑いながらも手早くカメラを乗せたままの三脚を畳んだ二人が、光の方を振り向いた。二条の光が近づいてくる。それは車のヘッドライトであった。

 甲高いディーゼルエンジンの音を響かせ二人に寄って来たのは、青いマイクロバスであった。『常連組』にはお馴染みである大学生の先輩である山奥槇夫の愛車である。

 止まるのと同時に車体中央にある折り戸が開かれた。

「ほら、はやく」

 車内から半ば体を乗り出した銀縁眼鏡をかけた少年が、三脚ごとカメラを受け取り、笑い続けている二人も後に続いた。

「ひゃー、あーおかし」

 涙まで浮かべて笑っているのはサトミであった。

「うむ、こんなに見事な木っ端微塵は珍しいな」

 爆破の片棒を担いだらしいのは、いつもの白衣に清隆学園高等部の制服というファッションの明実であった。

 車内に入ってもまだ笑いが収まらない。それどころか他の乗客に笑いが伝染しているようでもあった。

「こんな何も無いところだからいいけど…」

 銀縁眼鏡の少年が眉を顰めて言った。

学園(ガッコ)の周辺でやったら、大騒ぎになるんじゃない?」

 常識的な注意をするのは、いつもサトミと一緒にバカ騒ぎの中心に居る権藤(ごんどう)正美(まさよし)である。顔にかけた銀縁眼鏡がトレードマークの彼は、かろうじて一行の良心と言える存在であった。騒動屋のサトミと、確信犯の不破空楽と、三人あわせて『正義の三戦士(サンバカトリオ)』なんていう不名誉な称号があったりした。

「ガッコウの周辺じゃなくても大騒ぎさ」

 サトミは助手席に着きながら言った。

「それに(ねえ)さんがいたら、ぜってーやらせてくれないだろうし」

「鬼の居ぬ間に爆破」

 ボソッと付け加えたのは窓際に座った肩幅のある少年だ。昼の間カメラマン役もこなした彼は、清隆学園高等部男子寮『銅志寮』の寮生でもある松田(まつだ)有紀(ありよし)である。

「ひーけっさく」

 再びサトミが腹を抱えて笑いこけた。

「忘れ物は無いかな?」

 ハンドルを握る槇夫が車内を振り返って確認した。

 車内は後ろ三分の一がカーテンで区切られており、視界に入る席には『常連組』の少年たちが思い思いの格好で寛いでいた。

 運転席と助手席の直後は、前輪のタイヤハウスのせいで車内に空間がある。槇夫はそこに小さな冷蔵庫と、電子レンジを設置していた。

 その後ろから車内には座席が縦に三列並んでいた。運転席側に二列、助手席側に一列で、左右の列の間が通路となっていた。通路には補助席と呼ばれる予備の椅子があるが、全て折り畳まれたままだった。

 運転席の後ろ、冷蔵庫側の一番前には映画の主役を務めた空楽が窓際に陣取っていた。読書と居眠り(そしてアルコール)をこよなく愛する彼の事だから、すでに席に座って船を漕いでいた。

 同じ列の助手席側には、銀縁眼鏡の正美が座っていた。白いTシャツにジーンズという格好の彼は、受け取ったカメラを三脚から外して、冷蔵庫の反対側にある電子レンジが置いてある棚へと収めた。

 次の列には折り戸の出入口がついているので、運転席側にしか席が無い。二席を使って通路側にゆうゆうと明実が座っていた。

 明実の次の列には窓際に、水色のポロシャツに学校ジャージのズボン姿という有紀が座っていた。高校生にして何かスポーツをやっていそうな立派な体つきをしているので、余裕を持たせるために、これまた通路側の席には誰にも座っていない。通路を挟んだ助手席側の席に、正美の物よりだいぶ細身な銀縁眼鏡をかけ、黒いワイシャツに白いスカーフという左右田優が座っていた。

 二人は槇夫からの視線を受けて、問題なしという意味で手を振った。

 その次の列には肉塊が鎮座していた。監査委員会からのスパイという噂のある十塚(とつか)圭太郎(けいたろう)である。まあ『常連組』からは「ツカチン」の愛称で呼ばれており、そんな黒い噂なんて感じさせない気のいい少年なのだが。

 圭太郎は身長と同じぐらい胴回りをしており、まるで相撲取りのような体格をしていた。残暑が厳しいというのに、黒い長袖のTシャツに、下はニッカボッカであった。運転席側二列を区切る手摺を外し、二つの座席に尻を納めていたが、とても窮屈に見えた。

 そこから後ろの車内は、厚いカーテンによって仕切られていた。最後部まであと三列あるが、そこは女子用のスペースということで男子(ヤローども)の余分な視線はカットということだ。

 槙夫の視線が少年たちの上を通り過ぎ、車内を区切っているカーテンで止まった。その視線の意味を察した圭太郎がカーテンへ手を伸ばした。

「こんこん。女子グループもオッケー?」

 まるで扉があるようにノックをするふりでカーテンを揺らした彼が声をかけると、カーテンの隙間から花子が首だけ覗かせた。

「こっちもオッケー」

 カーテンの向こうには別の車で帰路についた由美子以外の女子が揃っているはずである。具体的に言うと、副委員長である花子に、映画で悪役を演じた『学園のマドンナ』でもある恵美子、そして明実の秘書として高等部では認知されているアキラとヒカルである。

「よし、じゃあ出発だ」

 大きなハンドルをよっこらせと切りながら槙夫がマイクロバスを出発させた。今どきパワーステアリングではないのは、中古とはいえ珍しい仕様である。槇夫に言わせると人力(パワー)操舵(ステアリング)らしい。

「なに?」

 カーテンから首を出したまま何か言いたそうにしている花子に、正美が訊いた。

「最後の爆発…、必要だった?」

 その質問に対する答えを持っていないとばかりに肩を竦めた正美は、電子レンジ越しに助手席へ振り返った。

「ねえ…」

「必要だったに決まってる」

 どうやら背中で聞いていたようだ。サトミは一瞬の躊躇もなく断言した。

「どうせ、お姉さんがいないから『鬼の居ぬ間に…』とやらで、やったんでしょ」

 先ほどの有紀のセリフの繰り返しに、サトミはその通りとばかりに笑顔で頷いた。

「面白かったでしょ」

「…」

 花子は何も言わずに首をカーテンの向こうへ引っ込めた。怒ったというより呆れたのかもしれなかった。

「だが、国道に出る前に通報されるんじゃないか?」

 一心にマイクロバスを走らせる槇夫が訊ねた。映画の撮影に使った廃墟を抜け、駐車場の跡地から道へと出る直前に一時停止をした。通りの交通量は全くなかった。

「道に出ちゃえばコッチのモンですよ」

 自分のタブレット端末をいつもの青いディパックから取り出したサトミは、なにやら操作を開始した。左右を確認した槇夫が、進路を南に取った。

「まさか。あれしきで検問を設けるほど県警(けーさつ)も暇じゃないでしょうし」

「所有者から文句が来たらどうする?」

「あそこでの撮影許可は下りてませんもの。つまり、俺たちはあそこにいなかった事になっている」

「ズルいヤローだ」

 槙夫はそれが誉め言葉のように言った。それに対してサトミは一礼してみせた。

「さすがに延焼したら俺たちのせいですがね」

「そこは爆風で消えるように、ちゃんと仕掛けたぞい」

 白衣の明実が鼻高々に言った。事実、小屋一軒を丸ごと燃やした割には、小規模な火災で収まっていた。

「それに、わざわざ爆破するために用意した小屋ですから」

 いくら『常連組』が無法者でも、現有建築物を爆破するほど無謀ではない。火を点けたのは大道具係がパネル工法で半日かけて建てたセットである。

「さて、世の中の動きは…」

 立ち上がったタブレット端末を見て、サトミの笑顔が曇った。

「どうした」

 マイクロバスを、法定速度を超える速度で走らせる槇夫が、サトミの纏う空気が変わったことに気が付いた。

「おかしいな?」

 それでも微笑みを残した顔で、サトミは静かに画面の操作を始めた。

「おかしいのはいつものことでしょ」

 ツッコミを入れたのは正美だ。

「通報はあったようだけど…」

 画面をスクロールさせてサトミが訝し気な声を漏らした。

県警(けーさつ)消防(かじや)も動いてない?」

「それは…」

 一同が思い思いに顔を見合わせた。

「こちらに好都合ではあるな」

 槇夫が少し嬉し気な声を出した後に、声のトーンを変えた。

「だが、不気味ではある。付近にパトカーは?」

「いませんね。覆面なんかも含めて、全部が市内の方をパトロール中」

「どこに繋いでるのさ」

 正美が少し眉を顰めて体を伸ばし、タブレットの画面を覗き込もうとした。正美の気配にサトミはタブレットを持ち上げて、彼の視界に画面が入るようにした。

「ん? まあ県警の司令本部が使っている回線に割り込んでいるつもり」

 見れば、この周辺の地図と、おそらく車両を示すだろう青い矢印が表示されている画面であった。画面の右端を切り取ったように表示されているのは、どうやら交信記録のようだ。

 警察無線の交信を記録しているのか、電波に乗った言葉をAIが文章化した文字列が、結構な勢いで下から湧いては上へと消えていた。

 文字化された交信内容を読み取っても、現在この周辺へ向かうように指示されたパトカー及びその他車両は無いようだ。県の反対側で消防に救急要請が入った情報が現れたところを見ると、消防の方にもコチラには出動要請はかかっていないようだ。

「それ本物の情報か?」

 正美のさらに後ろの席から明実が顔をしかめて訊いた。

偽情報(フェイク)を掴まされてないか?」

「試しに一一〇番して反応を探るってのもいいけど…」

 別のウインドウを開いて何かのアプリケーションを起動させたサトミは、諦めたような口調で言った。

「探っている内に、コッチが県警の管轄外へ出る方が先になるな。やるだけ無駄か」

 タブレットの電源を落とすための手順を始めたサトミは、車内へ振り返った。

「大丈夫でしょ。悩みすぎてハゲてもつまらないし」

「そういうの無責任って言うんじゃないかなあ」

 正美が電子レンジの載っている棚へ乗り出すと、上半身を寄りかからせて、ボヤくように言った。なにせサトミなり空楽なりが「やらかした」時に被害者になる確率は、根が真面目なだけに正美が一番なのだ。

 サトミは由美子が天敵に認定するほどの騒動屋(トラブルメーカー)であった。彼に掛かれば足の小指がタンスにぶつかった程度の事件が、国家を転覆する陰謀論に変化しかねないのだ。

 タブレットを畳んだ今も、なぜか取り出したコンパクトの鏡を利用して、どこか外を見ていた。

「どうした?」

 訊いたら国家陰謀論に繋がるとは思ってもいない槇夫が、いつもの微笑みを曇らせたままのサトミに声をかけた。

「うん。あのヘリ、ずっとついて来ている」

「は?」

 槇夫はバックミラーを覗き込んだ。雲が浮いている星空に、点滅する衝突防止灯があった。たしかに飛行機がマイクロバスの後方上空を通りかかっているようだ。

「県警のヘリにしては小さいな…」

「考えすぎだろ」

 槇夫は呆れた声を出した。

「北関東に用事があったヘリが、東京ヘリポートにでも帰る途中じゃないのか?」

「そうだったらいいんだけど」

 国道が優先されるように調整されているのか、幾つもある信号には一切引っかからずにマイクロバスは快調に走り続けた。そのまま川沿いの国道を下っていく。国道が町の中に入ってすぐに自動車専用道入口があった。槇夫は迷わずハンドルを切ってそちらに入っていった。

 パワステどころか窓の開閉すら自動ではない中古のマイクロバスのくせに、ETCだけは装備済みであった。なにせ大学の理学部には富士山の麓などにも実験施設があり、そこまで高速道路をよく利用するからだ。

 専用のゲートを抜けて、合流路から本線へと入った。

 制限速度の八〇キロに向けてコラムシフトをかき上げていく。車内に響いてくるエンジン音に余裕が無くなっていくのが分かった。

 上下四車線の高規格道の走行車線を飛ばしていく。時々、荷物を一杯にしたトラックなどが前を塞ぐが、ゆったりと無理のない追い越しをかけて速度を維持していった。

 その頃になると『常連組』たちは静かになっていた。車内を振り返るまでもない。みんな空楽を見習ったように居眠りを始めていた。大型バスのように車内の容積に余裕が無いので、身じろぎだって苦労する。よって余分な事はできないので、それが長距離を移動するには一番適した時間の過ごし方であるはずだ。

「なんだ? コイツ?」

 槇夫が不快な声を漏らしたのでサトミが顔を上げた。走行車線と追い越し車線を、二台の黒いワンボックスが塞いで走っていた。これでは図体の大きいマイクロバスでは抜くことはできない。唯一左側の路肩には余裕がある。しかしそこを走るのはあまり好ましくない。普通は緊急車両用のスペースであるし、また車線と違って整備がされていないので、タイヤをパンクさせるような異物が落ちている可能性もあるからだ。

 槇夫は邪魔だぞという意味でヘッドライトをパッシングさせた。

 すると二台のワンボックスがわざと蛇行運転を始めた。速度も一定に保つのではなく、遅くしたり速くなったり、揺さぶりをかけて来た。

「なんだ?」

 槇夫の運転は常識の範囲であったにも拘わらず、どうやらパッシングされたことが二台の運転手の怒りを買ったようだ。

「くおらああ」

「うらあああ」

 ワンボックスの窓が開かれ、乗っていた者たちが身を乗り出して変な声を上げ始めた。どうやらそれぞれに運転手だけでなく複数の若者が乗っているようだ。年の頃は槇夫と同じぐらいだろうが、着ている物はアロハシャツやらサイケなTシャツと、どうもまともな格好ではないようだ。

「これがいわゆる『煽り運転』?」

 一定の速度で走っていたマイクロバスが二台の車に絡まれれば、速度を変えたりハンドルを切ったりと乗り心地が悪くなる。どうやら揺れた拍子に正美は目を覚ましたようだ。

「ちょっと後ろを見て来る」

 サトミが槇夫に声をかけ、シートベルトを外すと揺れるマイクロバスの通路を走った。カーテンの向こうにいる女子に断りもせずに、後部スペースへと飛び込んだ。

「なに?」

 乗り心地が悪くなったので異常を察知していたのだろう。カーテンすぐの助手席側の席に座った花子も、通路を挟んで斜め後ろに座っていた恵美子も、少し不安な顔をしていた。

「ちょっとね。カーテンは開けないように」

 女子スペースは窓にもカーテンが引いてあった。最後尾の長いソファ席にアキラとヒカルが抱き合うように座っていた。アキラは不安げにサトミを見上げ、ヒカルは睨むように視線を送って来た。ヒカルの右手が腰に巻いたウエストポーチへとかかっているのが目に入った。その横からサトミは後部のラゲッジスペースへと乗り出し、後部窓にもかけてあったカーテンに少しだけ隙間を作った。

 マイクロバスの真後ろにも同じような黒いワンボックスが一台ついてきていた。フロントウインドから見える人相は、前で乱暴な運転をする二台の者とそう大して変わらなかった。

 サトミは花子にまで聞こえるぐらい舌打ちをすると、通路を戻った。

「絶対、カーテンから顔を出しちゃダメだよ」

 なにせ清隆学園高等部一の美少女と、図書室の憩いたる和風美人、それに負けないエキゾチックな美少女に、庇護欲を刺激されるような女の子の四人である。ガラの悪い連中が目にしたら碌でもない事を考える事は間違いなかった。

「うほお」

 前の二台が揃ってブレーキランプを赤く灯した。急激に近づいてくる黒い車体を避けるために、槇夫もブレーキを荒めに踏まなければならなかった。

 乗客たちがつんのめって座席に爪を立てている中で、驚異的なバランス感覚でサトミが助手席に戻って来た。

 座らずに背もたれを掴んで体を安定させて槇夫に報告した。

「後ろにもう一台」

「このハイビームにしてるヤツか」

 バックミラーから眩しい光が運転席を襲っていた。槇夫は目が眩まないように体を傾けて目に光がまともに入らないようにして視界を確保した。

「うおら!」

 運転席の横まで下がってきた右側のワンボックスから、アロハシャツの男が身を乗り出していた。下半身はフリースに健康サンダルというラフな物だ。車内に右足だけを残して、マイクロバスに向かって蹴りを繰り出してきた。

「よせろよせろ!」

 高速走行の風の中で足を空振りさせた男が、運転席に向かって怒鳴っていた。マイクロバスにワンボックスが急激に幅寄せしてくる。このままでは身を乗り出している男が挟まってしまうと判断した槇夫は、ハンドルを左に切った。

 それに合わせて前方のワンボックスも路肩に入り、またブレーキを踏んだ。

 数度に渡る急ブレーキで、とうとうマイクロバスは路肩に停車させられてしまった。横の助手席の男が半分以上車外に身を乗り出しているワンボックスは、マイクロバスの斜め前にハザードをたいて走行車線に停車した。これでワンボックス二台に行く手を塞がれた形となった。

 バックミラーには相変わらず後ろの車がハイビームにした光が映りこんでいた。とすると後進(バック)をかけて脱出する事もできないことになる。

「ちっ、面倒な」

 助手席の横に立つサトミが言った。それに対して後ろから正美がツッコミを入れた。

「どうして楽しそうに言うかなあ」

「っくおらあ! でてこいやあ」

 ワンボックスからドギツイ色の衣装を着た男たちがワラワラと降りて来た。マイクロバスのヘッドライトが投げかける光の中に、そんな男たちが十人ほど確認できた。誰もがアロハシャツやら派手な色合いの服である。カッターシャツの男もいたが、これまた派手な紫色であった。

 チャラチャラ光るのは男たちが身に着けているチェーンのネックレスや、ブレスレッド、そして冗談みたいな金色の腕時計などのアクセサリーである。きっとどれもが二十四金など値段のしっかりした物のようだが、纏っている者の品性が低すぎて、どうにも安物にしか見えなかった。

「うらあ、どらあ」

 出て来た一人が、マイクロバスのバックミラーへ、結構な高さだというのに回し蹴りを入れた。ただでさえへたり気味の関節からバックミラーは下を向いてしまった。

「なろお」

 槇夫がただの象牙の塔に勤務する男だったら、こんな非常事態に微笑んでいられる『常連組』と付き合っているわけがない。サッと血が上った顔になった彼が、シートベルトを外した。

「槇夫先輩は、すぐに出せるように、運転席で待機していて下さい」

 サトミが冷静に相手を見ながら指示を出した。

「マサヨシは車内で待機。もし入られたら追い出す係。御門は最終防衛ライン。有紀(ゆき)ちゃんと(マサ)ちゃんは付き合って。ツカチンは出入り口を塞ぐ役」

「めんどくせえなあ」

 口では文句を言いながらも圭太郎は席から立ち上がった。いつも彼が絶やさない微笑みの質が変わっていた。

「サトミくん」

 室内を仕切るカーテンから花子と恵美子が心配げな顔を覗かせた。花子がお守りのように握りしめているのは彼女のスマートフォンであった。

 恵美子はというと準備体操をするように肩を回していた。だがギャザーの入ったロングスカートに、同じ茶色系統の幅広カーディガンというファッションである。ルーズサイドテールにした長い髪と合わせて、荒事どころか逃げるのにだって苦労しそうであった。

 二人にウインクを飛ばしたサトミは、運転席の槇夫へ合図した。

「開けて」

 折り戸が気の抜ける「ミー」というブザー音とともに開かれ、サトミを含む四人は一気に外へと出た。

「くおらあ、なんばしゃあなあのおお」

 もはや日本語であるかどうか分からない音節で、マイクロバスに立ちふさがったアロハシャツの男が恫喝して来た。マイクロバスの前まで出たサトミへ、わざとらしい程のガニ股で歩み寄り、目をひん剥いて睨みつけて来た。

「ユキちゃんは後ろね」

 そっと小声で指示を加え、サトミ自身は一歩踏み出した。

「ちょっと、どいてくれませんか?」

 ニコッと天使のような微笑みを振りまいたが、そんなものでどうにかなる空気では無かった。

「しゃあ、こんんお、なよなよしてからにい。こんじょういれてやるかああ」

 先頭のアロハシャツが、サトミの胸を突こうとしたのか、それとも胸倉を掴もうとしたのか、右腕を伸ばして来た。

 パンという手を叩くような音の後に、ゴッという固い物同士が衝突する音が続いた。

「あ~。最初に、オレに触れるなと注意するべきだったかな?」

 天地が逆になったアロハシャツの男が、脳天をアスファルトに叩きつけられて体を丸くした。重力に逆らえずに手足がバタンと落ち、さらにビクビクと痙攣を始めるのが確認できた。

「いい夢見てネ」

 両膝に手をついて男を見おろしたサトミは、アロハシャツの男が泡を吹いているのを確認した。それからとびっきりの笑顔でガラの悪い男たちに言った。

「道を開けて下さると嬉しいのですが」

 アロハシャツの男に何が起きたのか脳細胞がやっと理解したのか、呆けていた男たちが怖い顔を取り戻した。

「うらあなめんな」

 一人があっという間にノックダウンされて怯むかと思いきや、男たちは一度ワンボックスの方へ戻って車内へ手を突っ込むと、竹刀やら木刀を持ち出して来た。

 わらわらとサトミを半円に取り囲んだ。

「おやおや」

 それでも怯まないサトミに、男たちは調子を崩されたままだ。なにせあっという間に一人がのされたのだが、その相手というのが女の子にも見える華奢な少年なのだ。

 目線を交わして誰から打ちかかるか相談しているのが丸わかりであった。

「どらあ!」

 わざわざ自分から行きますと宣言するように右側の男が声を上げた。手にした木刀で打ちかかってきたところをサトミは自分から間合いを詰めた。右腕をのばして男が木刀を振り下ろす前に柄を手刀で受け止めた。それと同時に左手をクロスさせるように出して木刀自体を掴みと、グルンと交差した手を解くように回し、相手の手から木刀を奪い取った。

「あら、ただの木刀じゃなくて鉛入りなのね」

 奪った木刀の刀身部分を握ってドンと相手のノドを突いた。

「げええ」

 ヤニだらけの歯を剝き出しにして、胃液だか唾液だかをまき散らし、二人目の男がのたうち回った。相手が戦闘能力を失った事を確認して、サトミは木刀から手を放した。

「やろおお」

 別の男が、自分に背中を向けたサトミへ、これも仕込みがしてありそうな竹刀で打ちかかろうとした。

「にゅるふふふふふふ」

 その眼前に、優がドアップになった。息がかかるどころか、お互いの産毛が肌に感じられるような密着という言葉すら生ぬるいドアップである。

「うひゃああ!」

 驚いた男は竹刀を横なぎに薙いだ。が、次の瞬間に優の姿は消えていた。

「ごっ!」

 変な声を上げて横にいた別の男がぶっとんだ。優を追い払うために振り回した竹刀が当たってしまったのだ。顎へまともに竹刀の先端を喰らった男は、顔の大きさを半分にしてクルクルとその場で回り、回転力が落ちたところでコマのように崩れ落ちた。

「あ、すま…」

「ぬえへへへへへへへ」

 謝ろうとした瞬間に、また優のドアップで視界が一杯になった。

「この! この! この!」

 何度も竹刀を振り回すが、まるで軟体動物であるかのように優には竹刀が当たらなかった。身を反らしたり屈んだり、男の動きの数秒先を知っているかのような動きであった。

「くおらあ!」

 あまりの当たらなさに竹刀を大振りした瞬間、やっと手に当たった感触が伝わって来た。

「ぐはっ」

 振り回した竹刀が、今度は反対側に居た仲間の腹へ命中していた。

「ああ、おれじゃない! こいつが!」

 何か言い訳をしようとした瞬間に、男の視界が上下逆になった。そのまま重力に引かれて脳天がアスファルトとお友達になった。もちろん無事で済むわけがない。白目をむいてうずくまったまま動かなくなった。

「さすがマサちゃん。動きがキモイ」

 男の体を大して力を入れずに引っ繰り返したサトミが、変な誉め方をした。それに対して優は顔の下半分だけで笑って返した。

「うおら!」

 マイクロバスの折り戸付近では、後ろのワンボックスから降りて来たと思われる男たちとの戦いが、始まる前に終わろうとしていた。

 木刀で叩こうと、拳を振るおうと、巨大な肉の塊という鎧の前には無力であった。

「あいてて」

 大して痛くなさそうに圭太郎は言うと、左腕をのばして間合いに居た一番小柄な男の頭を掴んだ。

「よっ」

 まるで大根を抜くような気軽さで、男の体が地面から持ち上がった。

「ぎゃああああ」

 首に全体重がかかるという異常事態に、持っていた木刀を捨てて両手を使って圭太郎の指を外そうとするが、圭太郎の握力には敵わなかった。

「よっこらせ」

 軽い荷物を自転車へ積むような気軽さの声で、圭太郎は男の体を振り回した。こうなると人の体だろうが何だろうが棍棒と同じである。振り回された男の腕や脚で打たれて、二人の男が弾き飛ばされた。

「おまけ」

 ガードロープに洗濯物のように引っかかった二人の上へ、棍棒として利用された男の体を重ねるように放り投げた。

「ほらほら、水芸」

 有紀は楽しそうにサトミと優へ、自分が倒した男を示した。どうやらこの男も、持ち出した木刀を徒手空拳の有紀に奪われたようだ。

「どうやったのよ」

 サトミが、ゲーゲーと口から色んな物をまき散らしながら身を折って苦しんでいる男を見て有紀に訊ねた。

「九頭龍■」

 とか言いながら、奪った木刀でそれっぽい構えをしてみせる有紀に、サトミは困ったような微笑みを返した。

「で、道を開けてほしいんだけど」

 サトミは、自身が木刀を奪った相手に訊いた。その微笑みは最初と変わらずに、まるで天使の様だった。

 喉を突かれてひとしきり吐いた後、やっと落ち着いたのだろう。男は血走る目でサトミを睨むとクルリと踵を返した。

「なろお、なめられてたまるかあ」

 男はまたワンボックスへ戻った。今度は、木刀は木刀でも、白木でできた物を持ち出した。

「ゲンさん、そりゃあ…」

 まだ『常連組』と戦っていない事で、無傷だった残りの男たちの空気が引いて行くのが分かった。

 白木の下半分を乱暴に掴んで振り回すと、棒が二本となった。いや、棒ではない。片方は白いままだが、もう片方はヘッドライトに照らされてギラギラと輝いていた。

 専門用語でいう長ドスというやつだ。男は鞘をそこらに捨て、目を血走らせて叫んだ。

「るおおおうおっしゃあああおう! たあ!」

 やはり日本語なのかどうか分からない声で恫喝してきた。

 ブオーっと、走行車線にハザードをつけて停車しているワンボックスを非難するように大型トラックがタイフォンを鳴らして通り過ぎていった。

「ふむ」

 煩くて耳を塞ぎたくなるほどの高速道路上なのに、とても静かで落ち着いた声が聞こえてきた。

「そういった物を抜いたということは、己が斬ったり斬られたりする覚悟があるということだな」

 振り返るとマイクロバスから一人のサムライが姿を現すところだった。

「先生!」

 サトミが確信犯で声を上げた。

「先生!」

「先生!」

 便乗して他の『常連組』たちも声をかけた。

 まるで時代劇の用心棒のように現れた袴姿のサムライは、懐に入れていた腕を出して、腰に佩いていた業物へ手をかけた。

「先生! お願いします」

「おう」

 花道を開けるようにサトミと優が左右に避けた。ここにきて真打登場とばかりに歩み出た用心棒の先生が、自分の業物を顎で示した。

「俺にこいつを抜かせていいのか?」

「らっしゃあ!」

 もう景気づけにしか聞こえない声で、長ドスを抜いた男が大上段から斬りかかった。

 キンと鯉口が切られた。

 男よりも速く横薙ぎに抜き打ちされた日本刀が、宙で男の指の間から長ドスを叩き落とした。そして切り返すと、男の額の真ん中へドスリと重い音を立てて、刀の峰が打ち込まれた。

「がっ」

 切っ先でなくとも鉄の塊で額を打たれたら割れて血飛沫ぐらいは上がる。長ドスを抜いた男は、赤い液体を撒き散らしながらキリキリと回ってアスファルトに倒れた。

「おっとっと」

 長ドスが刃先を下にして男の背中へ落下する寸前に、用心棒が刀を泳がせて刀身を払った。長ドスは男の体からわずかにそれ、ズンと突き立ってズボンとアスファルトを縫い留めた。

「ふっ」

 片頬だけで嗤った用心棒が抜いた刀を納めながら言った。

「安心しろ。峰打ちだ」

「あわわわわ」

 男たちの中でまともに立っているのは残り四人である。二人ずつ組を作るように、サトミから見て左右にいた。

「先生。お願いします」

 サトミは用心棒へ声をかけておいて、自分から右側の二人と間合いを詰めた。

「なんじゃあ! なんじゃやあ!」

 まさか自分たちがケンカで負けるなんて思っていなかったのか、髪の毛を金色に染めて逆立たせた男が、木刀を振り回した。

 その横の男などは、自分たちの不利を悟ったのか、背中を見せて逃げようとした。

 木刀を大振りした男の視界からサトミが消えた。忍術でも何でもなく、サッと横に体を交わしただけだが、動きの鋭さで男からはそう見えたのだ。

 サトミを目掛けて木刀を振り下ろし、無防備な姿勢になったところに、間合いを詰めた用心棒が刀を振るった。

「ごふっ」

 額が割れて赤い筋を眉間に流した男の目から光が失われた。

「わあああ」

 背中を向けて逃げ出した男には、優が絡みついていた。それはもう見事な絡みっぷりで、優自身の体には関節が無く全身が軟体動物になったかのようだった。

「はなれろおおおお」

 持っていた竹刀を投げ捨て、両腕を振り回すが、優には一発も当たらない。騒ぐ男には、三度目となる用心棒の峰打ちが落ちた。

「ふむ、他愛のない」

 サッとついていない血糊を払い、キンッと音を立てて納刀する。それまでには左側にいた二人に、圭太郎と有紀が襲い掛かっていた。

「天翔龍■!」

 有紀が余分にグルリと体を回して横なぎに木刀を振るった。余裕をもって避けた男が、お返しにと上段から打ちかかろうとした。その木刀が振り下ろされる前に、圭太郎が手を伸ばしてガッシリと握り、ブンと振り回した。

 男が木刀から手を放せば逃げることが出来たのだろうが、生憎と有紀に向けて必殺の一撃を打とうと力んでいたところだった。

 木刀を支点に、男の体が振り回された。それを最後の男は避けることができなかった。

 バシャッと水を入れた袋同士をぶつけるような音がして、最後の二人が折り重なるようにしてアスファルトへと転がった。

 修羅場となった高速道路をサトミはもう一度周囲を見回した。

 脳天を路面につけて泡を吹いている者や、ピクピクと痙攣している者が大半だ。一人だけ無事に見える男も、有紀に突かれた場所がよっぽどの部位だったのか、まだゲーゲーと吐いていた。

「そいつ、楽にしてあげなよ」

 サトミが言った途端、圭太郎が男の首根っこを掴み、ガードロープの向こうへと投げ捨てた。

「ついでに、ここらへんも片付けてくれない? バスが出せないからさ」

 サトミはマイクロバスを路肩から乗り出す時に邪魔になりそうな辺りに倒れている男数名を適当に指差した。

「めんどうくさいなあ」

 やはり圭太郎は面倒がりながらも、ポイポイと男たちの体をガードロープの方へと捨て始めた。まったく路外へと落ちる者もいれば、さっきと同じようにまるで洗濯物のように引っかかる者もいた。

 サトミはというと、外からマイクロバスの運転席に近づくと、男のキックで曲げられたバックミラーを手に取った。

「どのくらいです?」

 運転席の槇夫に角度の具合を聞きながら、倒されたバックミラーを修正した。

「そっちの車をどかしてくれい」

 運転席側の窓を開けた槇夫が、いまだ走行車線に止まっているワンボックスを指差した。その一台さえどかせれば、前に停まった一台を交わしてマイクロバスは発車できそうだからだ。

「了解です」

 頷きながらもサトミはマイクロバスの後方へと歩いて行ってしまった。

 マイクロバスの真後ろにもワンボックスが一台止められていた。車内は無人であった。

「なにをしておる?」

 運転席の扉を開けて上半身を突っ込んだサトミに、声をかける者がいた。男たちを倒すのに活躍した用心棒…、つまり映画の衣装のまま居眠りをしていた空楽である。

「ん? すぐに追って来られないようにね」

 見るとアクセルペダルの下に乾電池のような物を立てているではないか。これではいざ発車しようとしても、乾電池のような物がつっかえて、ペダルを踏み込めないはずだ。

「エグイことをする」

 その乾電池に見える物だって、ただの円筒形をした物では無い事を知っている空楽が、短く感想を言った。

「エグいって…」

 文句があるようにサトミは空楽を見た。

「だいたい撮影用の模造刀を差してたんじゃないの?」

 男たちを次々と倒した空楽の刀を指差して訊くと、彼はフッと笑ってどこか遠くへ視線をやった。

「やはり本物に勝る迫力は無いだろうと思って、わが家秘伝の一振りを持ち出して来た」

「お父さんに怒られなければいいけど」

 サトミは運転席のドアロックをかけてから丁寧に閉めた。これでさらにこのワンボックスを動かそうとしても一手間増えたはずだ。

「念入りだな」

「へたに追いかけられてもね」

 空楽の感想にサトミは簡潔に答えた。

「で? あいつらは何者だ?」

 マイクロバスの横を前に向かって移動するサトミの背中に空楽は訊いた。

「へ?」

 つい振り返ってしまい、つまらなそうな顔をしている空楽を確認してしまった。

「あーそうか。空楽は寝てたのか。なんか普通に走っていたら絡んで来たんだけど…」

 唇を尖らせたサトミは、マイクロバスの前に停まったワンボックスにも、乾電池のような物を仕掛けながら言った。

「考えすぎかな?」

 同じようにドアにロックをかけ、走行車線に停まっているワンボックスへと移動しながら、サトミはチラリと夜空へ視線をやった。

「?」

 サトミの背後についていた空楽が、その視線の意味を計りかねて小首を傾げた。

 雲が少しだけ出ていたが、満天の星空である。他に天体観測を邪魔しそうな物は、カシオペア座のあたりを飛んでいるヘリコプターぐらいであろうか。

「後ろ見ていて」

 追い越し車線を飛ばして行くトラックに注意しながら、サトミは走行車線に停まっている最後のワンボックスの運転席のドアを開いた。

 空楽が用心棒の姿で腕を組んで背後からの車両の接近に目を光らせた。

 やはりアクセルペダルに乾電池を仕掛けると、手でブレーキペダルを押し、もう片方の手をシフトレバーへとのばした。

 シフトレバーをDの位置へ合わせると、急いで身を引いた。

 無人のワンボックスは、ギヤを入れられたことでゆるゆると動き出した。

「さ、引き揚げよう」

 もう動き出したワンボックスには興味を失ったとばかりにサトミは身を翻した。

「よいのか?」

 クリープ現象のままにハザードランプを点滅させ、ヨロヨロと前進していくワンボックスを顎で示す空楽に、サトミは頷き返した。

「すぐに止まるでしょ」

 確認するまでもなく、水はけのために路肩に向けてつけられた傾斜に沿ってワンボックスは動いていた。走行車線から路肩へと段々と進入して来る。二人が戻って来るまで折り戸の前に陣取っていた圭太郎が出迎えた。

「ごくろうさん」

「やれやれだよ」

 ニコッと微笑んでサトミがマイクロバスの車内へ戻る頃、無人のワンボックスは路肩からさらに左側に外れ、ガードロープにゴリゴリと車体を擦りつけて止まるところだった。

「さ、行きましょう」

 車内で出迎えた一同にサトミが声をかけたところで、槇夫がマイクロバスの折り戸を操作した。やはり「みー」という緊張感のないブザー音がして、折り戸が閉められた。

「それじゃあ、出発するぞ」

 槇夫が車内を振り返った。『常連組』の少年たちは、騒動の前に座っていた席に戻っているし、少女たちは車内を分けていたカーテンを開いて顔を覗かせていた。

 誰一人として欠けていなかった。

「うんとこしょ」

 バックミラーで走行車線の安全を確認した後に、ハンドルを大きく切って槇夫はマイクロバスを発車させた。

「あ、そうそう」

 唯一助手席の背もたれに捕まるようにして立っていたサトミは、さりげなく自分の履いていたジーンズの後ろポケットから、鰐皮の長財布を取り出した。

 いつもサトミが使用しているのは、そんな成金趣味の物ではなく、実用性重視のポリエステル製の財布のはずだ。

 見ている者が不思議に思っているのに構わず、サトミは財布へきれいに並べてあった紙の束を抜き出した。

「なんか連中が『慰謝料と思ってください』って」

 いつの間に奪っていたのか、男たちの内の誰かの財布のようである。取り出した紙の束は全て一万円札で、結構な厚みがあった。

「お、おう」

 受け取る槇夫の声が上ずっていた。

「慰謝料ねえ。これだけあれば今回の燃料代どころか、次の車検代も出せそうだ」

「うわあ」

 ずっと車内で事の推移をヤキモキして見ていた正美が声を上げた。

「いつ取り上げたんだよ」

「取ったなんて聞こえの悪い。『ごめんなさいすみませんでした』と差し出して来たんだぜ」

 とても不思議そうにサトミは正美を振り返った。サトミはそう言うが、どう考えても最後はまるで洗濯物のようにガードロープに引っかかっていた男たちが、そうやって差し出す暇があったとは思えなかった。

 サトミは助手席に座ると、手にした財布の吟味を始めた。サイドポケットに入っているクレジットカードや、運転免許証などを確認しては、ポイポイと助手席側の窓から捨てていった。最後は小銭をジャランと広げた手に出すと、財布自体を投げ捨てて窓を閉めた。

「ふむ、つまらん」

 小銭を無造作にポケットへ突っ込むと、車内を振り返った。みんなの視線が集まっていることに気が付いて、照れたように頭を掻いた。

「どうした?」

「なにか分かったのか?」

 再び窓際の席に戻った空楽が、居眠りを始めようというのか、椅子の上で尻の座りを調整しながら訊いてきた。サトミは正直に肩を竦めて、両手を空に向けた。

「も、もう大丈夫よね?」

 いまだスマートフォンを握っている花子が訊ねた。わざとらしく腕組みをして考え込むふりをしたサトミは、人差し指を立てた。

「オレとしては、もう一悶着あって欲しい」

「やめんか」

 静かに空楽が告げた。

「波乱万丈を誰もが求めているとは思うな。平穏が一番というヒトだっているんだ」

「いつもだったらイの一番に揉め事に参加して来るくせにぃ」

 サトミが唇を尖らせて言い返した。

「ふん」

 チラリと車内へ視線を走らせた空楽は、腕組みをしたまま静かになった。どうやら居眠りに戻ったようだ。

 交通量は少なめであったが、本線たる東北自動車道へ合流する頃になると、それなりになった。渋滞が起きる時間には遅いが、やはり連休最終日というのがいつもと交通量が違う理由だろうか。

 東北自動車道に合流してからすぐのことだった。

「休憩して行きましょう」

 助手席からサトミが、ハンドルを握る槇夫に提案した。

「どうして?」

 先ほど絡まれた事が気になっているのか、いつもよりもバックミラーを確認する事が多くなっていた槇夫が聞き返した。

「この先に、佐野サービスエリアがあります。そこでトイレ休憩に」

「あいつらが追いかけて来ていたら?」

 不満げな槇夫に、いつもの微笑みを維持しながらサトミは眉を顰めた。

「まあ車には仕掛けをして来たんで、追いかけて来れないと思いますよ。それに…」

 車内を振り返る。三日間の撮影(ハードワーク)の後に起きた事件のせいか、全員がぐったりしているように見えた。

「エコノミークラス症候群ってのもありますし」

 体を伸ばしたくなるほどの時間をマイクロバスは走り続けていた。これが大型バスならば、座席間も少しは余裕があるので足を伸ばせようが、槇夫のマイクロバスにそんなスペースは存在しない。みんな通路の方へ足を出してはいるが、そろそろ座っているだけでも疲労が溜まるころだ。

「まあ、いいけど。俺もそろそろトイレが呼んでいるしな」

 緑色の看板でサービスエリアまでの距離を確認する。もうそんなに走らなくても着けそうだった。

「はい、注目」

 パンパンと耳障りの悪いように手を打って運転手以外の視線を集めたサトミは、サービスエリアでの注意点を口にした。

「まず最低でも女の子一人に、(ヤロー)二人がつくこと。行く場所はトイレと、外の自動販売機のみ。絡まれるだけでなく変なヤツを見たらすぐにバスへ戻ってくる事。あくまでも逃げるのが優先で、余分なカロリーは消費しない事」

「外の自販機だけ?」

「不用意に室内に入って囲まれたら、逃げにくいだろ」

 不思議そうにアキラが呟くと、横のヒカルが忌々しそうに理由を教えた。

「護衛役は決めておいた方がいいか」

 サトミは少しだけ黙ると考えをまとめた。

「コジローには正美と、槇夫先輩。ハナちゃんにはオレと空楽。アキラちゃんには、ユキちゃんと、マサちゃん。ヒカルちゃんには御門とツカチン」

 これでどうだとばかりに視線をやると、数人は納得いったように、そして同じ数だけが不承不承といった感じで頷いていた。

 グググとブレーキがかけられて、体が前に持っていかれる。外を見ると本線からサービスエリアへの分岐であった。

 フットブレーキだけでなしに、見事なギヤさばきでエンジンブレーキもかけた槇夫は、マイクロバスを駐車場に進入させた。埋まっている駐車スペースは八分と言ったところだ。

「なるべくトイレに近い場所へ」

 車で埋め尽くされた駐車スペースに隙間を見つけ、サトミは指を差して槇夫へ指示を出した。たしかに自家用車ならば停められるだけの空間があるが、マイクロバスにはちょっと長さが足りなそうである。

「んな」

 槇夫がなにか文句を言おうと口を開くと同時に、一台の軽自動車が走り出して、サトミが指を差していたスペースが広くなった。

「お」

 感心した音節だけ発した槇夫は、トイレに向かってちょうど真ん前になる駐車スペースへとマイクロバスを停めた。

 ギヤを抜き、ギッと丁字バーのパーキングブレーキを引っ張った。キーを抜いてから、どっこいしょとばかりにコラムシフトのレバーを一回引いてから前に押して、ギヤを固定する。

「ふう」

「お疲れ様です」

 運転手役を続けるのも楽ではないだろうから、サトミが労う声をかけた。

「そう思うなら、はやく免許取って、俺を乗せる側になってくれよ」

 ニヤリと槇夫が笑うと、サトミは満面の笑顔で言い返した。

「今からでも代わります?」

「無免許運転反対」

 シートベルトを外して立ち上がると、コツンと軽くサトミの額とつついた。サイドボードにある扉開閉スイッチを操作して折り戸が開くと、乗客たちが下り始めた。

「誰か留守番を残すか?」

「必要ないでしょ」

 サトミがあっさりと答えた。

「こんな人力(パワー)操舵(ステアリング)人力(パワー)連軸機(クラッチ)のマニュアル車、いまのオートマ車に甘やかされた日本人が動かせるとは思えませんし」

「それもそうだな」

 槇夫が点検するようにコラムシフトのレバーを揺らしてみせた。最後にローギヤに入れたため固く動きそうもなかった。

 運転席から体を抜くと、槇夫が車内に残された最後の一人であった。折り戸のステップからアスファルトに降りると、結構強い風が吹いていた。

「じゃあ、みんな遠くに行かないように」

「はあーい」

 黒いデニム地のシャツに、同じ生地のズボンといった槇夫が引率の先生のように告げると『常連組』たちは、まとまってトイレへと押しかけた。




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