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十月の出来事B面  作者: 池田 和美
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十月の出来事B面・⑤



「はああ」

 放課後に由美子は深い溜息をついた。

「王子、王子」

 後ろから恵美子が声をかけて来た。

「そんなに、ふか~い溜息をついて。もしかしてマタニティブルー? 相談に乗ろうか?」

「またにてぃ…?」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった由美子は、半分だけ振り返って恵美子を視界に入れた。今日の恵美子は長い髪をサイドアップに纏めていた。

「男の子とシたんだから、次はアカチャンでしょ」

 恵美子が無邪気な様子で言った。とても大人な会話をしているようだが、由美子がシたのはキスだけで、それ以上先の事はトンと身に覚えが無かった。

 そこまで思考が進んでから、由美子の顔が段々と赤くなってきた。

「いつ、あたしが妊娠したんだよ!」

 由美子の怒鳴り声に吹き飛ばされそうになった恵美子は、いちおう唇の前に人差し指を立てて言った。

「そんなに怒鳴ると図書室まで響くよ。それに言葉遣い」

 恵美子に指摘されて、慌てて自分の口を押える由美子。司書室と図書室を区切る壁に設けられた大きな窓から隣を確認するが、視界に入る全員がこちらを見ていた。

「あはは」

 愛想笑いをしながら頭を下げて誤魔化した。

「まったくぅ。時と場所を考えてよね」

「それはコッチのセリフじゃ」

 指摘する恵美子に言い返してから、さっきまで向いていた方向へ体を戻した。

 司書室には蔵書整理などで使用するために、おおきなテーブルが用意されていた。放課後の今は部屋にいる生徒たちの荷物が上に散らかしてある。そのほとんどが図書委員の物でなく『常連組』の物だということが、今年の図書室の縮図になっていた。

 それを背景にして、由美子の目の前に背の高い人物が立っていた。

「これで決裁して欲しいんだけど?」

 少し長めの茶色がかった髪が、窓から差し込む陽光をキラキラ反射していた。薄い唇に整った顎のライン、アーモンド型の目。ふっくらした頬はつついてもらうのを待っているような魅力を持っていた。

 間違いなく清隆学園高等部の男子用夏季制服を着用しているはずなのに、まるで女の子が仮装しているかのような雰囲気を持った中性的な微笑みが印象的である。

 コレが、由美子が天敵と目の敵にしている『常連組』一番の問題児だった。

「本当に、この予定で行けると思ってンのか、サトミよぅ」

 由美子の全然信用していない視線を、まるで戦列艦の舷側装甲並みに厚い面の皮で弾き返したサトミは、金箔よりも薄っぺらい表情で胸を叩いた。

「だいじょうび、たいこばん」

 その信用のできなさは、後ろの恵美子が小さな声で「うわあ」と声をあげたほどだった。

 放課後、クラスから由美子が司書室に来るなり、結構な厚みのある紙の束を、サトミが渡して来たのだ。

 由美子は紙の束を大テーブルに広げてチェックしてみた。前半は自主製作映画の台本に沿った絵コンテと呼ばれる場面ごとのイメージイラストだった。そして後半は、その絵コンテに沿って、どのように撮影して行けば一番効率的かをしめす撮影予定表であった。

「まず、この町ってのは?」

 いつサトミがロケハンに行ったのか分からないが、わざわざ写真まで添付された撮影予定地が纏められていた。それによると町のシーンはどこかにあるという西部劇風の建物がたくさんある場所が、お勧めのようだ。

「地権者からの暗黙の了解は取り付けてある。元は西部劇をメインにしたテーマパークで、いまは長期休園になっているトコ。ここで町のシーンを集中的に撮っちゃえば、後は校庭とか体育館裏とかで誤魔化せると思うんだけど」

「そうは言うけどな…」

 由美子は不安そうに撮影スケジュールが書かれた紙をもう一度めくってみた。もちろん都内にそんな都合の良い廃墟があるわけもなく、餃子で有名な地方都市のさらに向こう側まで遠征しないといけない。しかも撮影自体で三日間もかかるようだ。

「今度の連休全部使っても間に合うかどうか…」

「足なら心配いらないよ」

 サトミは安請け合いのように言った。

「ココを教えてくれたのは槇夫先輩でさ。車出してくれるって」

「う~ん」

 大学の理学部に籍を置く山奥(やまおく)槇夫(まきお)は、サトミだけでなく『常連組』みんなと仲が良いようだ。離れた土地へ遊びに行くときなど、自慢の車を出して、みんなの足になってくれる。由美子自身も夏休み中にお世話になったことがあった。

「まあセンパイの車だったら、撮影機材だろうがエキストラだろうが乗せ放題だろうけどさ」

 ちなみに槇夫の車というのは、どうやって排気ガス規制を潜り抜けているのか分からない程のポンコ…、中古のマイクロバスなのであった。

「いいじゃない、みんなでお出かけ」

 恵美子が目をキラキラさせて手を合わせた。

「うわあ、楽しみぃ」

 彼女はこうして仲間内で出かけるのがとても好きなのだ。夏休み中も海水浴などへ『常連組』たちと遊び歩いていた。その反動で八月三十一日が、どんな地獄だったのかは、課題を手伝った由美子だけが知っている秘密だろうか。

「ねね、泊り?」

「いちおう毎日行き帰りを先輩に頼もうと思ってるよ。男は向こうで野宿でもいいけど、女の子にそんな無理をさせられません」

「ええ~」

 恵美子が不満そうな声を漏らした。

「私、キャンプでもいいのにぃ」

「じゃあ、ハナちゃんと二人で、ビジネスホテルの予約取る?」

 結局「主人公」の傍についている「少女」を押し付けられた副委員長の名前を出しながら、サトミはスマートフォンを取り出した。

「カントクも行ったり来たりより、向こうに二泊した方が楽かな?」

 どうやらホテルの予約サイトに繋いだようで、サトミは画面をスクロールしながら宿を探し始めた。

「ちょっと待てよ」

 由美子は由美子で、週末のスケジュールを確認しようとスマートフォンを取り出した。

「そうだ、王子」

 由美子のスマートフォンを見て、自分の物も取り出した恵美子が、待ち受け画面を立ち上げた。

「最近、電池の減りが早くない?」

「はあ?」

 チラリと子猫が数匹身を寄せ合っている画面へ視線を走らせた。たしかに恵美子のスマートフォンの電池残量は、放課後の今、とても心細いものになっていた。

「あ~、それは電池の劣化だよ」

 サトミが眉を顰めて言った。

「貸してみて」

 自分のアウトドアでも使えそうなごついスマートフォンをポケットへ放り込んだサトミは、恵美子のスマートフォンをサッと操作して、電池のコンディションを視覚化するアプリを呼び出した。

「ほら、もうこんなに劣化してる」

「えぇ~。じゃあ直らないの?」

「直す方法はある」

 うんと頷いたサトミは、そのまま恵美子のスマートフォンで検索をかけた。

「電池を交換すればいいだけ。で、かかる費用はこんな物」

「うっ」

 高校生では怯む値段が並んでいた。

「普通は本体を買い替えちゃう方が安いけどね」

 サトミの解決策に恵美子は口を尖らせた。

「せっかく撮った写真とか、みんなのアドレスとか、消えちゃうんじゃないの?」

「いや、データなら簡単に移し替えることができるよ」

 器械に疎い恵美子を安心させようとサトミは微笑んでみせた。

(ねえ)さんのスマホも、そろそろ電池ヤバいんじゃないの」

「それがさあ」

 自分の予定をチェックして、日付を変更できそうな物ばかりと確認した由美子が、ちょっと眉を顰めた。

「最近、充電してなくても動くンだよ」

「は?」

 電池で動くスマートフォンが充電無しに動くと聞いて、サトミがキョトンとしてみせた。

「おまえ、変なデンチに入れ替えたとか、あたしのスマホに悪戯してないだろうね?」

「充電しなくていいなんて、どんな核電池だよ」

 さすがに呆れた声を出したサトミは、由美子のスマートフォンを覗き込もうとした。慌てて由美子は画面を隠した。

「?」

「女のスマホを覗き込もうとは、ふてぇやろぉだ」

 牙を剥く由美子に、困った顔をして見せてサトミが言った。

「姐さんが変な事を言うからでしょ? で? いまの充電率はどのくらいよ」

「七五パー」

「充電せずに?」

 サトミの再確認に頷き返してから、由美子は付け足した。

「最後に充電したのは先週の金曜日」

「はあ?」

 慌てて自分のスマートフォンを出したサトミは現在時刻を確認した。由美子が嘘を言っていないのであれば、ほぼ一週間丸ごと充電していないことになる。

「それはちょっと異常だね」

 腕組みをしてサトミは首を傾げた。

「最近、姐さん()の周りで電気工事とか無かった?」

「なんで?」

 訊ねたのは恵美子であった。

「いや、スマホに充電できるぐらいの電磁波が発生している可能性があるから。中学校の理科でやったと思うけど、充電の原理は交流の電磁誘導なんだ。もしかして電気工事とかでそういった予期しない電磁波が発生して、それでスマホが充電されてしまっているのかもしれない」

「でんじゆうどう?」

 キョトンとする恵美子に、ちょっと困った顔をしてみせるサトミ。

「電気には直流と交流があるのは知ってる?」

「うん。電池とコンセント」

 的確な例にサトミはうなずいた。

「その内、交流をね、電線を巻いたコイルに流すと電磁波が出るんだ」

 恵美子が頷くのを待ってサトミは説明を続けた。

「逆に、その電磁波をコイルに流すと、離れていても同じように交流が流れ始めるんだ。これを電磁誘導って言う。スマホがスタンドに置いておくだけで充電できるってのは、この原理を利用しているんだ」

「タダで充電できるなンて、便利じゃない」

 強がる由美子に心配そうな顔をして見せてサトミが言った。

「四六時中電磁波を浴びていると、体に良くないって聞かない?」

「う」

 確かにそんな話を聞いた事がある由美子が返答に詰まった。

「まあ、日本のどこに行ってもテレビが見られる時代だから、電磁波をまったく浴びない生活ってのはありえないんだろうけど、スマホへ勝手に充電される量だとちょっと心配だよね。調べてみる?」

 サトミの心配げな表情に頼りたくなった由美子は、はっと我に返った。

「おまえ、それであたしの部屋に上がり込んで、盗聴器なンか仕掛ける気だろ」

「あ、わかっちゃった?」

 ニヘラッと笑った顔が意外に近くにあったことを自覚した由美子は、肩を震わせながら確認した。

「おまえ…。あたしの三メートル以内に接近禁止って言っておいたよな」

「そうだっけか?」

 サトミのわざとらしい(とぼ)け顔を見た瞬間に、由美子の額の辺りからブチッという音が鳴ったような気がした。

「ア~ムストロングパンチ!」

 悪びれず後頭部なんて掻いているサトミに対して、由美子は遠慮なく必殺技(ボディブロー)を叩きこむのであった。



 清隆学園高等部B棟の屋上に、黒い姿が現れた。誰でもない地上に降りた天使に協力している優である。

「おっと?」

 D棟との接続部にある階段室から出た途端に、体を仰け反らせた。厳しい残暑を示す太陽光に目がくらんだわけでは無い。誰もいないと思っていた屋上に、三人ほどのグループが居たのだ。

「?」

 男子二人に女子一人という組み合わせのグループは、揃って双眼鏡を南へ向けていた。

「あれかな?」

 平均と比べてふくよかな女子が、双眼鏡を目に当てたまま空を指差した。

「どれどれ?」

 彼女の右側に居る男子が双眼鏡を下げて、彼女が指差す方向を確認した。

「あ、たぶんそう」

「昼間に見ると赤くはないんだね」

「まあ、昼間は太陽光のレイリー散乱に巻き込まれているのかもね」

「何をやっているんですか?」

 上履きが自分と同じ一年生に指定された色であることを確認した優は、近づいて行って声をかけた。

「?」

 三人が振り返り、優と正対する。

「まさか…、ノゾキ?」

「ち、ちがいます!」

 顔を真っ赤にした女子が悲鳴のような声をあげた。

「いやあ、俺たちは天文部でね」

 一番左に立つ、特徴が無いのが特徴のような男子が言い訳をするように話し始めた。

「今日は昼間に一等星が見つけられるかってのをやっていたんだ」

「一等星?」

 キョトンとする優に、彼は苦笑いのような物を浮かべた。

「夜に見えるお星さまの一等星」

「あ~」

 ポンと手を打ってから、優は改めて三人の装備を確認した。三人とも首から双眼鏡を提げており、そして音楽室から借りて来たのか譜面台を一つ立てていた。譜面台にはスマートフォンが置かれており、片方が星座速見盤、もう片方が簡易コンパスの画面になっているから、それで方位を確認していたのだろう。

「昼間は太陽が明るすぎるから見えないけど、こうして場所さえ分かれば一等星ぐらいなら見る事はできるんだ」

「へぇ~」

 棒立ちで感心する優に、どこかで見た事のあるような男子が双眼鏡を差し出した。

「見てみる?」

「ちょっとだけ」

 優の返事を聞いて、首からストラップを抜いて彼は双眼鏡を差し出した。

「注意として、太陽の方は見ない事。失明の危険があるから」

 彼が口にした基本をもっともだと感じながら、優はストラップを首にかけた。

「高さは大体このぐらいで、いま南中してる」

 さすがに中学校で習った天文用語は記憶にあった。方位を譜面台のスマートフォンで確認すると、少年が差したあたりの空を覗いてみた。

 カツンと優の眼鏡と双眼鏡が当たって音を立てた。

「調整しても?」

「どうぞ」

 確認を入れてから眼鏡を額の方へ上げ、直接双眼鏡を目に当てた。清隆学園の敷地内には雑木林があるほど緑が豊かなので、適当な近くの梢を使ってピントを合わせた。

 もう一回眼鏡をかけて、スマートフォンが表示している方位と高さを確認してから、額へ押し上げて代わりに双眼鏡を目に当てた。

 真っ青な視界に、白いインクを零したような点があった。

「をを」

 感激のあまりつい声が出た。

「それが蠍座の一等星アンタレスのはず。夜に見ると赤い星なんだけどね」

「ほお~」

 感心して双眼鏡を外して肉眼で同じ空を見た。雲など他の物が無いので、誤認しているわけでは無さそうだ。

 もう一度、同じ方向を双眼鏡で確認してみた。白い点は少し右に移動したようだ。

「ほ~」

「アンタレスは地球から五五〇光年離れた場所にある恒星で、さっき一等星って言ったけど、本当はもうちょっと明るくて〇、九等星なんだ」

 スラスラと、まるでプラネタリウムの解説員のようにデータが出て来るところは、さすが天文部と言ったところか。

「れいてんきゅうとうせい?」

「星ってのは、整数で一から順に数字が大きくなっていくと、暗くなっていくでしょ。だから明るいと反対に数字が小さくなっていくんだ。太陽なんかマイナス二十六等星だぜ」

「太陽にまで適用とは…」

 優の口からは感心した声しか出てこなかった。

「こらああ!」

 その時、勇ましい雄叫びのような少女の声がして、優は双眼鏡を覗いたまま声の方向へ振り向いた。

 視界が紺色に染まった。双眼鏡を外して、首の一振りで額の眼鏡を鼻の上に落とすと、先ほど優が屋上に出てきたと同じ階段室の塔屋から、図書委員長である由美子がズカズカと歩いて出てくるところだった。

(とすると、今の大声は雄叫びではなく雌叫(めたけ)びと呼ぶべきか?)

 優が余分な事を考えている間に、距離を詰められた。

「映画の手伝いをする約束だよなあ」

 黙って座っていればそれなりの顔を、いまは鬼の形相にしていた。たしかに科学部経由で図書委員会の自主製作映画を手伝うことになってはいたが、こんなに怒られるほど深入りはしていないはずだった。

「や、あの…」

 とりあえず言い訳を数パターン頭の中へ用意している時間で、由美子の右腕が伸びてきた。

 ガシッ。

「あれぇ~、おやめになって~」

 掴まれたのは優の隣に立っていた天文部部員であった。まるで時代劇の町娘が上げるような悲鳴を裏声で再現した。

「?」

「いや、だって。まだそんなにやること無いでしょ?」

 由美子に連れて行かれまいと踏ん張った天文部員が慌てたように言った。

「おまえは、同じ一組の図書委員なんだから、サボられるだけで色々と問題があンだよ」

 ギロリと睨みつけられた少年は、首を竦めて見せた。その横顔でやっと優は彼に見覚えがあった理由を思い出した。

(ああ、藤原さんと同じ一年一組で図書委員の…)

 その後に名前が出てこないのは、彼の印象が薄いせいであった。

(おや?)

 左胸に違和感を覚えポケットの上から手を当ててみた。

「ほら! いくぞ」

 由美子はグイグイと彼を引っ張って歩き出した。それからついでのように優へと振り返り、捨て台詞のように言った。

「ソウダも手伝って貰うから、遊んでンじゃないわよ!」

「それでは、達者でなあ」

 あっけに取られている天文部員たちへ、彼はのんびり手を振った。

「無事、成仏するんだよ」

 二人して合掌して見送るあたり、仲のよい証拠であろう。

 そして優は…。

「ぬふっ」

「?」

「ぬふふふふふ」

 突然、変な含み笑いを始めた優を、天文部の二人が気持ち悪そうに見た。

「え、えーと?」

 含み笑いの意味が分からず腰の引けた声で話しかけて来る天文部員へ双眼鏡を返した後、優は胸ポケットに指をかけて覗いてみた。

 そこに収められていた結晶体が、たったいま光を失うところであった。




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