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十月の出来事B面  作者: 池田 和美
4/11

十月の出来事B面・④



 遠慮がちなノックの音に続いて、若い看護師が申し訳なさそうに病室へと入ってきた。

 ここは東京都下にある公立病院である。地域の中核病院と位置付けられ、職員も設備も一流どころが揃えられていた。

「おう、暇しとるから、入っておいで」

 ベッドに上半身を起こした状態で座っているのは、検査の名目でこの個室に入った入院患者であった。

 入院着の上から豪華なガウンを羽織っており、髪が残っていない頭と長い白髭で仙人に見える老人だ。

「面会の方です」

 どうやら看護師は、検温などの医療行為のために入室したわけでは無いようだ。入院患者へ見舞い客が来るのは当然として、その案内役を看護師がやるのは異常と言えるかもしれない。

 だが、この個室の中を見ればそれも納得である。さすがにベッドは病院内で規格統一された物を使用しているが、内装からしてまず違った。

 どこかのオフィスフロアか、ロビーのような木調に整えた内装に、観葉植物まで置いてある。さらに床面積が六人で使う部屋と同じぐらい広いのだ。

 壁には暇をつぶせるように大きなプロジェクターまで用意されており、いまもケーブルテレビのニュース番組が流しっぱなしになっていた。

 さすがに病院であるから視聴にはイヤホン等が必要となっているが、老人はそういった物を身に着けていなかった。

 いくら公立とはいえ内部で働いているのは人間である。そして、ここに入るような患者は、そういった者たちへ「心づけ」を忘れるような者ではないので、特別扱いなのだ。

「お邪魔いたします」

 看護師に案内されて入って来たのは、サラリーマン風の男だった。ただしスーツの上からも分かるほどガリガリに痩せていた。室内に入ったことで脱いだソフト帽の下から現れた顔は、頬骨が浮き出て薄黒く変色していた。見る者が見たら不吉な知らせを運ぶオカルトな存在と誤解しそうであった。

 痩せているせいか赤黒い瞳はギラギラと睨みつけているような印象を持っていた。白髪が少々混じった髪は、きっちりと分けていた。少々違う色彩が混じっているが、瞳と髪の色は平均的な日本人の物に近いようだ。

「おお、キミか」

 だが、この老人には逆の存在であったようだ。彼を一目見るなり体にかけていた毛布を跳ね除け、これまた病院の備品にはありえない柔らかそうなスリッパへ足を通した。

「ごくろうだったね」

 案内してくれた看護師に、当たり前のように小さなご祝儀袋を渡し、男をまだニュース映像が流れているプロジェクターの前へと(いざな)った。見舞客は入り口脇にある帽子掛けへソフト帽をかけた。

「ありがとうございます」

 両手でご祝儀袋を受け取った看護師は、ペコリと分かりやすいお辞儀をしてから退出した。

 プロジェクターの前には、これまた豪華で座り心地がよさそうなソファセットが備え付けてあった。

「ミオは…」

 室内を見回すが、他に人はいなかった。

「買い物か?」

 客と二人きりであることを確認した老人は、自ら歩いてこれまた病室には似合わない冷蔵庫から飲み物を取り出した。

「すまんな。家の者がおらんと、勝手がわからぬもので」

 老人は冷蔵庫から取り出したペットボトルを、ソファセットに囲まれたテーブルに並べると、当たり前のように上座へと腰を下ろした。

「いえいえ、お気になさらずに。これはお見舞いの品です」

 男は小脇に抱えて来た紙袋から菓子箱を取り出して、ペットボトルを避けてテーブルの上に差し出した。

「おお『亀十』か」

 包みを見ただけで老人の目が輝いた。彼はどこぞの未来から来た青いタヌキと同じでドラヤキが好きなのだ。

 だが、まるで上昇気流を捉えきれなかったグライダーのように、次の瞬間には表情が意気消沈した。

「残念だ。明日に血液検査が控えておって、お茶以外口にできないのだ」

「おお、それは気が利かなくて申し訳ありませんでした。では検査の後にでもご賞味ください」

「うむ、そうしよう」

 片手で受け取った老人は、それを脇にやっただけで、代わりにペットボトルのキャップを開けた。

 老人が唇を湿らせるまで男は待った。

「昨日は申し訳ありませんでした。せっかく東京事務所にお越しいただいたのに席を空けてしまっていて」

「いいや構いやせん。こちらも思い付きのように立ち寄っただけだからの」

 大きな手を横に振って笑顔のようなものを浮かべる老人。

「で? うちの事務員に言づけた、会って話したい事とは?」

「もちろん仕事の話しに決まっておろう」

 ペットボトルをテーブルに戻した老人は、指を組むと少し身を乗り出した。

「ある『物品』の『運搬』を頼みたい」

「ほほう『運搬』と来ましたか。たしかに我が社は海運を営んでおります。もちろん『運搬』は得意分野でございます」

 ニヤリと意味深に顔を歪めた見舞客も、少し身を乗り出した。

「それだけでなく『梱包』も頼みたいと思っている」

「ほほう」

 見舞客は何度も頷くと、ソファの感触を楽しむ様に少し仰け反った。

「となると別途料金が発生しますが?」

「もちろん資金は十分に用意する。そちらで頼まれてくれるか?」

 鋭い視線になった老人に問われ、男は何かを探すように室内を見回した。

「貴方ほどの方でしたら我々に相談なさらずとも、いくらでも『物品』の『梱包』や『運搬』をなさる方が、お近くにいらっしゃるでしょうに」

「今回はそういう事なのだ」

 疑うようにまだ周囲を見ていた男は、強い老人の声に顔を戻した。真面目な顔をしている話し相手の顔をマジマジと見た。

 二人はしばらく間、我慢大会のように視線を交差させた。やがて男の方が折れた。

「よろしいでしょう。こちらも商売ですから、色々な注文がつく仕事には慣れております。ただ余分な仕事は極力避けたいと思います。故に都内でそういった活動(サービス)は致しておりませんが、そこのところはご理解していらっしゃいますでしょうか?」

「もちろんだ」

 ソファの背もたれに上半身を預けて老人は言った。

「ワシの口が利く場所で、気持ちよく働いてもらおうと思っておる」

「それはいいニュースです。我が社の社員も張り切って働く事でしょう」

 男の顔下半分がVの字形に歪んだ。いや、これが男の笑顔のようだ。

「取り敢えず前金としてコレだけは用意した」

 老人は指を三本立てた。

「必要経費は別途請求、ただし成功報酬と一緒にだ」

「成功報酬はいかほどで?」

「前金とは別にこうだ」

 老人はジャンケンでもしているような勢いで、右手の指を開いて見せた。

「了解しました。いつから仕事にかかればよろしいのでしょうか?」

「ああ、それだがな」

 老人はいまだにニュースを流しているプロジェクター脇の壁面へ顔を向けた。老眼のためか顔を渋くさせて、画像に被らない位置へ貼り付けてあるカレンダーを確認した。

「三連休があるな。そこら辺がちょうどいいのだ」

「これまた急ぎですなあ」

 男は目を丸くしてみせた。

「ですが請け負うと申した手前、完璧な仕事を期しましょう。『物品』の情報などを、わたくしどもの方へお願いいたします」

「もちろんだ」

 老人は商売において情報が何よりも重要だという事を何度も経験してきた。今回の仕事でも、この基本は違えるつもりは無かった。



「はああ」

 由美子は深い溜息をついた。放課後の事だった。

「王子、王子」

 後ろからやって来た恵美子が、とても心配そうに訊ねた。

「そんなに、ふか~い溜息をついて、マリッジブルー? おねえさんが相談に乗るよ」

「まりっじ?…」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった由美子は、半分だけ振り返って彼女を視界に入れて、相手を眩しそうに何回も目を瞬かせた。

「コジロー、服着ろよ」

「王子、言葉遣い悪いよ」

 恵美子に指摘されて首を竦めてから言い直した。

「コジロー、とりあえず服」

 さすがに放課後の学園で恵美子が全裸になっているわけが無かった。

 スタイルの良い恵美子のラインを見ている由美子の方が恥ずかしくなり、顔をそむけてしまった。

「あら、なにか変だった?」

 恵美子は自分の姿を見おろした。ベージュ色のブラと、お揃いのパンツ。以上。もちろんかわいいオヘソと、鍛えられた腹筋は晒された状態だ。クラウンブレイドと凝った髪型を朝はしていたが、今は全部解いて素直に背中へと流していた。

 もちろん教室ではない。ここはC棟一階の被服室だ。いま窓という窓にカーテンを引いた被服室には、大時代的な衣装が山盛りに散らかされていた。

「はやく服着ろ」

 由美子の語彙がそれしかなくなってしまったかの反応に対して、恵美子は面白そうに噴きだした。

「はいはい」

 なにも恵美子だって好んでこんな痴態を晒しているわけでは無かった。

「こんな感じでいいかしら?」

 横から度の強い眼鏡をかけた女子が、恵美子のきめ細やかな肌へ、ハンガーに通したままの服を二枚重ねてあてがった。白い飾り襟付きのブラウスと、銀色の糸で百合の花が刺繍された黒いチョッキという組み合わせである。

 彼女は被服部一年の新井(あらい)尚美(なおみ)である。被服部は明実のツテで、今回の自主製作映画に服装の面で全面協力してくれることになっていた。この衣装の山も、被服部がどこかに保管していた先輩たちの遺産であった。

「どお?」

 肌着にあてがった白黒の衣装といった状態で恵美子は体を反らせてポーズを取った。

「あ~、似合ってる似合ってる」

「本当に見てる?」

 由美子の適当な反応に、恵美子は口を尖らせた。

「実際に着ないと、それ以上は分からないよ」

「じゃあ…」

 さっそく袖を通そうと、恵美子はハンガーから服を外した。チョッキを手近の机に置き、まずブラウスへ袖を通した。

 そのままチョッキを手に取る恵美子を、尚美がとめた。

「ちょっと待って。たぶん佐々木さんのサイズだと、入らないと思うよ」

「そお?」

 黒い衣装と自分の体を見比べ、恵美子は首を捻った。

「たぶんマチがBサイズぐらいだから、無理だって」

「直せます?」

 目測でサイズをチェックしている尚美に、心配そうに由美子は訊ねた。ひとつ頷いた尚美は、安請け合いのようにこたえた。

「たぶん。ここの縫い合わせが余分に残してあるから、いったん解いてミシンかけなおせば」

「時間かかります?」

「そんなにかからないと思う」

 さっそく尚美は、裁縫道具からリッパーを取り出してチョッキを下から解きにかかった。

「そっちはどお?」

「なんだってさあ」

 由美子が別の角度へ振り向くと、そこには恵美子と同じようにあられもない姿の美少女が二人立っていた。教室から逃げ遅れて由美子に捕まったヒカルとアキラである。

 情熱の赤色で上下を揃えたヒカルは、見事にくびれている腰へ手を当てて、いかにも不機嫌そうに言った。

「なんだって、あたしたちもこんな格好をしなきゃならないんだ?」

 下着姿なのに堂々としているヒカルの横で、水色の下着姿のアキラもカクカクと頷いていた。さすがにアキラは二人ほど豪胆では無いようで、脱いだブラウスを名残惜しそうに抱きしめて、少しでも肌色が露出しないように努力していた。顔も真っ赤である。

「あらあ? だって協力してくれるんでしょ?」

 由美子は、なにを当たり前のことを言うのだろうといった感じで言い返した。

「協力するのはアキザネの科学部じゃないのか?」

「え? 二人も科学部じゃないの?」

 由美子の質問に、ヒカルとアキラは顔を見合わせた。

「どうだろ?」

「たしかに入部届を出した記憶が無い」

 うんと同時に頷くと、二人揃って由美子の方を向きなおした。

「あたしらと、あんな変態(アキザネ)を一緒にするな」

「えー、だって学園(ガッコ)ン中では、二人は御門の手下…、秘書だってことになってるわよ」

 由美子の断言に、ヒカルは頭を抱え、アキラが力の無い笑顔を作った。

「まあ、いつも一緒にいるけどな」

 この春、明実が衰退の激しい文化会系の弱小部を統合して設立した科学部は、うまく機能していた。部活ごとに必要な材料などを購入するのではなく、横の繋がりを強くして複数の部活で一括購入して、お安く調達するなど予算の効率的な運用を行っていた。

 人手も、発表会などの場合、専門的な部分は部員がやるとして、誰がやってもいいような交通整理や入場案内、そして荷物持ちなどを他の部活の暇人を動員する体制を整えた。それにより文化会系のイベントが成功する確率は上がり、ひいては学園側からの文化会系全体の評価も上がっていた。

 こうした努力により文化会系部活は、全国大会に顔を出すほどの部活が揃った体育会系部活と、やっと対抗できるようになったと言っても過言ではないだろう。去年まで毎回紛糾し、予算を惨めな額しか確保できなかった文化会系は息を吹き返した。

 今では、名前は科学部ということになってはいたが、部活同士の互助会と言った態を成していた。

 その科学部は化学実験室の隣にある小部屋を本拠地としており、用事があるものは気安く顔を出せるようになっていた。そして、その科学部の事務局とも言える部屋に行くと、必ずと言っていいほど、明実と一緒にいるヒカルとアキラにも会えるのであった。

 科学部の責任者は、創設者である明実自身が総帥の肩書で就いていた。

「いちおう言っておくが、アレとは幼馴染なだけだから」

 アキラが一切の誤解を与えないように断言した。

「そうよね」

 下着の上にブラウスのみといった半裸仲間の恵美子が満面の笑みを浮かべた。

「アキラちゃんの相手は御門くんじゃなくて、ヒカルちゃんだもんね」

「なっ!」

「違うから!」

 慌てて否定する二人だが、揃ってあれだけ赤面してしまうと認めているようなものだ。

「先に、こっちを試していてくれる?」

 尚美が黒い女性用ロングパンツを恵美子に差し出した。

「ベルトは?」

 キョロキョロと服が積み上げられた机を見回す恵美子。ヒカルは、様々な服だけでなく、アクセサリーも混ざって積み上げられている机の上を顎で指して言った。

「ガンベルトを巻くから、サスペンダーで吊るんだよ」

「あ、そうか」

 ブラウスの袖に腕を通しながら恵美子はニッコリ笑った。

「ヒカルちゃん物知りぃ」

「常識だろ?」

「そお?」

 キョトンと小首を傾げた恵美子は、アキラへ視線を移した。アキラは乳房の形まで黄金律に支配されているような恵美子の半裸を見て居られないのか、自身のスタイルを少しでも隠すためなのか、曲げた背中をこちらへ向けていた。

「わ、わかんない!」

 話を振られたアキラは、赤面したままの顔で悲鳴のような声を上げた。

「はやくオレの服決めてくれよ」

「はい、コレ」

 リクエストされるのを待っていたかのように、尚美が服の山からドロワーズやシュミーズを抜き出し、アキラへ押し付けた。

「上は適当に選んでみて」

「コルセットは巻くのか?」

 自身は尚美に選んでもらう前に真っ白なシュミーズを選んで頭からかぶり始めていたヒカルが訊ねた。

「今日はソコまでやらなくてもいいでしょ」

 窓際に並んだミシンの前に座りながら尚美は背中で言い返した。

「ああ。今日は衣装合わせとポスターの撮影だけだかんな」

 由美子が尚美の説明を受け取って補足した。

 図書委員会の自主製作映画は『清隆祭』まで残された日数が少ないという事で、効率最優先で進められていた。企画だって教室で呟いたアキラの案が通ってしまったほどだから、あとは『常連組』たちの貢献(ノリ)と、由美子の力業(どりょく)で進められている。脚本は企画が決まった翌日の放課後には生徒会へ検閲のために提出されたし、許可が出る前に見切り発車ながらこうして衣装を探して被服部に厄介になっているほどだ。

 普段から科学部の協力が効いているのか、突然降って来た西部劇の衣装探しという大仕事にも、被服部部長は嫌な顔をせずに「一年にして我が部のエース」(部長氏談)の尚美を貸し出してくれた。

「しっかし、よくこんなに都合よく服があったな」

 適当なプレーリースカートを被りながらヒカルが呆れたように言った。

「まあね」

 ダーッとミシンをかけながら尚美は背中でこたえた。

「なんでも五年ほど前に、映研と合同で西部劇をやろうとしたみたいよ。その時の残りみたい」

「へえ」

 隣のアキラが着るのを苦労しているのが見ていられないのか、ヒカルは手伝ってやりながら感心した声を漏らした。

「本格的だったんだな」

「でも完成しなかったんだって」

「なんでまた?」

 これから同じく自主製作で西部劇の映画を撮ろうとしている由美子にとって、不吉な話しであるようで、彼女の顔が曇った。

「なんでも女ガンマンが、父親の仇を討つっていう話しだったみたいだけど、ブラピだかレオ様だかの映画の丸パクリじゃんってなったらしいよ。それでクランクアップどころか撮影中に映研の中で大ケンカしちゃって。そのせいで撮影が止まって、そのままだったんだって」

「自主製作映画なんだから、パクリだろうが何だろうが完成させればいいと思うがね」

 アキラの額へ、複数あるヘッドドレスを乗せて、ドレが似合うか選びながらヒカルは言った。

「大事なのは、自分たちでも映画が作れたという経験だ。シナリオが悪かったら、次はいい台本で作ればいいだけだ。今回の台本も読んだが、こっちだってアレとアレのパクリじゃねえか」

「アレとアレ?」

 不安そうに振り返る由美子に、難しい顔をしたヒカルが、自分の両コメカミに人差し指を当てて考え込んだ。

「ほら三船敏郎が出たアレと、イーストウッドのアレだよ。ええと、題名はなんだったかなあ」

「やだヒカルちゃん、もう物忘れ? お母さんみたい」

 ブラウスにロングパンツを身に着けた恵美子が笑った。ロングパンツを吊っているサスペンダーがだいぶ外回りに曲線を描いているのは、彼女の局部的な身体的特徴のせいだから仕方のない事なのだろう。

「ここまで出てんだけどなあ」

 と、ヒカルは自分の体に手を当てた。それを見てミシンをかけている尚美以外が吹き出した。

「それ、ドッチから出て来るの?」

 ヒカルの体に当てられた手の高さはヘソの位置であった。

「上から出るならいいけど、下からは出さないでよね」

 恵美子がコロコロ笑いながら言った。

「出すかよ」

 さすがに頬を赤くしたヒカルが、恵美子へ怒鳴りつけるように言い返した。

「あ、コレもとっとこ」

 二人の掛け合いの間も服の山を探っていた由美子が、茶色い服を引き摺りだした。

「インディアン?」

 アキラが確認するように訊くと、ヒカルがすかさず注意した。

「それ差別的だっていうんでダメだぜ。いまはネイティブ・アメリカンって言わないと」

「あ、そうか」

 口に手を当てるアキラを置いておいて、恵美子が小首を傾げた。

「ダレの分?」

「ハナちゃん」

 頭につける鳥の羽根飾りから、同系色のズボン、粗末なベルトなど一揃えを空いている机の上に並べながら由美子は言った。

「絶対に『サムライ』と一緒にいる『少女』の役をやってもらうから」

 ハナちゃんというのは、図書委員会副委員長の(おか)花子(はなこ)のことである。華道を嗜む彼女は、この部屋にいる少女たちとはまた違った魅力にあふれた女の子であった。

 そして図書委員会の『清隆祭』への参加内容を話し合う会合で「展示」を推していた由美子に唯一逆らった人物でもある。

 いつも由美子の右腕として活躍してくれる彼女に、もちろん含むところは無いのだが「展示」に反対した責任を取って貰おうと考えていた。

 現在花子は、委員長である由美子が衣装合わせで被服室にいるので、図書室の運営(るすばん)を任されていた。

「本人がいない内に決めるってのは…」

 ヒカルがちょっと不快そうに眉を顰めた。

「いいのいいの。セリフはそんなに無い役だから」

「え、でも出番は多いよね?」

 由美子に注意するように恵美子が口を挟んだ。

「ただ黙って立っているだけじゃない。協力してもらいましょ」

 自分の考えが気に入ったのか、由美子は嬉々としてネイティブ・アメリカンの少女が着ていそうな一揃えをまとめた。

「おーい、もういいか?」

 被服室の扉が外から叩かれた。

「ちょっと待って」

 いちおう乙女たちが着替えに使っていたのだから、問題が無いか由美子は室内を見回した。尚美のミシンがけが終わり女ガンマンといった衣装になった恵美子に、プレーリースカートで揃えたヒカルとアキラ。由美子と尚美は制服姿のままで元々着替える予定はなかったのだから問題は無いであろう。

「いいぞ」

 由美子が声をかけると、さっそく扉が開いて男どもがゾロゾロと入って来た。高校生女子の中で平均的な身長の由美子が見上げるような大男だらけである。

 この頭脳労働よりも肉体労働の方が似合うような連中が、由美子が毎日の頭痛のタネとなっている『常連組』なのであった。

 幅だけは、ひょろい電信柱のような奴から、まるで相撲取りのような恰幅の良い者まで千差万別である。

 十人に足りないほどの人数の彼らは、すでに西部のガンマンといった服装になっていた。

 着替えの速い男どもは先に適当な衣装を持たせて、D棟一階にある体育授業で使う更衣室へ行かせていたのだ。

 茶色だったり紺色だったりするエキストラ役に混じって、腰に大小を佩いた侍が混ざっていた。

 袖からではなく懐からニョキっと腕を出して、顎にチョボチョボある不精髭を搔いていたりして、中々様になっていた。

「お、主人公っぽいな」

 由美子は機嫌よく侍に近づいた。

「藤原さんの命令で仕方なくとはいえ…」

 泰然とした侍はちょっと不機嫌そうだった。

「剣を見世物にするのは、俺の主義に反する」

「実際の撃剣興行を求めているわけじゃないから」

 機嫌のよい声のまま、由美子は侍へ話しかけた。

「それに不破よ。ンな格好が似あうヤツ、他にいるか?」

 不破と呼ばれた侍は、室内を見回した。そして力の無い溜息をついた。

 彼は不破(ふわ)空楽(うつら)といって、もちろん『常連組』の一人だった。清隆学園高等部において誰よりも読書と睡眠、そしてアルコールを愛する男として認識されている生徒であった。(未成年の飲酒はいけません!)

 自主製作映画の主人公が侍と決まった時に、真っ先に由美子が思いついたキャスティングであった。本人はとても嫌がったが、そこは由美子の「剛腕」を物に言わせて承諾させたのだ。ちなみに彼の後頭部には出来立てのタンコブがあるのは言うまでもない。

「よく、そんな衣装もあったわね~」

 尚美から渡された黒いテンガロンハットを斜に頭へ乗せ、恵美子がポーズを取りつつ訊いた。

「あ、それ格ゲー(サムスピ)用のコスプレだから」

 まだ気に入らないところがあるのか、恵美子の着た状態で、チョッキとお揃いの上着を弄っていた尚美がこたえた。

「さむすぴ?」

 そういう事に疎そうな恵美子とヒカルが顔を見合わせた。

「自キャラがサムライで、剣で戦う格闘ゲームがあるんだ」

 意外にもアキラが口を開いた。

「たしかずーっとシリーズが続いていて、無印、真、紅、天草、ポリサムと来て、アスラ、零、剣、閃、で令和版に至ると」

「へえ」

 クラスメイトの意外な博識に由美子から感心した声が漏れた。

「二つぐらい抜けてない?」

 アキラが上げた略称を聞いていた尚美が小首を傾げた。

「そお?」

 指を折って数え直したアキラも仲良く首を傾げた。

「ま、なんだっていいや」

 細かい事は気にしないとばかりに、機嫌が良くなった由美子は笑顔を振りまいた。

「とにかく、これで写真撮れば行けるンだろ? ポスター」

 自身も地味なガンマンといった姿になっていた明実へ、由美子は顔を向けた。

「うん、まあ」

 どこから借りて来たか分からないが、コルト・シングル・アクション・アーミーがホルスターに入ったガンベルトを、恵美子へ二つ差し出しながら、明実は頷いた。

 もちろん実銃(ほんもの)ではない。その証拠に銃口にはインサートと呼ばれる銃弾を発射できないように入れられる金具が見えた。

「カメラの方も、映研は自分のトコの撮影が終わって今は編集段階だから、もう使わないと貸してくれることになった。同じくレフ板などの照明関係も借りだす約束を取り付けて来た」

「わあ、テッポーだあ」

 明実からガンベルトを受け取った恵美子は、さっそく腰に巻いてみた。腰骨に対してちょっと斜めに巻いたのは、格好つけだけでなく男性と女性の骨格の違いもあるようだ。

「どお?」

 左右に巻いたガンベルトの内、右の銃を抜くと、テンガロンハットの縁を銃口でクイッと押し上げて見せた。

「おっ、カックイー」

 男子どもが喝采を浴びせた。

「ふっ」

 自分でシニカルと思っている笑みで片頬を歪めると、トリガーガードに指を入れようとして失敗し、お手玉をしてからホルスターへと戻した。ちょっと格好悪かった。

「貸してみ」

 ヒカルが横から手を出して、恵美子の左のホルスターから銃を抜いた。

「こうやるんだよ」

 ヒカルの指先でクルクルと見事に銃が回転して見せる。それだけでなく縦回転やら逆回転、斜めに回した後、まるで投げ入れるようにホルスターへ銃を戻した。

「ひゅー」

 鳴らない口笛を吹いた恵美子は、ヒカルのガンスピンを見て丸くしたままの目で言った。

「私と手だけ交換しない?」

「…。そんなことできないだろ」

 なぜかアキラと視線を交わしてからヒカルは苦笑した。

「さ、校庭に行くわよ」

 パンパンと大きく音が出るように手を叩きながら由美子はみんなを急かした。

「写真は校庭で撮るから。ンなんでしょ?」

 言ってから確認のために明実を見ると、彼は大きく頷いた。

「いちおう写真部の田中先輩が撮ってくれるみたいだけど?」

「田中先輩…、補習終わったの?」

 あまりにギリギリで卒業を迎えたため、秋だというのにいまだ補習中という写真部の伝説的な元部長の名前に、一同が不安な顔になった。

「ま、あの人はもうガッコに来るのがライフワークになっているみたいだから」

 まるで相撲取りのような少年が言うと、みんなが弱々しい笑いを浮かべた。

「いちおう言っておくが、おまえら単位落としても、映画のせいにすンなよ」

「へいへい」

 腰に手を当てて胸を張って宣言する由美子に『常連組』はやる気のない返事をした。

「それじゃあ写真撮影に行きましょ」



 清隆学園付属教会に、優が入っていった。

「こんにちはラモニエルさま」

 礼拝所の脇にある小部屋に入るなり、いつもの挨拶をした。

「何か変わったことはありましたか」

「こんにちは、マサルく…、どうした?」

 ラモニエルは入って来た優を見て目を丸くした。

「ああ、これですか?」

 自分が着ている黒い衣装の端を摘まむと、優は無力感に苛まれている微笑みを浮かべた。

「映画の衣装ですよ」

 自身も図書室に出入りしているため由美子に『常連組』として認識されている優も、図書委員会の自主製作映画へ端役として出演するように言い渡されていた。

 せめて自分のパーソナルカラーである黒色の衣装をと選んだが、メインの配役である「悪役」も衣装を黒で行こうとしていた由美子の反感を買った。

 ここで揉めるようなら、そもそも気乗りしない映画製作自体から距離を置こうと考えていた優であったが、被服部のエースである尚美が解決策を示したのだ。

 その解決策とは「西部劇のその他大勢が黒や茶の服装をしていることは多い。だから左右田くんが黒の衣装を選ぶのは自然な事だ。『悪役』は際立たせるためには、こっちの銀糸で刺繍が入った衣装にしましょう」といった物だった。

 この提案に由美子は乗り、晴れて優は黒の衣装を着る事が出来るようになったのだ。

 その後に行われた校庭での写真撮影は、写真部の先輩が持ち込んだオート・フォーカス・カメラで一悶着あったが、そのぐらいは『常連組』に混じっていると朝飯前の事だった。

 気を取り直した優は、右手に提げて来た荷物を机の上へと置いた。

「ラモニエルさま。お食事ですよ」

 優は小さな紙パックの牛乳と菓子パンを取り出した。

「ありがとう、そこに置いておいてくれたまえ」

 ラモニエルは嫌な顔をせずに礼を言った。まあ手がすぐに伸びないので、飽きが来ているのは間違いないと思われた。

「キャハ」

「キャハ」

「キャハハ」

 今日もラモニエルの周囲に舞っているキューピットたちが笑い声を交わしていた。

「さて、今日もスフィアの探索と行こう」

 ラミニエルはズボンのポケットから『天使の涙』を取り出した。

「地図ですね」

 もう慣れっこになっていた優は、ディパックからいつもとは違い紙ばさみを取り出した。

 学園から家庭への連絡事項などのプリントの間から、上質な印刷がされ長方形に折り畳まれた物を取り出した。

「この学園の案内です」

 清隆学園は私立の教育機関である。よって受験を希望する生徒がオープンキャンパスなどを利用して見学に来る。その時に、戦争中は軍事基地だったという広い敷地で迷わずに済むように、学園全体を俯瞰したようなイラスト調のキャンパス案内が作られていた。

今までの経験から地図が必要になると悟った優は、下校時にわざわざ生徒昇降口から教職員昇降口へと回り、そこに立ててある頒布物置きの棚から一部引き抜いて来たのだ。

「キャハ?」

「キャハハ」

「キャハ」

 三羽のキューピットは、作図の腕を振るう事が出来ずに残念そうであった。

「ありがとうマサルくん。これで手間が省けたね」

 ニッコリと天使の笑みのような(いや実際に天使なのだが)濁りの無い微笑みで優の気遣いを労ったラモニエルは、さっそく『天使の涙』を広げた学園案内の上に垂らした。

 紙の真ん中に垂らした『天使の涙』がしばらく揺れると、小学生がやる磁石の実験程度の反応で、透明な涙滴型の結晶が引っ張られた。

 その力に逆らわずにラモニエルの手が地図上を移動し、『天使の涙』は大学の理学部が使う建物と建物の間で止まった。

「ここは?」

 実際の建物の配置を知らないラモニエルが優に質問した。一番『天使の涙』の先端が反応しているのは、雑木林を示す緑色に塗りつぶされた区画だった。

「おそらく、この教会を示していると思われます」

 頭の中で、地図では省略されている建物の位置を確認した優は、がっかりした声を出した。やはりラモニエル自身に反応しているようだ。

「よし」

 ラモニエルは『天使の涙』が示した地点を反対の手で覆った。すると反応が無くなったのか『天使の涙』が、またふらふらと揺れ始めた。

 しばらくしてもっと東側へ先端を向けた。

「別の反応もあるみたいだぞ」

 地図の一点を押さえたまま、ラモニエルは『天使の涙』を移動させた。地図の東側には国道二〇号線のバイパスが南北に走っていた。その手前で反応が変わった。

「おや?」

 変わった手ごたえのまま『天使の涙』を移動させると、四つの建物を正方形に組み合わせた校舎の上へと移動した。『天使の涙』はそこでクルクルと回り始めた。

「ここは?」

「ボクが通っている高等部でございます」

「高等部…、あそこか」

 ラモニエルは『天使の涙』を回収すると、納得するように何度も頷いた。

「私が地上に降りた最初の場所もそこであった」

「では、そこにスフィアが落ちていると?」

「そうかもしれない」

「具体的にはドコになりますか?」

 少し斜めから見たようにデフォルメされた高等部校舎のイラストを見おろしながら優は訊ねた。

「一番高い建物であった。そこの屋上だ」

「とするとB棟になりますか?」

 各クラスの教室が並ぶB棟が高等部の中で一番高い建物であった。他は一階建てのA棟とC、D棟は二階建てである。

「では探しに…」

「お待ちください」

 さすがに顔をしかめた優が、席を立ったラモニエルを止めた。

「その格好で行くのですか?」

「ふむ」

 ラミニエルは小学生男子にしか見えない自分の体を見おろした。あれから優はもうワンサイズ大きい古着を買ってきてくれていたが、もうそろそろきつくなってきた頃である。それに足元は靴下どころか靴さえ履いていなかった。

「まずいか?」

「ええ、おそらく」

「ではキューピットたちを…」

「いや、それもまずいのでは?」

 さすがに天上の存在が普通の学校をうろついていたら騒ぎが起きるだろうと、優にはたやすく想像がついた。

「だが彼らは姿を消すことができるぞ。以前もそうやって学内の探索を任せた事がある」

 ラモニエルの言葉を聞いていたキューピットたちが、揃って空中で前転するような仕草をした。二羽の姿が見えなくなり、失敗した一羽が周囲をキョロキョロとして自分が消えていない事を確認すると、恥ずかしそうに頭を掻いた。

「ここはボクに任せてもらえないでしょうか?」

 優は自分の胸に手を当てて言った。

「マサルくんにか…」

 椅子の上で腕と足を組んだラモニエルはしばし考え込んだ。

「よし。任せることにするか」

 ニコッと笑ったラモニエルは『天使の涙』を差し出した。

「これを持って行くがよい人の子よ。スフィアが近くにあれば教えてくれるはずだ」




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