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十月の出来事B面  作者: 池田 和美
3/11

十月の出来事B面・③



 上りの新幹線「のぞみ」は、定刻通りに東京駅へと到着した。

 出張などのビジネススーツ姿のサラリーマンから、里帰りなのか幼い子供の手を引いた妊婦まで、様々な人間が列車から吐き出されるように降りて来た。

 その「のぞみ」のグリーン車から、まるで玉子のように禿げあがった老人がプラットホームと降り立った。

 恰幅の良い体型を高級なスーツで固め、右手には伸縮式の杖を握っている。

 一見、好々爺に見える柔らかな表情をしているが、その目の鋭さだけは誤魔化しきれない。彼が由美子の叔祖父である藤原弘幸であった。

「あいかわらず臭い町じゃのう」

 まるで仙人のような長い髭を生やした顔を顰め、目の前にあるグリーン車専用とも言えるエレベーターに向かって歩き出す。杖以外に荷物はこれといって持っておらず手ぶらであった。

 後から降りて来たビジネススーツで身を固めた妙齢の女性が、老人を追い越してエレベーター呼び出しスイッチを押した。

 ケージには他にも数名のサラリーマン風の男が乗り込んで来た。

 女性を従えた弘幸は、東京駅の八重洲中央南口から構外へと出た。

 ちょうど目の前に豪華なストレッチ・リムジンが停車するところだった。

 まるでスポーツ競技のように、降車してきた運転手(ショーファー)運転助手(アシスタント)が小走りに車体を回り込み、観音開きの後部ドアを両側から手を伸ばして受け入れるように開放した。

 皺一つない制服姿で畏まっている二人の間を、当然という態度で弘幸は通り、外見に増して豪華な車内へと乗り込んでいった。

 三歩遅れてついて来ていた女性が後に続いて乗り込むと、不快な音など一切立てないで、二人は扉を閉めた。

 ショーファーは小走りに車体を回り込み、助手席のドアで待機していたアシスタントとタイミングを揃えて乗り込んだ。

 車内とは完全に壁で区切られており、車内通話機でしか連絡が取れないようになっている。運転席と助手席の間、ルームランプと一体化したスピーカーから女性の声が降って来た。

「病院へ」

 了承の言葉すら発せずに、ショーファーはストレッチ・リムジンを発車させた。もちろん不快なショックなど乗客どころか車体にすら与えなかった。

 Lの字形に配置されたソファに腰を落ち着けた弘幸は、脇に座った女性へ黙って手を差し出した。委細承知とばかりに女性は電源を入れたタブレット端末をその手へ乗せた。

 今回の上京は、弘幸の検査入院が目的となっている。それは表向きの話で、本当は彼が抱えていたグループ企業の株式売却に関する話を煮詰めるために来たのだ。

 何せそれだけでも相当な金額である。いくら電子化されているとはいえ、株式を右から左へと流して、はい終わりというわけにはいかないのだ。

 もちろん、その他にも目的があった。

「ユー坊は元気かのう」

 立ち並ぶ高層ビルという景色を眺めつつ、弘幸は感慨深げにつぶやいた。

 現在、代表取締役社長という肩書でグループ企業を切り盛りしている文孝と、彼は対立する関係にある。そのせいで五月には実の孫のように可愛がっている由美子に要らぬ苦労をかけてしまった。

 彼自身には子供はいなかった。これだけの人物であるから正妻の他に愛人を複数抱えていたが、その誰もが妊娠する事は無かった。

 そろそろ子作りをするにも無理が出て来る年齢になってから検査したのだが、彼には生物として男に問題があったのだ。よって子供を授かることは絶望視された。

 その頃に、反りが合わないとはいえ兄の次男である文孝のところに由美子が生まれた。

 自身が望んでも子供が得られないと知った彼の愛情は、大姪である由美子に向けられた。

 また幼いころから由美子には聡明さがあった。幼児ながら大人顔負けの会話をこなす彼女に、文孝は将来グループ全体を任せたいと思ったのだ。今でもその考えに変更はない。

 だが、こんなところでも文孝とは反りが合わなかった。長男教ではないが、文孝は由美子の弟である幸隆(ゆきたか)に後を継がせるつもりのようだ。

 もちろん同じ藤原家の子だ。幸隆も成績は優秀だし、頭も回し、並みの子供ではない。だが、それだけではダメなのだ。弘幸の目から見て幸隆は、由美子の持つカリスマ性のような物を一切持ち合わせていないのだ。

「お嬢さまは現在高等部において授業中のはずですが」

 言外に呼び出しますかと含みを持った響きを持たせた彼女は、弘幸の秘書である。現役を引退したが、彼の持っている財産は大きな物だ。それを管理ための色々な(わずら)わしさから逃れるために雇っている私設秘書だ。

 もちろん複数の女性を囲っている弘幸にとって、ただの秘書では無いのだが。

「いいだろう。学生の本分は学業にある」

 それには及ばないとばかりに弘幸。

 と、彼が眺めている端末が音を立てた。どうやらどこから着信があったようだ。

 さっと文面を読んだ弘幸は、秘書へ顔を向けた。

「今月のカレンダーはどうなっておる?」

「はあ?」

 自分の端末に今月の曜日カレンダーを表示して弘幸に示すと、彼は長い髭の生えた自分の顎を握りしめた。

 そのまま掴んだ顎を左右に動かして、カレンダーを見つめる。これは彼が考え事をしている時の癖である。

 週末に赤い文字、青い文字、そしてまた赤い文字と並んでいた。

「たしか日光にある『西部劇ビレッジ』の管理は、アメリカのディストレス投資会社が握っておったな」

「はあ」

 知能が高い者らしく話しが飛ぶことは珍しくない。秘書も相槌を打つのには慣れたものだ。

「よし、こちらから地権者へ話を通しておくか」

 決断した弘幸は、返信を軽快に端末へ打ち込むと、目だけを秘書へと向けた。

「この後のワシの予定は?」

「変更が無ければ予約された病院ですが? 先に上京なされたミオさまが、手続きを済ませていると思われます」

「うむ、ちょっと予定を変更しよう。ワルシャート&ブレイド海運の日本支社にアポを取りつけてくれ」

「はい、わかりました」

 急な予定変更も慣れたものである。それが意味する事がどういう事なのかも説明が無いのは、ワンマン体質である弘幸の横に居れば、これまたいつもの事である。

「そうか、東京を出るか」

 満足そうに弘幸は車窓に視線を戻した。



「はああ」

 放課後の一年一組の教室で、由美子は深い溜息をついた。

「王子、王子」

 後ろからやって来た恵美子が、とても心配そうに訊ねた。

「そんなに、ふか~い溜息をついて、男の悩み? おねえさんが相談に乗るよ」

「バカ。ンなんじゃねえよ」

 半分振り返って彼女を視界に入れた由美子が、まだ溜息をつき足りなそうな顔で言った。

「見りゃわかンだろ、コジロー」

「王子、言葉遣い悪いよ」

 恵美子に指摘されて首を竦めてから言い直した。

「わかるでしょ、コジロー」

「まさか王子…」

 全てを理解している顔で恵美子は、口元へ八重歯を覗かせて微笑んだ。

「男はすべて自分のドレイとか思ってる?」

「コジロー!」

 極端な恵美子の意見に由美子は怒った顔をした。

「だって、そろそろマカゴくんの顔色、ヤバイよ」

「へ?」

 指摘されて小脇に抱え(ヘッドロックし)た物を見た。人間の生首である。いやさすがに「剛腕」で学園内に勇名が轟いている由美子でも、生きている人間から()ぎ取ったのではない。ちゃんと首には体がついていた。

 半袖のワイシャツにネクタイ、夏用ズボンという清隆学園高等部の夏用制服に包まれた体は、とても平均的な身体づきをしていた。顔の造形も、現在の蒼を通り越して白くなっている顔色を別にして、すれ違った十秒後には忘れてしまいそうな特徴のない平均的な顔をしていた。

 彼が一年一組の男子図書委員である真鹿児(まかご)孝之(たかゆき)であった。

 いつも委員会へ連れていこうとして逃げられているのだが、今日は確保に成功して、こうして脇に抱え込んでいたのだ。

「あ、死んだかな?」

 由美子が解放しても、立つ力すら失われていて、そのまま孝之は床とお友達になった。

「あらあら」

 上から見おろした恵美子は、何でもないように言った。

「人工呼吸が必要じゃない? もちマウス・ツー・マウスで」

「ば、バカ」

 真っ赤になった由美子は、照れ隠しなのかへたっている孝之の脇腹を蹴り上げた。

「だらしないぞ! しっかりしろ」

「しっかりって…」

 ケホケホと空咳なんかしながら孝之はようやく復活した。

「窒息して死ぬかと思った」

 身長すら平均的な孝之が立ち上がると、さすがに由美子よりは上だが、スポーツをやっている恵美子とはそう変わらない高さとなる。

「今日は逃げ遅れるなんて、珍しいね」

 恵美子の素直な感想に、首の辺りを撫でていた孝之は、力の入らない声でこたえた。

「だって、今日は…」

「お、ちゃんと残っていてエライエライ」

 教室の扉が開くと、教師が二人入って来た。別に不思議な事ではない、二人はこの一年一組の担任と副担任なのだ。

「あ、二者面談ね」

「その様子だと、佐々木さんは忘れていたみたいね」

 背の高い美人である副担任の松山(まつやま)マーガレット先生が微笑んだ。名前から分かるように松山先生も純粋な日本人ではない。しかも明実のように、ただ単純に日本人と他の人種の混血というわけではなくて、両親がすでにクォーターで、祖先をたどると八ヶ国に及ぶことになるような複雑な混血具合であるようだ。

 正確な血筋の話しを聞いたことはないが、松山先生を初めて見て日本人と指摘できる人はいないだろうと思われた。結構大きな会社で社長になっている父親に連れられて、様々な場所で色んなタイプの人間に会って来た由美子の目にも、正体不明な女性と映るのだった。

 恵美子すら届かないモデルのような長身なのに、亜麻色の髪は長すぎて先端が床に届きそうになる程である。あの髪がすべて染めてあるのだとしたら、その手間は考えたくもないほどの労力が必要になると思われた。瞳は宝石みたいな碧い色で、あまりの綺麗さに中で青い炎が揺らめいているように見えるほどである。

 教師なのだが妖艶なという形容詞がとても似合う女性だ。気のせいなどではなく、松山先生と一緒にいる時は、独身どころか既婚の男性教師さえ鼻の下をのばしていた。

「あはは」

 渇いた笑いで誤魔化した恵美子は、今日は結んでいない髪を搔きながら言った。

「ぜんぜん忘れてませんよ、二者面談」

 清隆学園高等部はいちおう進学校ということになっていた。エスカレーター式に上がれる清隆大学へ進む者が多いが、都内の有名大学を受験する者も多い。よって一年生の段階から教師と生徒は面談を重ね、自分の進路に対して確固たる自覚を持つように指導されるようになっていた。

 今期生も一年生の段階から、二学期に入って進路希望を提出させられ、それをもとに教師との二者面談が始められていた。

「いいわよねコジローは」

 由美子が羨ましそうに呟いた。恵美子の家は剣道の道場を開いており、彼女の腕前は幼いころから家族に鍛えられて得た物だった。もちろん恵美子には将来的に道場を継ぐことを求められていた。偏差値の高めな清隆学園高等部に入学できたのも、スポーツ特待生制度を利用してであった。この先の進路も、剣道の強豪であるどこかの大学であろうことは想像に難くなく、おそらくそれは清隆大学ということになるだろう。彼女に求められているのは学力よりも剣の腕前なのだ。そしてそれは、どこかの時点において日本一の称号、すなわち全国大会で優勝しなければならないという、別のプレッシャーがあるはずだ。

 そんなことを微塵に感じさせずに、今の恵美子は先生へ愛想笑いしていた。

 対して由美子の希望針路は、もちろん将来を見据えての進学である。だが由美子の希望する未来に口を挟む者も結構いた。父親が社長をしているグループ企業に入って、後を継いでほしいという物だ。そのためには大学の経済学部などで経営学を学ばなければならなくなる。それは由美子が希望している進路とは全く毛色が違うものだった。

 まあ彼女の場合は、父親が進路に理解を示しており、また今は中学生の弟が父親の跡を継ぐことに抵抗がないようなので、あまり悩み自体は大きくなかったのだが。

「はい」

 パンパンと手を叩いて場の空気を引き締めた松山先生は、教室に残っている生徒へ告げた。

「女子は隣の空き教室で二者面談をしますから、そちらへ。では先生」

 担任へ会釈すると、松山先生は先に立って歩き出した。ピンク色のブラウスに合う黒のタイトでミニなスカートである。形のいいヒップに貼りついているスカートに、無粋な下着の線は見られなかった。

 教室に残っていた男のほとんどがその形の良い尻に目を奪われていた。

 クラス一つ分の二者面談が一日で終わるはずもない。幸い一組は担任が男で、副担任が女であった。よって男子はいつもの教室で担任が、女子は隣の空き教室で副担任が二者面談を行うことにして効率化を図っていた。

 それだって由美子のように委員会の仕事を抱えている者や、恵美子のようにクラブの方が大事な者が居るために、一度で片付けるほど時間に余裕があるわけではない。二者面談は一日ごと班単位で行うことになっていた。

 通学バックやら余分な荷物を抱えた由美子と、荷物は廊下のロッカーに入れてあるのか手ぶらな恵美子、そして荷物と言えば通学バッグだけのヒカルとアキラが松山先生について廊下へと出た。

 隣の空き教室は、日本で少子化が問題になる前、生徒が多かった頃の名残だ。今でも机や椅子なども残されているので、学力に応じて分散授業するときなどに使用されていた。

「誰からにする?」

 松山先生の問いに四人は顔を見合わせた。

 名簿順ならば苗字が「か行」のアキラが最初のはずである。しかし委員会の仕事が立て込んでいる由美子や、部活が待っている恵美子を先にした方が合理的であるはずだ。

「んじゃあ、あたしから」

 意外にもヒカルが手を挙げた。

「あら、新命さんから? そうね、そうしますか。他の()は廊下で待っていてね」

 それぞれに椅子を持ち出すように指示し、松山先生はヒカルと教室に残った。

「ヒカル…」

 アキラが心細そうに扉が閉まるまでヒカルの顔を見ていた。

「なんだよ、その顔は。これから決闘が始まるわけでもねえし、安心して待ってろ」

 柄付きキャンディを咥えたヒカルは、腰の辺りを撫でながらアキラを廊下へ送り出した。

 廊下に三つの椅子が並んだ。

 座るは一年一組の中でも上から数えた方が早い美少女たち。離れた一組の教室の前にも今日に二者面談の順番が来た男子たちが椅子を出して座っていた。

「意外に聞こえない物ね」

 静かになった空き教室からは、ボソボソとヒカルと松山先生が話す声が漏れてきていた。だが壁越しなので詳しい内容までは判別できなかった。

 まさかあからさまに壁へ聞き耳を立てるわけにもいかず、由美子は通学バッグと一緒に持ってきた紙袋へ手を差し入れた。

「そんなにダンナさんのことが気になる?」

 まさしく壁へ耳をつけようとしていたアキラを恵美子がコロコロと笑った。

「だんな?」

 恵美子に指摘されたアキラの動作が中途半端な状態で止まった。

「あら? ふたりして仲がいいから、そういう関係なんだと思ってた。で、そういう関係なら、ヒカルちゃんがダンナさんで、アキラちゃんが奥さんでしょ?」

「そういう関係?」

 アキラが顔を真っ赤にした。

「違った?」

「ええと従姉妹なだけ」

 それにしては動揺しすぎである。

「大丈夫よ、ただの面談でしょ? 希望を聞くだけだからケンカになったりしないわよ。…たぶん」

 由美子の指摘通りに、室内は静かな物だった。怒鳴り声やら争う声が聞こえてくることもない。ましてや銃声など物騒な物音すらなかった。それどころか普通の話しすらしていないような静けさであった。

「げふんげふん」

 アキラは自分の態度を誤魔化すかのように、わざとらしい咳払いをして椅子へ真っすぐ座った。廊下の窓の向こうからは、校庭で放課後の部活動をする声が伝わってきていた。

「ま、仲の良い従姉妹ということにしておきましょう」

 クスクス笑っていた恵美子は、今度は由美子の方へ振り返った。

「それは?」

「映画の台本」

 結構な量のページを綴じたバインダーを由美子は開いていた。中身は全て手書きの文字であった。

「えいがのだいほん? ああ、委員会の? 早すぎじゃない?」

「それが…。無駄に才能があるバカだけは揃っているから、昼休みに『もうできた』って渡されたのよ」

 読んでいたページに指を挟んで、一度閉じて恵美子に表紙が見えるようにした。それらしいタイトルロゴがそこを飾っており『夕陽の決闘』と読めた。

「本当に西部劇にするんだ…」

 恵美子の声は信じられないと言っているようなものだった。

「ちなみに」

 ペラッと一枚めくると配役表となっていて、上から二番目の「悪役」と書かれた横に恵美子の名前がもう書きこまれていた。

「コジローの配役は決まっているみたいよ」

 台本を書いた者の指名のようだ。中身と同じ几帳面な字であった。

「ええ~、私ぃ~」

「手伝ってくれる約束だよね?」

 嫣然とした微笑みで恵美子に確認をした。

「え、だって。手伝うって、スタッフとかかと」

「じゃあ監督やってちょうだい」

 由美子の微笑みの前に恵美子は顔をクシャリと歪めた。三秒だけ睨めっこが続いた。

「じょゆうをやらさせていただきます」

「そう言ってくれると思ってた」

 ニッコニコで由美子は紙袋へ手を差し入れた。

「はい、コジローのぶん」

 手回しの良いことに、数部をコピーしてあったようだ。コピー用紙をクリップした厚みは、ちょっと怯むぐらいあった。

「他は?」

 自分の分を受け取った恵美子は、配役表のパージを開いた。「主人公」「卑怯者」「少女」「賞金稼ぎ」「保安官」「教悔師」など上げてあるがどれも埋まっていなかった。どうやら他の配役は一つも決まっていないようだ。

「卑怯者って…。そんな役、誰がやるの?」

「ンな誰もやりたがらない役、書いた本人にやらせりゃいいだろ」

 台本のチェックに戻りながら由美子は言った。

「ええと」

 反対側から興味深そうにアキラが覗き込んできた。

「西部劇って…」

「委員会の自主製作映画」

 こたえた由美子は紙面から顔を起こすと、再び作った怪しげな笑顔をアキラに向けた。

「西部劇になっちゃった責任、取って貰うからね」

「ええ? オレのせい?」

「んだんだ、オレのせいだ」

 機嫌よく由美子は頷いた。

「まあ主人公は男のつもりで書いてあるようだから他に頼むとして。この主人公についている女の子の役なんて、どお?」

「王子、王子」

 パタパタと恵美子が手を振った。数ページ読んで、由美子が口にした女の子の役がどんな物か確認したのだろう。

「これはハナちゃんが適任じゃない? そうじゃないと馬に蹴られちゃうわよ」

「馬にって…、たしかに乗馬のシーンも予定にあるけンども」

 パラパラとページを飛ばして確認した由美子は何度も頷いた。

「たしかにハナちゃんにやらせる方が、面白いかも」

「適当に端っこにいる役で」

 アキラが弱気な声で言った。

「しっかりセリフのある役、やってもらうから」

 それから由美子は撮影の難しそうなカットや、表現が曖昧でどうしたらいいのか分かりにくいところなどに赤ペンでチェックを入れ始めた。

 恵美子も自分がどんな悪役かを読み込み始めてしまったし、教室からは一切音が漏れて来ることがないしで、アキラは暇をこくことになった。

 静かな廊下に、恵美子がスカートの上に広げた台本を読みながら、足でリズムを取る音だけが響いていた。タンタンと上履きに包まれた爪先が一定リズムで動いていた。

 そのうちリズムが乗ってきて、左手で爪先の二拍目と四拍目に腿を軽く叩き、右手は逆に足のリズムの倍の速さでトトトと叩き始めた。両手でページを捲る時だけ狂うが、一定のリズムが刻まれていった。

 苦痛にすら感じるほどのゆっくりとした時間が経過した。実感は一時間以上であったが、各面談は十五分の予定である。

「それじゃあ、そろそろ交代」

 ヒカルの声が扉越しに聞こえてきて、アキラはまるで散歩を待ちかねていた子犬のように振り返った。

 ガラリと空き教室の扉が開かれた。

「おし、次誰にする?」

「あたしは最後でもいいや」

 意外にも委員会の仕事が詰まっているはずの由美子がパスをした。

「司書室に戻ったら、この台本を読んでいる暇が無くなるもの。先にどちらかがどうぞ」

「私もパース」

 下を向いていたために顔へ流れてきていた髪を、纏めて背中の方へやりながら、恵美子は椅子を傾けてノビノビと言った。

「ギリギリまで部活、サボりたいだけだろ」

 由美子が恵美子の考えを見通して訊くと、彼女はペロリと舌を出した。

「正解! なお正解者の王子には、アキラちゃんから熱いベーゼが送られます」

「な、なんで?」

 顔を真っ赤にしたアキラが動揺しているのが面白くて、恵美子はまるで獲物を見つけた猫のように目を細めた。

「いいじゃん。いつかある本番の時に失敗しないように練習」

「いや練習って…」

「さいわい王子はもう経験済みだしぃ。教えてもらえば?」

「コジロー!」

 また思い出したくない記憶に触れられて、由美子が牙を剥いた。

「バカか、おまえ」

 軽くヒカルに蹴られ、腰を浮かせてオロオロしていたアキラはよろめいた。

「さっさと面談終わらせろ。あっちのバカがどこかへ行かない内にな」

「呼んだか?」

 廊下の向こうから、今日は面談の無いはずの明実の声が聞こえて来た。彼は順番を廊下で待つクラスメイトと何か雑談をしていたようだ。春からずっとヒカルとアキラは彼と一緒に行動することが多かったから、今も二人が面談を終わらせるのをそうやって待っているのだろう。

「よ、よろしくお願いします」

 ちゃんと頭を下げてアキラは扉を閉めた。

 途端に恵美子がクスクスと笑い出した。

「どした?」

 その笑いの意味が分からずにヒカルが眉を顰めた。

「いや、ヒカルちゃんも奥さんの事が気になっているみたいね。さっきアキラちゃんも壁に耳をつけるところだったもん」

「へ?」

 アキラの座っていた椅子の上で前後逆さに座ったヒカルが、顔を真っ赤にした。ヒカルも先ほどのアキラと同じように、面談の様子が気なるのか、壁へ耳をつける寸前だった。

「ば、ばか。あ、あんなやつの進路なんてきょーみねーし」

 一所懸命否定するが耳まで赤くしているからバレバレであった。

「ふ、ふん」

 ヒカルは腕組みをすると、椅子に座り直した。

 顔ぶれは変わったが、再び静かな放課後の廊下へと戻った。台本をチェックする由美子に、腕組みをして宙を睨みつけるヒカル。そして自分の登場するシーンをチェックしながら爪先や指先でリズムを取る恵美子という絵柄である。

 ヒカルはつまらなそうにポケットから新しい柄付きキャンディを取り出して咥えた。廊下に並べて置かれた二人の荷物にも変化は起きようが無かった。

 その内、恵美子が刻むリズムと、ヒカルが咥えたキャンディの柄が上下するタイミングが揃って来た。

「それは?」

 ヒカルが、二人がチェックしている紙の束に気が付いた。

「委員会の映画の台本。そうだヒカル」

 由美子は新しい一部を紙袋から取り出すと、ヒカルに押し付けた。

「これ御門に持って行って。まあ、あいつが出演するかどうかはまだ分かンないけど、撮影の協力を科学部はしてくれンだろ」

「自分で持って行けよ」

 口を尖らせて文句を言った割には腰を浮かせたのは、さっきの赤面を誤魔化す気なのかもしれなかった。

「じゃ、お願い」

 由美子は台本へと目を戻した。

「たしかに素晴らしい希望だわ」

 離れていくヒカルの足音と入れ替えに、松山先生の声が聞こえて来た。ヒカルの面談の時には聞こえなかったのに、アキラの時に聞こえるとは意外だった。

「目指している職業に至るためのアプローチとして、進みたい大学を見据え、高校の時から準備している。今どき、こんな計画性の高い生徒なんて、そういないのではないかしら」

「…」

 アキラが何と答えたのかくぐもって聞き取れなかった。もしかして先生は廊下に向いていて、アキラは逆に窓側を向いているのではないだろうか。

「素晴らしい未来だわ」もう一度、手放しで褒めた松山先生の声が一転した。

「そんな身体じゃなければね」

 冷たく聞こえた松山先生の声で由美子はハッとした。アキラは体が弱く入院していたとだいぶ前に説明されていたからだ。その証拠に春の入学式に参加できず、クラスにも遅れて合流したほどだ。

(大した事は無いって言ってたけど、やっぱり健常者とは条件が違うのかしら)

 クラスメイトの様子を思い出してみる。普段の生活でコレといって体を庇っている様子は、ほとんど見られなかった。まあ体育の授業は休みがちだったのは記憶にあった。他には、ちょっと年頃の娘としてどうよと言いたくなるようなガサツさがあったが、その点に関しては由美子も人の事が言えなかった。

(いけない、いけない。盗み聞きは良くないよね)

 慌てて台本のチェックに戻ろうとしたが、また松山先生の声が聞こえて来た。

「どうしたって身体のことは付きまとうのよ。普通の生活なんて無理だわ。目立つ生活なんてもってのほか。私と同じような生活スタイルにしないと、天使(もんだい)が追いかけて来るから…」

(あれ? 松山先生もアキラと同じ病気なのかしら)

 初耳の情報に、いけないと自分に言い聞かせながらも、耳が室内の様子に向いてしまうことを止められなかった。遮るものは薄い壁と、先ほどから続けている恵美子のリズムだけである。

 松山先生がクラスでは使わない、別人のような冷たい声で続けた。

「で? どうしたいの? 元の性別(からだ)に戻りたいの?」

「…」

 アキラの答えははっきりとしなかったが、是と答えたようであった。

「残念ながら無理ね」

(なんで医者でもない松山先生が、アキラの体の事知っているンだろ? やっぱり同じ病気だから?)

 ちょっと不審に思った由美子だったが、副担任としてクラスメイト以上の情報に触れる機会があったのだろうと推察した。

「姿形を戻すことは基本的に簡単なのよ」

 まるで壊れたプラモデルを直すかのような口調で松山先生は言った。

「ただ、それを維持するのが無理なだけ。なぜあなたの身体が女に(そう)なったのか、御門くんから聞いてないの?」

 なにやら長くアキラが答えていたが、やはり内容が判別できなかった。御門と聞いて廊下の向こうへと視線を走らせた。明実は、順番を待つクラスメイトと台本を持って行ったヒカルと、三人で世間話をしているようだ。彼が頭脳労働担当なのは由美子も知っているところだ。幼馴染であるアキラの医学的な問題を、彼が把握していても不思議ではなかった。

「そう、肝心なところを聞いてないのね。人間(ふつう)の体から『クリーチャー()』の身体に変わる時、大事な因子が抜け落ちるのよ。そのせいで私たちの身体は女に(こう)なるの」

「…」

 相変わらずアキラが反論しているようだが、内容は聞き取れない。いつも内気でクラスメイトとのやり取りだってヒカル任せのアキラが、そんなに喋るなんて由美子は思ってもみなかった。イメージとしては何か言われたら押し黙るようなタイプと思っていたから意外であった。

(もと)に戻すのには、まずそれこそ(もと)の細胞がまず必要なの。それで形作った後に、六つある魂の因子の内の一つ…、そうねテキスメキシウムとでも呼びましょうか? それを加えて魂も(もと)へと戻さないといけないの」

(たましい? なんじゃ?)

 段々と松山先生が言っていることが観測域外(オカルト)のように感じられてきた。部屋の様子が同じように聞こえているはずの恵美子は、台本に集中しているようだ。彼女の刻むリズムが、段々と耳障りになって来た。

「魂は六つの因子…、霊子って言うんだけど、それが絡まって存在しているの。それは運命を司っていたり、(えにし)を司っていたり、まあ色々だけど、テキスメキシウムが司っているのは『どれだけ標準から外れて奇形なのか』という点。これによって身体的特徴…、背が高いだとか太りやすいとかだけでなく、指が六本だとかいう本当の奇形から、一卵性双生児(ふたご)でも違うホクロの場所とかも決まるの…」

 ボソボソとしたアキラの質問が入った。

「人間の…。違うわね、哺乳類にとってオスは奇形なのよ。基本形はメスなの。だからテキスメキシウムが欠乏すると身体は女へと変わる。いえ、戻ると言った方が適切かしら。実際、普通に暮らしていた男性が、ある日を境に女性になってしまったなんて話を聞いた事ない? そういうことよ」

(何の説明だろうか?)

 もう由美子の手は止まっていた。目は紙面の上を彷徨っているが、全神経は聴覚に集まり、壁越しに聞こえてくる背後の会話ばかりが知覚された。

(男と女? アキラのビョーキに関する事なのかしら?)

 最近、似たような話を聞かされた気がして、由美子の顔が曇った。誰がしてくれた話だったのか思い出せなかった。

「渡してきたぜ」

 強制的に夢から覚まさせるような勢いでヒカルの言葉が聞こえて来た。慌てて我にかえって頭を上げると、台本を明実に渡すように頼んだヒカルが、目の前に戻ってきていた。

「ああ、ありがと」

 おざなりに返事をすると、とても不思議そうな顔をされてしまった。

「つまり元の身体に戻るには、一人分のXY因子を持った人間の細胞と、同じぐらいのテキスメキシウムが必要なわけ。もちろん提供してくれるのが血縁的に近しければ、もっと成功率がよくなる。つまりXY…、簡単な例を挙げると自分の父親に人間一人分の細胞の提供を求め、それとは別の血縁者…、母親からテキスメキシウムの提供を求めないと、あなたは人間の男(もと)には戻れないのよ。もちろん提供者は人間二人分もそれらを持っているわけないから…」

「なにを吹き込んでやがる!」

 突然顔を険しくしたヒカルが、問答無用に空き教室へと怒鳴り込んだ。その剣幕に、椅子の上でリズムを取って台本を読んでいた恵美子がビックリして立ち上がり、廊下へ台本を落としてしまった。

「ヒカル!」

 慌てて止めようとしたが遅かった。教室に乗り込んだヒカルは、半ば立ち上がっていたアキラへ駆け寄り、ギュッと胸に抱きしめた。

「あらあら」

 窓際に寄りかかっていた松山先生は目を丸くしていた。

「保護者の乱入ね」

「てめえ、ケンカ売ってんのか?」

「こら。先生に向かって『てめえ』とは何ですか」

 言葉では注意している様子だったが、どちらかというと楽しんでいるような響きが声に混ざっていた。

「その子の身体の事は、必要な事だとは思うけど? 特に進路に関してだったら、避けて通れない問題よね?」

「ヒカル、く、くるちい」

 ヒカルの胸に顔が埋もれたアキラが辛うじて言葉を出した。あれでは恵美子ほど豊満では無いにしたって、口も鼻も塞がれて息が出来なかったに違いない。

 なんとかヒカルの胸から顔を出したアキラは、涙目でヒカルの顔を見た。

「おまえも、知ってたのか?」

「うっ」

 言葉に詰まったヒカルは、扉のところから心配そうに覗き込んでいる由美子と恵美子の二人に気が付くと、まるで母親のような優しい声を出した。

「おまえが心配する事なんざ、一つもねえ。あたしと、アキザネを信じろ」

「どしたー?」

 おっつけ刀で明実まで顔を出した。

「何でもねえ」

 ヒカルが無理やり抑えた声を出した。

「じゃあ海藤さんの面談はココで終わりという事にしましょうか。質問があったら、また後日ということで」

 松山先生がウインクを飛ばした。大人な雰囲気の松山先生がやると絵になった。

「じゃあ、次は誰にする?」



 清隆学園付属教会に、優が入っていった。もちろん愛用のディパックに、右手には買い物袋という姿だ。

「こんにちはラモニエルさま」

 礼拝所の脇にある小部屋に入るなり、いつもの挨拶をした。

「何か変わったことはありましたか」

「こんにちは、マサルくん」

 ラモニエルはリラックスした声を出した。

「あれから何も。大学生が数人、掃除に来た程度だったかな」

 付属教会は大学の宗教的なサークルの活動拠点として登録されていた。ただ優が居つくようになってからは、彼が仕掛けて来る禅問答を疎ましく思ってか、大学生たちが顔を出すことは稀になっていた。

 古びた机の上に数個のお菓子が置かれていた。ラモニエルが居るのを見て、その大学生たちが置いて行ったのであろう。

「ラモニエルさま。お食事ですよ」

 優は買い物袋の中身を取り出した。出て来たのは小さな紙パックの牛乳と菓子パンである。

「ありがとう、そこに置いておいてくれたまえ」

 以前はすぐに手に取っていたラモニエルだったが素っ気ない態度である。流石に飽きが来ているのだろうか。まあ翌日、優が同じ物を持参する頃には食べ終わっているので、必要とされてはいるようだ。

「キャハ」

「キャハ」

「キャハハ」

 周囲に舞っているキューピットたちが、相変わらず笑い声を交わしていた。

「さて、今日もスフィアの探索と行こう」

 ラミニエルはズボンのポケットから『天使の涙』を取り出した。

「紙とペンですね」

 もう慣れっこになっていた優が、ディパックから筆記用具とバインダーを取り出した。

「今日はどの縮尺(スケール)にします?」

「関東平野だ」

ラモニエルははっきりと言い切った。

「本当は東京都でもいいと思ったのだが、いちおう関東平野の中で探してみよう」

「了解しました」

 優はキューピットたちへ紙とペンを渡し、自分自身も図形を組み合わせた一都六県の地図を書き始めた。

 あっという間にローカルの天気予報で使用する程度の一都六県を模式化した作図は完成した。

「どうでしょうか」

 顔を上げた優はちょっと言葉を失った。

 まるで国土地理院が作図したような関東平野の地図が三枚も机の上に並んでいた。

「キャハ」

「キャハハ」

「キャホ」

 三羽のキューピットは、優が書いた地図を上空から覗き込み、腕組みをしたり何度も頷いたりしていた。態度からは「君の作図もなかなかだが、我々には及ばないね」と言っている様だった。

 なにか釈然としない物を感じながらも、優は自分が書いた地図を端に寄せ、鉄道網が特に強調された一枚を手に取った。

「さすが天上の存在。とてもきれいな地図ですね」

「まあ、私の部下(キューピット)たちは優秀だからな」

 前回までの失敗を覚えていないような態度のラモニエル。さっそく優が選んだ地図の上に『天使の涙』を垂らした。

 場所は埼玉県の県庁所在地であった。

「この方法は…」

 集中しているのかいないのか、ラモニエルは『天使の涙』を垂らしたまま話し始めた。

「釣りに似ているな。糸を垂らして得物がかかるのを待つ。来たぞ」

ビクンと反応した『天使の涙』が示しているのは、もっと西よりの南のようだ。

「ここいらか」

 一度巻き取った『天使の涙』を、今度は中央高速道のインターチェンジの上へと垂らした。しばらく反応が無かったが、再びビクンと震えると、クルクルと八の字を書いて揺れ始めた。

「ここは…、ここか?」

 垂らされた場所の脇には、そのものズバリ大きな敷地を擁した教育機関が存在していた。

 間違いなく清隆学園の上であった。

「ラモニエルさま」

 優が試しに訊いてみた。

「まさか、いま現在のご自分自身に反応しているという事はありませんよね?」

「!」

 ラモニエルがハッキリと息を呑んだ。

 その驚いた顔を見て、優は溜息をついた。




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