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十月の出来事B面  作者: 池田 和美
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十月の出来事B面・②



 朝の社長室に、作業着姿の男性が入って来た。

 太鼓腹と言って差し支えない丸い体型に短めの手足は、中年男性の特徴をカリカチュアして表現した役者の様であった。

 ただ人並の姿をしている割には眼力だけは鋭い物を持っている男である。

 男は少しだけ開けたままになるよう扉を閉め、脇にある個室へと足を向けた。

 おそらく着替えているのだろう。しばらく衣擦れの音がした後に、畳んだ上着を手にして背広姿となって出てきた。

 作業着から、この部屋に似つかう姿となった彼は、この部屋の主である藤原(ふじわら)文孝(ふみたか)である。

 複数の優良企業を従えるグループの持ち株会社の社長であり、そして由美子の父親でもあった。

 彼は朝の日課として、社長室のあるこの階のトイレ掃除をしていたのだ。初心を忘れないためでもあるし、社長の彼が率先してトイレを綺麗にすることによって、社員たちの意識が良い方向に刺激される事を願っての行動だ。

 文孝は手にした上着を座り心地がよさそうな椅子の背もたれにかけ、それだけで大学卒の初任給ぐらいあるネクタイを締めながら、窓からの景色を眺めた。

 大都会東京を一望できる高層ビルの一角である。

 彼の会社が毎年上げている業績ならば、都心に自社ビルも可能であるが、テレワークを始めとする在宅勤務ができる現代において、ステータスにならない無駄は省かれるべきだった。

 その理屈ならば社長室だって必要は無いはずである。もちろん経費をかけるだけの理由があった。

 薄くガラスに映る自分の首元を見ながらネクタイを結び終えたのを見計らったのか、薄く開いたままの扉をノックする音がした。

「どうぞ」

 椅子へと移りながら文孝は声をかけた。上着は背もたれにかけたままだ。

「おはようございます、社長」

「おはよう、成田」

 礼をして入って来たのは、三〇代半ばといった男だ。彼の秘書室長という肩書を与えた忠実な部下である。

 一見すると、まだ残暑も厳しい季節だというのに上下とも黒のスーツで身を固めている他は、中肉中背でこれといって特徴を持たない男である。

 だが目の鋭さだけは隠せない。その驚くべき印象深い目によって、彼が只者ではないことを相手に悟らせるのだった。

 とくに武道はやっていないという触れ込みだが、キビキビとした動きで社長用の豪華な机までやってくると、申し訳なさそうに紙の束を差し出した。

「今朝の書類でございます」

「ごくろう」

 机の上のラップトップは、すでに起動している。有能な秘書室長が率いる秘書部のスタッフが、社長を待たせないように(あらかじ)め立ち上げておいたのだ。

 この何でも書類が電子化された時代に、わざわざ紙に書いた書類を提出するとは、無駄を嫌う企業としては不思議ともとれる行動であった。

 しかも文面はワープロやデスクトップパソコンなどの電子機器を一切使用せずに、手書きで作成してあった。

 いや、社長の決裁を待っているような普通の書類は、電子化されて間違いなく机の上の端末に届いていた。

 つまりわざわざ手書きの書類を用意させたのである。

 理由は単純だ。ある事案において、もし後になって敵対的なハッカーやクラッカーに、社のコンピューターを探られても、履歴が残らないようにするためだ。流石に資料を纏める事にコンピューターを使う事は避けられないが、その集めた資料に対して、文孝がどういう報告を受けて、どういう判断を下したのかが分からなければ、たとえ違法であったり人道的に問題があったりしても、外部の人間には知られる事が無いという事になる。

 わざわざ高い賃料を払って社長室を構えている理由もここにある。もちろん社長として普通の仕事もココでこなすが、この部屋で巧まれる権謀術数が外部に漏れる事は無いのだ。

「ふむ」

 速読術は社長業において使えるスキルである。本当に中身を読んでいるのか不安になるほどの速さで、文孝はページをめくっていった。

「これはトックリの件か?」

「そうでございます」

 トックリとは社長室でだけで使用する隠語である。文孝の叔父、由美子の叔祖父(おおおじ)である藤原(ふじわら)弘幸(ひろゆき)のことを差す言葉だ。

 トックリこと弘幸は、毎日のように大きな金額を動かすグループ企業の中で、最大の派閥を持っていた。加齢により現役を引退したことになっているが、いまだに彼の声を聞く重役陣は多い。それが社長として会社の方針を決める文孝に追い風になる時もあるが、逆風になることもある。

 とくに文孝は叔父である弘幸とはあまり仲の良い方ではなかった。おかげで春に外国企業による買収騒ぎの時につけこまれる一因となった。

 その彼が、抱えていたグループ企業の株式の買い取りを、文孝に持ち掛けてきたのだ。

 少々荒れた今年の株主総会を鑑みるに、自社の株式を手元に置くのは、文孝にとって願ってもないことだ。

 ただ結果として莫大な資金が弘幸の手元に渡ることになる。

 子供のお小遣いでないのだ。ただ貯金するという事はありえない。資産運用するならばグループにもちゃんとした証券会社がある。国債や外債を買うにしても、その金額からして日銀や外務省などに根回しが必要になるはずだ。

 もちろん貯金もある程度は必要だろうが、そういう「遊んでいる金」は少ない方が本人にとっても、また周囲にしても都合が良いはずだ。

 莫大な財を弘幸が何に使うのか、社長であり身内でもある文孝は、秘書課に調査させていたのだ。

「寄付?」

 意外な使用目的に文孝は眉を顰めた。一番予想外の使用目的だった。

「博多大学の件でございます」

「ああ、あれか」

 ここのところ弘幸は、その持てる人脈や財力を使って、国内有数の研究者を九州の国立大学に集めていた。しかも一流は一流でも、その世界でトップの研究者とかではなく、二番目、三番目にあたる者を集めていた。

 トップの者の動向ならば世間も注目するだろうが、その下で働いていたような者ならば目立つこともない。つまり秘密裏に何かを研究させているのだ。

 集められた研究者のリストも書類に含まれていた。

 生物学や化学、組織工学、発生学や再生医学などを総合的に含む人工多能性細胞や刺激惹起性多能性獲得細胞を研究していた者の名前が並んでいた。が、リストの下の方へ行くに従って、文孝の顰めた眉がさらに中央に寄った。

「これは、本当なのか?」

 わざわざ机にリストのページを開いて置き、眉を顰める原因となった辺りへ指を置いた。

「間違いありません。秘書部(うち)の岩田の調査です」

「おお彼か」

 成田と同じように中肉中背で特に特徴がない社員を思い出しながら文孝は唸り声を上げた。見た目には特徴が無いが、彼が有能かどうかは別のところにある。社長としての文孝の判断は、秘書課の岩田という男は「できる」男だった。

 文孝が指を置いた辺りに並んでいる名前には魔術師、錬金術師さらに降霊術師などという、大学研究室には似つかわしくない肩書が並んでいた。

「ということは、間違いないのだな」

 もう一度書類を手に取り、怪しい肩書が並んだリストを下までチェックする。普通の企業人なら詐欺師の一言で片づけるような、別の意味で立派な職業が下半分を埋めていた。

「で? 何を研究しているのだ?」

 詐欺師が混じっていようとも肝心の研究内容が確かな物であれば世間に公表しても恥ずかしくない。それどころか公共の利益に繋がると判断されれば、グループ企業も一枚噛んでいた方が利益になる可能性だってある。例として挙げれば、従来品からかけ離れた新系統のコンピューターを扱っていた研究室にも、詐欺師と呼ばれる人物が混じっていたことがあった。が、いざ世間に公表する段階になった時に、彼の弁舌が大いに役立ったことがある。

 一概に社会不適合者が混じっているからと短絡的に考えてはいけないということだ。

「不老不死です」

「は?」

 意外な研究に文孝は訊き返してしまった。

「不老不死、です」

 成田は確実な発音に気を付けながら繰り返した。

 成田が発した言葉の意味を理解した途端に、文孝は書類を机の上に投げ出し、天井の照明へ視線をやった。

 一分間ほどそうしていた文孝を、成田は辛抱強く待った。

 とても大きな溜息をついた文孝は、やっと視線を成田の許へと戻した。

「トックリも年老いたという事か?」

 高齢になればなるほど『死』というのは現実(リアル)になる。正式な記録に残っている最高齢の者でも二〇〇歳を超えた者はいないのだ。

 史上初の中国統一を成し遂げた秦の始皇帝も、国中に不老不死の薬が無いか調べさせたという記録がある。晩年は当時の最新医学で作られた不老長寿の薬を服用していたとされる。弘幸も同じという事のようだ。

「ふーっ」

 再び文孝は溜息をつくと、天井へ視線をやった。叔父が魔術や錬金術に染まるのは別によい。そんなものは個人の趣味の範疇だ。だが、そこへ大きな金を投入するとなると話しが変わって来る。

 どうやってグループ企業の利益に繋げられるのか、または全くの無駄金と判断するのか。それは秘書室長の成田の仕事ではなく、社長である文孝の仕事である。

 辛抱強く待つ成田であったが、文孝の沈黙が三分間を超えた頃に、静かな声を出した。

「半期決算の日付も近づいていることですし、用途不明の資産は整理なされるのが賢明かと」

 成田の発言に、恐いほど鋭くなった文孝の視線が向けられた。

「どんな資産でも利用価値があるからと言い張る者が必ずいる。そう早急に資産整理をしなくてもよいだろう」

 文孝は読んでいた書類を成田へ差し出した。

「片付けておいてくれ」

「はい」

 辞令の如く両手で書類を受け取った成田は、部屋の隅にあるシュレッダーへ書類を呑み込ませた。



「はああ」

 教室の自席で由美子は深い溜息をついた。

 週明けの月曜日、一年一組の教室である。

「なあに王子」

 いつの間にやって来たのだろうか、後ろから恵美子の細い指が伸びてきて、彼女の肩を揉み始めた。

「あ~、そこそこ」

 つい、大手企業の勤続二十年、四十路(アラフォー)の経理担当お局さまと言った感じの声が由美子から出た。

「恋の悩み? おねえさんが相談に乗るよ」

「バカ。ンなんじゃねえよ」

 自らも首を左右に倒して解しながら、肩を揉んでくれる恵美子へと振り返った。今日も今日とて美しい恵美子の美貌に、自然と瞬きが多くなった。ちなみに今日の彼女は、長い髪を手の込んだカチューシャ編みにしていた。

「わかってンだろ、コジロー」

「王子、言葉遣い悪いよ」

 恵美子に指摘されて首を竦めてから言い直した。

「わかってるンでしょ、コジロー」

「まさか王子…」

 全てを理解している顔で恵美子は、口元へ八重歯を覗かせて微笑んだ。

「サトミとの熱いキスを想い出していたとか?」

「コジロー!」

 さすがに「しつこい」と思いながら由美子は怒った顔をした。

「そんなこと言ってンと、深夜零時にとあるサイトに名前を書き込んでやるんだから」

「おおこわ。じゃあナニよ?」

 両手を由美子の肩に置いたまま恵美子が幼子のように首を傾げて訊いた。

「コレよ、これ」

 由美子は自分の机の上に置かれた紙袋を指し示した。

「コレって、アレ?」

「そ」

 素っ気なくこたえた由美子は、また溜息をついて、紙袋の中身を取り出した。

 出てきたのは様々な紙の束であった。

 ルーズリーフをクリップで留めたものから、今どき珍しい藁半紙を綴じ紐で縛った物やら、ともかくどれも書類の形式である事には間違いない。

 先週の最後に由美子は図書室で宣言したのだ。

「今年の『清隆祭』における図書委員会の出し物は映画の上映会。しかし諸般の事情で上映するのは、委員会による自主製作映画にします」

 これを聞いていたのが図書委員よりも『常連組』の方が多かったというのが、今年の図書室を象徴するようで嫌な事実だったが、避けようもない現実だ。だが、たとえ自主製作映画でなく交通教則を上映する事になっても、人手は必要なのだ。そして由美子がアテにできる人手とはまさしく『常連組』の他に無かった。

 由美子はさらに付け加えた。

「自主製作するには時間が足りん。よって週明けにはどんな映画にするかを決定するから、月曜の昼休みまでに企画書を、あたしのところまで持ってこい。あ、PDFなどの電子データは却下な。みんなで回し読みしやすいように、紙に書いてくること」

 口では回し読みに便利と言ったが、さすがに今どき紙に文字を書いて持って来るような物好きなんて、数えるほどしかいないだろう思ったからだ。由美子としては書類選考に時間をかけないように、適当なフルイを設けたつもりだったのだ。

「みんな熱心ねぇ~」

 恵美子が紙の山の端っこを摘まみ上げて、感心した声を漏らした。

「そういうコジローだって、書いて来たじゃない」

 紙の山の上に肘をつきながら後ろの恵美子を振り返ると、彼女は可愛く舌を出していた。

「だって図書委員の映画に協力するって言っちゃった手前、なにか案を出さないといけないのかなあって」

「ま、いいけどさ」

 これだけ案が上がっていれば、少しはマシな提案も混ざっているかもしれないと、由美子は思った。

 直後に『常連組』どもが、全員揃って腕組みをして悪役のように含み笑いしている様子を想像してしまったのも事実だったりする。

「これ、全部チェックするの?」

 恵美子が不安そうに訊いた。

「チェックしたの」

 由美子が訂正を入れた。本当は学業が仕事の学生にあるまじき行為だろうが、授業の合間の休みどころか、授業中にもノートの下に忍ばせて、さらに昼ご飯も碌に食べずにやっと全部に目を通すことができた。

「これじゃあ交通教則のビデオ流す方が楽だったんじゃない?」

「かもね」

 恵美子の確認に力の抜けた声が出た。

「大変ねえ」

 他人事のように言った恵美子の顔を、キッと振り返る由美子。

「コジローのせいでもあるんだからね」

「おっとぉ、こわいかお」

 恵美子は彼女から少し距離を取った。

「で? ドレか、いいのはあったの?」

「そうじゃないからこうなってンでしょ」

 机に突っ伏しながら由美子は悲鳴のような声を漏らした。

「流すの、適当な大学のキャンパス案内にでもしようかしら」

 珍しく由美子が弱気な発言をした。

「なんか調子が出ないと思ったら…」

 俯いた後頭部へ新たな声が降って来た。顔を上げると、教室の前の方から三人組がやってくるところだった。

「どうしたフジワラ?」

 由美子が既視感に襲われていると、三人の中から話しかけてきたのは、やはり柄付きキャンディを咥えたヒカルであった。

「見て分からない?」

 本当は委員会の書類に含まれるので部外者に見せてはいけないのだろうが、同じ班の女子という気軽さで、由美子はこたえた。

「…?」

 ヒカルは横に立つアキラと顔を見合わせた。

「映画の企画書。みんなに頼んだら、いっぱい来たのよ」

「あ~」

 ヒカルとアキラが揃って声を漏らした。その響きの中に「ご愁傷さま」みたいな物が存分に含まれていた。

「どんな映画にするの?」

 アキラの方がおずおずと訊いてきた。

「このドレか、かな」

「これが、みんなの意見なのか?」

 明実が怪しげな発音の日本語で確認するように訊いた。

「他にもあるのではないか?」

「『今日の放課後に決定する』つったから、これ以上の受付は無し」

 だらだらと決定が遅れるのが、会議として一番やってはいけない事だ。ズパッと決断するのは由美子の持つ良いところであった。

「みんなの希望がそのまま通るンなら、ココで頭を抱えてないの」

 由美子は八つ当たりで明実を睨み返した。

「それぞれが勝手な事を言いやがって」

「王子、言葉遣い」

 再び荒れた由美子の口調を恵美子が窘めた。

「見ても?」

 アキラが、許可が出るのか否か不安そうに手を出して来た。

「いいよー」

 どちらにしろ色んな意見が聞きたかったところである。無責任な立場のクラスメイトだろうが、耳を傾けて損はないだろう。

 ヒカルに由美子の前の席に座らされて、髪をブラッシングされながら、アキラは一番上の紙の束を取り上げた。

「どれどれ…。未来から来た美少女暗殺マシーンが、向こうの時代で活躍する革命家の母親を殺害しようと…。見どころは派手な銃撃戦…」

 そこまで読んで顔を上げたアキラは、目の前にいる恵美子と顔を見合わせた。

「どっかで聞いたような?」

「ああ、それはマツダのヤツな。コジローが協力するっていう約束だから、主人公に据えたいンだと思う」

 ちゃんと説明できる辺り、本当に由美子は全ての企画書に目を通したようだ。

「いいんじゃないか?」

「テッポーどうすんのよ。あの映画ってバンバン撃ちまくってたでしょ」

 由美子の言葉に、とても微妙な顔をしたアキラは、今度はヒカルと顔を見合わせた。

「銃ならあるぞよ」

 明実の言葉に一同が振り返った。何か言おうとして口を空振りさせているアキラを手で制すると、明実は人差し指を立てた。

「モデルガン愛好会が我が学園にもある。軍事研にも複数の発火モデルが保管されておるから、小道具としての銃には不自由しないはずだ」

「をを」

 恵美子が小さく拍手して、明実の博識を称えた。

「テッポーはそれでいいとして…」

 由美子は頬杖をついた。

「タイムトラベルしてきた時、シュワちゃん何も着ていなかったでしょ。主人公をコジローにやらせようって言ってるンだから、あいつら、ソレが目当てに決まってるわ」

「ま」

 恵美子は口と目を丸くしてから自分の体を抱きしめた。

「こっちは?」

 アキラは別の束を取り上げた。

「最新鋭のステルス機の部隊に配備された美少女パイロットが、最前線で失敗をして訓練部隊へと戻るが、そこで出会った教官と人間的に成長する物語。見どころは目が回るような空中戦」

「これもドコかで聞いたような話だな」

 読み上げるアキラの髪を梳くヒカルが呆れた声を漏らした。

「トツカの案な。それはそれで途中まではいいと思ったんだよ。でも戦闘機の空中戦なんてどうすりゃいいんだよ」

「いまならCGとかもあるぞい」

 明実の提案に由美子は溜息を隠そうとしなかった。

「今から発注して、間に合う?」

 明実は三秒だけ腕組みをして考えた。

「無理じゃな」

「でしょ」

「これなんかいいんじゃないか? 宝物を探して不思議な世界に迷い込んだ女の子が、現実世界に帰って来るまでの話し」

 ごつい金釘調の字が多い中に、丸みを帯びた文字で書かれた企画書があった。

「あ、それ私のだ」

 恵美子が猫のように目を細めると、由美子へ言った。

「不思議の国とか、鏡の国みたいな感じでどお?」

「十分、いまの清隆も不思議な学園(くに)だけど」

 由美子が現実の方に注文を付けた。

「碌でもないアレとかソレとか。目の前で起きていても信じられない事件ばっか」

「あはは」

 恵美子はだいぶ力の抜けた愛想笑いでこたえた。

「こっちは、呪われた日本刀の歴史? 架空の日本刀『尼獣丸(にじゅうまる)』が打たれてから人から人へ渡り歩き、そこで経験する歴史を反映したオムニバス?」

「なんか刀を拳銃に代えて似たような映画があったよな」

 新たな企画の概要を読み上げたアキラにヒカルが反応した。

「あ、コレ。きっとフワくんでしょ?」

「ぶー」

 由美子がクイズの不正解(ブザー)音をやる気なさげに口で再現した。

「フワの奴は『剣を見世物になんてするものではない』とか言って、別の企画書出して来た」

「これかな? 『命を助けられた無頼者が、恩人たる女性の兄を探してヤクザの抗争が続く町へとやって来る。果たして彼は、その男を探し出し、妹の所へ帰すことができるのだろうか』だって。ヤクザ映画かな?」

「どっちかというとハードボイルドを目指してんじゃないか?」

 アキラの感想に、ヒカルが注釈を入れた。

「あ~、らしいかも」

 企画書を出してきた人物を思い出しているのか、恵美子の目線が天井へ向いた。

 他にも色々な企画書が積みあがっていた。

 サイバーパンク物に始まり、未来の地殻まで破壊された地球へタイムスリップした高校生が女の子と出会う話しだとか、女の子だって元気に戦いたいという趣旨の二人組が悪の集団と格闘する物とか、同じ一週間を何度も殺されてループする話だとか、デスゲームに参加して知能の限りを尽くしてお宝を取りあう等、種類だけは豊富であった。

 そしてドレもが予算や撮影期間のことを考えていない事は明白であった。

「で? プロデューサー兼監督として、ドレにしたいの?」

 おおよその企画書はアキラの手によって概要を読み上げられた。

「うらやましいぜ、カントク」

 読み上げている間にアキラの髪を梳き終わったヒカルが、からかうように言った。

「やっぱり、あたしが監督?」

 確認するように由美子は自分の顔を指差した。

「えっと」

 恵美子とヒカル、アキラが顔を見合わせた。

「他にできる人居る?」

 アキラの質問に、由美子はちょっと首を傾げて考えた。

「あ!」

 恵美子が、花丸を周囲に散らしながら手を打ち合わせて、何か言おうとした。

「却下! 絶対無理! この世の終わり! 地獄と引き換えにしてもヤダ!」

「まだ、何も言っていないじゃない」

 由美子の慌てた調子に、恵美子が呆れた声を上げた。

「でも名前を出す前に分かってくれるなんて、王子の愛が伝わって来るわあ」

 両手を揃えて微笑まれても、由美子の疲労は増すばかりであった。

「代わってくれるンなら、代わって欲しいわ。アレ以外なら!」

 ギロリと余計な事は言うなと恵美子を睨みつけておく。

「じゃあさあ」

 由美子の机に肘をついたアキラが口を開いた。

「もう全部混ぜちゃえばいいじゃない」

「ぜんぶ…、まぜる?」

「うん」

 アキラはコクリと頷くと、企画書の山を順番に掘り返し始めた。

「こっちが時代物でこっちは銃撃戦…、ええと時代物の銃撃戦って言ったら西部劇かな。そこに登場するのは日本刀を持った人…、だからお侍さん。それと現地の少女だから、インディアンの女の子? で、お宝を巡って、駆け引きが繰り返される…。なんか一つ出来たような…」

「おお、それでいいではないか」

 明実が手放しで賛成した。

「もちろん銃の発火や着弾などの特殊効果は、約束通りに科学部が協力するぞい」

「まあ西部劇はチャンバラ映画と同じで、本当は血が流れるはずなのに、弾丸(たま)が当たった人間がうずくまったりするだけだったりして、金がかからねーからアリかもな」

 ヒカルがブラシごと腕組みをして訳知り顔で言った。

「そういうヒカルちゃんは、西部劇見たことあるの?」

 恵美子の当然とも言える質問に、ヒカルは得意そうに口元でキャンディの柄を揺らしながら言った。

「あるぜ。『シェーン』なんか封切り日に観に行ったし『荒野の一ドル銀貨』なんか何度観た事か。ジョン・ウェインと握手したことだってあるぜ」

「じょんうえいん?」

 誰それという恵美子の不思議そうな顔を見たヒカルは、慌てたようにソッポを向いた。

「ま、まあ、西部劇はいいぜって話さ」

「テッポー好きなヒカルなら分かるけどさ」

 由美子が一学期にヒカルが身に着けていた少々物騒なアクセサリーを思い出して言った。

「ま、あれだ」

 横からというか身長差のせいで上から明実が口を挟んできた。

「西部劇がアキラの推す案ということでいいではないか。で、話しは変わるがの」

 何かを誤魔化そうとして一所懸命なヒカルに助け舟を出そうというのか、明実が話題を変えた。

「今日はいいのかの?」

「いいって、なにが?」

「マカゴを図書委員会へ連れて行かなくても。いつものドタバタ騒ぎが無かったから、イマイチ放課後になった気がせんでの」

 明実の質問に由美子は凍り付いた。慌てて周囲を見回した。

「あ~! はやく言ってよ! 逃がしたじゃない!」

 腰を浮かして教室内を見回せば、彼女の席に集まった顔以外はもう誰も残っていなかった。もちろん孝之なんて姿形どころか影すら無かった。

「あ~!」

 悲鳴のような声を上げる由美子の前で、のんびりと三人が顔を見合わせた。

「やっぱり逃がしちゃいけなかったみたいだな」

「なによ、代わりに捕まえてくれてもよかったじゃない!」

「そう言われても、オレたち委員じゃないもんで」

「んっもう!」

 思い通りの成らない現実に、由美子はまた地団駄を踏むのであった。



 清隆学園付属教会に、黒服の少年が入っていく。誰でもない優だ。あいかわらず学ランに、少々破けたディパック、右手には買い物袋という姿である。

「こんにちはラモニエルさま」

 礼拝所の脇にある小部屋に入るなり、少々堅苦しい姿勢で頭を下げた。そして部屋の中で待つ男の子を見てから、思い出したように付け加えた。

「何か変わったことはありましたか」

「こんにちは、マサルくん」

 こたえるラモニエルの方はリラックスした声だった。優が持参した子供服に着替えた以外、先週と何ら変わらないように見えた。

「あれから何も。ギャラルホルンが鳴らされることもないし、赤き竜が出現してもいない」

「ははは」

 反応を返しにくいエンジェリックジョークにぎこちない笑いを返すと、古い机の上に買い物袋を置いた。

 ラモニエルもアッシュブロンドの髪を揺らして、オレンジ色に見える瞳を向けて微笑んだ。

「ラモニエルさま。お食事をお持ちしました」

 優は買い物袋の中身を取り出した。出て来たのは小さな紙パックの牛乳と菓子パンである。

「ありがとう」

 少々ラモニエルの反応が鈍かったのは、同じメニューだったからだろうか。

「キャハ」

「キャハ」

「キャハハ」

 周囲に舞っているキューピットたちが、食料を前に何か噂話でもするかのように笑い声を交わしていた。

「それではいただこう」

 極めて作業的に菓子パンの袋を開くラモニエルの反対側の席に、優はディパックを置いた。

「そろそろ、ボクの家へお越しになる決心はつきましたか?」

「?」

 菓子パンを頬張りながらラモニエルが不思議そうに優を見かえした。

「ボクの家でならば、もう少しマシなお食事がご用意できると思うのですが」

「グッ」

 なにか言いかけた言葉を、菓子パンごと呑み込み、ラモニエルはパックの牛乳で腹へと落とし込んだ。

「それはもう話したとおりだ。君の家に迷惑をかけたくない」

 一息で飲み終わったパックを丁寧に畳みながらラモニエルは答えた。

「しかし…」

「天使たるもの『欲』に負けてはいけない。贅沢をしたい、柔らかい寝床で横になりたい、そういった地上の快楽に溺れると、グリゴリのように地下の牢に繋がれることになる。美食も同じだ」

 先ほど見せた微妙な表情の事など忘れたようにラモニエルは言った。

「大丈夫だマサルくん。私は満足しているぞ」

「はあ」

 なにか言いたそうにしていた優は、結局何も言わずに頷いた。

「さて、今日もスフィアの探索と行こう。週末は神霊力が戻らなかったが、今日は月曜日だ。仕事を始めるのにコレほど適した日はない」

 ゴミをまとめて机の端に寄せたラモニエルは、笑顔を作り直した。

「紙とペンを」

「またですか?」

 優はディパックからバインダーと、あの不思議な姿をしているペンケースを取り出した。

「さて、お前たち」

 周囲の空間で笑いさざめいているキューピットたちにラモニエルは話しかけた。

「この国の地図を書いておくれ」

 ラモニエルの注文に、三羽のキューピットたちは顔を見合わせた。

「キャハ?」

「キャフ?」

「キャハハ」

 少し首を傾げたり、不思議そうな声を上げたりしたキューピートたちは、ボールペンを手に取り、それぞれが一枚ずつ紙へと向かった。

「キャハ!」

 最初に完成させたのはアフロヘヤーのキューピットであった。

 どうだ凄いだろうとばかりに胸を張ってラモニエルへ自信作を提出した。

「う~ん」

 作図された日本地図を見て、ラモニエルと同時に優までも唸り声を上げてしまった。

 紙に描かれているのは大きなサツマイモのように見えた。優はそんな物でも見覚えがあった。戦国時代を舞台にしたドラマに出て来る古い日本地図に見えなくもなかったからだ。同じ古い地図ならば、伊能忠敬ぐらいまで時代が下がっていれば使えたのだろうが、ちょっと現在の日本列島とは形が違いすぎた。

「ジョン」

 優しくキューピットに語り掛けるラモニエル。

「前にも言ったと思うが、君はもう少し最新の情報へ、頭の中を書き換えた方が良いと思うよ」

「キャハ?」

 ジョンと呼ばれたキューピットは「えー、なにがいけないんだろう」と言わんばかりに首を傾げていた。

「キャハ!」

 次に完成させたのはサラサラな髪をショートヘヤーにしているキューピットであった。

「どれどれ?」

「キャッハー!」

 胸を張って提出された日本地図を検分するラモニエルと優。

「う~ん」

 作図された世界地図を見て、ラモニエルと同時に優までも唸り声を上げてしまった。

 紙に描かれているのは大きな円であった。中央にはなぜかアメリカ大陸が地図データをプリントアウトしたかのような精密さで描かれていた。太平洋に面する国々も、もちろん描きこまれていた。その端っこの方、日本列島は辛うじて円の端に歪んだ形で存在した。

 まるで地球儀をアメリカ大陸中心に見たような作図であった。

「ロジャー」

 優しくキューピットに語り掛けるラモニエル。

「君の作図は素晴らしい。でも肝心のこの国がまともに入っていないのは、少々不便だと思うけど」

「キャハ?」

 ロジャーと呼ばれたキューピットも「えー、なにがいけないんだろう」と言わんばかりに首を傾げた。

「キャハ…」

 最後に残った赤い剣を提げた一羽は、戸惑ったような声を漏らした。

 優が紙を覗き込むと、そこにはドーナッツのような物が写実的に描かれていた。彼にはそれが何だか見覚えがあった。小学校の社会の授業で先生に見せられた「我が国の国土」というスライドショーの中だ。

 そこには精密に東京都の南の端になる南鳥島が、紙一杯に描かれていた。

「メイ」

 優しくキューピットに語り掛けるラモニエル。

「君はもう少し紙のサイズを考えて書き始めたらよかったのではないかな」

「キャハ?」

 メイと呼ばれたキューピットは、いまだ何が原因だったのか理解していない様子で首を傾げていた。

「日本地図ですね」

 一回溜息をついた優は、新たな一枚を取り出すと、愛用のシャープペンシルを走らせた。

 上に大きな菱形。その下に縦に長い長方形と横に長い長方形を組みあわせた。右端に別の長方形と、下に正方形を書き足せば、テレビの天気予報で使用される程度の日本列島となった。

「キャハ!」

「キャハハ」

「キャッハー!」

 三羽のキューピットは優を褒めたたえるように拍手をした。

「で」

 三羽を相手にせずに優はラモニエルに訊ねた。

「またアレを使うのですか?」

「そうだ『天使の涙』だ」

 ラモニエルは頷くと、服のポケットから宝石のような滴を取り出した。

 さっそく優が書いた日本地図の上にラモニエルは『天使の涙』を垂らした。

 左側の長方形の上に垂らされた『天使の涙』はユラユラと揺れ始めた。

 一同の視線が集まる中、頼りなく揺れていた『天使の涙』が、やはり釣りで餌を魚が啄んでいるような動きを始めた。

「来たぞ」

 地図上に垂らされた『天使の涙』が、クイクイっと右へ先端を向けた。

「もっと東か」

 一度巻き取った『天使の涙』を、今度は地図の上にある菱形の真ん中へと垂らした。しばらく反応が無かったが、再び釣りで使う浮きが見せるような動きをしてから、クイッと先端を下の方へと差した。

「ふむ。やはり関東平野のどこかかな」

ラモニエルは二つの長方形が組み合わされた場所へと『天使の涙』を垂らした。

 涙滴型の結晶が、クルクルと円を描くように揺れ始めた。

「やはり、この近くへ落ちていたか」

 手の中へ『天使の涙』を回収したラモニエルは、深い溜息をついた。

「大丈夫ですか? ラモニエルさま」

 先ほどまで浮いていなかった額の汗を認めた優は、ラモニエルの疲れた表情を心配して訊ねた。

「なに、残った神霊力を注ぎ込んでしまっただけだ。続きは休んでからにしよう」

「正義のためだからと無理はなさらないでくださいね」




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