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十月の出来事B面  作者: 池田 和美
10/11

十月の出来事B面・⑩



「はああ」

 放課後の教室で由美子は深い溜息をついた。

「王子、王子」

 後ろから恵美子が声をかけて来た。

「そんなに、ふか~い溜息をついて。もしかして子育ての悩み? 相談に乗ろうか?」

「こそだて?」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった由美子は、半分だけ振り返って恵美子を視界に入れた。

「男の子とシたんだから生まれたんでしょ、アカチャン」

 恵美子が無邪気な様子で言った。とても大人な会話をしているようだが、由美子がシたのは、あの時のキスだけだ。

 そこまで思考が進んでから、由美子の顔が段々と赤くなってきた。

「いつ、あたしが子供を産んだんだよ!」

 由美子の怒鳴り声に吹き飛ばされそうになった恵美子は、ひょいと現場を逃げ出しながら笑ってみせた。

「いいなあ王子、もうそんな幸せな生活に入っていて。私なんてまだ独り身よ」

 恵美子が夢見がちな乙女の表情をした。

「しつけえなあ」

 さすがに由美子から抗議の言葉が出た。

「あれは、コジローのせいだろぉがよお!」

「王子、言葉遣い悪いよ」

 恵美子に指摘されて由美子は咳ばらいをした。

「しつこいでございますわよコジローさん。あれはあなたのせいではございませんでしたかしら、おほほほほ」

 いくらか裏声気味に言うと、恵美子がガックリと首を落とした。今日はワンサイド三つ編みにした長い黒髪が胸の方へ流れ、色っぽいうなじが見えた。が、そこにはビッシリと鳥肌が立っていた。

「ごめんなさい。いつもの王子に戻って下さい。お願いします」

「だったら、もうアノ事は言うなよ」

「だって~」

 恵美子が幼児のように指をくわえた。

「あに? もしかして羨ましかったの? コジロー」

「そ、そんなこと、あ、あるわけないでしょ」

 あからさまにうろたえてみせるが、由美子にはそれが恵美子の演技なのか、それとも素なのか、見分けがつかなかった。

「だったら自分もすりゃあいいだろ」

 由美子の言葉にキッと表情を引き締めた恵美子が悔しそうに言った。

「ひどい王子。私に彼氏が居ない事知って、そういうこと言うのね」

 もし『学園のマドンナ』に彼氏が出来たとなれば、大事件である。しかも恵美子は歴代で最も人気がある『学園のマドンナ』であることは、連続選出回数からして間違いない。おそらく恵美子の彼氏となった(ヤロー)は、学内では命の危険を感じる程、彼女の心棒者に妬まれるのではないだろうか。

「コジローなら、より取り見取りだろ?」

「王子、言葉遣い」

 再度注意した恵美子は、ニヤリと顔を歪めると、由美子の頬へ手を当てた。

「ボクが愛しているのは君だけだよ、ダーリン」

 まるで宝塚歌劇団の男役のようなイケメンボイスであった。

「ちょ、ちょっと」

 顔を赤くして恵美子の手を振り払う由美子。美人の恵美子がやるとインパクトは大きかった。

 だが、そうした雰囲気は長続きせずに、由美子は再び深い溜息をついてみせた。

「どうしたの?」

 さすがに異常事態と感じ取ったのか、恵美子は目を丸くして訊いた。

「えーと」

 どこから話せばいいのか頭の中で整理してから由美子は恵美子へ説明を始めた。

「田舎から叔祖父(おおおじ)さまが上京されたのよ。で、今日は挨拶に行かないといけないの」

「いなか?」

 まるで女子小学生のように小首を傾げる恵美子。

「九州。ほら、五月に一緒に行った」

「ああ、あのオジサマ」

 恵美子はポンと手を打った。麦秋の頃に由美子に付き合う形で九州へ行く機会があり、その時に挨拶をした記憶があった。

 まるで仙人のような風貌で、いまの由美子とは似て似つかないが、印象的な眼力だけは二人に血に繋がりを感じさせる。そんな感じの老人であった。

「あれ? お仕事は引退されているんじゃ?」

 春に聞いた情報をちゃんと覚えていた恵美子は、また小首を傾げて上京の理由を訊いた。

「検査入院だって」

 自分の机に突っ伏しながら由美子は呻くように言った。

「映画で忙しくても、やっぱ顔見せに行かないとダメだろうなあ」

 上京したのは先週の事であったが、図書委員会の自主映画にまつわるゴタゴタのせいで挨拶に行けていなかったのだ。そろそろ顔を出さないと気まずくなる事は間違いない。

「検査入院って、どこか体が悪いの?」

「どこも」

 由美子は断言した。

「あれよ、あれ。人間ドックってやつ」(と言いつつ若い看護師たちにチヤホヤされたいだけだろうなあ)

 セリフの後半を呑み込んだ由美子は、机に突っ伏したまま、もう一度溜息をついた。

「ということで、今日の撮影はお休みにしましょう」

「なんか調子が出ないと思ったら…」

 俯いた後頭部へ声が降って来た。顔を上げると、教室の前の方から明実、アキラ、ヒカルの三人がやってくるところだった。

「どうしたフジワラ?」

 由美子が既視感に襲われていると、三人の中から話しかけてきたのは、やはり柄付きキャンディを咥えたヒカルであった。

「今日の撮影は中止にしようかと思って」

「中止とな」

 明実が片方の眉を額の方へと上げた。

「知っての通り『清隆祭』までは日が無いぞい。ここで撮影を止めると、スケジュールの全体的な遅延に繋がり…」

「はいはい」

 今日は右腕を三角巾で首から吊っているアキラが、長くなりそうだった明実の説教を、物理的に左手で遮って止めた。

 アキラは身体の調子が優れないとかで、午後から登校してきた。右腕は昨夜に軽い怪我をしたからだと説明された。

 昨夜は色々な事があったようだ。先にポルシェで帰京した由美子は、昼休みにご飯を一緒にした恵美子と花子から何があったのか聞かされた。地元のチンピラが槇夫のマイクロバスに絡んできて、怖い思いをしたらしい。

 ちなみに怖い想いなら由美子だって十分にした。単純に考えて欲しい。新幹線も飛行機も使用せずに、あの地からたった四〇分で東京のホテルに着いたのだ。

 経路的には東北自動車道を走ったはずだが、その記憶がスッポリと抜けていた。おそらくすごいスピードに気を失っていたようだ。

 その後に参加した政治資金パーティは、しょぼい物だった。申し訳程度に並べられたオードブルは、どれも値段の安さで選ばれたような品だったし、量も少なかった。

 量も質も低いそれらは、値段の高いパーティ券分を取り返すかのように群がったオバサンたちの胃の中へと消え、由美子には切れ端も回ってこなかった。

 飲み物だって大衆レストランのフリードリンクと、どっこいどっこいの物しか用意されていなかった。

 わざわざ無理をして由美子を呼び寄せ、さらに母まで参加させたにしては、党の幹部が顔を出すわけでもなく、主催者自身だってほとんど秘書に任せて、最初の顔見せで会場を去ろうとしたぐらいだ。

 参加者の中に母の顔を見つけた公設秘書が口添えをしなければ、挨拶すら無かったかもしれない。

 父、もしくはその周辺が参加させたパーティだから、何かしらの意味があるはずなので、それなりのお召し物を身に纏い、笑顔を維持した由美子であった。だがあんなにも理解できない事態は初めてだった。

(でも…)

 軽い怪我なのに大げさに包まれたと本人が言っていたアキラの右腕を見る。

(そういう意味だったのね)

 ふと昼食後に笑顔で話しかけられた内容を思い出した。

「ちゃんと反撃も用意してある。首謀者には、誰にケンカを売ったか教えてあげる」

(返り討ちにされなけりゃいいけど)

 心配するだけ無駄な相手の笑顔を思い出していると、なぜかムカっ腹が立ってきた。

「な、なに?」

 鋭い視線を向けられたアキラが、恐る恐る訊ねて来た。

「なんでもない。ともかく、あたしは用事があるから、今日はおまえらの出来る事をやっておいて」

「出来る事?」

 ヒカルとアキラが顔を見合わせた。

「うむ」

 委細承知とばかりに明実が頷いた。

「模型部に頼んだミニチュアを使っての撮影及び、その映像の加工など特撮シーンならば、フジワラが居なくとも問題はあるまい」

「模型だからって、爆発させるンじゃないわよ」

 撮影隊が最後っ屁で爆破シーンを撮ったことは、すでに彼女の耳に入っていた。牙を剥いてみせる由美子に、明実は慌てたように手を振った。

「おいおい。学校の敷地内で派手な事は慎むようにしとるぞ、おいらは」

「もう一人の爆発好きが心配だから言ってンでしょお」

 ギラリと天敵の代わりに睨むと、明実は一歩下がった。

「あいわかった」

 深々と頷いた明実は言った。

「なるべく爆発規模は小さくすることを約束しよう。四かける一〇の九乗カロリーぐらいまでに抑えるよう努力する」

 明実の言葉を聞いた瞬間に、ヒカルが笑いをこらえきれずにブッと噴いた。

 細かい数字を聞かされて、逆に煙に巻かれたような顔になっていた由美子は、意味が分かったらしいヒカルに目線だけで説明を求めた。

「この前、某国が国連の安全保障委員会決議違反で怒られた核兵器がそれぐらいの威力だ」

「かくへいき…」

 三秒間だけ理解が遅れた由美子は、噛みつくような顔を明実に向けた。

「みかどぉ~」

「おおっと」

 さっきの恵美子のように後ろへ跳び退った明実は、あからさまに話題を変えた。

「で、話しは変わるがの。今日はいいのかの?」

「いいって、なにが?」

「マカゴを図書委員会へ連れて行かなくても。いつものドタバタ騒ぎが無かったから、イマイチ放課後になった気がせんでの」

 明実の質問に由美子は凍り付いた。慌てて周囲を見回した。

「あ~! はやく言ってよ! 逃がしたじゃない!」

 腰を浮かして教室内を見回せば、彼女の席に集まった顔以外はもう誰も残っていなかった。もちろん孝之なんて姿形どころか影すら無かった。

「あ~!」

 悲鳴のような声を上げる由美子の前で、のんびりと三人が顔を見合わせた。

「やっぱり逃がしちゃいけなかったみたいだな」

「なによ、代わりに捕まえてくれてもよかったじゃない!」

「そう言われても、オレたち委員じゃないもんで」

「んっもう!」

 思い通りの成らない現実に、由美子はまたまた地団駄を踏むのであった。



「どうぞ」

 扉をノックすると、室内から女性の声で許可する言葉が聞こえた。

「こんにちは」

 頭を下げながら引き戸を開けると、廊下とは別世界が広がっていた。それまで質実剛健が優先だった空間から、贅沢に時間を過ごす空間に変わる。もう少し詳しく言えば、ビニール張りの床や不愛想なペンキ塗りの壁から、扉をくぐっただけで木材に似せた防火材の床と目に優しい色合いの壁紙にと変わるのだ。

 お茶を用意するどころか簡単な調理すらできそうな給湯スペースに、脱衣室まで備えたシャワールームは、入院患者だけでなく付き添いの者も不便で無いように用意されたものだ。

 大きな冷蔵庫に、まるで映画館のようなプロジェクターまであった。ホテルではないのにこの豪華仕様、一泊の値段を考えるだけで普通の家庭では考えられないような金額が請求される事は間違いないだろう。

「こんにちは、由美子さん」

 特別な入院客のための個室に入って来たのは、清隆学園の制服姿のままの由美子であった。

 出迎えたのは、豪華な内装の病室にすっくと背筋を伸ばして立っていた四〇代と思わしき女性である。

中肉中背と表現して間違いない背格好をしている。着ている服も質素に見えるタイトスカートに、飾りの少ないブラウス。それに丈の短めのチョッキをあわせていた。

 長い髪を後ろで丸くお団子に纏めていて、清潔感の塊のような女性であった。

「こんにちは、おばさま」

 由美子は相手を確認して再び頭を下げた。彼女は片岡(かたおか)(みお)と言って、由美子に母親の再従妹(はとこ)に当たる人物だ。

 由美子が小学生の時に、叔祖父の弘幸はガンで長年連れ添った妻を失った。独身となった弘幸が不便の無いように、身の回りの世話をしている女性でもある。

 もちろん由美子も、もう高校生であるから身の回りの世話という物がどの程度まで含むのかまで知っているつもりだ。

「残念ねえ」

 由美子に似た切れ長の目を持つ澪が、右頬に手を当てて病室内を振り返った。

「さっきまで『ユー坊はどうした』って言ってたのに。この人ったら寝てしまったのよ」

 起こしてはいけないという声量に配慮して、由美子も静かにベッドを覗き込んでみた。

 毛布だけを体にかけて恰幅の良い体が病院のベッドに横たわっていた。

 もちろん検査入院であるから、酸素マスクなど大仰な色々が取り付けられているわけもない。後に投薬などの管理に便利がいいために、ライン取りされた生理食塩水の点滴が繋がっているだけだ。

 静かに上下する毛布の様子から、熟睡していることが見て取れた。

「ごめんなさいね、無駄足を踏ませてしまって」

「いいえ」

 慌てて首を振って、中途半端に伸びてしまった髪を散らした由美子は、澪に微笑んだ。

「この病院には、私の友だちも入院しているんです」

「あら? じゃあ、お見舞いの掛け持ち?」

「はい」

 自分へ特に目をかけてくれる叔祖父には聞かせられないなと思いながら由美子は笑顔を作った。

「せっかく来て下さったのに、しょうがない人よね」

 由美子に同意を求めるように澪も微笑んだ。

「あ、あの。これ」

 検査入院と聞いて花束は大げさと思い、紅白の千代紙で折った鶴を通学用バッグから取り出すと、澪は開いた両手で受け取ってくれた。

「あらあら」

 フーッと畳まれた鶴に息を吹き入れて膨らますと、ベッドのサイドテーブルに飾った。

 いくら豪華設備とはいえ、どことなく殺風景だった病室に、家庭的な雰囲気が現れた。

「目を覚ましたら、きっと喜ぶわ」

 ニコッと魅力たっぷりな微笑みでベッドから振り返ると、寝ている弘幸の顔をまじまじと覗き込んだ。

 やはり起きる様子は無い。

「それじゃあ、階下(した)の喫茶店で、ケーキでも食べましょうか」

 潜めたままの声で由美子に振り返った。

 サイドテーブル脇に置かれた椅子からコーチのバッグを取ると、澪は先に立って病室を出た。

 お年頃の女子として、由美子も甘味は大賛成である。

「ほんと、ごめんなさいね」

 廊下をエレベーターの方へと踏み出しながら澪は、普通の声でまた謝った。

「いえいえ」

 慌てて彼女の背中を追った由美子は、ブンブンと首を振った。

 病院は、そろそろ早めの夕食が支度される時間である。廊下には大きな配膳車が何台も並び、おいしそうな匂いを立ち上らせていた。

 そんな病院にしては騒然としている時間帯の廊下に、キコキコと耳障りの悪い音が混じっていた。

 由美子が音の方角を見ると、夕食前後の薬を配るために、薬を患者ごとに小分けして用意した銀色の台車を看護師が押して回っていた。どうやら四つあるキャスターの内、一つの回転が悪いようだ。

 患者の名前と薬の種類を書いた札を立てたプラスチック製の小皿が並んだ背の高い台車を押すのは、こういう大病院では珍しくない男性の看護師であった。厳重にマスクを重ねているのは、感染症対策であろうか。黒い髪の毛はまるでプラスチック製のヘルメットを被っているように、整髪料でガチガチに固めているのは、抜け毛対策であろうか。

 エレベーターホールに向かう二人と、音を立てる台車とがすれ違おうとした。

(あれ?)

 澪と看護師が目線を交わ(アイコンタクト)したような気がして、由美子の足が鈍った。なにか変な違和感がして背の高い看護師と目を合わせると、彼女を見据えた彼は視線を揺らさずにすれ違った。

 赤い色が混じった茶色い瞳に見覚えがあったような気がして、由美子は立ち止まって台車を見送った。

「由美子さん?」

 止まってしまった由美子を訝しむように澪が声をかけてきた。

「あ、いま行きます」

(まさかね)

 夕食の配膳でエレベーターはなかなか来なかった。


 検査入院だったはずの藤原弘幸氏の容態が急変したのは、その夜の事だった。


十月の出来事B面・おしまい


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