表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十月の出来事B面  作者: 池田 和美
1/11

十月の出来事B面・①

★登場人物紹介

海城 アキラ(かいじょう -)

:本作の主人公。春に交通事故に遭って、人では無い『創造物』とやらに『再構築』された身の上。段々と女の子としての生活に馴染んできた模様。

御門 明実(みかど あきざね)

:自称『スロバキアと道産子の混血でチャキチャキの江戸っ子』の天才。そして変態である。アキラの体を『再構築』した張本人。

新命 ヒカル(しんめい -)

:自分を『構築』してくれた『施術者』の仇を追ってアキラたちと出会った『創造物』。護衛と引き換えに、自分の体のメンテナンスを明実に任せているが、徐々に調子を落としてきている。

海城 香苗(かいじょう かなえ)

:この物語のメインヒロイン(本人・談)今回は出番なし。

藤原 由美子(ふじわら ゆみこ)

:清隆学園高等部一年女子。アキラのクラスメイト。とうとう外伝なのにメインキャラのようにふるまうようになってきた。

真鹿児 孝之(まかご たかゆき)

:同じく高等部一年男子。由美子とはクラスで「仲良くケンカする仲」である。今回は意識不明になる直前で助かる。

佐々木 恵美子(ささき えみこ)

:同じく高等部一年女子。由美子とはクラスメイトで、生徒会主催の(裏)選挙で『学園のマドンナ』に選ばれる程の美貌を持つ。今回は結構出番があり。

岡 花子(おか はなこ)

:同じく高等部一年女子。由美子と同じ図書委員会副委員長の職に就いている。今回の出番はあまり目立たない。

サトミ

:ヒカル曰く「超危険人物」。由美子の「天敵」。いつもは謎の人物だが、今回は割と普通。まあ騒動屋なところは相変わらず。

不破 空楽(ふわ うつら)

:同じく高等部一年。今回は高校生と言うより用心棒としての出番の方が多い。

権藤 正美(ごんどう まさよし)

:同じく高等部一年。今回は端役。

マーガレット 松山|(- まつやま)

:アキラたち一年一組の副担任。その正体は『施術者』の一人であるクロガラス。

鍵寺 明日香(けんじ あすか)

:アキラたちと同じような「人外のもの」。今回は出番なし。

ゴン

:明実の協力者である醍醐クマの使用人。今回の助っ人その一。

大岩 輝(おおいわ だいや)

:明実の協力者である醍醐クマの使用人。今回の助っ人その二。

左右田 優(そうだ まさる)

:敬虔な信者。正義のために天使に協力する。

天使

:天界から降臨した存在。今回は臥薪嘗胆して潜伏中。





「はああ」

 教室の自席で一人の女子生徒が深い溜息をついた。

 ここ清隆学園高等部の制服に包まれた体は、身体的特徴は特にコレといってない普通の少女だ。とりわけ太っているわけでもないし、痩せすぎでもない。まあ本人に訊ねたら二の腕辺りを部分痩せしたいと言うかもしれない。クラスメイトには芸能人顔負けのプロポーションをしている者もいるが、そんな派手なシルエットをしているわけでもない。忙しさにかまけて伸びてしまった髪に、頬には夏の間にお肌のケアをサボった証拠のソバカスが散っていた。

 だが、いまは胡乱気(うろんげ)な視線を漏らす瞳の魅力は他の追随を許さない。気だるげな表情の中でも意志の強さが現れていた。

 秋になったとはいえ残暑が厳しいので上着を省略した夏季制服。その胸に安全ピンで留めたフェルトには、清隆学園の校章、ここ一年一組を示すクラス章の他にあと二つの徽章が、教室に取り付けられた安物のLED照明の光を反射していた。

 開いた本の形をした徽章は図書委員会の物だ。各クラスから二名ずつ選出される図書委員は必ずつけることとされている。もう一つの流星マークは、リーダー章と言って、所属する団体の指導者になった者がつけることが許される徽章である。この場合、図書委員会の徽章と合わせて彼女が図書委員長であることを示していた。

 就任してまだ一ヶ月も経っていないというのに「歴代最強」の定冠詞をつけて語られている今代の図書委員長、藤原(ふじわら)由美子(ゆみこ)とは彼女の事だ。

 一年だてらに委員長職に就いたのは伊達でもなんでもない。やる気のない上級生を脇に置き、一学期から夏期休暇中の図書室の運営まで、副委員長として女の細腕で切り回した才媛である。いわば役職が後からついて来たと言って過言ではないだろう。

 清隆学園の高等部では、校内のあらゆる文章を管理する図書委員会である。よって委員会同士の密約だったり、権力闘争だったり、生臭い裏の事件もてんこ盛りにあったが、それすらも剛腕に物を言わせて解決してきた自負すらあった。

 その彼女が、いま憂鬱げに溜息をついていた。

「なあに王子」

 後ろから細い指が伸びてきて、彼女の両肩を優しく掴んだ。柔らかい手つきで()っている彼女の肩を(ほぐ)し始めた。

「あ~、そこそこ」

 つい、零細企業に就職して十二年、三十路に入った(アラサーの)経理担当女性社員と言った感じの声が由美子から出た。

「恋の悩み? おねえさんが相談に乗るよ」

「バカ。ンなんじゃねえよ」

 自らも首を左右に倒して解しながら、肩を揉んでくれる背後の人物に振り返った。

「わかってンだろ、コジロー」

「王子、言葉遣い悪いよ」

 放課後に教室に残っていた由美子の肩を揉んでいたのは、未来技術を先取りしたようなコンピューターの立体映像…、と見間違うほどの美貌を備えた人物だった。

 由美子と同じ紺色のブレザーを元にした夏季制服を身に着けているが、他の女子たちから「イケてないOLのようだ」と酷評されるこの服を着ていてもなお、彼女の魅力が陰る事は無かった。

 顔の全てが黄金律…、いや瞳だけ取り出してみてもその奇跡の数字に計算されて形作られたような美しさを持ち、長い黒髪を今日は両サイドで結んでツインテールにしていた。

 彼女は佐々木(ささき)恵美子(えみこ)といって、由美子とは仲良く遊ぶ仲であった。その美しさから、毎月生徒会が非公式で企画運営している生徒会(裏)投票の『学園のマドンナ』に今月も選ばれたほどだ。ちなみに四月の入学から連続半年間というのは、学園創立以来の快挙らしい。

 ただの高校生にしておくのには勿体ない美貌であるが、芸能関係からお声がかかったという話しはトンと聞かない。本人が学業を優先していてそういった派手な世界にまだ興味を示していないからという説が有力だ。ある噂では、彼女があまりにも美しく学内のほとんどの男子が神聖視しているため、そういう仕事について彼女が授業を休みがちになると、不登校になる者が大量発生する事になるのを学園側が恐れてだとか。

 二人は同じ一組で班を組んで行動する事が多かった。まあ普通の女子ならば、彼女の美しさに気後れして、同行する事すら嫌がるかもしれなかったが、由美子には関係ない事だった。

「まさか王子…」

 由美子を学内で流行している彼女のアダナで呼んだ恵美子は、口元にチャームポイントの牙…、八重歯を覗かせて微笑んだ。

「サトミとの熱いキスを想い出していたとか?」

「コジロー!」

 さすがに天敵と目している存在との変な噂を流されるのが嫌で、由美子は怒った顔をした。

 ちなみにコジローとは、恵美子の名字と、彼女の剣道の腕前と、双方から連想された昔の剣豪にあやかってつけられた呼び名である。恵美子はこう見えて一年生ながら剣道部のエースで、十一月に行われる剣道の全国大会へ駒を進めた身なのだ。

「そんなことは、ぜっ…(一分経過)てーねーから!」

 この間、図書室で起きた事件は、永久に忘れていたい出来事だった。

「じゃあナニよ?」

 両手を由美子の肩に置いたまま恵美子が首を傾げて訊いた。スポーツをやっているため身長が高く、大人びた仕草が良く似合う彼女であったが、そうした幼女のような挙動も絵になった。

「コレよ、コレ」

 由美子は自分の机の上に置かれた一枚の紙をつまらなそうに指し示した。

「コレって、アレ?」

「そ」

 素っ気なくこたえた由美子は、また溜息をついた。

 この間に開かれた図書委員会の会合は「来たる『清隆祭』の出し物について」であった。

 ほとんどの委員が欠席するという異例な会合で一悶着あったが、結論は「映画の上映会」という物に決定した。これならば図書室へスクリーンを張れば、そんなに人手がかからずに、それなりに図書委員会が活動している態を取る事が出来ると思われた。

 だが実際に上映する映画のタイトルとなると、アチコチから口を挟まれる事になったのだ。

 一番大きいのは映画研究部の声だ。委員会で上映会をされると、自分たちの活動が陰に隠れてしまうという物だ。まあこれぐらいは由美子も想定していた内だった。

 だが生徒会の方からも物言いが入ったのは意外だった。

 各クラスの教室が並ぶ高等部B棟。そこから生徒会の各委員会が部屋を持つD棟二階へは、校舎の南西の角を曲がればすぐだ。

 手前右側に生徒会執行部の大部屋があり、その隣に生徒会長室があった。

 生徒会長直々の呼び出しに赴いてみれば、まるで独裁者の執務室を真似たかのように、見上げるような校章のタペストリーの前に置かれた大きな執務机に着いた生徒会長は、国連直属の非公開組織である某特務機関の髭司令のように、両肘をついて指を組み合わせて言った。

「まず前提として、図書委員会の活動に制限をかけるつもりは、生徒会としてはない」

 もっともらしい前置きの後に、山田(やまだ)亜樹登(あきと)生徒会長は、目線を脇で控えていた副会長にやった。

 知的美女(クールビューティ)で学内に名を売っている副会長は、一歩前に出るとスラスラと口から出まかせのように説明を始めた。

 それが、いま会長が言った前置きが何だったのかと思うぐらいの注文だったのだ。

 曰く、かつてビデオ上映会と称して十八歳未満に視聴制限がかかっているような、いかがわしい映像を流したバカ者が居るため、そういった物の上映は当然禁止。

 曰く、日本が世界に誇るアニメーションに含むところは無いが、教育機関たる清隆学園の公式な委員会が上映するには相応しくない。

 曰く、同じように日本が世界に誇るマンガ文化に含むところは無いが、それを実写映画化した作品を上映する事も、同じ理由で(はばか)れる。

 曰く、残酷表現のある作品は、学園という青少年が健全な成長をしていく場に相応しくない。

 曰く、暴力行為を助長するかのような表現のある作品は…(以下同文)

 曰く、脱法行為を助長するかのような…(以下同文)

 曰く、体制派を卑下するかのような…(以下同文)

  エトセトラ、エトセトラ…。

「これじゃあ流せるの交通教則のビデオぐらいじゃない?」

 ただの連絡事項ならば生徒会役員同士が利用しているショートメッセージサービスだけで事が済むはずだ。それをわざわざ生徒会長室へ呼びつけ、さらにペラ紙一枚とはいえ印刷物として渡されたという事は、重要な意味を持つことになった。

 禁止例をも掲載したこの紙一枚には、辞書のような重みがあった。

 生徒会の制限ではなく、図書委員会への注文だけでコレである。

 さらに映画研究会が自分たちで『清隆祭』で上映しようとしている作品と被らないようにと「陳情書」を、先の抗議とは別に生徒会へじきじきに上げているし、アニメ研究部は、マンガ研究部とあわせて、まだ劇場公開から日の浅い某劇場作品を、卒業した先輩などのツテを使って上映する企画があるようだ。そちらだって無視するわけにはいかないだろう。

 全ての注文を聞き入れて上映する作品を決めていったら、本当に交通教則とか大学のキャンパス案内ぐらいになってしまうのではないだろうか。

「大変ねえ」

 由美子のボヤキのような説明を、他人事のように聞いていた恵美子の顔を、キッと振り返った。

「コジローのせいでもあるんだからね」

「おっとぉ、こわいかお」

 恵美子は彼女から少し距離を取った。

 なにせ図書委員会が映画の上映会をするという事に決まったのには、図書委員では無いはずの恵美子が絡んでいた。しかも、事件の詳細は省くが、由美子に睨まれるだけの事はしでかしていた。

「じゃあ、いまから適当な展示に変更する?」

「そうもいかないんだよなあ」

 机に突っ伏しながら由美子は悲鳴のような声を漏らした。これが部活の出し物ならば、直前に変更してもあまり問題にならなかったであろう。だが図書委員会はれっきとした生徒会の一部である。しかも一年生である由美子が委員長に就任して、初の大きな仕事でもある。

 学園内の政治的な関心も集まっているところで注文が多いからという理由でコロコロと決定事項を変えていたら、由美子自身に問題ありとレッテルを張られかねない。なにも朝令暮改が嫌われるのは、お役所だけではないのだ。

 生徒会へ正式な届け出をした以上は、たとえスクリーンへ交通教則を流すことになろうとも、図書委員会は上映会を行わなければならないのだ。

 由美子は身を起こすと改めて深い溜息をついた。

「なんか調子が出ないと思ったら…」

 俯いた後頭部へ新たな声が降って来た。顔を上げると、教室の前の方から男子一人の両脇に女子二人という三人組がやってくるところだった。

「どうしたフジワラ?」

 三人の中から話しかけてきたのは、黒髪の少女であった。ベストまできっちり着ている由美子と違い、上は半袖のブラウスのみである。猛暑期にはベストを省略してよいという文言があるため、いちおう清隆学園高等部の服飾規定に従った格好である。

 唯一他の生徒と違うのは、腰に巻いたウエストポーチであった。

 背は平均よりは低めだが、エキゾチックな雰囲気を纏っている美人と言って差し支えない風貌だ。まあ『学園のマドンナ』と比べては失礼だろうが、彼女とはまた違う魅力を持った少女である。

 トレードマークにしている世界的に有名な柄付きキャンディを咥え、右手にはなぜか髪を梳かすためのブラシを握り、ちょっとシニカルな微笑みを浮かべていた。

 気のせいか瞳の奥に青い炎のような光が宿っているような気がした。

 その正体は、由美子、そして恵美子と同じ班を組む新命(しんめい)ヒカルである。一学期の間は短めにしたスカートの下に、ちょっとぶっそうなアクセサリーを着けていたが、二学期に入ってからは、どうやらやめたようだ。

「見て分からない?」

 クラスメイトで女子同士という気軽さで、由美子はこたえた。

「…?」

 ヒカルは横に立つ、またコレも美少女という表現がよく似合う少女と顔を見合わせた。

 ヒカルのエキゾチックさとは違うが、街を歩いただけですれ違った十人の男性の内八人が振り返るような可愛らしさと美しさを併せ持った美貌である。恵美子の黄金律に支配された美とも違うし、由美子の魅力ある瞳とも違った。

 一年一組は三人ごとに集まって一つの班を編制しているのだが、人数の関係で由美子が班長をするこの班だけは例外的に四人組になっていた。

 その四人目が、ヒカルの従姉妹にあたる海城(かいじょう)アキラであった。

 この由美子が所属する班には、いつの間にか「美女たちと野獣」というアダナがつけられていた。美女やら野獣やらが誰に相当するのかは推して知るべし。

「委員会の出し物よ『清隆祭』の」

「あ~」

 ヒカルとアキラが揃って声を漏らした。二人の様子から、図書委員会で上映会をすることになった顛末を知っていることが予想された。

「映画だっけ?」

 アキラの方がおずおずと訊いた。体育の授業を休みがちという身体ゆえか、ヒカルと比べてアキラの方が消極的な性格をしているように由美子には見えていた。

「そ。上映会」

「上映する内容は、みんなの意見を聞いたのであろう?」

 怪しげな発音の日本語が、垂直に近い角度で落ちてきた。ヒカルとアキラといつも一緒にいる男子が発言したのだ。

 平均的な日本人に比べて堀の深い顔に規格外に高い身長、白い肌に薄く淡い色をした髪の毛と瞳をしていた。なぜか清隆学園高等部の男子用制服の上から白衣を着用していた。

 この外見には単純な理由があった。彼の母親はスロバキア出身であり、彼の父親とは国際結婚をしたのだ。その愛の結晶として生まれたのが彼、御門(みかど)明実(あきざね)である。つまり混血児(ハーフ)というわけだ。

 自称「スロバキアと道産子の混血でチャキチャキの江戸っ子」である彼は、高校生ながらいくつものパテントを所持している天才であり、大人たちからは「明日のノーベル賞受賞者のその候補」と目される頭脳を持っていた。まあ自称から推察されるように、それに輪をかけた変態であるのだが。

「みんなの希望がそのまま通るンなら、ココで頭を抱えてないの」

 由美子は八つ当たりで明実を睨み返した。

「生徒会に太い杭を打ち込まれたんだって」

 恵美子が机に置かれたプリントを摘まみ上げ、ヒラヒラと振ってみせた。

「杭を打ち込まれるとは、オヌシさてはバンパイアだな」

 中央ヨーロッパの血が入っている明実が言うと、実感があった。

「クギよクギ。でもクイでも同じかも」

 由美子は厭世的に言い放った。

「どれ」

 ちょっと眉間にしわを寄せた明実がプリントを受け取り、ざっと目を通した。要約してヒカルとアキラに説明するが、由美子が理解している内容と変わる所はなかった。

「めんどくせえなあ」

 咥えたキャンディの柄をピコピコ上下させながら、ヒカルはアキラを由美子の前の席に座らせて、持っていたブラシで髪を梳かし始めた。

「いっそ反逆して、文化祭当日にエログロの十八禁を流しちまえよ」

「無理に決まってンでしょお」

 口にしたヒカルですら十分にわかっている口調であったが、由美子は机に突っ伏しながら否定した。

「ふんふん、これはアレだな」

 上から下まで、まるで役所の定型文を参考にしたかのような堅苦しい文章を吟味していた明実は、由美子の机の上へプリントを戻しながら感想を述べた。

「カガヌマ女史の思惑がだいぶ入っているようだの」

「かがぬま?」

 恵美子がキョトンとして聞き慣れない名前を繰り返した。

加賀沼(かがぬま)祥子(しょうこ)女史。現生徒会副会長で、昨年まで『学園のマドンナ』を他の女子生徒と競っていた二年生だ。今月の(裏)投票でも三位につけていたと思うが?」

「?」

 キョトンとした恵美子は、突っ伏したままプリントを返却された由美子と顔を見合わせた。

「つまりだな」

 二人の様子から説明が足りないと感じ取ったのか、明実は唇を嘗めてから言葉を繋いだ。

「カガヌマ女史は、美しさでも実務能力でも学園内で一、二位を争うほどの生徒会美人役員だったのだ。きっと去年は複数の男子にチヤホヤされて気分が良かったのではないかな。その立場を、今年は新入生に奪われて、あまり面白くは無いのであろう」

 話しが半分も分かっていないのか、まだ二人はキョトンとしていた。すると何を思ったのか、机の上に戻ったプリントをヒカルが掬い取り、上から下へ斜め読みをした。

「あ~、たしかにそんな感じだな。『図書委員会で映画の上映会ですって? やれるものならやってみなさい。この私が全力で邪魔をしてあげるから。オ~ッホッホッホ』ってなトコだ」

 わざわざ手にしていたブラシを隣の席へ置いて、高笑いの時は小指を添えて見せたヒカルが、プリントをアキラへ回した。

「つまり仕事の出来るフジワラに嫉妬をし、無理難題を押し付けてきたってところか」

 ヒカルが噛んで含めるように明実の説明を要約した。

「代わってくれるンなら、今すぐにでも代わって欲しいわ、こんな仕事」

 由美子は即答した。

「アタシはただ、静かな図書室でノンビリしたいだけ。それなのに『常連組(とんでもないやつら)』が居るから、こうしてしなくていい苦労をしてるンでしょうが」

 ギラリと殺気すら含んだ目で明実を見上げる由美子。今年の清隆学園高等部図書室には、由美子を始めとして有能な図書委員を抱えることになったが、それと同時に『常連組』と呼ばれるお祭り騒ぎが好きな連中も迎えてしまった。特に『正義の三戦士(サンバカトリオ)』と呼ばれる三人を中心に、静寂が求められる図書室で毎日のように騒動が起こされていた。

 そして制服の上の白衣が象徴するように、科学部総帥として資料を求めて図書室に顔を出す明実もまた『常連組』に含まれるのだった。

「生徒会にまで苦情が回ってる時があンのよ」

「それは大変だ」

 まるで自分には無関係だと言わんばかりの明実。クワッと牙を剥き、由美子はさらに文句の一つでも言おうとした。

「ちょっとまって」

 最後にプリントを回されたアキラが、紙面の一部を指差していた。

「これって、どういう意味かなあ」

「どれ?」

 アキラがプリントを机に戻したので、一同は細い指先が置かれた一節を同時に覗き込むことになった。

「なお自主製作映画に関しても上記の制限は適用される物とするが、脚本その他を生徒会からのチェックを受け入れることにより、緩和する可能性もあるとする」

「こら生徒会の…、いやココだけ文面が違うから、ヤマダ会長の良心だな」

 恵美子が声に出して読み上げた一節の感想を明実が言った。たしかに他の場所は、古文の練習問題かと勘違いしそうな法律の条文のような書式だが、一番下に付け足されたように書かれたこの一行だけは、まだ現代文に近い構成をしていた。

「おそらく厳しい条件だけを上げるカガヌマ女史の横暴が喧伝されると、生徒会が機能不全と取られかねないから、ヤマダ会長がブレーキをかけたのであろうな」

「つまり?」

 いまだキョトンとしている由美子に向けて、明実は人差し指を立てて見せた。

「つまり、自分で作った映画なら、生徒会のチェックを条件に、ここまで厳しい注文をつけないっちゅーことだ」

「は?」

(何を馬鹿な事を言っているンだろ、このアホは)と言っている顔で由美子は明実を見上げた。

「映画を…、つくる?」

「そ。自主製作映画。たしか二年生の幾つかのクラスや、映研も今年は自分たちで作った映画を流すと聞いておるが?」

 頷いた明実から視線を外し、由美子は隣で同じような顔をしている恵美子に振り返った。

「映画って作れるの?」

「そらプロが作れるんだから、アマだって作れるさ」

 こたえたのはヒカルであった。

面倒臭さ(てま)時間(ひま)を考えないなら、個人で飛行機だって作れるぜ」

「作ったことがあるような言い草だな」

 明実のツッコミに、ニヤリと片頬を歪めたヒカルは「さあてな」と曖昧に言った。

「つまり、あれね」

 由美子は確認するように明実に振り返った。

「交通教則を流すか、それか映画を自分で作って見せろって、言われているわけね」

「そう取って構わないと思う」

「言われているんじゃない」

 ヒカルはゆっくりと頭を振りながら訂正した。

「生徒会にそう挑戦されているんだ」

「むむ」

 挑戦されていると言い換えられると、自分でも自覚しているが、元来の負けん気の強い性格が頭をもたげて来るのが分かった。

「とにかく映画を一コ作ればいいのね?」

 由美子の再確認にヒカルは楽しそうに頷いた。

「また、そんな焚きつけて」

 アキラは百ほど言うことがあるような顔をしていた。

「で、話しは変わるがの」

 ヒカルに煽られるだけ煽られている由美子に、明実が不思議そうに訊いた。

「今日はいいのかの?」

「いいって、なにが?」

「マカゴを図書委員会へ連れて行かなくても。いつものドタバタ騒ぎが無かったから、イマイチ放課後になった気がせんでの」

 明実の質問に由美子は凍り付いた。既述したとおり図書委員は各クラスから二人が選出される。一年一組において、一人は由美子であったが、もう一人は真鹿児(まかご)孝之(たかゆき)と言って、委員会よりも所属する天文部の活動を優先する男子であった。

「あ~! はやく言ってよ! 逃がしたじゃない!」

 一年一組では、天文部へ行こうとする孝之を、由美子が委員会へ連行するために捕まえようとする騒ぎが、放課後の始まりの合図のようになっていた。由美子に言わせると、委員長のクラスのもう一人がサボリ魔では、他の委員に示しがつかないらしい。

 腰を浮かして教室内を見回せば、彼女の席に集まった顔以外はもう誰も残っていなかった。もちろん孝之なんて姿形どころか影すら無かった。

「あ~!」

 悲鳴のような声を上げて席を立つ由美子の前で、のんびりと三人が顔を見合わせた。

「やっぱり逃がしちゃいけなかったみたいだな」

「なによ、代わりに捕まえてくれてもよかったじゃない!」

「そう言われても、オレたち委員じゃないもんで」

「んっもう!」

 思い通りの成らない現実に、由美子は地団駄を踏むのであった。



 東京都下武蔵野の良き風景がいまだに残る多摩地区に、清隆学園はあった。大学の文系学部など他の場所へ移転した物もあるが、創立されて以来ココにある学園には、幼年部(幼稚園)から始まって、初等部(小学校)中等部(中学校)高等部(高校)と付属校も併設し、職員家族用の保育施設や世界の最先端を突き抜けているという噂の研究施設まで入れれば、〇歳の赤ん坊から、棺桶に片足が入ったような老人までが、学問に触れる総合教育機関ということになる。

 第二次世界大戦後から続く歴史の中では色々な事があった。流行した学部が今は廃止されてしまったり、老朽化した校舎が解体されたりと、全てが創立時のままと言うわけでは無かった。

 だが理学部の科学研究棟の近く、雑木林にまだ手をつけていないように見える場所に建てられた小さな教会は、十年一日のごとく古い外観のまま存在していた。

 白い羽目板構造の外観は、鉄板葺きの屋根と合わせて札幌市にある時計台に似ていた。ただしこちらは一階建てで、屋根の上に立つのは礼拝を知らせる鐘楼であった。

 放課後になった今、礼拝する広間に付属した小部屋に、黒服姿の青年が入っていった。肩には少し破けたディパック、右手には買い物袋を提げていた。

「こんにちはラモニエルさま」

 部屋に入るなりしゃっちょこ張った姿勢で頭を下げた。

 彼は清隆学園高等部一年の左右田(そうだ)(まさる)である。細い銀色フレームをした眼鏡をかけた横顔は、シンガソングライターもしている俳優に似ていると、一部の女子から人気があった。が、その人目を気にしない奇行の数々が全てを台無しにしているとも言われていた。

 いま着ている黒い服も、司祭平服(キャソック)などでなく清隆学園高等部において制定されている第二種制服である学ランだ。ただ服飾規定によると、夏服において男子は白いワイシャツに紺色の夏用ズボンが好ましいとされていた。学ランはあくまでも冬服限定の第二種制服であるはずだ。

 しかもボタンは三つも外したままだし、下に着ているのは黒いワイシャツだし、首元に白いスカーフと、第二種制服として定められた格好とはだいぶ離れた姿でもあった。

「こんにちは、マサルくん」

 出迎えたのは小学生ぐらいの男の子であった。

 部屋に置き忘れたように存在した古い調度品。その木製の椅子で胡坐をかいている姿は、ちょっと教会に相応しくない姿だった。

 あまりにもサイズが小さすぎて隠せないお腹に、あらゆる場所が肉体に食い込んでいるようなサロペットという姿である。

 ただ子供にしては整った顔立ちをしていて、どこかの芸能事務所に子役として所属しているのではないかという横顔をしていた。髪の毛は何かで脱色が進んでいるようで、根元はアッシュブロンドという色だが、毛先へ行くにしたがって濃い色へと変化していた。

 キョロリと優を捉えた瞳は、光の加減でオレンジ色に見える茶色であった。

 一見すると、小学生に頭を下げる高校生というアンバランスな光景である。しかし理由を知れば納得できるかもしれない。

「ラモニエルさま。お食事をお持ちしました」

 優は古いテーブルの上に買い物袋を置いた。中から小さな紙パックの牛乳と菓子パンが出てきた。

「ありがとう。受肉したはいいが、定期的に空腹になるのは面倒だね」

 ニッコリとラモニエルと呼ばれた男の子は天使のような笑顔を向けた。いや、彼は本当に天使なのだ。その証拠に、彼の周囲を赤ん坊のような容姿に羽を生やした小柄な従者(キューピット)たちが三羽も待っていた。

「キャハ」

「キャフ」

「キャハハ」

 キューピットたちは無邪気な赤ん坊のような声で、まるで鳥が囀るように笑い声を交わしていた。

 ラモニエルは、二学期が始まった直後に、この教会に優がいたところやってきた、正真正銘の天使である。敬虔な信者の優が丁寧な言葉遣いをするのも当たり前と言えよう。

「そちらのキューピットたちには、食事は要らないのですか?」

「ああ、彼らには何も必要ない。私が地上へ呼びつけた存在だからだ。エネルギーが足りなくなったら自然と天界へ戻り、地上で働けるようになるまで休むことになっている」

「はあ」

 優は納得いっているのかどうか曖昧な返事をした後に、ラモニエルとは反対側の席に、ディパックを置いた。

「そういえばラモニエルさま」

 ジーッと滑りの悪いジッパーを開いて中から荷物を取り出した。

「?」

 菓子パンの包みを開きながら、彼が何をし始めたのか気になったのか、大きな瞳を向けてくる。優が取り出したのは、子供用の服であった。

「そろそろお召し物がきつくなってきたご様子なので、リサイクルショップで服を買ってまいりました」

 出てきたのはトレーナーに半ズボンという、いまのラモニエルの外見に似合いそうな子供服であった。

「靴はさすがにサイズがわからないので…」

「おお、すまないねえ」

 あっというまにパンを平らげたラモニエルは、牛乳のパックを開けながら感謝の言葉を口にした。

「必要経費は後でバチカンへ請求してくれたまえ」

「…」

 優は三秒間だけ考えた。

「どうやってです?」

 カソリックの総本山たるバチカン市国へ電話をかけて、地上に降りた天使の必要経費を請求したところで、聞き入れてもらえるとは到底思えなかった。

「…、それもそうだね」

 ちょっと考えただけでラモニエルも無理がある解決法だと悟ったらしい。素直に頭を下げると優へ言った。

「しばらく金銭的にも無理をさせるかもしれないが、主の定めたもう秩序のために協力を改めてお願いする」

「まあ、そんなに大金ではないですけど」

 なにせ古着の子供服だ。これが新品のブランド物などであればビックリするぐらいの値段もしようが、高校生が動かせるお金の範囲で手に入る品物であった。また食費の方も、本当の小学生ならば食べ盛りで結構な量が必要になるのだろうが、天使と人間では違うのか、毎日菓子パンと小さな牛乳パックで満足している様子である。これぐらいならスポーツをやっている高校生ならば三食以外にオヤツとして毎日食べている程度であるから、これまた経済的負担と言い出しては大げさな金額であった。

「やはり、ボクの家にお越し願うのは無理なのでしょうか?」

「それは、君の家に迷惑がかかるかもしれないので拒否する」

 飲み終わったパックを丁寧に畳みながらラモニエルは答えた。

「私はこの地上に正義を執行するために下りて来た。つまり悪が敵だ。悪の何がいけないかというと、限度に程が無いという事。私の協力者と言う事で、君、もしくは君の家族が危険な目に遭う事を私は望まない」

「しかし…」

「幸いわが身は人に似て人に非ずだ。ここで充分に生活できている」

「シャワーや風呂などは…」

「私には必要ないぞ」

 たしかに、この教会に来てからラモニエルは一回も入浴をしたことがないはずだ。それなのに、その髪からは香木のようなかぐわしい匂いが立ち上っているほどなのだ。着ている服だって少々ホコリがついているが、垢などで汚れたように見えなかった。

「私が食事をするのも、この肉体を成長させるためだけだしな。大丈夫だマサルくん。私は満足しているぞ」

「はあ」

 それでも納得いっていない様子にラモニエルは天使の笑顔を向けた。

「そんな些末な問題よりも、一緒に正義を行うことに協力してくれたまえ」

「地上で正義が行われることに、なんの文句があるでしょう」

 優もやっと表情を柔らかくした。

「では、さっそく」

 ゴミをまとめて机の端に寄せたラモニエルは、笑顔を作り直した。

「紙とペンを」

「紙とペンですか?」

 不思議に思いながら優は再びディパックを漁り始めた。彼の本業は高校生である。もちろん授業のために筆記用具は持ち歩いていた。

 ルーズリーフを綴じたバインダーを、タコのようなイカのような外見をしたヌイグルミのような物と一緒に机へと広げた。

 ヌイグルミの口に当たる部分のジッパーを開くと各種のペンが出てきた。

 リングのロックを外して、ルーズリーフを十枚ほどラモニエルへと差し出した。

「さて、お前たち」

 周囲の空間で笑いさざめいているキューピットたちにラモニエルは話しかけた。

「世界地図を書いておくれ」

 ラモニエルの注文に、三羽のキューピットたちは顔を見合わせた。

「キャハ?」

「キャフ?」

「キャハハ」

 少し首を傾げたり、不思議そうな声を上げたりしたキューピートたちは、優のヌイグルミ形ペンケースからボールペンを取り出し、それぞれが一枚ずつ紙へと向かった。

「キャハ!」

 最初に完成させたのはアフロヘヤーのキューピットであった。

 どうだ凄いだろうとばかりに胸を張ってラモニエルへ自信作を提出した。

「う~ん」

 作図された世界地図を見て、ラモニエルと同時に優までも唸り声を上げてしまった。

 紙に描かれているのは大きな円である。真ん中にエルサレムとある。円へ丁字形に書き込まれた水面は地中海と紅海、そしてタナトス川のようだ。右下がヨーロッパで、左下がアフリカ。上の半円がアジアで、その果てにエデンの園があった。

「たしかに世界地図ではある」

 優は納得したようにうなずいた。

「ジョン」

 ラモニエルは優しくキューピットに語り掛けた。

「君はもう少し最新の情報へ、頭の中を書き換えた方が良いと思うよ」

「キャハ?」

 ジョンと呼ばれたキューピットは「えー、なにがいけないんだろう」と言わんばかりに首を傾げていた。

「キャハ!」

 次に完成させたのはサラサラな髪をショートヘヤーにしているキューピットであった。

「どれどれ?」

「キャッハー!」

 胸を張って提出された世界地図を検分するラモニエルと優。

「う~ん」

 作図された世界地図を見て、ラモニエルと同時に優までも唸り声を上げてしまった。

 紙に描かれているのは大きな円であった。中央には北氷洋がまるで地図データをプリントアウトしたかのような精密さで描かれていた。太平洋と大西洋も緻密に描かれており、ユーラシア大陸と北アメリカ大陸もまるで印刷物のような出来である。

 まるで地球儀を北極から見おろしたような作図であった。

「たしかに世界地図ではある」

 優は納得したようにうなずいた。

「ロジャー」

 優しくキューピットに語り掛けるラモニエル。

「君の作図は素晴らしい。でも南半球の国々が入っていないのは、少々不便だと思うけど」

「キャハ?」

 ロジャーと呼ばれたキューピットも「えー、なにがいけないんだろう」と言わんばかりに首を傾げた。

「キャハ…」

 最後に残った赤い剣を提げた一羽は、戸惑ったような声を漏らした。

 優が紙を覗き込むと、そこには精密なスカンジナビア半島が描かれていた。紙一杯に。

「メイ」

 優しくキューピットに語り掛けるラモニエル。

「君はもう少し紙のサイズを考えて書き始めたらよかったのではないかな」

「キャハ?」

 メイと呼ばれたキューピットは、いまだ何が原因だったのか理解していない様子で首を傾げていた。

「世界地図ですね」

 一回溜息をついた優は、新たな一枚を取り出すと、愛用のシャープペンシルを走らせた。

 大きい逆三角形の左側に中ぐらいの三角形をくっつけて書く。その下にわずかに離して別の逆三角形を書いた。最初の逆三角形とは離れた右側に、縦に二つ逆三角形を繋げて書き、そして二つの図形の間にできた空間の下の方へ四角形を書いた。

 最初の逆三角形の右側の近くにソーセージのような日本列島を書き入れれば、抽象化された世界地図となった。

「キャハ!」

「キャハハ」

「キャッハー!」

 三羽のキューピットは優を褒めたたえるように拍手をした。

「で、世界地図なんて、なぜ必要なんです?」

「私は正義を成すために地上へと降臨した」

 ラモニエルは目を閉じ、そして悔しそうに唇の端を噛んだ。

「だが悪どもを一掃しようとして戦いに臨んだが、敗れてしまった」

「それは悔しい想いをなさりましたね」

 幼い顔が歪むのを、優は悲しそうに見るのだった。

「ああ。とても悔しい。主に使える身でこんな負の感情を抱いてはいけないだろうが、勝利すべき私が負けるなんて、とても悔しい」

 グッと握り込んだ右拳を震わせた。

「そこで私は受肉へと作戦を切り替えて、いまココにいるわけだが…」

 再び瞼を開いたラモニエルの目には涙が浮かんでいた。

「最近になって分かったことがある」

「…差し支えなければお教えて下さい」

「私の能力(ちから)のほとんどが失われているようだ」

「ちから、ですか」

 優が確認するように繰り返した。

「天界にある者が誰でも持っている神霊力(しんれいりょく)であるが、今の私にはほとんど無い。この身体を維持する事ぐらいかな? もうちょっとだけ使えるような気もするが、ともかくほとんどが失われている」

「そのしんれいりょくは、どこへ行ってしまったのでしょうか?」

「おそらく地上へ下りた時に、私の体ではなく、別の場所へと堕ちたのだろう」

「別の場所…」

 優は首を捻って考えた。最近、空から何かが落ちてきたというニュースは、記憶の中ではなかった。

「まずソレを探さないと、悪との戦いに勝利する事は難しい」

 まだ敗れた時の悔しさに身を焦がされているのか、ラモニエルの頬を涙が伝って流れ始めた。

「でも、ちからそのものが落ちているとは?」

 想像できなくて優は眉を顰めた。

「おそらく光る(スフィア)のような姿をしているはずだ」

「スフィアですか」

 どうやって探そうと腕組みをする優へ、ラモニエルは涙を流しながら微笑んだ。

「マサルくんは優しいな。私が困っていて探すのを手伝ってくれるのかな」

「はあ、まあ」

 何を当たり前のことを言うのだろうという表情をしてみせた。

「もしかしたらスフィアは、別の物体に取り込まれているかもしれない。そうすると光る玉という外見だけで探すことも難しいだろう」

「見ただけでは分からないと」

 無理難題に思えて来て優は腕を組んだまま首を傾げた。

「だが、簡単に見つかると思うぞ」

 自信たっぷりに言い放つラモニエルを不思議そうに眺める優。

「この『天使の涙』があれば」

 ラモニエルが宣言した途端に、頬から涙が一滴机の上へと滴った。これが普通の液体ならば木製の机に吸収されるのだろうが、不思議な事に硬質な音を立てて天板へと転がったではないか。

「をを?」

 この世ならざる奇跡を目の前にして、優は中途半端な声を上げた。

 まさしく涙滴型をした結晶である。名付けるとしたら『天使の涙』の他に思いつかないようなソレは、透明な宝石のような輝きをしていた。

 ラモニエルは自分の髪の毛を数本抜くと、その結晶に結び付けた。

「なにを…」

 優の質問は途中で途切れた。涙滴型の尖った方を下にして、ラモニエルは『天使の涙』を優が描いた世界地図の上に垂らしたからだ。

「ああ、ダウジング」

 左側の三角形と逆三角形に挟まれた四角い空間の右端の上に垂らされた『天使の涙』はユラユラと揺れていた。

「本当は魔術という物は戒めるべき物なのだが、今は他に方法が無いのだ」

 ラモニエルは優へ言い訳のような物を口にした。

「正義が成されるのなら、その過程は問われないかと思います」

 優の慰めに似た言葉にラミニエルの幼い顔が歪んだ。

 一同の視線が集まる中、ユラユラと揺れていた『天使の涙』が、釣りで餌を魚が啄んでいる時の浮きのような動きを始めた。

「来たぞ」

 地図上に垂らされた『天使の涙』が、クイクイっと右へ先端を向けた。

「もっと東か」

 一度巻き取った『天使の涙』を、今度は地図の右端にある逆三角形が繋がっているあたりへと垂らした。しばらく反応が無かったが、再び同じような動きをしてから、クイッと先端を左のちょっと上側を差した。

「ふむ。やはりアジアのどこかかな」

 口ではアジアと言いながら、ラモニエルは『天使の涙』を唯一描かれた四角形の真ん中へと垂らした。

 今度もしばらく無反応の後に、上へ向けて先端が動いた。

「これは…」

 三方から交わる線を頭の中で描いた優は、アジアの一角を見た。ラモニエルも同じことを考えていたのか、ズバリそこへ『天使の涙』を垂らした。

 涙滴型の結晶が、曲がった楕円形の上でクルクルと円を描くように揺れ始めた。

「やはり、この国の中へ落ちていたか」

 手の中へ『天使の涙』を回収したラモニエルは、深い溜息をついた。

「大丈夫ですか? ラモニエルさま」

 先ほどまで浮いていなかった額の汗を認めた優は、ラモニエルの疲れた表情を心配して訊ねた。

「なに、残った神霊力を注ぎ込んでしまっただけだ。続きは休んでからにしよう」

「正義のためだからと無理はなさらないでくださいね」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ