白い薔薇の庭で
「本当によろしいのですか」
メイドの問いに、ルカスは微笑んだ。
「ええ。私は大丈夫。もう下がりなさい」
「では失礼いたします」
メイドは食器を片づけを終えると部屋から出た。
今夜は聖女の披露をするための盛大な宴が催されている。だがルカスは自室で軽食を食べた。宴には参加していない。
欠席理由は、体調不良。
今朝から具合が悪かった、従って午前中の公式行事のみに出席、夜の宴は見合わせる――第二王子にお馴染みの、よくあるパターンだ。
――「夢」を見たのは久しぶりだ。もう長い間見ていなかったのに。
ルカスはため息をついて、部屋からテラスに出た。夜風に乗って、時折、薔薇の香りが鼻腔をくすぐる。
義兄との最後の想い出が脳裏に浮かんだ。
楽しかった一日が惨劇へと変わってしまったあの出来事は、今でも夢に返ってルカスを苦しめる。あの日、『二度』も見てしまった最愛の兄を失う場面は、幼いルカスの心を粉々に砕くのには十分だった。
気を失い、何日も高熱にうなされ、立ち上がるのにどれほどの時間が必要だったか。ルーファスの形見、埋葬品となる筈だったバスタードソードを、埋めてくれるなとルカスは抱きしめて、片時も離さなかった。
「不幸な事故だった」、「もう忘れなさい」と口々に言われ、慰められたが、兄の死は辛く重く、たとえ表面的にでもルカスは受け入れられなかった。死別を拒絶してずっと苦しんだのだ。
漸く兄の死と向き合えるようになっても、身体的には楽になれなかった。今度ルカスに待ち受けていたのは、長期間に渡る虚弱な身体との闘いだ。セクリスのコントロールは難しく、能力の制御はさらに困難だった。いや、成人した今でも、病弱なのは変わっていないし、能力を使いこなせてはいない。
現に、こうして夢見が悪かった翌日などは、セクリスが暴走しがちになって、発熱に悩まされ、弱い身体を持て余すことになる。
ルカスは首を振って夢の名残を落とした。
悪夢の残滓に浸りたくない、と思う。兄との思い出を哀しみの一色で塗りつぶすのは、もうやめたい。
夜の静寂の中、風向きによっては宴の音が聞こえてきた。途切れ途切れに流れてくる旋律が、余計に静かさを増すようだった。
――彼は、今頃どうしているだろうか。宴は楽しめているかな?ううん、ああいうのは苦手そう……。
少しでも楽しいことを、と考えて、思い起こしたのは、最近友人となった大柄な男。
マイヤー・センディア。武骨なようで繊細、とても男らしいのに、可愛らしい一面も持っている、少し不思議な人物だ。
彼は出会った時から、一風変わっていた。立ち入り禁止の場所にいると言われても悪びれもせず、どこかおどけた風で動じなかった。でも彼には初対面の相手から感傷をぶつけられて真摯に向き合う優しさがあった。
彼といると、ルカスはただのルカスになれた。
自分のことを憐れな第二王子だとも、気味の悪いセクリス持ちだとも、無力で綺麗なだけの人形だとも思わなくて済んだ。
自分の王子としての身分を知った後だってそうだ。
彼は一度もルカスを色眼鏡で見ることはなかった。
ルカスは、テラスから白薔薇の咲く庭を見下ろした。
「……あ、」
そこに未だない影を見て、ふ、と微笑む。
『月明かり、白薔薇の咲く庭に立つ、大きな人影』
テラスから離れ、一度部屋に戻ると庭へと急いだ。
もうすぐ、彼がここに来る。
「マイヤー、」
彼の名を呼ぶ。
がさり、と茂みが揺れて、外へ続く小径から誰かが出てきた。
予知見通りだ。月明かりの下、ルカスの庭に、現れたのは。
「お、着いた。こんばんは、ルカ」
◇◇◇◇◇◇◇
麻耶は切りの良いところまでで話を切り上げると、騎士仲間の輪から抜けた。
知っている顔も知らない顔もいたが、あの場に出席しているのは、全部、どこかの貴族だとシャリオンから聞いていた。宴なんかに不慣れな自分が、せめて弟の不利にならないように、と考えていたところ、シャリオンが「ならば俺の知り合いと居ればいい」と勧めてくれた。それに甘える形で、比較的過ごしやすい、と思える連中の側にいたのである。
宴はとても盛大なものだった。立食形式で、楽団の生演奏付き。自分は守護騎士として最初の方こそ大人数に囲まれ辟易したが、数刻も経てば人ごみは落ち着いた。弟――化けに化けた聖女の武志――が、アレックスにがっちりエスコートされているのを見届けた後は、麻耶も酒を少々楽しんだ。
もう良いだろう、とあの場を去ったのが先刻だ。
その後、まっすぐ与えられた部屋へ向かおうとして、ふとルカのことを思い出した。
ルカは宴に居なかった。
――午前中、式では見かけたのに……。もしかしたら、体調でも崩したのか?
王族だからパーティーには当然呼ばれているだろう。これは普通の宴ではなく、聖女を各国代表や国の重鎮に公式に披露する場でもあるのだから。だがルカはいなかった。では何かそれなりの理由があったに違いない。
それで麻耶は心配になった。
「んー、確か、こっちの方角だった……はず」
会う約束はしていなかったが、部屋に下がる前に一目会いたいと、麻耶はルカを目指すことにした。
麻耶は宴会場を後にすると、中庭に通じる回廊へと出た。
ルカに与えられた北の離宮、別名『白薔薇宮』には、武器を譲渡されたお礼にと、一度だけ行ったことがある。
そのときは途中で確か庭園のような所を抜けた。似たような建物と似たような噴水を見つけたので、方角的には合っているはずである。
「ひょっとして……迷った?」
衛兵でもいれば聞けただろうが、今、麻耶がいるあたりに人影はいない。大ホールから離宮へ向かうまで、厳重な兵の配備も流石に数メートル置きという訳にはいかなかったようだ。
麻耶はしばらくうろついて、見覚えのある薔薇の庭に辿り着かなかったら諦めることにした。
中庭の、見たことがあるような、ないようなオブジェを横目に、見つけた小径を進む。何か分からぬ蔓性植物の絡む低木、満開のミモザの花を通り過ぎると、やっと離宮らしき建物が遠目に見える道に入る。
――ここ、だったような。
そんな時だった、あの綺麗な声が自分を呼ぶのを聞いたのは。
「マイヤー」
足元の小径を確認し、邪魔になっていた茂みを手で少し除けたら、そこが目的地、彼の白薔薇の庭だった。
声を掛けてくれたのは、もちろん 尋ね人のルカ。
「お、無事着いた。こんばんは、ルカ」
――着いた!!良かったー。
安堵と会えた嬉しさで、思わず声も弾む。だが、すぐに眉をひそめた。ルカがいつもより、少しだけ憔悴しているように見えたのだ。
「こんばんは、マイヤー。こんな時間にどうしたのですか?今頃はまだ宴では?」
「キリの良いところで抜けてきた。もう部屋に帰るつもりだったんだが、ルカのことが気になって。ルカ、体調はどうした?宴に出ていなかったよな?」
「……探してくれたの?」
「ああ、もちろん!!会いたかったからな」
今朝、チラッと見かけた礼装姿のルカは優雅で綺麗だった。ピンクブロンドのすべらかな髪が映える、白の儀礼服。線の細さは隠せないものの、気品あふれる様子はまさに「王子様」だった。
そんなルカが夜の宴ではどんな格好で来るかと、楽しみにしていたのだ。
もちろん、貴族的な社交に気が進まない性格なので、場馴れしているだろう王子様がいれば、と半分あてにしていたのもあるが。
「体調でも崩したか?」
「ええ。……少しだけ。最近、落ち着いていたのですが」
俯いて返事するルカに、なんとなくだが、言いづらいことを言わせているのではと思い当る。
「えっと……もう起き上がっても平気なのか?」
「はい。午後、ゆっくりさせてもらったので。もう大丈夫です。こうしてマイヤーにも会えましたし」
にこり、と微笑まれたが、いつにもまして儚い彼の様子に麻耶の心がしくりと痛んだ。
「ルカ……」
ふわり、と風が白薔薇の香りを運んで吹き抜ける。ルカの細い髪が揺れて、月明かりに輪郭が透けた。
――きれいだ。
「なんつーか……、月の中にとけちまいそうだな」
「え?」
ぼそ、と呟いた言葉を聞きとがめられて、麻耶は慌てる。
――ナニ言っちゃってんの!!いくら綺麗だからって、成人男性相手にそれはないだろう!!しっかりしろ、私!!
「っ、いや!なんでもない。ああ、その、なんだ。元気になったなら、それで良い。会えて良かった。ええっと、じゃあまあ、そう言うことだから」
焦った挙句、会話を切り上げて立ち去ろうとすると、
「待って!」
ルカが麻耶の腕に触れた。
「な、なにか、」
振り向けば、意外にも真剣なルカの表情が目に入る。
「聖女のことで、ちょっと気になることがあって。伝えなくては、と思っていたのです。マイヤーが来てくれて、丁度良かった」
浮ついた気分が、一気に冷えた。
「聖女のこと?聖女って、マリナのことか?」
「ええ。今朝の式典で、儀礼を終えた後のことなんだけど……」
「聞こう」
視線をしっかりと合わせれば、ルカが暫し言いよどむ。それから徐に切り出した。
「彼女にランパ神官が近づいて何かを耳打ちするのが『見えた』んです」
「ランパ神官が……?でも」
疑問を投げかけて、麻耶は首を捻る。あのとき列席したルカは、玉座の後ろ脇に控えていた。すぐに退出していたはずの彼に、それを目撃する機会があっただろうか。
「バルコニーに出る直前、聖女の元へランパ神官が近寄って二人で会話を交わしていたようでした……ほんの短い間だと思いますが」
「そ、うか」
釈然としないものを感じながらも、ルカが嘘を吐く意味もない。麻耶は続きを促した。
「それから。彼女は宴で、特別なネックレスをしていたのでしょう?」
「は?特別なネックレス?どういうことだ。それに今夜ルカは出席していなかったんだろう。どうしてそんなことを知っている」
「もちろん宴に出席したわけではありませんが、どこにでも噂好きでおしゃべりな人はいます。私の宮にだって。……マイヤーはネックレスのことを知らないのですね」
「あ、ああ」
「……今日のマリナ様のネックレスは、本来、一の大神殿にあるべきもののはずなんです。それが持ち出されていたということと、ランパ神官が聖女と接近していたことが無関係とは思えなくて」
「なるほど」
ルカの硬い表情の理由が分かった。彼は自分と弟のことを心配してくれているのだ。
「明日にでも、アレックスやイーシャに伝えておくよ。……ありがとう、ルカ。心配してくれて」
麻耶のお礼に、ルカがなんでもないことのように首を振る。
じゃあ、と改めて背を向けるとルカが後ろに付いてきた。どうやら見送ってくれるらしい。
くぐった覚えのない庭園の薔薇のアーチまで来ると、足音が止まった。これが正規のルートだったのだろう。正面の奥には見覚えのある建物が見えた。
「おやすみ、ルカ」
「……おやすみなさい、マイヤー」
ふ、と笑って告げたルカは、やはり今にも消えそうに見えた。
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