悪夢
取り急ぎ、アップします。後で削るかも。
「お兄さま!!手をっ!!」
「……っく!」
地を掴んでいた手の指先は血に塗れていた。
少年には、まだ全体重を片手一本で支えられるほどの腕力がなかった。爪が剥がれ、草と一緒に握りしめていた手が、じりじりと後ろに下がっていく。相当な痛みがあるのだろう、その顔はひどく歪んでいる。
もう長くぶら下がっていられないのは、明らかだった。
「手を、手を早く!!お兄さまーッ!!」
◇◇◇◇◇◇◇
その日、珍しく体調の良い日が続いていたルカスに、医師からの外出の許可がやっと下りた。
ルカス・ハルス・デア=ウェイスシア。
ウェイス神聖王国の第二王子。正妃が産んだ最初の男子として生を受けた彼は、非常に強いセクリスの力を持って生まれた。
彼の力は『場の予知見』。ほんの少しだけの未来「その場に起こること」を見ることができる力である。時間にして数秒から数分後。本当に僅かな先の未来である。だが少しだけとはいえ未来を知ることができる能力は貴重だ。使い手はウェイス神聖王国の歴史上でもとても少なかった。またこの能力は誤解されやすく、人に対する予知や危機察知能力などと混同されることも多い。幸いにもルカスは王族に産まれたため、幼いころから正しくその力を評価され、使い方を学ぶことができた。
ルカスにとって、いや正妃にとって、不運だったのは、彼の身体に、その強力な力に見合うだけの強さがなかったことだった。おまけにこのセクリスの発現は気まぐれで、強い時もあれば弱い時もあった。強い時の予知見では数分後のことを、弱い時には数秒後のことを見通せたが、全く未来予知の力が働かない時もあった。
膨大なセクリスの力があるのに、発現は不可測。
コントロールできない強い力は幼い身体を常日頃から蝕み、強力な予知見を発揮してしまったときは、数日間寝込む始末だった。
『大きくなれば、徐々に力も安定するでしょう』
そう言った医師の言葉の裏に、「もしもそれまで生き延びることができたのならば」という意味を読み取るのは、賢いルカスには容易いことで。
「病弱で、かわいそうな第二王子様」
「折角、セクリスを持ってお生まれになったのに、ねえ」
「正妃様も、お気の毒に」
王宮内で、揶揄とも同情ともつかぬ声が囁かれるのを、ルカスは子守唄代わりに聞いて育った。
寝込む毎日、不自由な力。
それでも笑顔で過ごせる日々があったのは、ルカスの異母兄、ルーファスのお陰だった。
ルーファス・ハルス・デア=ウェイスシア第一王子。ルカスより四つ年上の彼は、幼いながらも賢く優しいと評判だった。母親が違えど、面倒見の良い彼は、ルカスとその弟マティウスをとても可愛がってくれた。
やんちゃだったマティウスが特にルーファスになつき、よく剣の稽古や遠出などを一緒にしてもらっていた。一つ違いのアレックスとはライバル意識が強過ぎるのか、喧嘩が絶えないようだったが、ルーファスには素直な一面を見せた。実の兄であるルカスが病弱で相手ができないその分を、マティウスはルーファスに甘えていたという節もあったのだろう。
ルカスも体調の良い時は、他の三人の兄弟と一緒に過ごすことができた。病弱な上、さらに『場所の予知見』で引きこもりがちな異母弟を、面倒がらず、細かく気を砕いてくれるルーファス。
マティウス同様、自分も強く優しい兄王子のことが大好きだった。
だから、その日、医者から許可が下りた日に、遠出に誘われたルカスは大喜びで出かけたのだ。いつもいい顔をしない実母も、このときばかりは駄目と言わなかった。大きな予知見が発動した反動は辛いものだ。それを何日も耐えて部屋に閉じこもるしかなかった我が子に対する憐憫もあったろうし、大きな力を使ったばかりでこの日にセクリスを発現させることはないと思われたのも許可が出た理由だった。
「風が強いね」
「ああ、そうだね、ルカ。冷えるといけない、身体が辛くなったらすぐに言うんだよ」
「はあい、お兄さま」
陽射し除けの帽子を押さえて、大きな声でルカが返事をすれば、いい子いい子と頭を撫でてくれた。
「マティウスも。……おや、マティウスは帽子は被らなかったのかい」
「おれは強いからなくても大丈夫なのです!ルカ兄と違って!」
「ははは……まあ、今日は雲も多い。大丈夫かな。けれど喉が渇いたりのぼせたりしたら、大変だ。水分はこまめに取ろうね」
「はいっ!!分かりました、ルー兄!」
「それにしても……アレックスは残念でしたね、お兄さま」
生憎、一番下の弟、5歳のアレックスが風邪を引いて熱を出したため、外出は兄とルカス、マティウスの三人だけだった。
彼の実弟であるアレックスのことを思ってルカスが言うと、ルーファスは笑って「仕方がないよ」と返した。
「さ、行こうか」
「しゅっぱーつ!!」
「はい、行きましょう」
護衛も連れての外出だったが、遠出といってもそこは所詮、子供。
目的地は王都からさほど離れていない、王族の私有地、直轄領の猟場の森丘だった。危険な野生動物もいなければ、地形も熟知した安全な場所である。実際、猟場に無事到着すると護衛は離れ、後は勝手知ったる、とばかりに自由を与えられた。
昼に近づくと、風が強くなってきた。
そろそろ、帰る時間だとルーファスに促され、年下の王子たちは素直に従う。
そうして、そこで、悲劇は起きた。
◇◇◇◇◇◇◇
――なんで、なんでなんで!!なんでこんなことになったんだ!!
楽しい一日だった。
後は、もう帰るだけ。
そんな時になって吹いた突風。ルカスの帽子が飛ばされた。
――あのとき、帽子なんか気にしなければ良かったんだ!!ぼくが、追いかけたりしなかったら!けど、でも……っ!
とっさに追いかけて、しかしルカスは「それ以上追ったらダメだ!!」という兄の言葉にすぐに足を止めたのだ。
それで済めば、ただ帽子を失った、そんなささいなトラブルで終わった。
だが不幸は幸せだった時間をあざ笑うかのように、突然やって来る。
崖に上る途中で止まったルカスに襲い掛かったのは。
「ま、魔物!?」
「危ない、ルカ!!」
空の魔物。
鳥の化け物だった。猛禽類の2倍以上の巨体を誇る、爪に毒持つ醜い魔物が、突然空から現れて、ルカスに襲いかかったのだ。
一度目の急襲は奇跡のように間一髪で避けた。兄はすぐさまルカスに駆け寄って抱きしめる。
大丈夫か、と震えながらも弟の無事を確認する兄に、ルカスはこくこくと頷いた。二人で立ち上がって、急いでその場所を離れようとするが、魔物は執拗だった。
ターゲットを兄に替えた二度目の滑空。
そのとき、突然、ルカスにセクリスが発動した。
場の予知見。
まさに、不運としか言いようがなかった。
『鳥の化け物が兄を狙う。上空、左の方角、斜めに真っ直ぐ下に降りてくる』
鳥の化け物が、兄を狙っていた。見れば、左の方角に、黒い影が。斜めに真っ直ぐ降りれば兄がそこに。
ルカスの目には数秒遅れ、二重写しで光景が見えた。
「あぶない、お兄さまっ!!」
「っえ!?」
予知したが故に、ルカスは兄を突き飛ばした。
ザッ!!
兄の左肩が爪で抉られるも、魔物は仕留めそこなう。鳥はそのまま空に上がった。だが聞こえてくる叫び声に、狩りは一旦断念したようだ。舞いあがったまま彼方へ行く。
――護衛が気づいたんだ……!良かった!!
しかし安心するのは、早かった。
フラッシュした二重の映像が目に飛び込んでくる。
『たたらを踏んだ兄。傾いだ兄の身体が崖から落ちる』
数歩、兄がよろめく。ぐらり、と傾いだ身体が、崖から落ちた。
「あっ!」
「!?」
――そんな!!「見えた」から突き飛ばしたのに!!どうして!落ちるなんて!!
「兄さま、兄さま、おにいさまああああっ!!」
がし、と兄が咄嗟に地面を掴んだ。
「……っくう!」
「おにいさまっ」
かろうじて転落は避けられたものの、宙づりの身体は今にも落ちそうだ。
ルカスは必死で手を伸ばす。
「お兄さま!!手をっ!!」
「……っく!」
地を掴んでいた手の指先は血に塗れていた。
少年には、まだ全体重を片手一本で支えられるほどの腕力がない。もう長くぶら下がっていられないのは、明らかだった。
「手を、手を早く!!お兄さまーッ!!」
ずるり、と血で滑ったのか。一気に手のひらが後退する。
擦られた手首からも血が噴き出した。
「はやく、はやくお兄さま早く!!」
なおも身を乗り出して手を差し出せば、傷ついた肩をようやく動かし、もう一方の手を上げてくれる。
ルカは急いでその手を掴むと、両手で握りしめた。
絶対に手放さないと、渾身の力を込める。
「に、お兄さ、ま!!ぜったい、ぜったい手を離さ、ないでっ」
兄の利き手は、まだ地にある。負傷した左手は先ほど、ルカスが掴まえて握った。
――両手がこうして崖の上にある限り、まだ大丈夫。ぼくは絶対、お兄さまを離さない!!
「ルー兄、ルカ兄!!大丈夫か!?なあ、なあっ!!」
魔物の襲撃から逃げていたマティウスがこちらに駆けてくる。ルカスは振り向かずに声を張り上げた。
「すぐに護衛兵を呼んできて!!魔物はいいから!こっちへ来るように言って!!」
「わ、分かった!!すぐ戻るっ」
護衛は二人いるが、たった一人でも良い。大人が来れば、兄は助かる。
右手が力を失って、地面から離れた。兄の地にあった手が、ついに下に滑り落ちたのだ。
ガクン、途端にルカスに重みが掛かる。
「う……っ!」
「ルカ……!!」
ルカスの身体が、ずるずると徐々に引きずられていく。
汗と血に塗れた手も、今にも解けそうだ。それでもルカスは兄の手を必死で握り続けた。
「だめだ……ルカ、このままじゃお前が」
「もうちょっとです、お兄さま。もうちょっとで助けがっ!!」
――はやくはやくはやく!!早くここに来て!!だれか、だれでも良いから!……ああ、でも手が!!
ヌルリ。
ぬめりで手が解けそうになり、それを追おうとしたルカスの身体が、前方に傾いでしまう。
「あっ」
不安定でも後ろに倒していたことで、なんとか支えていた二人分の体重。
前に倒れてしまえば、あとはズルズルと引きずられるだけだ。
もう、耐えきれない。
二人をつなぐ手は、もう崖下まで降りた。腕がこすれ肘がこすれ、ルカの頭も崖から下を覗く。
「ルカ……、もう手を離して」
「な、何を言うんです!お兄さま」
「もう無理だ。二人とも落ちてしまう。もういい、ルカ」
「嫌だっ、おにいさ……あっ!!」
ずずずずず、と一気に二人の身体が引き摺られていく。
だが、寸でのところでルカスの身体だけが止まった。
護衛がルカスの身体を掴んだのだ。
しかし二人を結ぶ手は。
ズルッ――解けて、しまった。
「あああ!!」
予知見が発動した。
『崖から落ちる兄の身体。岩場に叩きつけられ、頭から血が飛び散る」
崖から、ルーファスの身体が落ちた。
ドスン、と鈍い音がして。
「おにいさまあああああああっ!!」
『崖下、血塗れになって横たわる兄の姿』
岩場には、兄が頭から血を流して横たわっていた。
「いやあああああああああ!!」
伏線回収。いくつ気づきましたか?
ルカの能力を知った上で読むと、色々、今まで不自然だったところが繋がったはずです。ふふふ。あと、マティウスのあのときの意味深な台詞、あれはルーファスのことでした。
長くなったので、一旦切ります。本当はもう少し先まで書いてから投稿するつもりだったのですが。




