聖女と聖女~王宮編6(前)~
「……お待たせいたしました」
さらり、と衣擦れの音を僅かに立てて、武志が侍女の手を借りて部屋から出る。
その瞬間、シン――、と廊下側の物音が全て消えた。
出迎えに待っていたアレックスを先頭に、全員の動きがピタリと止まる。まるで時を止められたかのようだ。
武志を見たアレックスが目を見開いたまま呆然と立ち尽くした。
「綺麗だ……」
思わず漏らしたような、小さな声。
しかし確かにそれは武志の耳に届いた。
その声を皮切りに、
「女神のようだ」
「なんと美しい」
次々とため息と感嘆の声が周囲から上がる。
アレックスより一歩下がって控えていたグラハムも同様で、武志が部屋から現れた瞬間、王子同様、目を見開き固まったまま動いていない。
――みんな、動揺しすぎだろ。
自分が飾り立てられていることは理解しているが、ここまで見惚れられると、照れてしまう。
視線をうごうごさせていたら、姉と目が合った。
「……女神ってる……」
「ぶっ、……」
ぶはははは、と吹き出さなかったことを褒めて欲しい。
ぼそり、と呟かれた言葉が、自分の感想と寸分違わなかったので、ついつい笑ってしまいそうになる。
だがその姉すらも、武志に見惚れているようだった。武志が可笑しそうにしているのに気付くと、はっと気を取り直して、ゴホンなんて咳払いをする始末だ。その後はさすがで、他の人とは違って平静になっている。
そんな麻耶の様子は横目にし、武志は改めて自分の目の前にいる王子様に視線を戻した。
――それにしても……アレックス、かっこいいなあ。
まだ呆然と自分を見ている王子だったが、彼の方こそ皆の視線を奪うのに十分魅力的だと武志は思う。
かちりとした白の正装に、金のモール。王族を表すサッシュを肩から掛けて、腰には儀仗を佩刀していた。
濃紺の髪を整えた、凛々しい顔立ちのアレックス第四王子殿下。
文句なしにカッコいい。
それこそ、自分が女性だったら一目で恋に落ちただろうと思わせる容姿だ。
「イーシャ様」
背後から、付き添ってくれていた侍女が声を掛けてくれて、はっと我に返った。
――いけない!時間!!
「アレックス、……えっと、みなさん、行きましょう」
にこり、と微笑んで言うと、アレックスは数回、またたいて笑い返してくれた。
「ああ、行こう。『大玉座の間』へ」
すっと差し出される腕。
スマートなエスコートに、武志も自然と手を絡めることができる。
「ええ」
聖女を先頭とした一行が、謁見の間へしずしずと進んだ。
「異世界より来たりて餓えし森へと降り立ち給うた聖女、イーシャ・センディア様」
「はい」
「異世界より来たりて嘆きの湖へと降り立ち給うた聖女、マリナ・カンラーギ様」
「はい」
名を呼ばれて、少女二人が玉座の前へ進み寄る。
そして凛と顔を上げたまま、国王の前に立った。貴き魂を持つ二人は、玉座の前でも膝を折ることはない。しかし後ろに続く守護騎士は、片膝を着き最敬礼を取った。
二つの魂を呼び寄せた王子二人は、聖女の隣で腰を折り頭を垂れている。
「聖女イーシャ・センディアより、ウェイス神聖王国が国王ユーディル・ハルス・デア=ウェイスシア陛下へ、この地に降り縁を繋ぎし寿ぎを」
「畏まりて承らん。我が祝福も同様に」
「畏まりてなん」
噛みそうな長い挨拶をなんとか武志は言い終えると、ばれないようにほっと息を吐く。
武志に続いて、もう一人の聖女、マリナも同様のやり取りを繰り返した。彼女はさすがというべきか、武志よりも堂々と口上を述べているように見えた。
挨拶の意味は平たく言うと、「来ちゃった。縁が出来たから、祝福したげる」「ありがたい。私からも祝福どうぞ」である。
それならもっと簡単に分かり易くしてくれよ!と、このやり取りを暗記するとき武志は思ったものだが、こればかりは儀式の文言だ。一言一句間違えず言えるよう、クリスティーナに特訓させられた。
それから守護騎士たちにも、もっと簡素に自己紹介のような挨拶と言葉の応答があった。
それが終わって、いよいよ民衆へのお披露目となる。
武志もマリナも、それぞれが王子にエスコートされてバルコニーへと出た。
わあ!!
割れんばかりの歓声が、広場から上がる。
「聖女様」「私たちの聖女さま」「マリナ様、イーシャ様」
どこからか紙吹雪が舞い散らされ、群衆のどよもす声と共に空にあがる。
ピーピー、と時折、響くのは指笛。
聖女への絶え間ない期待や賞賛の声に、二人は予定通りに、そろって手を振った。
途端に、大きくなる歓声。
しかも、時が経つにつれ、ますます人々の熱狂は増すようだ。
――こんなにも、期待してくれているんだ。オレにできることをしなくっちゃ。
大勢の期待の前に、武志は改めて決意を確認する。
「ありがとう。精一杯、頑張ります」
聞こえないだろう、と思いながらも武志は言わないではいられなかった。斜め後ろに立っていたアレックスが、そっと武志との距離を詰める。
「……その言葉に感謝いたします、イーシャ様」
アレックスの言葉に、武志は、うん、と頷いた。
ここは魔物が溢れる世界。
決して平穏な所ではなく、この人々の裏側に、今でも苦しんでいる人々がいる。
そんな人たちの命を守れる力を、なぜか授かってここに来てしまった武志。男なのに聖女になって。不安なのに、期待をされて。
でも、一人じゃない。
――きっと、それなら戦える。
白い聖女の衣装に身を包んだ神々しい二人の姿に、民衆は歓喜している。
武志は時間の許す限り、バルコニーで手を振り続けた。
◇◇◇◇◇◇◇
待ちに待った昼休憩、兼、夜会準備。
武志は、今度こそ思う存分に、と昼ご飯を食べようとして――道半ば、いや皿半分で止められた。
「いや、なんで?なんで、って、ちょっ、待ってよ!!」
まだ食べようとしていた皿をエミリに下げられて、武志は涙目で抗議する。
いくら「はしたない」と言われても構うもんか、と、取り上げられた皿に手を掛けるが、ひょいっと躱されてしまった。
「イーシャ様……これから何をしなければならないか、ご存知ですよね」
「わ、……っかってるけど!!でも、」
皿を持ったエミリが下がると、クリスティーナが言い聞かせるように武志に告げる。
「これから入浴して身を清められた後、マッサージ、肌のケア、ドレスの着付け、ヘアメイクがあります。あまり満腹になられては、身体にも良くありません」
「腹八分目、と言いますわ、イーシャ様」
メイが気の毒そうに武志に言って、「どうぞ」と果実水とカットフルーツの乗った皿をテーブルに置いた。
「うう……、果物ばっか」
それでも食べない、という手はない。
武志は泣く泣く、与えられたフルーツとジュースをちまちまと口に入れたのだった。
そうして貴族への披露宴の準備が整うと、朝の光景が再現された。
「本当に……なんてお綺麗な」
「イーシャ様のようにお美しいお方なんか、この世にいらっしゃいませんわ」
「まるで、まるで海に住まう人魚の王女のようですわ……」
アレックスが武志へと選んだのは、紺碧の海の色をしたドレスだった。
強い青みの群青がすっきりとしたAラインを描いている。華奢な武志の身体に合うよう、裾につれて徐々にふわりと広がっていた。
胸元に咲く青薔薇のせいで、オフショルダーだが、儚げな印象はあっても貧弱にはなっていない。その青薔薇すべてにダイアが散りばめられてキラキラと輝きを放つ。
裾にも細かな刺繍とメレダイアが縫い付けられ、ドレスの後ろのレースにも青い薔薇とダイアが散っていた。
だが何と言っても一番目を引くのは、ドレスの中央に止められた巨大なダイアモンドだろう。ハイウェストの切り替え部分が深いV字でストマッカー状になっている、その真ん中に燦然と煌めくティアシェイプのダイア。
いつかTVで見たイギリス女王ほとではないが、宝石だらけであった。
――こんなん、オレに着る機会があるなんてなあ。
時価総額にしていくらか、なんて考えたくもない。
武志は今日ばかりは側にいないシリブローが、すでに恋しくなっていた。こういうとき、シリブローがいてくれたら、多少なりとも癒されるのだが。生憎、彼はコーラカルと共に部屋で大人しくお留守番だ。
「さ、イーシャ様。応接の間で殿下がお待ちです」
しばしシリブローに思いを馳せて現実逃避をしていたが、そうもいかないようだ。
「わかりました……」
はあ、とため息を吐きたいのを我慢して、武志はもうひと踏ん張りすることにした。
貴族の入場、王族の入場があって、最後に主役となる聖女が入場した。
武志とマリナが、それぞれのパートナーと一緒に入ったとき、やはり当たり前のように会場中が湧いた。
特に今晩は二人の聖女の装いに、視線が二分したようだ。武志が青の王子に合わせたのなら、マリナは赤の王子に合わせたのだろう。二人の衣装はとても対照的だった。
マリナは女性らしい体型を惜しみなく見せつけるような、マーメイドラインのドレスを身に纏っていた。生地は鮮やかな赤色から濃い緋色へと裾につれて色を変える、赤の美しいグラデーションだ。
あでやかに咲き誇る大輪の薔薇のようなマリナ。銀髪を結いあげて、露わになった妖艶なデコルテには、何連ものダイアモンドがキラキラと輝いている。
今宵の彼女は少女と言うより成熟した美女と言う方がふさわしかった。
武志もダイアと共に随分人目を引いていたが、聖女マリナには多くの貴族が驚いていた。そして驚いた後は、決まって賛美の視線に変わった。
それはなんとアレックスでさえも、例外ではなかった。
入場前、扉でマリナに会ったときのことだ。
彼はマリナを見てひどく驚愕した。そして何とも言えない表情を浮かべて彼女を見つめたのだ。
「どうしたの?」
尋ねる武志に、はっとするとアレックスはゆるく首を振った。
「いや……なんでもない」
応接室では、あれほど自分を褒め称えた彼が、一瞬にしろマリナに視線を獲られたことに、武志は僅かな違和感を感じた。だが何かを問う暇もなく、立っている4人の前の扉が開いたのだった。
さて今、武志はアレックスの隣で、重鎮らしき人たちに紹介されていた。
「イーシャ様、こちらはヒューバート・エランズ侯爵です」
「お初にお目にかかります、聖女様。宰相をしておりますエランズと申します」
薄い緑がかった金髪に茶色の瞳をした4、50代の男性が、武志に向かって礼儀正しく挨拶をした。
「上々に、エランズ侯爵」
武志が会釈すると、息継ぐまもなく、という訳ではないが、二言三言の会話も交わさぬ内に、次の男性が武志の手を取った。
「こちらは、左将軍のロイド・ハイナム侯爵と長男のメナード・ハイナム卿」
「お初にお目にかかります、お美しい聖女イーシャ様。御評判はかねがねより伺っておりますぞ」
「じ、上々に、ハイナム侯爵……」
「ごきげんよう、イーシャ様。メナード・ハイナムと申します。私は左軍ではグラハムの直属の上司だったのですよ」
「まあ。そうだったんですか、メナード様」
その後も、右将軍ギャロウグラス卿、グラハム侯爵、バーナード子爵、と知った名前の後に侯爵、伯爵……と続き、有力な貴族の令嬢令息、となったところで、ようやくアレックスは武志を輪から連れ出してくれた。
「……はあああ~」
脱力する武志に、アレックスがねぎらうようにノンアルコールのグラスを渡してくれる。
「疲れましたか、イーシャ様。もう暫くのご辛抱です」
「うん……あ、果実水、ありがと」
ごくごくと飲み干すと、ようやく一息つく。
それで、ようやく会場を見回す余裕ができた。
――ああ、まだ注目されてる……。
輪から出てグラスを手にした二人には、さすがに話しかけてこないとはいえ、まだ視線は聖女から離れていない。内心、げんなりしながらも、自分たち聖女のために披露宴だ。このまま抜け出すわけにもいかなかった。
「アレックス、ええっと、さっきの紹介だけど」
「どうしました?」
「オ……、あ、私、覚えられそうにないです」
「ああ、それなら心配しなくても良いですよ。こういう機会のときは、私が側におりますし、イーシャ様に今晩会えただけで、皆は光栄に思っているのですから」
「そ、そうなの、かな」
「ええ。ですから、お気を煩わせるようなことをなさらずに」
武志をとろけるような目で見て、微笑を浮かべるアレックス。
空になったグラスを優雅な手つきで武志から取り上げて、側にいる給仕に渡すと、何か軽く摘まめるものをと頼んでくれた。
彼の、そのいつもの様子に、武志はほっとする。
先ほど、扉の前で感じた違和感は、今では霧散していた。
――気のせいだったんだ、きっと。オレ、めっちゃ緊張してたから。
給仕が持ってきてくれた軽食を口にしていると、新しいグラスをアレックスがまた取ってくれた。代わりに、武志の手にある皿を持つ。
「へへ、ありがとう。アレックスってさ、世話焼きだよね」
「……私のはイーシャ様限定ですよ」
甲斐甲斐しい王子殿下をからかっていると、ふと、雰囲気の切り替わりを感じた。
「……?」
グラスから目を上げると、もう一人の注目の的である聖女マリナが守護騎士を連れてゆっくりこちらへ近づいてきていた。
「あ、」
アレックスがマリナを視とめる。
そのまま、彼の視線は固まった。
「ごきげんよう、イーシャ様。……アレックス殿下」
にこり、と浮かべられた艶やかな笑顔。
「ご、きげんよう、……マリナ様」
マリナに返事を返しながら、武志は急激に喉が渇くのを感じた。
ついに直接対決……?
さあ、聖水パワーの見せどころだ!!(マジか)




