ウェイス神聖王国
ウェイス神聖王国は特殊な国だ。
唯一『神降ろし』の血筋を引いている一族が、王家となり国を治めている。
『神降ろし』は『呼ぶ力』だ。
呼ぶ力とは異世界からの魂を呼ぶ力――さらに言えば聖女となる者を召喚する力だ。
遥か昔には、もっと多く『神降ろし』の血を持つ者がいた。だが、争いで国が乱れ、血が流れていくうち、良く有る話だが、その特別な血と能力を持つ者はどんどん減っていった。今ではウェイスの王族のみがその血を受け継ぎ、力を継承している。
ここには魔物と呼ばれる生き物がいる。魔物には単純な知能があるが知性はなく、殺戮本能が普通の動物より高い。
この凶暴な『魔』付きの生き物が、ある周期をもって溢れかえるのだ。まるで世界の均衡を崩すかのように、ヒトの存在を脅かすまでに繁殖する。
魔物が世界を支配し始める前、人知ではどうしようもなくなったとき、聖女を呼ぶのだ。
「異世界」から。
ウェイス神聖王国の王族だけが、その『力』を持っている。
そして、今代の王の時代、およそ150年ぶりに『神降ろし』の儀式を行うことになった。
「儀は為された」
厳かな神官長の声が、白亜の間に響き渡る。
二つ描かれた大きな陣の、中央にいる人物がそれぞれゆっくりと立ち上がった。
「マティウス殿下、嘆きの湖へ」
「は、」
「アレックス殿下、餓えし森へ」
「は」
マティウスと呼ばれた赤みの強い朱金髪の男性が一足先に一礼し、神官長に背を向ける。次いで残されていた男、アレックスが白亜の間を後にした。
部屋を出ていく二人の王子の背を暫く見守りながら、ゼイルはほっと息をついた。多大なセクラを使ったが、儀式は成功した。
聖女となる者の魂は無事に召喚できたのだ――きちんと「二つ」。
「どちらが『本物』か分からぬが……」
赤と青の王子。
二人のうち、本物の聖女を「呼んだ」方が王太子となる。
ゼイルは首を振りながら、自身も白亜の間から出ていった。
『神降ろし』の儀は為った。
神官長の仕事はここまでだ。
「一刻も早く救わねば」
こうしている内にも、魔物は絶え間なく産まれ溢れ地を覆わんとしている。結界の薄れた地からどんどん民の血が流れてゆく。
――祈ろう。
せめて『どちらかが、本物』であることを。
アレックスは群青色の髪を翻しながら馬を駆りたてていた。
――一刻も早く、『聖女』の元へ!
気ばかりあせる。
無理もない。自分の「呼んだ」者は、よりによって餓えし森などにいるというのだから。
今回、150年ぶりとなる『神降ろし』には兄と共に臨んだ。同時に儀式を行い、それぞれの「血」と「力」を使って魂を呼んだ。
結果、兄の聖女は嘆きの湖へ、己が聖女は餓えし森へと召喚されたらしい。どちらも召喚された魂がよく行きつく場所ではあるが、餓えし森には野生動物が多い。魔物ではないにしろ、人を恐れぬ野獣が聖女を害さないとも限らなかった。
聖女――ウェイス神聖王国が、いやこの世界のどの国も、一番大切にしている存在だ。聖女は創世記に記された女神が垂れたもう慈悲。その存在がなければ、やがてこの世は魔物に支配される。
その聖女を己が力で「呼ぶ」ことができて、アレックスは高揚していた。
――会いたい、ああ、早く、早く、早く!!
幼いころからあこがれ続けていた聖女。
どんなに美しかろう。どんなに愛らしいのだろう。
書物でしか読んだことのない、そして古い絵姿でしかみたことのない、尊い存在。それをもうすぐ見ることができるのだ!
聖女が本物であれば己が次期王となれる、などということはアレックスにとっては聖女に会えることの単なる副産物でしかなかった。
もう1時間近く走らせ続けた愛馬が、少し疲れを見せている。森に入り、かなりスピードが落ちたが、それでもはやる気持ちのまま馬を急かせた。
「どう、どう、どう」
獣道が細くなり馬では入りづらい所まで来ると、アレックスは徒歩に切り替えることにした。
手近な所に馬を緩く繋ぎ、皮袋から水を飲ませる。
「待っていてくれよ」
聖女を連れて帰るからな、と首筋を叩くと、心得たとばかりにブルルルルと鳴らした。
イーラは賢い馬だ。主人を大人しく待っていてくれるだろう、とアレックスは馬を置いて指図された方角へと歩を進める。
森は広いが神官長に知らされた方角に向かえば、間違いはないはずだ。
そうして歩き始めて5分も経たないうちだった。
――いやだ、やめて!
という少女の高い声と。
――さっさと脱げ!
男の乱暴な声が、アレックスの耳朶を打ったのは。
「きゃああっ」
甲高い悲鳴が再び聞こえる。
目の前の邪魔な木を薙ぎ、漸くアレックスは現場について「それ」を見た。
男に組み敷かれた、憐れに震えるか細い少女を。
――聖女様!!
見張る眼も一瞬で、駆けてきた足そのままに、アレックスは迷わず剣を抜き、
「動くな」
男の背に向かって刃を突き付けていた。