聖女と王子
――こんなはずじゃなかったのにっ!
真里菜は天蓋付のベッドの中、柔らかな羽枕を抱えて臥せっていた。
ボス、と殴られた布団が柔らかな音を立てる。
「マリナ様、お食事の用、」
「いらないわっ」
「しかし、昼餐もお召し上がりになっていらっしゃいませんでしたし、一口」
「いらないって言ってるでしょう!もう出ていって」
イライラと答えているというのに、気の利かないメイドの気配がまだ部屋の中にある。
――使えないったら!あたしが今いらないって言ってるんだから、早く出てってよ!!
真里菜の苛立ちは、収まらなかった。
最初はうまくいっていた。
何もかもが、真里菜の思い通りに進んでいった。
可愛く生まれ変わった自分、カッコいい王子様、イケメンの騎士。みんなに大切にされて、贅沢だって思いのまま。
「あっちの現実」は捨てて正解、そんな風に思っていた。
もう一人聖女候補がいると言うのは、初めに言われて分かっていたが、聖女は自分になる予定だからと言われて気にしていなかった。王子様も守護騎士も味方に付いている自分が選ばれると信じて疑っていなかったのだ。
だが、今日のゼイルとか言う神官長の言葉で全部が狂ってしまった。
「聖女様、」
「は、せいじょ……?」
――聖女聖女聖女!!みんなそう呼んでるくせに!!だったら、ヒロインはあたし一人のはずよね!?なのに今更何なのよ!!一番だれよりちやほやされて、大切にされるのは、あたしだけで十分じゃない!!
「そうよ……聖女は私でしょう?」
「も、もちろんでございます、マリナ様」
「だったら、なんでもう一人いるわけ?」
「は、はい……?」
「……もういい。どうせあなたには分かんないんでしょ。もう出ていって。食事もいらないから」
手を振って、人払いの仕種をした。
ベッドについているカーテンを引かせて、布一枚分、一人きりの空間をつくる。
天蓋付で良かった。人には見られたくない。
――『真の聖女』に魔物を払う危険な旅?冗談じゃないわ!!これ、あたしが楽勝の乙女ゲームじゃなかったの!?
「ふざけんなってば……」
どこにもぶつけられない憤懣だった。
ベッドに潜り込んでやり過ごそうとするが、なかなか腹立ちは収まらない。
布の向こう、まだ部屋からは人の気配がした。お節介メイドが、ごそごそしているのだ。
こうなると『聖女』の自分はやっかいだった。人目があるうちは当り散らすこともできず、こんな不愉快な気持ちを持ったまま一人で抱えているしかない。
真里菜がしばらく、じりじりしていると、また部屋の雰囲気が変わった。
ざわざわ、ざわめいている。
「……マリナ様、」
「……なに?」
「殿下がこちらにお見えになっていらっしゃいますが……」
どういたしましょうか、とおそるおそる声を掛けるメイドに、真里菜はだるそうに身体を起こした。
マティウス王子。
真里菜の大切な王子様だ。彼には、大切にされていたい。
淡い気持ちも手伝って、真里菜は不快さを押し殺すと「お通しして」とメイドに告げた。
「体調がすぐれぬと聞いたが、大丈夫か、マリナ。昼から何も食べていないようだが」
降ろしたカーテン越し、こちらを気遣うようなマティウスの声が聞こえて、少し真里菜の気持ちもやわらいだ。
彼から心配されるのは、やはり気分が良い。
「ちょっと食欲がなくて……」
「無理もない、突然あのような話を聞かされたら」
「ええ、びっくりしました」
同情的な王子様の様子に、真里菜の気持ちも若干持ち直す。か細い声で答えると、王子はなおさら心配したようだった。
「俺もゼイルの話があんなだとは思わなかった。『試練』のことを聞いて、さぞや心細い思いをしただろう」
「はい……私、こわいです」
「あまり気に病まぬようにして欲しい。それについて、詳しい話をしようと思うのだが……その、人を呼んでも?」
「え?――ええ。では少し、待って下さい」
「わかった。向こうで待っている」
王子がベッドの側から去るのと入れ替わりに、またメイドが入ってくる。
「ご用意をお手伝いいたします」
数人がかりで身支度を整えられて、真里菜はソファーのある応接間へと移った。
「これはこれは聖女様。お休みの所を申し訳ございません。ランパと申します」
真里菜が姿を現すと同時に、中年の男が立ち上がって礼をした。少し変わった神官服を身に付けているのを見ると、高位の神官なのかもしれない。値踏みをするような小狡そうな目つきが少し気になる男だった。
「マリナです」
真里菜も礼を返すと、マティウスを見た。
視線を受けてマティウスは頷く。
「ランパはゼイルに次ぐ高位神官だ。今回の『試練』や聖女のことについて、もう少し詳しく知っているらしい」
三人が席に落ち着くのを待って、ランパが話しはじめた。
「聖女様の『試練』についてですが――」
ランパの話は、真里菜にとって意外だった。
聖女の試練では、もちろん旅をしなくてはならない。しかしその旅は『聖女』には、危険があまり及ばないものなのだと言う。
「そのための『守護騎士』です」
女神の加護を受けた『守護騎士』が聖女を守る。
魔物と直接対峙するのは彼らだ。聖女ではない。
聖女はその場所へ赴くだけで、『魔』の力をそぐことができる。そして力を削られた魔物たちを騎士が狩る、それが『魔を祓う』ということだ。
ただ珠を手に取るのは、聖女自身でなくてはならない。それ故に旅が必要となるのだ。
神官の話を聞くに従って、真里菜の気持ちもかなり落ち着いてきた。
「もともと、聖女様がおいでになっていなかったときも、魔物の討伐は軍が行っておりました。なあに、旅と言っても歴代の聖女様たちもなさっておられたことです。さほどの危険はございますまい」
「忘れないで欲しいのだが、」
マティウスも真里菜の手を握って力強く言う。
「守護騎士だけではない。あなたは俺が守る。それに右軍からも騎士を何人かつけるつもりだ。あなたに危険が及ぶようなことは、金輪際ないようにすると誓おう」
「マティウス様……」
大きな手で安心するように包み込まれて、真里菜の心は和いだ。
それならば、と真里菜は王子の瞳をみつめて、こくりと頷く。
「私も、頑張ります。頑張って聖女の役目を果たさなくては」
「ああ!マリナ!」
嬉し気に、そして感心するようにマティウスが真里菜の名を呼んだ。
――やっぱ、選ばれたのはあたし。あたしが、「こっちの世界」のヒロインなのよ。
目の前の王子に向かって、にこりと微笑む。
それを見て愛しそうに目を細めた王子に、真里菜はそっと身を寄せた。
翌日。
『聖女』真里菜を、さらに上機嫌にする朗報が王都からもたらされた。
王都に本物の守護騎士が現れたのだと言う。
――ああ、良かった!やっぱあいつ、英雄でも何でもないじゃん!ざまあ!
あの偽の『守護騎士』の正体が、ついに暴かれたのだ。
読んで下さってありがとうございます。
伏線はり終了。回収に向けて走ります。




