隠された名
「コーリャ、ちょっといいか」
呼ばれてコーラカルは振り向いた。
「ヤロスラーフさん!」
褐色の肌、枯葉色の髪。
コーラカルと同じ地の血を引くプルーシャ出身だと言う男が、そこには立っていた。
今は天幕を張り終え、団員の皆が、一息ついているところだ。
夕食までの時間、食事係以外の者は自由時間となり、各自めいめいに過ごしているのだ。
コーラカルもシリブローの居る天幕から出たばかりだった。鎖にもつながず、檻にも入れていないが、シリブローは獣だ。たとえ知性があると言っても、獣は獣。人間と同じ天幕に寝泊まりは出来ないと言うことで、シリブローも他の動物たちと同じ場所に入れられていた。コーラカルはそんなシリブローを任されていて、日課となったブラッシングなどの世話をした後、ひとしきり戯れていたのだった。
「何か用ですか」
「ああ、明日の前に、ちょっとな」
一行は、あと一日で神殿のある町に着くと言う地まで来ている。
明日には一度街に入り、興行の許可を貰う予定だ。許可が下りれば街の手前で天幕を張り、興行を打つことになる。
そこで、コーラカルたちはこの一行とはお別れだ。
道中で往生していた麻耶たちを救い、偏見なくコーラカルを受け入れ、衣食住を提供してくれた旅の一座、『風見鶏』。
この居心地のいい一座のみんなと別れると思うと、寂しい。
特にヤロスラーフは何かとコーラカルを気にかけてくれた人だった。プルーシャでは一般的な愛称なのだと、「コーリャ」という愛称を付けてくれたのも彼だ。
「コーリャ……」
言いかけて、とまる。
一見無表情で強面なので、黙って立っていられるとかなり威圧感があった。
プルーシャ人らしく無愛想でぶっきらぼうな彼は、しかし、子供好きで性根の優しい人であると言うのをコーラカルはもう知っている。だから、こうしていても彼のことを怖いとは思わなかった。
ヤロスラーフは言いよどんだままコーラカルをみつめていたが、しばらくためらった後、言葉をつづけた。
「コーリャ、おまえ、ここに残る気はないか」
「ヤロスラーフさん……」
もう幾度か問われたことだった。
その度にコーラカルが答える言葉も同じだ。
「ぼくは、マイヤーさんに付いて行きます」
「……そうか」
「しんぱい、ありがとうございます。でも……」
「いや……謝る必要は、ないんだ。ただ、」
ヤロスラーフは褐色の手を拳にしたままコーラカルへと差し出した。
大きな手だった。
「俺なら、お前を守ってやれる。お前を分かってやれる。この手は小さくない。団長もいる。仲間がいれば、異国の地でも過ごしやすい。同じ故郷を持つ仲間がいるならなおさら」
普段、あまりしゃべることのないヤロスラーフの言葉は、コーラカルの胸に響いた。
「でもぼくは、もう決めて、」
「今じゃなくていいんだ、コーリャ。今はあの守護騎士と行けばいい。それがお前の望みなら、今はそうするがいい。だがこれを」
差し出した握りこぶしを、ヤロスラーフが開く。
手のひらには、赤い石を付けたネックレスがあった。
「……これを、持って行って欲しい。これはお前を守る。一度だけだが、魔をはじく力もある。プルーシャの守り石だ。本当なら父から息子へ用意する。何個も作れるものじゃない。俺も親からもらった」
コーラカルの小さな手に、赤の雫がそっと落とされる。
夕日を受けて、石が肌の上に紅い色を付けた。
「なんで、そんな貴重なものを……」
紅い光を閉じ込めた両手を、さらに大きな手が覆う。
「俺にも……子が、居た。妻も。だが……。プルーシャの別名は灼熱の国。旱魃の年だった。ただでさえ痩せた地だ。焼焦げた土地で弱い者が生き延びるのは厳しかった。それで俺はあの地を捨てた」
ヤロスラーフは言うだけ言うと、手を離しコーラカルに背を向けた。
「今は行け。選んだ者たちと共に。だがコーリャ、忘れないでくれ、俺のことを。何かあったら頼ってこい。俺はいつまでも待っている」
じゃあ、とコーラカルを残してヤロスラーフは歩き始める。
その背に向かい、ありがとう、とコーラカルは感謝の言葉を言いかけて。
ふ、と脳裏をよぎる言葉に、思わず彼を呼びとめた。
「あ、あの!待って下さい、ヤロスラーフさん!」
「……なんだ」
ぴたり、と歩みを止めたヤロスラーフが、顔だけを振り向かせる。
「あの……『聖なる街』、て知りませんか」
「なんだと?」
驚いたように聞き返し、今度は身体全体でコーラカルに向き直った。
「なんで今更そんなことを訊く」
不思議気そうに首を傾げる様は、なぜこんな当たり前のことを聞いてくるのかとでも言っているようだ。
「え、いえ、あの……お母さんが、ぼくにずっと言っていたことがあって。『聖なる街』へ行けって。でもそんな街、この国で聞いたこともないし。それでヤロスラーフさんなら何か知っているかもって」
「なんだ、そんなことか」
「え?」
「それなら、もう叶うじゃないか」
「ええっ!?」
「だって明日には着くだろう」
「神殿のある町だ。――俺たちはこう呼ぶが」
――プルーシャ語で聖なる街と。
ヤロスラーフが立ち去った後、結局、守り石のお礼を言いそびれていたのにコーラカルが気付いたのは、随分後のことだった。
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