聖女の奮闘
武志はエミリの淹れてくれた紅茶を飲み干した後、底に残った雫をぼんやりと眺めていた。
先ほどは姉の現況が分かって、心底ほっとした。
子連れだとか狼を連れているだとか(『一匹狼、子連れ騎士』!)曲芸しているだとかいう、実に謎な状況にいるらしいが、ともかく元気ではあるらしい。
姉と分かれた夜からずっと、武志なりにかなり心配していたので、この知らせには気が抜けてしまった。安堵のあまりつい涙ぐんでしまったほどである。
『もう大丈夫ですよ、イーシャ様。兄君がご無事で良かったですね』
そんな自分を、ぎゅっと胸に抱き寄せて、宥めるように言ってくれたアレックス。
思えば彼には出会ってからこっち、頼ってばかり、甘えてばかりな気がする。もちろん、姉と離れ離れになったのは彼の所為だが、それも武志を守るためという理由があってのことだ。
今では彼は、姉のことを守護騎士だと信じ、気にかけてくれているのを知っている。
――ほんと、良い人なんだよな。
目の前のテーブルに積み上がっている甘いお菓子たち。
これも全部アレックスが用意してくれたものだ。
ふう、と一息ついて、クッキーを摘まんだ。
チョコレートの入ったそれは、武志の好物である。別の皿には、これも武志の好きな焼き菓子や果物が盛り付けてあった。
実は初め、彼は「聖女様に」とドレスだの宝石だのを贈ってくれようとしたのだが、武志はそれを必要以上は要らない、と断った。
なんせ己の元は男。
フリルなドレスでゴージャスに着飾りたいとか、もっとファビュラスな武志になりたいとか思うわけない。豪華な宝石には正直ちょっと心が動かないでもなかったが、換金できない今、宝石なんか持っていてもしょうがないものだ。身に付けないなら邪魔にしかならない上に、むしろそんなものが部屋にあったら、盗まれやしないか、無くさないかとびくびくしてしまって落ち着かないに違いない。
そして武志が装飾品に興味を示さなかった結果、この多種多様な菓子と果物の山が出来上がったというわけだ。
「聖女かあ……」
イーシャ様の無聊を慰めるために、とアレックスはいつも心を砕いてくれている。
それが有難くもあり、ほんの少し、心苦しくもあった。
騙しているつもりはない。
だが、彼に言えていない、隠している事実はある。
「オレに何ができるんだろう」
ぽつり、と零して、手にしていたクッキーを口に入れる。
サクッと舌の上で砕けた甘さに、胸の痛みが少しほどけた。
――よし、がんばろう!
スイーツは正義だ。
やる気になれて、すばらしい。
◇◇◇◇◇◇◇
ちょっぴり気持ちが上向きになった武志は、取り敢えず、行動することにした。
姉と合流する前に、自分にもできることが何かあるはずだと考えたのである――媚びる以外に。
そんな決意も新たに、武志がまず最初に向かったのは、礼拝所だった。
「お祈りしたいんだけど。……あの私、礼拝所って使えますか?」
聖女と言えば祈祷、祈祷と言えば礼拝所。
単純な思い付きでエミリーに尋ねたのだが、彼女は思った以上に驚き喜んでくれた。
「聖女さまがお祈り下さるなんて!きっとご利益がありますわ!さっそくお伝えしてきます」
と満面の笑顔で告げられて、待つこと数分。
すぐに許可が下り、礼拝所へ行く準備が整えられた。
礼拝に相応しい格好を、と言われて白い服に着替えさせられると、部屋の外には付き添ってくれると言う神官が待っていた。
実直そうな顔をした、渋い中年のおじさまである。
「ダナハン、と申します。お見知りおきを、聖女イーシャ様」
丁寧にお辞儀をして、ダナハンが言った。
「あ、はい」
「では、礼拝所へ行きましょうか」
「えっと、あの……アレックス、は?」
「ああ!殿下ですか!お待ちだったのですね!これは気づかず申し訳ありませんでした、聖女様。殿下は今、お仕事中でいらっしゃるようで……もちろん、聖女様が礼拝をなさるということは伝わっておりますよ」
にっこにこ。
「え、あ。いや」
分かってる分かってる、あなたアレックスに会いたかったんですよね!と言わんばかりの、周囲の反応がいたたまれない。
何より、自分でも当然のようにアレックスがここにいると思っていたのが、なんだか恥ずかしかった。
「ご心配いりません、すぐにお会いできますわ!聖女様のお言葉には殿下もたいそうお喜びになって、用事が終わり次第、こちらへお見えになると仰っていましたから」
にっこりと、これまた笑顔でエミリが告げてくる。
「それに大丈夫ですよ、イーシャ様。お一人ではございませんから、ご安心なさって下さいませ。大切な御身ですもの、滅多なことが起こらないよう、神殿騎士がこうして控えております。イーシャ様の身の安全に殿下は万の警備を敷いておりますわ」
エミリの他に、もう一人のメイドのメイも武志に伝えてくれた。
やはり、笑顔がとっても眩しい。
「そ……そう、」
「では、聖女様」
行きましょう、とダナハンに促されて、武志はぎこちない笑みをなんとか返すと、今度こそ部屋を後にしたのだった。
そして現在。
「わあ、……すごい……」
礼拝所の中は、荘厳、の一言に尽きた。
広々とした白亜の空間。
思い浮かべていた礼拝堂より、はるかに装飾品は少なく、絵は全くない。
円柱が規則的に並んでいて、壁には複雑な模様も凝った装飾も付けられていなくてシンプルだ。
そしてその全てが白かった。
上を見ると大きな楕円の窓がいくつもあって、明り取りの役割を果たしている。
祭壇の中央には、大きな女神像があった。ただし顔はベールに包まれて隠れており、全く分からないようになっている。
ずらりと何列も並んだ椅子は、前の世界で武志も見たことのある教会と同じく、大勢の人が祈りやすいよう工夫されていて、なるほど、人間考えることは一緒なんだなと思えた。
入口の雰囲気から、入る前は、どちらかと言えば白い宮殿のように見えたが、内部はどこまでも厳かだった。
「こちらへ」
ダナハンが、小声で指し示してくれる。
視線を移した先、女神像の横には、さらに奥へと続く扉が見えた。
「ここで祈るんじゃ……」
「こちらは一般用に開放された礼拝所です――まあ一口に一般用、といってもかなり厳しい制限はありますが。何しろここは我がウェイス神聖王国の誇る『一の大神殿』ですから。聖女様を含む、我々神殿の関係者が使うのは、こちらの奥の方です」
どうぞ、と言われるままに扉をくぐれば、今度は小ぢんまりとした空間に出た。小ぢんまり、と言っても、一教室ほどの大きさはある。
部屋の中央に祭壇が設けられ、小振りな白の女神像もそこに設えられていた。
「ではごゆっくりどうぞ」
パタリ、と微かな音を立てて、ダナハンが扉を閉めた。
一人にされて、武志は改めてあたりを見回す。
さっきダナハンに聞いたところによると、祈るのに決まった約束事はないとのことだった。好きなように祈って良いのだそうだ。座ろうが跪こうが、なんなら立ったまま祈っても構わないのだと。どうやら、この部屋でのお祈りはスタイル不問らしい。
さて、と、腰を落ち着けて祈りやすそうな場所を探してみるも、こんな経験がない平均的日本人だった武志には、どこが良い場所なのか分からなかった。
結局、やはり女神の前が定番かと、中央に向かうことにする。
祈る格好も自由だそうだが、これもよく分からなかったので、取り敢えずは跪いた。
なんとなく、手を組んで祈るのが良さそうで、手も組む。
――お祈り、かあ。
「美少女が祈るポーズ」を想像してみた。
頭を垂れた姿が、一番しっくりきそうな気がしたので、敬虔そうに垂れる。
跪き手を組み頭を垂れる美少女――うん、似合う。武志は冒険しない主義なのだ。
「……」
ちなみにお祈りの言葉は知らないので、沈黙を貫くことにした。
――えーっと。女神様。おーい聞こえてますかー?武志です。姉ちゃんと一緒に女神様に連れられて異世界から来たあの武志です。おっすオラ武志!
「っと、これはふざけすぎかな。んー、お祈り……そもそも、ここに連れてこられたのって……」
――改めまして、この世界の神様へ。魔物が減りますように。皆が餓えませんように。健康でいられますように。どうか魔物が減りますように。
魔物に関しては一番大事なことなので繰り返してみた。
我ながら、いい感じである。
もう一回繰り返しておこう。
――魔物が減りますように!
今度は強く念じることを意識した。
「うーん」
念じるパワーが足りない気がしたので、やり直す。
――ま、も、の!へ、り、ま、す、よ、う、に!!
ダメ押しとばかりに、もう一回。
そして最後は。
――魔物野郎、とっとと滅んじまえこのクソが!
仕上げに罵った。
「よし」
やりきった。
何が「よし」だ!と麻耶がいたら突っ込みそうなことを言って武志は立ち上がる。
ふぅ、と一つ満足げに頷いて、部屋を出た。
「熱心にお祈りなさったようですね」
「いやあ、それほどでも」
外で待っていたダナハンから、感心したように褒められる。
満更でもないくせに、いやいや、ははは、と謙遜して見せた武志は、予定を変えて一度部屋に帰ることにした。
なぜか思った以上に、疲れたのだ。慣れないことをしたせいかもしれない。
その後、図書室で勉強だ。
まず礼拝して、それから図書室。
それが武志の考えた今日の予定だった。
このとき。
己を密かに見つめていた目があることを、武志は最後まで気づかなかった。
読んで下さって、ありがとうございます。
明日で更新を始めて丸2週間!頑張って更新をしたいと思います。
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