鐘と銀と
冷や汗が、たらりと麻耶の背筋を伝う。
――どうすりゃいいんだ、これ……。
「そのバケモンにかまわず、とっとと出てっちまえ!」
村人たちの、敵意から逃れる方法が分からない。
彼らの言うように、このまま立ち去れば、丸く収まるのかもしれない――何もせず、何も見なかったことにして。
しかし。
「う、うっぅ、」
背後からの微かなうめき声。
振り返らなくったって分かる。
あの子供だ。先ほどから立ち上がろうとして、それでもなかなか立てなくて、痛くて痛くて……苦しんでいる。
――そんなこどもを。
「ほっとけねぇだろッ!!」
麻耶の怒鳴り声に、先ほど放り出された男が再び木の棒を拾って立った。意外と根性があるらしい。威勢のいい少年も、しつこい男も、村人も、集団で来られたらやっかい極まりない。
だが、この、どうにもならない膠着状態に。
ヒュン!
――銀の……!!
意外な所から終止符が打たれた。
銀の毛並みに、一本の角、小山のように大きな身体。
村人と麻耶、両者の間に身をすべり込ませてきたのは、あの、銀色の一角狼だった。
「ま、魔物!!魔物だー!」
「魔物が出たぞー!!」
集まっていた村人が、口々に叫んで逃げはじめる。
何を考えているのか、獣は麻耶たちを守るように背後にして、村人たちを威嚇した。
「グルルルル」
獣が低く唸るだけで、蜘蛛の子を散らしたように人がいなくなった。
あっという間にガラン、とした目の前を見て、麻耶はつぶやく。
「これは……助かった、の、か?」
普通に考えれば、ありえない話だ。先刻、命のやり取りをした銀の獣が麻耶を助けるはずがない。だが、この狼は麻耶に背後をみせ、対峙している村人に歯をむいた。
麻耶を庇うかのように。
「おまえ……、助けてくれた?」
声を掛ければ、威嚇の姿勢を取っていた獣から、ふっと殺気が抜ける。
くるり、と麻耶の方を振り向き、お座りをした獣は、まるで犬のようにも見えた。超大型犬のさらに2倍以上は確実にあるだろうが。
「クゥ、」
首をかしげて見せた瞳はどこまでも青く澄んでいて、物騒なあの赤い光は発していない。
「マジか……」
魔物のような銀の毛並みの一角狼。正体不明のこの獣が、何を思ってここにいるのか、どうして麻耶を助けるようなことをしたのかは分からない。
刺激せぬよう、そうっと手を出し、拳を緩めて手のひらを見せた。
獣は動かなかった。
攻撃する意思がない、ということだ。
「……っはぁあああああ」
張りつめた緊張が解けて、麻耶は思わず脱力する。
「良かったよ。……お前とまたやり合うのは、流石にキツイ」
手加減を考えなくてもいいのは気楽だが、命を賭けたやり取りを再び、というのは、たとえ勝つ自信があったとしたって精神的に疲労しそうだ。
麻耶は振り向いて背後を見た。
子供は、ふらつきながらも立っていた。
「大丈夫か」
言いながら、なんて浅薄な言葉だと思う。明らかに『大丈夫』ではない相手に、かける言葉がそんなものしか思いつかないとは。語彙力のない自分が恨めしい。
「……は、い」
返事と共によろけた身体を、麻耶は駆け寄って支えた。
「……。」
麻耶がここに来る前に、どのくらいの間、殴られ続けていたのか分からない。だが、か細い身体は、明白に限界を訴えていた。
子供の脇に手を入れて抱き抱える。やはり軽い。麻耶の今のマッチョな肉体にとって、子供の体重はまるで羽のように軽く感じた。
「親は。……いや、親代わりの人は」
「いま、せん」
予想通りの答えが返ってくる。
「家はどこだ」
「……あり、ません」
「村に未練は」
「……あり、……ま、せん」
麻耶は一呼吸おいて、訊いた。
大切な質問だ。多分、この子の一生を変えるほどの。
「一緒に、来るか」
「……はい、」
そうか、と麻耶は腕に力を込める。
抱き上げた身体が、少しだけ強張った。
「じゃ、行こう。――神殿に」
「神殿?」
ああ、と思う。
行先も知らず、それでもこの子は一緒に行こうとしたのか。麻耶を信じて。思い至れば、なんとも切ない。たった一度だけ、麻耶が差し伸べた手。それに縋って憐れな子供はついて来ようとしている。
守らなくては――小さなこの子を。
麻耶にはその責任が出来た。
「ああ、神殿だ。そこに、俺の弟、いや妹がいる」
神殿に妹、という言葉に安堵したのか、肩上の塊から力が抜ける。
村に背を向けて歩きはじめると、後ろで、ざっざっと土を踏む音がついてきた。
「あー、そうだよな。……お前も、来るか」
くる、と首だけ振り向けてみれば、「ウゥ」と獣が頭を下げた。
ため息、ひとつ。
それで決める。
「まいっか」
麻耶は己の直感と獣を信じることにした。コイツは、悪いやつじゃない。
「あ……と、」
ふと、麻耶は子どもの名前を呼ぼうとして、知らないことに気付く。
「……そういや、名前。まだ聞いてなかったな。俺は麻耶……え、あー、じゃない、んんと、そうそう。マイヤーだ。マイヤー・センディア。お前は?」
「……コーラカル」
「こーらかる、」
「……、せ、でぃあさ、」
「マイヤーで良い」
「……」
押し黙る子供--コーラカルに、まあ、ぼちぼちといくか、と麻耶は気を取り直す。焦ることはない。神殿に着くまでの数時間で、少しは馴染むだろう。
お互いの存在に、少しずつでも慣れていけばいいのだ。
異世界に来て深く他人と関わることになったのは、実はコーラカルが初めてだ。まさかこんなことになるとも思わなかったが、心強い『番犬』もできた。
さくさくと進む歩みを止めず、麻耶は再び声をかける。
「そういや、コイツにも名前が必要だよな」
「……?飼っている、のでは?」
「ああ!」
それでコーラカルは獣を怖がらなかったのか、と腑に落ちた。同時に、悪いなと思う。もしかしたら、怖がらせることになるかもしれない。
「さっき出来たばっかの道連れだ。お前と一緒にな」
「ぼくと、いっしょ……」
腕の中で、もぞもぞと小さな身体が動く。どうやら背後にいる動物を見ようとしているらしい。
「おっきい」
獣を見ても怯えた様子はなく、「ぎんいろ……」と、どこか呆然と呟くコーラカルにほっとした。
「名前、つけてくんねぇか」
これが武志なら、センスもかけらもない名前を付けそうだな、と思ってふと笑みが浮かぶ。弟なら見たまま『ギン』とか言いそうだ。
「……シリブロー、」
「へえ!シリブロー、良い名前だな。カッコいいじゃないか!なんか意味があるのか」
「銀」
武志と同じだった。
やっと仲間と合流させることができました。
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