小悪魔な女の子を演じることで、彼の心を手に入れたくて。
小悪魔な彼女はとても可愛くて、僕の手には負えません。でも、いつか振り向かせてみせます。
の彼女視点からの物語です。
「ねー先輩、キスしてもいーですか?」
「ぶっ、ばっ、な、なに言って」
私のある意味爆弾発言に、彼、藤崎翔太郎は飲んでいたスポーツドリンクを吐き出した。
「やだぁ、汚いよう、先輩。ほらはい、ハンカチ」
隣を並んで歩いていた私はカバンからハンカチを取り出し渡す。こんな日のためにと、女の子らしくそして誰からもウケのいい、お気に入りのピンクのレースのハンカチだ。
私と彼が一緒に帰るようになったのは、ある意味必然にも近かった。私と彼は同じ部活の部員とマネージャーという立場であり、数少ない学校からの徒歩での帰宅組だ。同じ部活なだけあって、帰宅時間はいつも一緒。この先の角を曲がるまでは一緒の道だ。そしてそれを見越して、私は同じ部活に入部したのだから。
「あ、亜由美なんで、いきなりそんなことなんて」
動揺を隠せない彼とは違い、やや小悪魔の様な笑みを浮かべながら私は数歩先で立ち止まる。その瞬間、ふわり長いポニーテールの髪が揺れた。何度も友達に付き合ってもらったイメージトレーニングを思い出す。
「えー、先輩の唇、柔らかそうだったから……、じゃダメですか?」
小動物のように小首を傾げる。これがみんなは可愛らしく見えて、効果的だと太鼓判を押してくれた。うるさく鳴る心臓の音を私は無視をする。
「そ、それくらいなら……別に」
恥ずかしそうにそっぽを向く彼の顔を覗き込む。本当に私は触るの? いや、触りたいは触りたいのだけれど。
「先輩、アンカリング効果っていうんですよ」
やや背伸びをしながら、形の良い彼の唇に触れた。こんなことですら、恥ずかしいと思う私はどこかおかしいのだろうか。ただ私の行動を見つめる彼は、私と違いドキドキはしていないように見える。
部活で主将を務める彼はとても女子に人気が高い。マネージャーという立場がなければ、こんな風に近づくことすら本来は難しだろう。男だらけのむさくるしい部員たちの中でも、彼は別格だった。そのため、皆が彼のことを狙っていると言っても過言ではない。そう私も。
「アンカリング効果って」
「今日習ったんですよ。んと、初めに通らないような大きなことを言って、その後小さなことをいうと、これぐらいならばって人間の脳は思ってしまうってやつです。実践、してみたかったんですよね」
「ちょっと待て、じゃあ俺は実験台ってことか」
「えへへー。でも、唇柔らかそうって言ったのは本当ですよ」
小学校からずっと同じ学校に通い、ほとんどといっていいほどずっと一緒だった。でも彼の中での私は、あくまでも妹分であり、良くて仲の良い女友達くらいなのだろう。そんなこと今さら考えなくても、分かりきっていることなのに。それでも悲しいと思ってしまう。
「先輩もやってみます?」
これはある意味、私の希望だ。彼との関係に、少しでも波風を立てたくて。
「……じゃあ、俺と付き合ってくれよ亜由美」
「え……」
それは本心なのと、思わず聞き返しそうになって止める。彼を煽ったのは私なのに、何を勘違いしたのだろう。危うく、墓穴を掘るところだった。でも、例えこれが嘘でも、やっぱりうれしい。
しかし言った本人が動揺しているのか、その次の言葉が返ってはこない。頭を抱え、まるで何かに苦悩する姿はとても可愛く思えた。
「……いいですよ」
もちろん、私が小さな声で言ったことなど聞こえてはいない。
「……先輩! しょーくん、聞いてる?」
すっかり自分の世界に入ってしまっている彼を引き戻す。せめてもの嫌がらせとして、彼の右手を両手でつかみ、横に振ってみる。ゴツゴツとした、温かい手だった。頬っぺたを膨ら怒れば、申し訳なさそうに繋いでない手を後頭部に回し、頭を下げた。
本当はずっと名前で呼びたかった。昔みたいに。でも大人に近づくにつれ、それが許されなくなってきた。お前のものでもないくせに。そう何度言われたことか。
「すまない、聞いてなかった」
「もー。いつも、そうなんだから。で、次はなんて言うつもりだったんですか?」
「あ、いや、それが……」
キスしたいとでも言ってくれればいいのに。でも、きっとそんなことは言うわけがない。だって、私が一番しょーくんのことを知っているから。
「そ、そうだ。このまま手を繋いで歩きたい」
「……意気地なし……」
「え、今なんて?」
ささやくように小さな声で紡いだ言葉は、風でかき消された。
「なんでもなーいです」
怒ったように、私は歩き出す。しかし手は繋がれたままだ。あの角まで。あと少し。このままもっと道が長く続いてくれればいいと心からそう思った。