表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

産む側と産まれた側

作者: 藤原光

親というものは不思議で私が虐められた時私よりも泣いていた。1番悲しいのは私であると子供の頃は思っていたものの精神的に強情で育ったのか悲しいのはほんの少しでありいじめていた側が100%悪くなぜ私が悲しまなければいけないのか。可哀想であるのはいじめる側だ。と幼いながらに思っていたからだ。なのに何故親は自分のことのように感じるのか。人間の心というものを理解するのはとても難しい。こんなことを言うとまるで私が異世界から来た異人のようなまるで宇宙からの使者のように聞こえるな。それはそれでカッコイイからそのままにしておこう。人間の心は複雑で誰か大切な人ができると自分の身を捨ててまで守るのが美徳のような正しいような文化や歴史の元にある。だが私は大切な人に自分のために死なれたら困る。そりゃそーか。お互い同士が大切に思いどちらかがどちらかを守るために命を投げ出すことが本当に大切に思っているのか。残された側の気持ちは?と皮肉なことに考えてしまう。ただ恩着せがましく残された人は亡くなった人の分まで生きようというのが今の文化らしい。話が大きくなったが親というものがなんなのかとても偉大であり身勝手であると言いたい。勝手に産み落として勝手に育ててくれ、頼んでもないのに守ってくれていつでも味方になってくれる。もし私守る立場なら迷わず助けるだろう。親も親なら子も子か。しかし私のような立場にある人間が当たり前では無いのも知っている。そんな愛情を知らずに育った人が一定数居るだろう。ここで親子の話をしたから私には関係ないや、そんなこと知らないとはならないで欲しい。身の回りに居るどんな些細な人でもいい。決して好きでもなければ決して産みの親では無いかもしれない。だが赤ん坊の時から1人で生きてきた訳では無いでしょう。ここで人間は1人で生きていけないから助け合おうなんて在り来りな言葉誰も求めてないし私だって言おうとするだけで虫唾が走る。だから私は代わりに、私が多く貰った分の愛情をこれを読んでくださる貴方や愛に飢えている人に配り散らかそうではないか。毎日ちゃんと起きて偉い。毎日仕事や学校に行って凄い。毎日ちゃんとご飯食べて偉い。今日も生きてて偉い。そう自分に言い聞かせ自分の価値を自分で高め自分が1番に自分を認める。定期的に死にたくなる自分へのタイムカプセルとしてここに書こうではないか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ