017
昨日忘れてましたわ。
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虐げられてきた聖女達は剣を取る。
「さぁ、お行き。君達の怒りをぶつけてくるんだ」
「はい。貴方様のお心のままに」
ハクアの言葉に、エルシャは恭しく頭を下げる。
「いや、違う。僕の心のままにじゃない。君達の心のままに行動するんだ。君達の心のままに、君達の怒りをぶつけるんだ。良いね?」
「はい。承知いたしました。皆、剣は取りましたね? 一人一人で戦っても勝ち目はありません。四人一組で行動しましょう」
エルシャが言えば、手近に居た者同士で四人一組を作る。
聖女の数は丁度四十人。十組の聖女部隊が結成できる。
「勇者は僕に任せると良い。君達は、この砦のゴミ掃除だ」
ハクアの言葉に、聖女達は頷く。
「さ、目に物を見せてやると良い」
「はい。さぁ、皆、行きましょう」
目に剣呑さを宿しながら、聖女達は地下牢から出て行く。
地下牢の鍵は元より付けられていないし、見張り番も居ない。勇者が居る間は、聖女達の待遇に疑問を持たれないようにそう言った事をしないようにしていたのだ。
だから、聖女達がこの地下牢から出るのは簡単だった。
「アルテミシア。彼女達の手伝いを。十組に分かれるけど、君なら簡単だろう?」
言葉に心底からの信頼を乗せれば、アルテミシアはくるると一つ鳴いてからハクアから離れる。
「さて。じゃあ僕は異世界人と遊んであげようかな」
ハクアがそう言った直後、地下牢の天井が崩れ、ハクアに衝撃が襲い掛かる。
「手荒い歓迎だな。誰何も無いとは無粋にもほどがある」
「砦内に突然現れた敵に誰何なんて必要無いだろ!!」
地下牢の天井を突き破ったのは、勇者の蹴りだった。
勇者にとっては床を踏み抜き、その威力のまま真下に立っていたハクアに攻撃をしかけたのだ。
頑強な砦の床をぶち抜き、ハクアの立つ地面を陥没させるほどの威力を持つ蹴りを、しかし、ハクアは涼し気な顔で受け止めている。
「くっ……!!」
勇者はハクアの腕を蹴り付け、一階に戻る。
「折角来たのに逃げるなよ。追うのが面倒だろう?」
一足で勇者に肉薄し、鋭く拳を打ち込む。
打ち込まれた拳を、勇者は外側に流すようにしていなし、反撃とばかりに拳を繰り出す。
勇者から繰り出された拳を下段から掌底で弾き、一歩踏み込んで鳩尾に向かって肘鉄を繰り出す。
迫り来る肘の速度に合わせて、勇者は巧みな脚運びで即座に距離を空けつつ、ハクアの顔目掛けて蹴りを入れる。
勇者の蹴りを、姿勢を低くして躱し、もう一歩踏み込もうとしたところで即座に両腕を顔の前で交差させる。
直後、骨が軋む程の威力の蹴りがハクアの腕に直撃する。
自ら背後に跳んで威力を殺しつつ、軽やかな足取りで着地をする。
若干痺れる腕を振りながらも、余裕の笑みを浮かべるハクア。
「いやぁ、強い強い。僕が戦ってきた異世界人の中でも上の方なんじゃないか?」
「弱い者ばかり殺しておいて良く言う。お前が殺してきたのは弱い勇者か、この世界に来て日が浅い勇者だけだろう、勇者殺し」
「わお。名乗っても無いのに良く分かったな? あ、もしかしてそう言うスキル持ちなのか? 仮想体異世界人の奴は変なスキルばっかり持ってるからなぁ」
言いながら、ハクアは相手の能力に当たりを付けて行く。
ハクアの位置が分かり、なおかつそれが善悪、もしくは敵味方の区別がついているのであれば、目の前の勇者は地図を持っている可能性が高い。
地図は持っている勇者ごとに性能の差はあるけれど、精巧な地形情報を映し、人の場所を映し、その者の性質を映し出すという。
ハクアを瞬時に敵だと認識したのであれば、ある程度以上に地図に映る個人情報の精度が高いのだろう。それこそ、ハクアの異名である勇者殺しを知ることが出来るくらいには。
「知ってるなら名乗る必要は無いと思うが……まぁ、様式美だ。僕の名前はハクア。巷じゃ勇者殺しなんて呼ばれてる。短い間だけど、よろしく」
仰々しく、ハクアは一つお辞儀をする。
頭を下げた途端に攻撃を仕掛けようと思った勇者だけれど、ハクアにはまったくもって隙が無かった。あえて頭を下げているのも、相手を誘っているからだろう。
頭を上げたハクアは視線で勇者に次はお前だぞと促す。
勇者は一瞬も気を緩めぬまま、構えを取りながら答える。
「俺はトウキチロウ。天拳の称号を持つ勇者だ」
天に通ずる拳。ゆえに、天拳。その称号は伊達ではなく、その拳で数々の強敵を屠ってきた。
古龍を屠り、魔族の将を屠り、魔物の突然変異種を屠ってきた。
相手が人だろうが魔物だろうが、変わらずその拳で屠った。
天拳の通り名はハクアも耳にした事がある。リュートやカナエとは比べ物にならないくらい、トウキチロウは危険な相手だと認識している。
「そうか、お前が天拳か。会えて嬉しいよ」
言って、ハクアも構えを取る。
拳と拳の戦い。
素手での戦闘は勇者――トウキチロウの得意とするものだ。けれど、目前の敵を相手に、一分の油断も出来なかった。
トウキチロウはハクアの読み通りゲームのキャラクターの姿で異世界に来てしまった異世界人だ。
トウキチロウの世界で流行っているVRゲーム。トウキチロウはいつも通りそのVRゲームをしていると、突然視界が光に包まれた。そして、次の瞬間には自分のまったく知らない世界にやって来ていた。
この世界に来て戸惑ったけれど、トウキチロウはゲームの中でもトップランカーであり、そのゲームのステータスをそのまま引き継いだ状態だったので、危険を前にしても対処する事が出来た。
様々な冒険をして、今では天拳と呼ばれるまでに成長し、この世界にもすっかり馴染んできた。
多くの敵と戦った。
多くの困難を前にしてきた。
死んでしまうかもしれないと何度も思った。その度に、活路を見出して生き残ってきた。
百戦錬磨の猛者であろうトウキチロウの直感が警鐘を鳴らす。
目の前の存在は危険だと。
威圧感は、かつての敵達の方が強かった。
自身よりも弱い者を圧倒する、強者特有の威圧感。
身を竦め、心を弱らせるそれを、トウキチロウは何度と味わってきた。
だからこそ、ハクアに違和感を覚える。
ハクアからは強者特有の威圧感を感じない。だからこそ、恐ろしい。
威圧感を感じない相手に、これほどまでに危機感を覚えた事は無い。
握りこむ拳に力が籠る。
「じゃあ、行くぞ」
静かに、ハクアが動く。
まるで床を滑るようにハクアは滑らかにトウキチロウに迫る。
「――ッ!!」
即座に気を引き締め、迫り来るハクアに拳を打ち込む。
ハクアは迫り来る拳をいなしながら、カウンターとして拳を繰り出す。
トウキチロウの拳は天拳の名に恥じない程の威力と精度を持っていた。
拳一つで簡単にハクアの命を奪えるだろう。狙いは的確で威力も必殺。いなすのでさえ、少しでも間違えれば腕の骨が砕けるだろう。
先程受けた蹴りだって、後ろに跳ぶのが少しでも遅かったらやられていたのはハクアの方だった。
先程の短い戦闘で、互いに互いを強者だと認識している。
一手でも間違えれば、即座に死に繋がる拳戟の嵐の中を、しかし、両者は臆することなく互いに距離を詰め合う。
強者との戦いであればこそ、その程度は当たり前だ。そんな事で一々足踏みなどしていられない。
トウキチロウはハクアへの評価を上方修正する。
自分よりも弱い者を倒す卑怯者だと思っていたけれど、ハクアと打ち合えばそれが違う事が分かる。
ハクアの拳は恐ろしく速く、恐ろしく精確だ。それでいて、判断力にも優れており、防御と攻撃の切り替えが早い。
「……ッ!! これほどの腕を持って、なんで勇者を殺す!!」
「腕は関係無いなぁ。僕ぁ、僕が例え弱くたって異世界人を殺していたさ」
「何故そこまで!!」
「お前に語る意味は無い。お前はただ、死んでくれさえすれば良い」
ハクアの拳が頬を掠める。
それだけで、頭が軽く揺さぶられる。
視界がぶれた一瞬、ハクアが畳みかける。
「――ッ!!」
しかし、トウキチロウだって歴戦の猛者だ。多少視界がぶれただけでやられる程弱くは無い。
ハクアの連打を捌き、今度はトウキチロウから仕掛ける。
トウキチロウが距離を詰めれば、詰めた分だけハクアが距離を空けようとする。
「っと……足癖の悪い」
が、距離を空けようとするハクアの足を踏み、距離を空けられないようにする。
ハクアが逃げられない内に連打を叩きこむ。
しかし、ハクアはこの連打に即座に対応する。その上、トウキチロウが積めた距離を、ハクアは更に詰める。
「――ッ!」
ほぼ密着状態。
その状態で、お互いが選んだ手は同じだった。
相手に拳を押し付ける。直後、両者の身体が後方へと吹き飛ばされる。
両者が撃ったのは発勁という中国武術の一つだ。
発勁とは、発生した運動量を対象に作用させる事だ。
勁は運動量であり、その運動量を接触面まで導き、対象に作用させる。
上の三つの工程を同時に行う事が発勁であり、二人はそれを最小にして最大の威力で繰り出した。
まさに天拳と呼ばれるに相応しい速度と威力だけれど、ハクアも負けず劣らずの速度と威力で打ち出した。だからこそ、お互いが同時に吹き飛んだのだ。
二人は空中で体勢を整え、同時に地面に着地する。
互いに、互いの出方を窺いながら、トウキチロウはハクアの能力の高さに戦慄する。
トウキチロウはゲームで蓄えたスキルによって発勁を発動させる事が出来た。もっとも、身体が勝手に動くという訳では無く、自身で出そうと思わなければ出せないし、技術が足りなければ発勁を使う事も出来ない。
そもそも、ゲームではなく現実世界のトウキチロウは使う事が出来なかった。発勁の練習なんてしていないので、当たり前と言えば当たり前だろう。
こちらの世界でゲームの中と同じ事が出来る原理は謎だけれど、トウキチロウの身体は何故だか発勁を憶えていた。
ゲームではスキルとして使っていたので憶えているなんて事は有り得ないのに、身体はどうすれば発勁を使えるのかを知っていたのだ。
同じようにゲームのキャラクターとして転移してきた異世界人に聞けば、その異世界人も同じような感覚だと言っていた。
『まぁ、良いじゃねぇーか、細けぇ事ぁよ。ゲームの時と同じで、俺達は強ぇーんだぜ? それだけで十分じゃねぇの』
にひひと笑いながら言ったその者とは、それ以来会っていない。風の噂では、あまり良い事はしていないようだけれど、友人と言える関係でも無いので特に気にした事も無かった。
けれど、彼の力も本物だった。自分の力も、劣っているとは思わないけれど。
他とは違う力を持っているからこそ分かる、目の前の少年は自身と同格か、あるいはそれ以上だ。
トウキチロウはゲームのキャラクターの恩恵で発勁を使う事が出来た。けれど、これを実際に使いこなせるようになるには、それ相応の努力が必要だ。
それを、この少年は十五、六で使いこなしている。その事実には戦慄を覚え、その努力にはこの世界に来て武人の苦労を知った同類として敬意を表する。
しかし、なおの事疑問を覚える。
これほどの強さを持ってして、何故異世界人を殺して回っているのだろうかと。
「お前は、どうして勇者を殺す? それほどの武を持っているのなら、それ以外の選択肢もあるだろう?」
「選択肢なんざ最初から無い。そんなん自分で潰しちゃったよ」
「なら新しく作れ。殺す以外の方法だってあるかもしれないだろ」
「無い。それが一番目的まで早いんだ」
「その、目的はなんだ?」
「さっきも言ったけど、お前に語る意味は無い。ただ黙って死ねばよろしい」
踏み込み、刹那、目前にハクアの姿が。
「――ッ!!」
優れた目を持つトウキチロウには、ハクアが何をしたのかが分かった。
二歩一撃。
同時に両足を動かして、一瞬で間合いを詰める歩法だ。
術理は単純明快。構えから踏み出し、この踏み出した足が地面に着く瞬間に、もう片方の足を踏み出す。それだけで、一瞬で間合いを詰める事が出来る。
それを、恐ろしく速くハクアはやってのけた。
しかし、二歩一撃はトウキチロウも出来る。
自分が出来る事を相手が出来ないとは思ってはいない。これほどまでの武人であれば、なおさらだ。
繰り出される拳をいなし、反撃を繰り出す。
一撃一撃に冷や汗が流れる。
一手でも間違えれば、確実に負ける。
そんなプレッシャーの中、トウキチロウはハクアと拳を交える。
トウキチロウは知らない。ハクアのこれが囮であり、トウキチロウを倒す事が二の次である事を。
ハクアの目的は着実に進行している。
その事を、トウキチロウは知らない。
ゲームの中では基本スキルであった地図を確認すれば何が起こっているのかは分かるだろうけれど、そんな余裕はない。
聖女の殺戮は止まらない。




