58
降り注ぐ太陽が全身を優しく暖め、傷の痛みを和らげてくれている。彰は深く息を吸うと、静かに目を開けた。
「……目が覚めたか。」
男の声がした。ぼんやりとした視界の端に、椅子に腰かけた人影が見える。
「すっかりお揃いだな。………まぁ、嬉しくはないだろうが。」
男は自分の左肩をさする。彰はその姿を見つめると、やがて眼を大きく見開いた。
「タケルさ……ッてぇ……………………」
「待て待て! 無理するな。安静にしろ。」
突然ベッドから起き上がろうとした彰を、タケルは慌てて抑えた。
手には柔らかいベッドの感触。息を吸うと薬品の匂いがした。
タケルの手を借りながらゆっくり体を起こすと、水を含んで乾いた口を潤した。窓から差し込む太陽の光に思わず顔をしかめる。
「あれから…………どれだけ経ったんですか?」
「二週間だ。その間、ずっとここで寝てたらしいぞ。」
見ると、ベッドにくっきりと跡ができている。
「タケルさんはどこに居たんですか?」
左腕を失ったタケルを見て彰は尋ねた。タケルは窓の外をちらりと見て答える。
「俺もよく分からないんだが…………。聞いたところによると、遺跡地下の施設に運ばれたらしい。」
「地下施設?」
彰が首を傾げると、タケルは「まぁ、すぐに分かる」と言って笑った。
同じ病室には、遺跡での戦闘で負傷した患者が数人、ベッドに横たわっている。彰はそれを眺めると、慌てて跳ね起きた。
「おい! 安静にしろと」
「リリアは何処に……!」
脳裏に蘇るのは、血を吐いて倒れていたリリアの姿。あの後どうなったのか、彰の記憶はパッタリと途切れてしまっている。
「大丈夫だ! 落ち着け。」
タケルは慌てる彰を何とか制止して言った。
「リリアさんは生きている。」
「本当ですか?」
「本当だ。ちょうど上の階の部屋にいるはずだ。」
「上ですね?」
彰はそう言うなり、点滴を口で引き抜いて部屋を飛び出した。タケルはしばらく呆然としながら空のベッドを見つめると、笑いながらため息を吐いた。
平衡感覚が鈍っているせいで何度も倒れそうになった。折れた骨が、走るたびに悲鳴を上げている。だが、今の彰はそんな些細なことなど気にもならなかった。
彰は息を荒げながら階段を駆け上がると、病室の扉を壊すような勢いで開ける。
春の風が窓から流れ込む。その窓の下にあるベッドで少女の栗色の髪が揺れた。
「アキラ君?」
大きく見開かれた瞳。胸元には深い青色の宝石が輝いている。
「リリア……!」
彰は絞り出すように言うと、倒れこむようにリリアの胸へ飛び込んだ。夢ではない。心臓の鼓動をはっきりと感じる。
「アキラ君…………! 目が覚めたんだ……!」
リリアも掠れた声で言うと、力強く彰を抱きしめた。その目から、透明な雫が流れ落ちる。
彰もリリアを強く引き寄せる。同時に沸き起こった様々な感情が複雑に絡み合い、彰はただ黙ってリリアを抱きしめた。
「もう……終わったんだよな………………?」
ようやく絞り出した一言に、リリアは何度もうなずいた。
「終わったよ……。終わったんだよ……! アタシたち勝ったんだよ…………!」
それを聞いて、彰の目からも涙が零れた。
全て終わった。ノーワンの野望は潰え、この世界を襲った危機は完全に去ったのだ。もう彰が剣を取る必要は無くなったのである。
彰は涙を拭うと、リリアを見つめた。彼女の頭や腕には白い包帯が巻かれている。
「ごめんな、リリア……。俺と一緒に来たせいで、こんなに怪我を……」
すると、リリアは首を振った。
「謝ることなんて、これっぽっちも無い。むしろ、謝るのはアタシたちの方だよ。こんな大怪我してまで、アタシたちの世界を救ってくれたんだから。」
リリアはそう言うと、少し照れたように笑った。
「ありがとう。アタシたちの英雄さん。」
その笑顔は、暖かな日差しに照らされてキラキラと輝いて見えた。
不意に病室の扉が開いた。
「リリアちゃ…………、アキラ君! 目が覚めたのね!」
扉を開けたのはソフィアだ。彼女は駆け足で入ってくると、彰を強く抱きしめる。
「怪我は? もう大丈夫なの?」
「いや、大丈夫……ではないけど…………」
「本当に良くやったわ! アタシたちだけだったら、今頃みんなアイツにやられてた! 本当にありがとう!」
そう言うと、彰の頭をガシガシと撫でる。その大雑把な撫で方に、彰はアクレスを思い出して少し笑った。
「リリアちゃんは、体調はどうかしら? 眩暈とか無い?」
ソフィアはリリアを見て尋ねる。
「大丈夫。なんともないよ。」
リリアは笑うと、右腕の腕輪を見せた。アクレスのしていたものと同じ腕輪だ。ただ、アクレスとは違って、腕輪の構築式は発動していない。
「これは必要なさそうね。」
ソフィアはそれを見ると、その腕輪を取った。
「ソフィアさんは怪我大丈夫なの?」
彰が尋ねると、ソフィアは腕を大きく回して見せた。
「この通り! 私はなんともないわ。ディアスは入院してるけど…………あっ!」
そこで、何かを思い出したかのように立ち上がった。呆然とする二人を見下ろして、ニヤリと笑う。
「今日はね、二人に会ってほしい人がいるのよ!」
「会ってほしい人?」
すると、病室の扉がゆっくりと開いた。
その扉の向こうに居たのは、車椅子を押すヘクターと、その車椅子に乗った一人の女性。彰とリリアは彼女の姿を見ると、目を丸くしたまま固まった。
「……システィアさん?」
「二人とも、久しぶり。」
そう言ってはにかむシスティアに、すぐさま二人は駆け寄った。彼女は照れたように笑うと、二人を優しく抱きしめる。
「どうして……、どうして北島に…………?」
リリアが尋ねると、システィアは後ろのヘクターをチラリと見て答えた。
「目が覚めたのは三週間くらい前なんだけどね。その連絡をしたら、ヘクター君がわざわざ迎えに来てくれたの。」
「…………。」
ヘクターは黙って顔を背ける。
システィアは二人の顔を交互に見ると、もう一度強く抱きしめた。
「聞いたよ。二人とも凄く頑張ったんだってね。この世界を、私たちを守ってくれてありがとう。あなたたちは二人とも、私たちの英雄だよ。」
「うぅ…………」
それを聞いたリリアはボロボロと泣き始めた。システィアは笑ってその涙を拭う。
窓の外では、心地良い陽気に鳥たちが唄っている。吹き抜ける春の風に、ふわりと咲いた桜の花が揺れていた。
◇◇◇
佐保呂の街から少し離れた丘の上。
彰は杖を頼りに登りきると、そこで待っていた老人に声をかけた。
「アルフレッドさん?」
老人は彰を見ると、ニカッと笑う。
「よう。若くなったな、アキラ。」
「え?」
「あぁ、そうか。こっちのお前とは初めましてだな。」
アルフレッドは陽気に笑うと、右手を差し出す。彰が戸惑いながらもその手を握ると、彼はすぐに振りほどいた。
「違う違う。水筒をくれ。のどが渇いたんだ。見たら分かるだろ。」
「あぁ…………、いや、分からねーよ!」
アルフレッドはボロボロの服を着ており、持ち物と言えば脇に抱えた本一冊のみ。まるで、書斎から瞬間移動したかのような格好だ。
彼は彰から水筒を受け取ると、一気にそれを飲み干した。
「っかぁーー! 沁みるなぁ!」
「全部飲み干すなよ……。」
彰が呆れた顔でその様子を見ていると、アルフレッドは「お、その顔懐かしいな」と言って笑った。
丘の上からは、佐保呂の街と遠くに遺跡が見えた。遺跡と言っても、今は瓦礫の山なのだが。
アルフレッドはその瓦礫の山を指さした。
「あそこの地下に、箱舟がある。箱舟は分かるだろ?」
「文明再構築……、とかだっけ?」
「あぁ、その通り。所謂、Project : ARKなんだが、お前がその責任者ってのは知ってるな?」
彰は少し黙ると、小さくうなずいた。それを見ると、アルフレッドはため息を吐く。
「お前、正直やりたくないだろ。」
「…………まぁね。」
彰は答える。
「その装置を作ることで殺し合いになるんなら、…………正直なところ作らない方が良いんじゃないかな? あんな装置がなければ、この前の戦いだって生まれなかったんだ。」
「そうだな。まったくもってその通りだ。」
「え?」
「だから今日、ここへ呼んだんだ。」
アルフレッドはそう言うと、今度は佐保呂の街を指さした。
「装置がなければ争いが生まれることもないだろうが、装置がなければ彼らが生まれることも無い。」
「…………。」
「言いたいことは分かるだろ?」
彰は黙って佐保呂を見つめる。
「お前が歴史を変えようと、俺は知ったこっちゃない。むしろ、変えてもいいとさえ思ってる。が、お前は違うだろ? 消えてほしくない人が居るはずだ。」
アルフレッドは懐から一枚の紙を取り出した。広げてみると、綺麗な筆記体で何かが箇条書きにされている。
「それは俺が見てきた、お前がこれからするはずのことだ。時空の流れには修正力があるから多少の変更は大丈夫だろうが、歴史を変えたくないのなら、あまり逸脱しすぎない方が良い。」
彰はその紙を丁寧に折りたたむと、服のポケットにしまい込んだ。アルフレッドは意地悪そうな笑みを浮かべると、彰の肩を叩いた。
「少しはやる気になっただろ。」
「…………まぁな。」
「そうやって人間は大人になっていくのさ。」
そう言うと、アルフレッドは歩き出した。その後ろ姿をしばらく見つめると、彰は静かに空を見上げた。
チン、という小気味いい音が鳴ると、まもなく白い扉が開いた。アルフレッドは空の水筒をくるくると回しながら、無機質な施設の廊下を歩いていく。
そして、高い天井の広場へたどり着くと、そこの中央に設置された大きな機械を眺めた。
「よう。」
声をかけると、その機械を整備していたヨハンが駆け寄ってきた。
「やぁ、アルフレッド。」
「これが船か?」
「あぁ。まだ時間航行とまではいかないがね。」
この装置は、ヨハンたち未来人が乗ってきたものを小型に改修したものだ。ヨハンのほかにも、数人の男女が整備をしている。
アルフレッドは、その脇に幾つか置いてある小さな装置を指さした。
「あれにアキラたちが乗るのか?」
「そうだ。船が未来へ飛ぶ反動を、まとめてアレにぶつけるんだ。それで、元の時代へ帰れる。…………理論上は。」
心配そうに言うヨハンの肩を、アルフレッドは笑いながら叩いた。
「大丈夫さ。うまくいくよ。」
「そうか?」
「うまくいかなかったら、お前たち自体存在しないじゃないか。」
「あぁ、そうか。」
ヨハンは呟くと、少し嬉しそうに笑った。
「それで、お前どうするんだ。」
アルフレッドが尋ねる。
「ん? 私は未来へ帰るよ。アキラ君を帰した後で。」
「そうじゃない。その後だ。」
「あぁ…………。そうだな。」
しばらく黙って整備が進んでいく様子を眺める。
「……私もできることをやるよ。ノーワンがやろうとしたことを、別の、私なりの方法で。」
「そうか。」
「それが、ここまで生き残ってしまった私の存在意義だ。彼らのためにも、そして、そのために死んでいった人々のためにも私がやらなければ。」
ヨハンはそう言って船を見つめる。
「船の整備なら、俺も手伝ってやるよ。」
アルフレッドはその肩を叩くと、優しく笑いながら言った。
◇◇◇
砂浜に打ち寄せるさざ波が、夕日を反射して茜色に輝く。彰とリリアは、波の音に包まれながら、黙って波打ち際を歩いていた。
「……もう、一年になるんだね。」
リリアが不意に呟くと、彰は「そうだな」とだけ答えた。
季節は夏の終わり。彰がこの世界へ来てから、一年が経とうとしている。
北島での戦いの後、彰とリリアはマテラス国を北から旅して歩いた。その幸せな旅も、ここ月島で終わりを迎える。
彰は夕日を見つめると、静かに言った。
「船が完成したらしい。」
リリアは一瞬固まると、すぐに笑顔を作って彰を見上げる。
「やっと…………、元の世界に帰れるんだね。」
「……うん。」
彰が答えると、二人は再び黙り込んだ。
「あのさ」
しばらくして、リリアが口を開いた。
「これ、受け取って欲しいの。」
そう言って取り出したのは、小さな木の箱。開けると、中にはガラスのように透き通った花が一輪、白い布に包まれていた。
「これは?」
「氷晶花って言うんだって。摘んだ後も、枯れずに綺麗に咲き続けるの。」
彰はその花を手に取ると、夕日にかざした。透明な花びらの向こうに、穏やかな海がキラキラと輝いている。
リリアもそれを見つめると、小さな声で言った。
「…………元の時代に帰っても、アタシたちを忘れないで。アタシたちもアキラ君のこと、絶対に忘れないから………………」
リリアの声が掠れていた。ポロポロと落ちた涙が砂浜に消えていく。
元の世界へ帰れば、もう二度とこの時代へ戻ることはできない。そして、この時代に暮らす人々にも、当然会うことはできなくなるのだ。
「リリア……」
彰は氷晶花を箱へしまうと、ぽつりと呟いた。
「俺と一緒に、来てくれないかな…………。」
「……え?」
リリアが顔を上げる。
「最低なこと言ってるってのは分かってる。でも……、俺さ…………。一人でやっていける気がしないんだ。」
木箱を持つ彰の手が震えていた。
「やらなくちゃいけないんだ。…………でも、俺が作った装置のせいで、これから何万と人が死んでいくかもしれない…………。それを考えたら、俺は…………」
彰の声が震えている。
リリアはそれに気づくと、ゆっくりと彰の前へと回った。そして少し背伸びすると、彰の震える唇に、そっと自分の唇を重ねた。
「いいよ。」
呆然としている彰に、リリアは優しく笑いかけた。
「一人で背負うのは辛いよね。アタシも一緒に背負うよ。」
「でも……、そうしたら、もう二度とこの時代の人たちと会えなくなるんだぞ? システィアさんや、ソフィアさん、レイナさんにも…………」
「いいの。」
リリアは彰の体を抱き寄せる。
「この前、エリさんが言ってたの。『私は元の世界よりも、ケイロンのいる世界で生きたい』って。アタシも同じ。アタシも、アキラ君のいる世界で、アキラ君と生きていきたい。」
そう言うと、彰の顔を見上げた。
「だから、アタシも一緒に連れてって。」
彰は震える手でリリアを抱きしめた。
「……ありがとう、リリア。」
「アタシこそ。ありがとう、彰君。」
潮騒が二人を包む。夕日に照らされた二人は、そこで再び唇を重ねた。
◇◇◇
マテラス王国に、一つの英雄譚が新たに生まれた。数多の凶悪な魔物を引き連れた魔王を、異界から突然現れた少年が討ち倒す物語である。
そして物語の中で、世界を救い、希望を与えたその少年を、人々は尊敬を込めてこう呼んだ。
異世界の英雄と。
終
読んでくださった皆様、ありがとうございました。あなたの何気ないワンクリックが、活動の原動力になりました。
これからも活動を続けていく所存ですので、ぜひとも末永く宜しくお願い致します。




