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ソフィアはボロボロになった手袋を手に取ると、描かれていた構築式をまじまじと覗き込んだ。
「…………よく出来てるわ。誰が組んだのかしら。」
リリアは積まれた資料の束をどかすと、その下から出てきた椅子に座る。
「さぁ。アタシはお父さんから貰った式を手袋に描いただけだから。でも、私の描いたのだと、時々反応しないときがあるの。」
「それで、私のところに来たのね。」
「そ。ソフィアさん、詳しいんでしょ?」
「まぁ……、それなりにね。描き直すだけだから、今日中に終わるわ。そうね…………。日の沈む頃に来てくれれば終わってるはずよ。」
ソフィアは散らかった机から白い紙を取り出すと、手袋の構築式を描き写しはじめる。リリアはその様子を見ながら、ぽつりと呟いた。
「…………解放式って描ける?」
ソフィアの手が止まった。
「……なんですって?」
「前に、システィアさんから少し聞いたの。アクレスさんは解放式を使って、とんでもない力を手に入れたって。」
「システィア…………。」
ソフィアは窓の外の病院を見てため息を吐く。横を見ると、リリアは真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「解放式っていうのは――」
ソフィアは少し考えてから話し始めた。
「使えば強力な力が手に入る、なんて単純なものじゃないのよ。解放式は、体の中を壊して、魔力を無理に引き出してるのよ。だから、解放式なんて使ったら…………」
「分かってるよ。システィアさんも解放式は危険だって言ってたから。」
リリアはソフィアの言葉を遮って言った。
「でも…………、どうしても勝たなきゃいけない戦いもある。自分の身を犠牲にしても守りたい人がいるの。もう誰も…………、誰も失いたくないから………………」
ソフィアはリリアを優しく抱きしめた。胸の中で、小さくすすり泣く声が聞こえる。
解放式は魔力制御系を壊し、体内の魔力を際限なく魔法発動へと利用する構築式だ。そのとき破壊した制御系は、二度と修復されることはない。
現に、アクレスはそれによって莫大な力を手に入れ、同時に寿命を大きく縮めている。
五年前の戦争以来、ソフィアは解放式を封印していた。しかし。
「…………分かったわ。」
ソフィアはリリアを強く抱きしめる。
「北島へ向かうのは春先よね? それまでに、やれるだけやってみる。」
「できるの?」
「解放式は私が作ったの。だから、私がなんとかしないと。」
そう言うと、リリアは「ありがとう」と小さな声で呟いた。
◇◇◇
全身から力が抜けるような感覚。胸の奥で、何かが切れるような痛みを感じる。手の甲で構築式が赤く輝いた。
「はぁ…………、はぁ…………!」
リリアは息を荒げながら、瓦礫と炎の中を駆け抜けていく。
「くッ…………」
巨大な衝撃波。ボロボロになった彰が吹き飛んでいくのが見える。
目の前のノーワンが大きく手を広げた。この距離で衝撃波を受ければ、間違いなく全身がねじ切れてしまうだろう。
ノーワンの注意が向いているのは、彰と背後に並ぶ大砲たち。リリアの存在が眼中にない今ならば、リリアが一撃与えられるだけのチャンスはある。
だからこそ、失敗は許されない。
「もう二度と…………!」
叫ぶと、思い切り地を蹴った。ノーワンは、突然目の前に現れた少女に驚きの表情を浮かべている。
リリアはノーワンの広げた両腕に手を伸ばした。
腕へと絡みついていく細い糸。その糸の上を青白い電流が躍る。
「魔力……解放………………!」
その言葉の直後。巨大な轟音と雷光がノーワンの体を貫いた。
「何してんだ…………!」
彰は立ち上がりながら呟いた。ノーワンに一人の少女が襲い掛かっていくのが見える。その少女は、遠目からでもリリアだと分かった。
「リリア!」
彰が叫ぶと同時。
―――ゴォォォォン…………!
目の前で青白い雷光がノーワンを飲み込んだ。
周囲を取り巻いていた不気味な力場が消失した。浮いていた瓦礫が一斉に落下し始める。
「クソッ………………!」
リリアが何をしたのかは分からない。だが、これだけの出力の魔法だ。無事では済まないだろう。
彰は剣を握りしめると、ノーワンへ向かって走り出した。
力場が消失した今ならば、ノーワンにも接近できる。リリアが作り出した千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。
途中、口から血を吐いて倒れているリリアが目に入った。彰は歯を食いしばると、前方のノーワンを見据えて剣を構える。
「ノーワン!」
黒焦げになった男へ叫ぶ。その男は彰の声に反応すると、ピクリと顔を上げた。
「………ァァァァアキィラァァ!!」
叫ぶと、彰へ向かって炭のようになった腕を伸ばした。やはり、まだノーワンは死んでいない。巨大な衝撃波が彰の全身を襲う。
しかし、彰の剣は止まることはなかった。
深く構えた英雄の剣はノーワンの腹を目掛け、まっすぐに突き出される。その剣先が触れた瞬間、彰は掠れた声で叫んだ。
「貫け、メテア……!」
その言葉と同時に放たれた巨大な火柱は、ノーワンを貫き、澄み切った青空の彼方へと消えていった。
◇◇◇
全身から力が抜けていく。この感覚は何度か味わったことがある。
死の感覚だ。
ノーワンは重い瞼を持ち上げると、白く濁った視界で目の前の少年を見つめた。
彼は片腕で剣を前に突き出したまま動かない。もう魔力を使い果たしたのだろう。むしろ立っていることが不思議なくらいだ。
ただそれでも、彼の両目は突き刺すようにノーワンを見続けていた。少しでも変な動きを見せれば、再び襲いかかってきそうな気迫だ。
ノーワンの体はドサリと地面へ落ちた。
「ここまでか…………?」
足の再生が始まっているが、その足は老人のように細く、黒いシミがいくつも浮き上がっていた。
再生の限界だ。寿命が近いのだ。
ノーワンは瓦礫に埋もれた死体を見る。遺跡のどこを見回しても、死体が転がっていた。
自分の理想を実現するために、数え切れないほどの命を奪ってきた。その行動は、発展のために被検体たちを殺してきた人々と何も変わらない。
「なに……してたんだろうな…………俺は……………………」
他にも道はあったはずだ。しかし、その道を見ようともせず、自分を正義だと信じて走り続けていた。
ゴロリと転がると、頭上を見上げた。そこに白い天井は無く、どこまでも高い空が広がっている。
冗談のように透き通った青を眺めながら、ノーワンは笑った。目から赤色の涙を溢しながら、ノーワンは笑っていた。
「そうか…………これを見たかったんだな………………」
そう呟くと、皺だらけの手を腹に空いた穴から胸へ突っ込む。そしてそのまま黒い機械を引き抜いた。
継ぎ接ぎだらけの再生機は、ボロボロになりながらもなんとか動作している。
ノーワンはその機械を空へ掲げた。壁も天井も無い、無限に続く青空へ。
「ごめんな……みんな…………」
そう言ってノーワンは静かに目を閉じると、震える手でその機械を握りつぶした。
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