53
「ったく…………。北島に来るなりこれかよ…………!」
遠距離用の長い銃に弾を籠めながらディアスが呟いた。
目の前に広がるのは、黒い煤の舞う遺跡。そのあちこちで、迎撃準備が進められている。
「だいたい、なんなんだあの男は! 目の前で……飛んだぞ!」
「あれがノーワンだ。」
「本当に戻ってくるのか? こんな何にも無い場所に!」
「確かにここには何も無いが、奴は必ず戻ってくる。そこを俺たちで迎え撃つんだ。」
ヘクターは答える。それを聞いて、ディアスは「観光どころじゃないな……」と力なく笑った。
「そもそも…………」
ディアスは手を止める。
「俺たちが何とかして倒せる相手なのか? ……アクレスさんが殺されたんだろ?」
ヘクターはしばらく黙ると、「…………できなくても、やるしかないだろ」と呟いた。
遺跡に冷たい風が吹く。瓦礫だらけの遺跡に砂埃が巻き上がった。
不意に、ディアスが空を見上げた。
「どうした?」
「聞こえないか?」
「何が。」
「……居た。」
ディアスはそう言って銃の照準を覗き込んだ。その銃口の先を追うと、曇り空の一点に小さな人影が見える。
空を飛べる人間は、ヘクターの知る限り一人しかいない。
「アキラ君だ!」
ディアスが叫んだ。
「アイツ、アキラ君を抱えてるぞ!」
「撃ち落とせ。俺が拾う。」
ヘクターはそう言い残すと、遠くに見える人影に向かって走り始めた。
◇◇◇
風を切る音がする。
「ぅ…………」
腹部に鈍い痛みが残っている。少し目を開けると、遥か下に遺跡群が見えた。
ノーワンはちらりと目線を下ろすと、更に速度を上げる。
「おいおい…………」
彰は呟いて青ざめる。
どうやら小脇に抱えられているらしい。少しでも暴れたら真っ逆さまだ。この高さでは、少なくとも無事では済まないだろう。
遠くの方に崩壊した遺跡広場が見える。軍から派遣された調査隊が着々と戦闘準備を進めていた。
「邪魔だな……」
ノーワンの声がした。同時にビリビリと大気が震える。
衝撃波が来る。
身構えたその時、唐突に彰の体が宙へと放り出された。
「え……」
両手を必死に動かすが、当然何も掴むことはできない。ノーワンの方を見ると、彼の両手足はぐったりと垂れ下がり、その額からは赤い血が一筋垂れていた。
見る見るうちに地面が近づいていく。全身から血の気が引くのが分かった。
「うおッ!」
落下していた彰の体が、強い風に押し上げられる。
「アキラ!」
下の方にヘクターの姿が見えた。その手には、淡く輝く剣が握られている。
ヘクターは剣を振るうと、すぐに剣を捨てて彰の落下する先へと滑り込んだ。再び巻き起こった上昇気流が彰の体を押し上げる。
だが、完全に落下速度を相殺できたわけではない。
ヘクターが彰を受け止めると、二人はそのまま地面を転がった。
「無事か?」
彰は顔をしかめながら頷く。
「とりあえず生きて……ヘクターさん! 上!」
その声にヘクターが顔を上げると、鬼のような形相をしたノーワンが太陽を背にして迫ってきていた。額に空いた穴は既に塞がっている。
剣は咄嗟に投げ出してしまった。慌てて腰に手をやるが拳銃が無い。地面を転がった拍子に落としたらしい。
武器は無い。だが、それでも彰だけは守らなければ。そうでなければ、この世界の人類は滅びてしまう。
「アキラ、逃げろ!」
ヘクターが立ち上がろうとしたその時。視界の端から、巨大な黒い塊が飛び出してきた。砲撃のような轟音と共に、ノーワンの体が弾き飛ばされる。
「ルシウス准将!」
「ようやった! アキラ君連れて早う逃げろ!」
ルシウスは巨大な盾を構えて叫んだ。ヘクターはすぐさま立ち上がると、彰の背中を押して走りだした。
瓦礫の山に叩きつけられたノーワンは立ち上がった。飛び出た骨はメキメキと音を立てながら肉の中へと飲み込まれていく。再生した顔に表情は無い。ただ、血で赤く染まった眼は彰の姿だけを見つめていた。
対するルシウスは、持っていた巨大な盾を掲げて叫んだ。
「全世界の命運は、我々の手に託された! 今、この地が人類の最終防衛線である! 必ず敵を撃滅し、イリヤアキラを死守せよ!」
そして、その手をまっすぐに振り下ろす。
「全隊、撃てーッ!」
その言葉と同時、背後に控えていた銃と砲が一斉に火を噴いた。
鼓膜を轟かせる銃撃。大地を震わす砲声。
その爆音から逃げるように、彰は痛む足を無理矢理走らせた。
「ヘクター!」
微かに聞こえた声に顔を上げると、一人の男が手を振っていた。ディアスである。
「この奥に馬車が控えてる! それでアキラ君を逃がせ!」
「お前はどうするんだ!」
すると、ディアスは大きな銃を担ぎなおした。
「俺が活躍できるのは戦場だけだ! もう一回、アイツの頭に風穴開けて……」
言いかけたところで、ディアスの表情が変わった。いや、ディアスだけではない。その戦場にいた誰もが感じ取った。
大気が震えている。辺りに響くのは、腹の底を揺さぶるような重低音。
何かが来る。
直後。今までとは比べ物にならないほどの衝撃波が巻き起こった。
「アキラ!」
ヘクターが手を伸ばすが、その手は虚しく空を切った。
人はもちろん、黒炭と化した魔物の死体も、辺りに散らばる瓦礫も、その場に存在していたあらゆるものが、まるで紙屑のように軽々と宙へと投げ出された。
―――
「……ッてぇ…………」
うめき声を上げながら彰は目を覚ました。崩れた壁に縁どられた空を、重たい雲が覆いつくしている。
どこまで飛ばされたのだろうか。周りの様子を見る限り、少なくとも、まだ巨大な遺跡内にいることは確かだ。
あの嵐の中で、五体満足のまま生還できたのは運が良かった。彰は呼吸を荒げながら体を起こす。体の上に被っていた小石がバラバラと地面に落ちる音を聞いて気づいた。
銃声が聞こえない。
あれだけ激しかった砲火が止んでいるのだ。あの衝撃波で隊が全滅したというのか。
「誰か……。誰かいませんか!」
呼びかけるが返事は無い。ヘクターも、ディアスも、軍人らしき人影は一人もない。
周囲にはノーワンの姿は無いが、この近くにはいるだろう。逃げたところで捕まってしまうのも時間の問題だ。
ならば、立ち向かうか?
いや、それもできない。剣も銃も、武器になり得るものは何も持っていないのだ。
「クッソ…………」
彰は地面を殴りつけた。
また何もできないのか。まだ無力なままなのか。
『剣が欲しいの?』
不意に声がした。
『アイツと戦うんでしょ? だったら剣がいるんじゃない?』
「誰だ……?」
見回すと、大きな瓦礫の上に、ぽつんと赤い小人が腰掛けている。
彰はその姿を見ると、思わず息を呑んだ。小人の持つ美しい容姿とは裏腹に、その周囲に漂うどこか不気味な気配を感じ取ったからだ。
その小人は立ち上がると、アキラの前までフワリと飛んできた。
『君は僕を知らないかもしれないけど、僕は君をよく知ってるよ。』
「え……?」
『僕はメテア。アクレスと契約していた精霊さ。』
契約の話はアクレスから少し聞いたことがある。アクレスが人の領域を超えた力を得た原因が、その精霊との契約だったらしい。
メテアと名乗るその精霊は、彰の目をじっと見つめると、『こっち』と呟いて飛び立った。
小さな精霊の後をついていくと、巨大なクレーターのある場所へと出た。その中央には一本の剣が突き立てられている。
「あれって…………」
柄頭にはめ込まれた赤い宝石。よく手入れされた刃は白銀に輝いていた。
『アクレスの剣だよ。』
メテアはそう言ってフワリと飛ぶと、剣の鍔に腰掛けた。そこへ歩み寄ろうとする彰を制すると、少し不安げな小さな声で言う。
『僕たち精霊は、君たち古代人の事が嫌いだ。』
「……は?」
『本当なら姿を見せたくもないし、力も貸したくはない。けど……』
メテアはそこまで言うと、少し悩んでから再び口を開いた。
『アクレスの頼みだから……。少しだけなら力を貸すよ。』
「力を貸す、って…………。アクレスみたいに炎を操れるようになるってことか?」
彰は少し戸惑いながらも尋ねると、メテアは首を横に振った。
『あれほど強力な力は無理だよ。そもそも、君の体がどこまで耐えられるかすらも分からないし、もしかすると数分も経たずに体の内側から崩壊する可能性がある。』
「内側から崩壊、って…………」
その様を想像して、彰は思わず天を仰いだ。それを見て、メテアは試すような口調で言う。
『もちろん、この話を無かったことにして、ここから立ち去っても構わない。この世界の人類が絶滅しても、君が死ぬことはないからね。……ただ、もし君にこの世界で英雄になる意志があるなら、この剣を抜いてくれ。』
メテアの言う通り、このままノーワンの元へ投降したとして、殺されることもないだろう。それに、ノーワンによってこの時代の人類が絶滅したとしても、過去から来た彰には何の影響もない。
彰は分厚い雲を見上げたまま目を閉じた。この世界で出会った人々を一人ずつ思い出していく。
誰一人として、失っても良い人は居ない。
彰は大きく息を吐くと、目の前の剣を見つめた。そして、その剣の柄を握りしめる。
「……良いぜ。…………なってやるよ。英雄に。」
そう言うと、突き立てられていた剣を思い切り引き抜いた。




