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曇ったガラスがはめ込まれた窓はピシャリと閉じられ、その窓の外には鈍色の雲が広がっている。壁際にある壊れかけの棚には雑多に物が積まれており、部屋には埃っぽい空気が充満していた。他に置かれている家具といえば、小さな机と一組の椅子のみ。
完全に外界から遮断された密室で、彰は向かいに座っているヨハンを見つめた。
「……わざわざ移動してもらって悪いね。」
ヨハンは言った。
この部屋は、二人だけで話がしたい、と言うヨハンの要望によって軍が用意してくれたものである。
そのまましばらく黙ると、ヨハンは遂に口を開いた。
「まず、我々は君に……、いや君たち転移者に謝らなければならない。」
「謝る?」
「あぁ。始めに、そうだな…………、転移者と呼ばれる人間が、皆過去から来た人間であることを説明しないといけないか。」
「あ、それは戦争屋に聞いたよ。」
彰が答えると、ヨハンは少し驚いて「そうだったか」と呟く。
「何故、時間を飛んだのかは聞いたか?」
「それは聞いてない。」
「よし、そこから話そうか。」
ヨハンはそう言うと、一つ呼吸を整えて語り始めた。
「君がこの世界へ来た原因は、我々にある。というのも、我々はこの時代から見て、はるか未来の時代から来た人類なんだ。」
「………………は?」
固まる彰にかまわず、ヨハンは続ける。
「作用と反作用のようなものだ。我々が未来から来たことによって、それを打ち消すために君たちが過去から跳ね返ってきた。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! まず『我々』ってのはなんだよ! ほかにも仲間がいるのか?」
ヨハンは少し苦い顔をすると、静かに答えた。
「…………そうだな。まずは私について語ろう。」
◇◇◇
音もなく開いた扉を抜けると、ヨハンはちらりと上を見た。天井から吊り下げられた透明な掲示板には、カラフルな文字が躍っている。その隅に、追いやられたように表示されている時計を見て、ヨハンは両頬を叩いた。
「よし。」
そう呟いて歩き出した背後で、汚れ一つ無い白色の電車が静かに加速を始めた。
駅の広場には、壊れた人型機械の像が建てられている。
この時代の科学文明は、この一台の壊れた機械によって大きな転機を迎えた。その未知の技術が詰まった『ガラクタ』は、ノロノロと進歩していた我々の背中を、膨大な力積によって弾き飛ばしたのだ。
ヨハンは空を見上げると、小さなため息を吐いた。
どこまでも広いはずの空は、雲を突く摩天楼によって隠されてしまっている。蒸気を噴き上げながらうるさく走り回っていた車は、今や車輪を捨てて人々の頭上を飛び回るようになった。申し訳程度に植えられた街路樹は、どこか肩身が狭そうに見える。
科学の発展と共に生活は便利になったが、どこか人間味というか、生物味というものが失われているような気がする。
ただ、文句はあるが不満は無い。人類は確実に進歩している。それらは進歩の代償なのだ。
「おい、ヨハン。」
いつもと変わらない職場で、白衣を着た同僚に声を掛けられる。
「お前、例のアレ。本当に志願する気か?」
「もちろんさ。時間跳躍だなんて、科学者でもやってなくちゃできない経験だろ? まさに役得じゃないか。」
「楽観的な奴だなぁ…………。事故でも起きたら二度と帰れないかもしれないんだぞ。」
「構わんさ。帰りを待つ人なんてのも私にはない。それに今回の実権は、科学局じゃなくて国が主導でやるらしいぜ。手柄の一つでも上げれば、出世間違いなしだ。」
時間跳躍、というのは、文字通り時を超えて移動することだ。進歩した科学技術は、ついに時間をも掌握しようとしていたのである。
同僚の言う『例のアレ』というのは、時間を支配する第一歩として、完成したばかりの時間航行装置を試運転する計画のことだ。
新しいもの好きのヨハンは、その事業の応募にすぐさま手を挙げた。
同僚は興奮気味に話すヨハンを前に苦笑いをしながら、手元のタブレットを指でなぞる。そして、とある項目を見て大きく目を見開いた。
「被験体を百も連れて行くのか!?」
「そうさ。その数字だけでも、国がどれだけ力を入れてるか分かるだろ?」
「あぁ…………。どうりで俺たちの方に良い被験体が回ってこないわけだ。」
同僚は肩を落としてため息を吐く。
高速度の進歩が要求されるこの時代。様々なものが効率化され、その波は研究の場にも達していた。
その一つが、動物実験の完全廃止である。人間以外の動物で実験したところで、人体への影響を正確に測ることはできないため、非効率的と判断されたのだ。
代わりに誕生したのが「被験体」と呼ばれる人々である。彼らは、健康状態はもちろん、呼吸や心拍の一つまでをも完全に国に管理されている者たちのことだ。
彼らはその名の通り、実験の被験者として利用されるためだけに存在している。当然、人権といったものは無い。
どうにも歪な社会だが、これに異を唱える者は誰も居なかった。
彼らは、人類の進歩のための、仕方のない犠牲。そう考えるのが当然であり、当時のヨハンも疑問にすら思っていなかった。
◇◇◇
――そうして、過去へと向かった我々だが、その跳躍中にとある事故が……」
「いやいやいや。ちょっと待ってくれ!」
彰は止まらない話をなんとか遮る。
「ぶっ飛びすぎてて理解が追い付かねーよ!」
「まぁ……、そうだろうな。」
ヨハンは少し笑って、椅子にもたれかかる。彰はしばらく唸ると、眉間にシワを寄せながら尋ねた。
「…………つまり、ヨハンさんは時間を超えてやってきた未来人集団の一人ってこと?」
「そうだな。」
「で、ヨハンさんが未来からやってきた反動で、俺たちが過去から飛ばされてきた、と。」
「そうだ。」
「はぁー………………。なんとなく……、本当になんとなくだけど理解できたと思う。」
ヨハンの言うことは、到底信じられる話ではない。だが、真実とは、時に受け入れがたいほど不可思議なものだということを、彰は十分に知っていた。自身の存在と、今目の前に広がる世界が、そのことを十分に証明していた。
彰は椅子から立ち上がって、また座った。そして、再びヨハンに尋ねる。
「それで…………、事故? が起きたんだっけ?」
「あぁ……、いや、『事故』というより『事件』というべきだな。一言で言うなら、実験用に連れて行っていた『被験体』が反乱を起こしたんだ。…………今ならばわかる。彼らはそうして当然だった。ただ当時の我々は、自分の罪に気付きすらしていなかったんだ。」
ヨハンはそこで少し黙る。
外で風が強く吹いた。窓がガタガタと鳴る音だけが部屋に響く。
しばらくして、ヨハンは再び口を開いた。
「……航路の途中で起きた事故だ。我々の『船』は、本来目指していた時代とは別の時代へと墜落してしまった…………。」
「それが、この時代ってことか。」
ヨハンは無言で頷く。
「そこから逃げ延びたのは、私一人。それから十数年間、私はこの時代で生きてきたんだ。」
彰は目の前で小さくなっている老人を見て頭を掻いた。
なんと声をかけるべきか分からない。ただ、何を言ったとしても彼の中の罪悪感が消えることは無いだろう。
罪は、背負った本人が償わなければならない。
「『本来目指していた時代』って言ったよな。本当は何処を目指してたんだ?」
彰が尋ねると、ヨハンは顔を上げて答えた。
「……我々の目的は、既に壊れてしまっていた過去の遺物、『文明再構築装置』を再生させることにあった。」
「ぶんめい………、え? なんだって?」
「『文明再構築装置』だ。我々が勝手に呼んでいるだけだがね。その装置は、この世のあらゆる生物を記録し、この世に存在するあらゆる生命を選択的に生み出し、消すことができる。」
「それって……」
「知っていたか?」
「あぁ……。戦争屋から少し聞いたことがある。未来でもその兵器を使おうとしてるのか?」
ヨハンはそれを聞いて、首を横に振る。
「あれは兵器ではないよ。我々は純粋に技術を知りたいんだ。まぁ、兵器としても使えるが…………。」
「それじゃ、なんの装置なんだよ。」
「文字通り、人類文明を再興するための装置だ。その装置は地球上から人類が絶滅すると自動的に作動して、地球上に再び人類を生み出すようになっている。…………ということまでは調査済みだ。」
「なんだそりゃ。何のためにそんな装置作ったんだよ。」
「人類という種の存続、らしい。」
ヨハンはそう言って頭を掻く。
「ただ少なくとも、私のいた時代では、その装置が二度作動したことが記録されていた。」
「え?」
「その装置はアキラ君のいた時代にできたものだ。つまり、アキラ君たちを仮に『第一世代』とするなら、そこから人類は二度滅んで、我々は『第三世代』ということになる。」
「二度滅んで……って、マジかよ…………。」
彰はそう呟いて、窓の外を見た。
そんな装置ができるということは、相当文明が発達してなければいけない。少なくとも、この世界の文明では、装置の構想すら浮かばないだろう。
つまりこの世界は、一度か二度人類が滅んで、文明がリセットされた世界ということだ。
そこまで考えて、彰は思い出した。
「戦争屋は俺のことを、装置を使うための『鍵』だって言ってたんだ。その意味って分かるか?」
ヨハンはそれを聞いて口を開きかけると、口を閉じた。そして、何か悩みながら再び口を開く。
「…………その装置の製作者は、未来の人間が悪用しないように、それを封印したんだ。そのために、その時代だけに存在し、未来には消えてしまう『鍵』を掛けた。」
ヨハンはそう言うと、まっすぐに彰を見つめた。
「製作者は、自分自身を封印の鍵にしたんだ。」
「………ん?」
「製作者は君だ、アキラ君。君が、その装置を造るんだ。」




