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凄まじい熱風と衝撃波が遺跡を駆け巡る。その炎熱の嵐は、付近の動植物を等しく黒色に染め上げ、煙も立たないうちにそれらを吹き飛ばしていった。
アクレスが剣を振るうと、半身が熔け落ちたノーワンは壁へ叩きつけられた。普通ならば死んでいるはずの損傷だが、ビクビクと蠢きながら体が再生していく。
ノーワンの目には怒りや苦痛の色は無く、ただ純粋にまっすぐアクレスを見つめている。その目が、ひどく不気味だった。
「ごほッ………。」
アクレスが口から血を吐いた。周囲の赤い炎が大きく揺らぐ。
体の限界は近い。
◇◇◇
この体になったのは、英雄となったのは、今から五年前。戦場で相まみえたのは、リンバス帝国というあまりにも強大な敵であった。
開戦当初から、マテラスは敗戦に次ぐ敗戦。マテラスという地理的にも資源的にも小国と言われるこの国が、この戦争に勝つのは絶望的だった。
『魔力開放式』
この存在が明るみに出たのは、そんな状況下のことである。原因となったのは、当時は無名の研究員であったソフィアであった。
国立中央都総合研究棟。通称『赤煉瓦棟』と呼ばれる建物のとある研究室に、ソフィアの声が響いていた。
「アルフレッド先生! 数年前の講義で、魔力開放式というものについて触れていましたよね? それについて詳しく教えていただけませんか? この技術さえあれば、大幅な戦力増強ができますよね。」
机に座ったアルフレッドは、白髪頭をボリボリと掻きながら答える。
「数年前の講義をよく覚えているな………。そんな話もしたかな?」
「とぼけないでくださいよ。私、しっかり書き留めてたんですから。………ほら、ここに『魔力制御系を操作すれば、限界を超えた魔力を引き出せる。これは理論上可能だ』って。」
ソフィアは何語か分からないほど汚い文字が書かれたノートを指さす。
アルフレッドはノートから顔を背けると、ため息を吐いた。
「理論上はな。転移前の世界では魔力開放式という『構想』があった。というだけだ。技術は向こうでも完成していない。」
「じゃあ、こっちで完成させましょうよ!」
「無理だ。」
アルフレッドは無慈悲に言い放った。
「魔力制御系を下手に弄れば、人体にどれだけ影響があるか分からん。制御系を破壊でもすれば、もう元には戻らんぞ。コンピュータも無いこの世界では不可能だ。せいぜい作れたとしても不完全なものしかできないだろうな。」
そう言って、窓の外から街を眺める。
石の敷かれた道を、ガタゴトと馬車が走りぬけていく。高層ビルなどは当然無く、あるのはせいぜい三階建ての建物だ。
ソフィアは明らかに不満そうな顔で、ノートをくるくると丸める。
「……分かりましたよ。」
「そうか。分かってくれて良かった。」
「私が完成させます。」
「は?」
困惑するアルフレッドに、ソフィアはクルリと背を向ける。
「こんぴゅーた、だか何だか知りませんけどね、私が生きてるのはこの世界なんです。こっちの世界の本気を見せてやりますよ。」
そう言って、彼女は研究室から去っていった。
そして宣言通り、ソフィアは魔力開放式を開発した。ただ、それはアルフレッドの言った通り、人体に大きな影響を及ぼす不完全なものだった。
時代は戦時中。それも、勝機など一切ない劣勢におかれたマテラス王国である。
滅びゆくその国は、『魔力開放式』という藁に一目散に縋り付いた。
マテラスの西にある大陸。その東端にある荒野で、今日も砲火が鳴り響いている。
その最前線より少し後方に、マテラス軍の司令部があった。
「………俺が、これを発動させるのか?」
その司令部の一室で、アクレスは困ったような顔で呟いた。その目の前の床に描かれていたのは、部屋一面の魔法陣。
ソフィアはそれを聞いて首を横に振った。
「あくまで現場の判断で、だそうよ。」
「現場の判断?」
「これの危険性は私が一番わかってる。本来なら人にこれを使うなんてありえないわ。それを力説したんだけど、判断するのは現場にいる兵士だって言って聞いてくれないの。………こんなことなら、開発しなきゃよかった。」
肩を落とすソフィアの横で、アクレスは手元の指令書に目を落とす。
そこに書かれていたのは、いかにマテラス王国が窮地に立たされているか、そして魔力開放式をアクレスが使うことで、それを覆せるかもしれない、といったことだけだった。危険性についての項目は一切ない。
アクレスはソフィアの肩を叩く。
「分かった。あくまで最終手段ってことだな。」
「……それで通るかしら。」
「俺が通す。それに俺は契約者なんだ。こんなものに頼らずとも、必ず戦況を変えて見せるさ。何があってもこの構築式は使わねぇよ。」
それを聞いて、ソフィアは安心したように頷いた。
だが、戦争という非人間的な破壊行為は、人の感情を容易に変化させる。
消毒液の臭いが充満した野戦病院を、アクレスは人をかき分けて走っていた。
うめき声のこだまする廊下を抜け、そのまま角の一室に駆け込む。
「アイアス! システィア!」
叫ぶと、ベッドと呼ぶにはあまりに簡素な寝床で、小さなうめき声がした。
「アクレス、こっち。」
その横でソフィアが手招きする。その顔には暗い影が差していた。
「システィ……ア…………」
アクレスはその寝床の傍へ駆け寄ると、寝かせられた負傷兵を見て言葉を飲み込んだ。
システィアの全身に巻かれた包帯は真っ赤に染まっていた。人懐こい笑顔を浮かべていたはずの顔を巨大な火傷が覆い、その右目は無残にも潰れている。
そして、彼女の右肩から先にあるはずの腕は無くなっていた。
「し……しょう…………」
システィアは無い腕を伸ばそうと、右肩を少し上げる。アクレスは震える手でシスティアの左手を握った。
「アイアス君が………。私を守って………………」
「……。」
「ごめん……なさい……………」
アクレスは絞り出すように言う。
「………謝るのは俺だ。………お前だけでも生きていてくれてよかった。………………本当に悪かった。」
その言葉が終わるのも待たずに、システィアは気を失った。そこへソフィアは静かに布団を掛ける。
「アイアス君は……」
「分かった。言わなくてもいい。」
アクレスはそう言って立ち上がると、そのまま部屋から出ていった。その後ろ姿に何かを感じたソフィアは、慌ててそのあとを追う。
「アクレス! どこ行くの!」
返答はない。
野戦病院を出ると、そのまま司令部へと入る。そして、とある部屋の前で立ち止まると、アクレスは口を開いた。
「俺は英雄になろうと思う。」
「……え?」
黙って部屋へ入ると、アクレスは床を覆っていた布を退けた。
その下にあったのは魔力開放式。アクレスはそれに手をかざすと、再び口を開いた。
「この戦争は終わらせなくちゃいけない。これを発動させることで、それが叶うなら、俺はそうしよう。」
「ま、待ってよ!」
慌ててソフィアがアクレスの腕を掴んだ。
「これは不完全なの! 確実にあなたの魔力制御系は破壊される!」
「分かってる。でも、やらなくちゃいけない。初めからやるべきだったんだ。俺にその覚悟が無かったせいで、アイアスは死に、システィアには重傷を負わせてしまった………」
そう言うアクレスの顔は、まるで感情をどこかに忘れてきたかのように無表情だった。ただ彼の目は、まっすぐに床の構築式を見つめていた。
ソフィアは掴んでいた腕を離すと、静かに後ずさる。
「………ごめんなさい。私の技術力が足りなかった。」
「お前は悪くない、ソフィア。俺の覚悟が足りなかったんだ。」
アクレスはそう言って構築式を発動させた。赤い発動光が部屋を走りぬける。
そして、その閃光と共に、マテラスに新たな英雄が生まれた。
◇◇◇
「はぁッ……、はぁッ………!」
どれだけ血を吐いただろうか。どれだけ瓦礫を吹き飛ばしただろうか。
アクレスの意識はほとんど途切れかけている。ここが遺跡のどこなのかすら分かっていない。
その朦朧としている意識の中で、彼の尋常ならざる意志だけが、無理矢理に彼の体を突き動かしていた。
だが、どれだけ体を斬られようと、どれだけ肉を焼かれようと、ノーワンは立ち上がる。
「この程度か、英雄!」
血みどろになりながらノーワンが吠える。
「俺はまだッ……、生きているぞ! 俺を、殺して見せろ! 英雄!」
「らぁああぁぁぁああ!」
アクレスも剣を握りしめて吠えると、ボロ雑巾のようなノーワンの体を弾き飛ばした。壁へ叩きつけられたノーワンへ更に追撃を掛けようと、アクレスは震える脚で地面を蹴りだす。
しかし、そこでアクレスの膝が崩れ落ちた。
「な………」
全身に浮き出てきていた赤い結晶が、ドロドロとした液体となって滴り落ちていく。
そして、その落ちた先。遺跡の地面には、青く輝く巨大な構築式が描かれていた。
「ここで終わりだ………、英雄。」
焼け焦げた顔をこちらに向けて、ノーワンが小さく呟く。
「この部屋に描かれている構築式は、対象の魔力を完全に失わせる構築式。つまり、対象を確実に殺す構築式だ。」
「………は?」
「ここまで辿り着いたんだ、我々は。」
ノーワンの体が再生していく。
「まだ、一つの生命しか操作できないが、箱舟計画の中枢、『ノア』の解析はここまで進んでいるんだ。だが、アキラとアルフレッドさえ揃えば、ノアのロックコードは解除され、生命操作の構築式も完全に判明する!」
ノーワンは再生した前髪をかき上げると、ゆっくりと立ち上がった。
「アクレス。君が敗れた今、この世界を守る最後の砦は無くなった。生存競争に勝ったのは我々だ!」
叫ぶと、荒い呼吸を整えながら、ノーワンは近くの瓦礫に腰を下ろした。
足に力が入らない。いや、足だけではない。
アクレスの体は糸の切れた操り人形のように、地面へ崩れ落ちた。
『アクレス。このまま死んじゃうのかい?』
近くで声がする。メテアだ。
『僕に争いのない世界を見せる、っていう契約はどうするの? ……まぁ、僕は別に良いんだけどさ。』
少し顔を上げると、ほのかに赤く光る精霊が心配そうな顔で見つめていた。
『ほ、本来、僕ら精霊は人間の生死なんかどうでもいいんだけどさ。君は、その……、なんか気になるっていうか………。その………、あんまり死んでほしくないんだよね。』
「………そうか。」
『そうだよ! だからさ……、早く立ってよ! 立って、逃げようよ!』
彼なりに励まそうとしているのだろう。焦ったメテアの顔を見て、アクレスは少し笑った。
「………俺が死のうと、英雄は死なないさ。」
『何言ってんの!』
「俺が死のうとも………、英雄の炎は再び赤く燃え上がる…………!」
アクレスはそう言って、ゆっくり体を起こす。
「メテア……。最後に一つ頼みがある。」
『え?』
「この剣は英雄の剣。次の英雄が来るまで、この剣を守っていてほしい………。」
『だから何言ってんのさ! 早く逃げようよ!』
「あいつは……、異世界の英雄は、必ずここへ帰ってくる…………。それまで、頼んだ。」
アクレスはフラフラと立ち上がると、剣の柄を両手で握りしめた。
それを見て、ノーワンは勝ち誇ったように言う。
「なぜ立ち上がるんだ? 黙って寝ていた方が楽に死ねるぞ。」
すると、アクレスは不敵な笑みを浮かべて答えた。
「俺は間もなく死ぬだろうな………。だが、死ぬまでは、英雄らしくいさせてもらおうか。」
「………なんだと? 何をする気だ。」
アクレスは剣の刃を下に向けると、大きく息を吸い込んだ。そして、頭上に広がる青い空を見上げる。
「英雄最後の仕事だ。」
アクレスはそう言うと、うねる炎を纏った剣を思い切り地面に突き立てた。
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