40
無機質な白い廊下を進み、ヨハンはノブの無い扉の前で立ち止まる。壁に手をかざすと、小さな電子音と同時に扉がスライドした。
部屋には木目調の壁の映像が映し出されており、うっすらと檜の香りが漂っている。
部屋に入ると、奥でタブレット片手に読書していた白髪の男が、老眼鏡をあげてこちらを見た。
ヨハンは部屋に置かれたソファに腰を下ろすと、その男を見て言った。
「アルフレッド。いつも画面ばかり眺めているが飽きないのか?」
その男――アルフレッドはニカッと笑って答える。
「これはアキラには内緒だがな、この時代へ来る前に読みたい本を全て『ノア』に入れておいたのさ。一年や二年籠ったところで発狂せんよ。」
「ノア?」
「ここの中央システムだ。彼らが必死になって構造を解明しようとしている、『文明再構築器』の管理機関だよ。……まぁ、分からなくても良い。」
アルフレッドは老眼鏡を掛け直すと、再び目線を戻した。
「……それにしても、すっかり人が変わったようだな。昔会ったときは怯えた子犬のような目をしていたが。」
ヨハンは少し笑ってそれに答える。
「あの時は生きるか死ぬかだったからな。それに、今は私が生き残った理由が分かった。」
「理由?」
「役割さ。ここで彼らが帰る準備をする。それこそが、私が生き残った理由で、私の果たすべき役割なんだ。運命が正常に機能するためのね。」
アルフレッドはそれを聞くと、「役割、か……」と呟いてタブレットを置いた。椅子から立ち上がると、近くの壁に触れる。
すると、壁に大きく四月のカレンダーが表示された。背景に桜の花びらが舞う映像が流れている。
「そんな機能もあるのか……。」
「もう四月。すっかり外は春の陽気だろうな。いや、北海道はまだ寒いか?」
アルフレッドは呟くと、ソファで寝転がるヨハンを振り返った。
「君の言う役割だが……。君の演じる役には、まだ少し脚本が残っているはずだ。」
「は?」
困惑するヨハンの顔を見て、アルフレッドは嬉しそうに笑った。
「君はもう一度、表舞台に立ってもらう必要がある。意味は分かるだろう?」
「意味は分かるが……」
ヨハンはしばらくアルフレッドを見つめると、ぽつりと呟いた。
「アルフレッド……、お前は……どこまで知っているんだ………?」
◇◇◇
国王暗殺から約半年。そして、軍部首脳焼殺からは、二か月余りが経とうとしている。
騒ぎの中心となっていた九頭龍は、主に貧困層と呼ばれる人々からは「革命に散った英雄」として神格化され、事件後には各地で小さな暴動が巻き起こっていた。
その上、政治の主軸となっていた有力貴族たちの多くも暗殺されている。これによって、国家運営は困難を極め、マテラス王国は空中分解する。
というのが、ユドラーの想定であった。
だが、全国に広まりつつあった暴動の機運は、次第に終息していった。
その理由は、新国王マテラス十八世による政治改革案の報が、先に全国へと広まって行ったからである。
「正直に言うと、彼らのお陰で動きやすくなった。」
国王は自室で紅茶を片手に呟く。部屋にいた大臣はシルヴァと顔を見合わせると、渋い顔で息を吐いた。
「………我々のような頭の固い老輩が減ったことを言っているのですか?」
「確かに国王という地位に着けたことで、政治に直接介入できるようになったというのは大きい。……が、私が言いたいのは頭の固いのが減った、というのことではない。」
大臣はそれを聞いて少し顔を上げる。
「もともと私は前王までの政治方針には不満があったし、私が国王になれば、この改革案を実行するつもりでいた。ちなみに、貴族制の撤廃は前国王暗殺の前から既に考えていた。」
「なッ……。」
「ただ、国家運営の大きな方向転換は、そのまま国民生活へ影響を及ぼしかねない。爺のような反応をする国民も多かっただろう。」
国王は紅茶のカップを置く。
「そこで彼らが『革命に散った英雄』を演じて雰囲気を作り上げてくれたお陰で、私の改革案を国民はすんなりと受け入れてくれたのだ。やはり、新国王の就任というのも大きい。我々は革命を受け入れ、生まれ変わった新政府という形で国民の多くから認識されている。」
「……つまり、彼らを逆に利用できたと?」
「そうだ。ユドラーの想定とは違っているだろうな。まぁ、死人に口なしだ。」
国王の口元には小さな笑みが浮かんでいる。大臣はそれを見て、不気味な感を覚えたが、それを紅茶で喉奥に押し込んだ。
すると、それまで黙っていたシルヴァが口を開いた。
「……ただ、その代償は大きすぎました。」
「そうだな。」
「首脳陣は軍部も政治部もほぼ壊滅。軍部は私が元帥になるほどの人員不足です。彼らがマテラスに対して大きな打撃を与えたことは事実です。今のまま少しでも隙を見せれば、すぐに列強各国に食われます。」
マテラスは、世界から見ると小国。五年前にリンバス帝国を退けたものの、その地位は未だ変わっていない。
弱った獲物を目の前にして、牙をむかない獣はいないだろう。
国王は眉間にシワを寄せた。対して、シルヴァは表情を変えずにつづける。
「軍部の私が口を出すことではないかもしれません。ですが、これまでの政府は、五年前から外国へも強気な姿勢でいられました。それができたのは、ひとえに『アクレス』という抑止力があったおかげです。」
戦勝の要因となったアクレス。
帝国の軍を一夜にして滅ぼした暴力の化身は、外国にとって大きな脅威だ。小国とはいえ、易々と手を出せない。
これまでのマテラス政府もそれを分かっていた。そして、その英雄の威を借ることで、なんとか国際社会で立ち回ってきたのである。
だが、この場にいる三人は、それがどれだけ脆い物かを理解していた。
アクレスの強力な炎魔法は、契約者としての力だけでなく、体を壊すことを代償として得られるものであることを、彼らは理解しているのだ。
もちろん、この情報はまだ公にされていない。
シルヴァは紅茶を一口飲むと、再び口を開いた。
「ですが、先日のユドラーとの戦闘、そして福寿山での戦闘によって、我々の『運命の日』は大きく早まったと言えるでしょう。それに、我々はもう一つ、『戦争屋』という爆弾も抱えている。」
シルヴァは机に置いていた報告書に手を置いた。
アクレスと同等の人間兵器を生み出す技術を有する男。そんな男が国のどこかに潜んでいるのだ。
そして、彰が聞いたという「あらゆる生命を操作できる装置」。
それを彼が手に入れてしまえば、マテラスのみならず、全世界の危機となる。
国王は眉間に指を置いて唸ると、ため息を吐いた。
「……問題が山積みだ。だが、やらなければ国が無くなってしまう。」
国王は顔を上げると、二人を見て言った。
「国家運営とは、細い線の上を目隠しで歩いていくようなものだ。右に逸れすぎても、左に逸れすぎてもいけない。素人同然の私が進むためには、爺の言う頭の固い老輩や、総帥のような軍部の人間、そして我が国に生を受けた全国民の声が必要になる。これから大変になるだろうが、私を支えてくれ。」
大臣とシルヴァは国王の目を見ると、力強く頷いた。
「なるほど……。それで、まずは戦争屋を叩くと。」
アクレスの問いかけに、シルヴァは「そうです」と答えた。
軍本部の一室。窓の外に満開の桜が見える部屋で、シルヴァ、アクレス、ヘクターが一つの机を囲んでいる。
その机の上には、福寿山での報告書とマテラスの地図が置かれていた。
「アキラ君の話から、戦争屋は現在、北島に潜伏している可能性があります。彼は報告書にもある通り、契約者と同等の人間兵器を生み出す技術を持っています。その対策として、アクレス君に北島へ向かっていただきたい。」
シルヴァはそう言うと、次にヘクターを見た。
「そして、今回。アキラ君も同行する許可が下りました。というか、下ろしました。ヘクターはアキラ君の警護として北島へ向かってください。」
「了解です。」
「実際の北島での調査では、現地から更に二人、アキラ君の警護として付けます。以上。」
そこまで聞いて、ヘクターは尋ねた。
「ディアスは来ないんですか?」
「彼は忙しいので、今回は」
「え? 忙しい?」
「今回、彼はソフィアさんの実験に付き合っています。」
「あぁ……。なるほど。」
シルヴァは改めて二人を見る。
「捜索へ向かう遺跡は、ただでさえ魔物が多く危険な場所です。それに戦争屋自体、危険な人物です。くれぐれも体には……」
「ごほッ……」
そこまで言いかけたところで、突然アクレスがせき込んだ。
「……大丈夫ですか?」
シルヴァが尋ねる。アクレスは抑えた手のひらを見ると、グッと拳を握り締めて口元を拭った。
「すいません、大丈夫です。」
そう言って下ろした拳には、赤々とした鮮血が付いていた。




