おまけの短編 -赤色の鴉-
「ねぇ見て!」
花壇のキンセンカを手入れしていると、背後から声がした。振り返ると、長いスカートを履いた一人の少女が、庭の木からぶら下がっている。
俺は手を止めて一応声をかけた。
「ベリス、そんなことしてたら落ちるぞ。」
「大丈夫! アタシもう八歳だから!」
「八歳だと大丈夫なのか?」
「そう! もう大人だから!」
意味が分からないが、これ以上聞いたところで理解できないだろう。
再び手入れに戻ろうとすると、「あっ!」という声が聞こえた。俺は持っていた道具を投げ捨てると、背後の木の下へ飛び込む。
「危なかったぁ……」
「……怪我は?」
「ないよ。」
「そら良かった。」
俺が頭の土埃を払う真上で、ベリスは片手で枝からぶら下がっている。
「危ないから降りな。」
「えー。やだー。」
「枝が折れたら大変だ。さっさと降りてくれ。」
「はーい。」
つまらなそうに唇をとんがらせると、片手を離してひょいと飛び降りた。
俺がこの邸宅で庭師になってから、もう五年が過ぎている。我ながらよく続いたものだ。
仕事中に邪魔は入るし、偉そうにしている貴族もあまり好きではない。ただ、彼女の成長していく様子を傍で見ているのは楽しかった。
「あ、居た!」
ある日、庭の木の枝切をしていると声をかけられた。振り返ると、ベリスが俺を見上げている。
「何してるの?」
「明日から竜神祭があるだろ? その最終仕上げだ。」
竜神祭。毎年春に催される、竜神様を奉る祭りだ。
毎年、竜神祭の季節になると、この邸宅では要人を招いて食事会が催される。それに伴って、庭を竜神祭仕様にするのが一年で最も大きな仕事だ。
ベリスは興味無さそうに「ふーん」と呟いた。
「『りゅうじんさま』ってなに?」
「俺も詳しくはねぇが、……まぁ、俺たちを創った神様だ。」
「つくった?」
俺は首に提げた銀で造られた五芒星の首飾りを見る。五芒星は竜神のシンボルである太陽を表しているものだ。
この首飾りは母親の形見だ。俺は竜神を信じている訳ではないが、母親が熱心な竜神教徒だったおかげで多少の知識はある。
俺はその首飾りを指で弾くと答えた。
「あぁ。俺たち人間を創り出して、試練を与えてくださるらしい。」
「しれん?」
「まぁ……、成長するための課題……、みたいなもんか? 詳しくは旦那様に聞け。」
再び「ふーん」と呟くと、ベリスは落ちている枝を退けて木の下に座り込んだ。そして、俺の首飾りをじっと見る。
「神さまって、ほんとに居るの?」
「分からん。会ったことないからな。」
「へー……。」
「……。」
そういう彼女の目は変わらず俺の首飾りを見つめたままだ。
俺は枝切ばさみを置くと首飾りを外した。それをベリスの首に着けてやる。
「これやるよ。」
「え、良いの?」
「お守りだ。見ていて危なっかしいからな。神様にでも守ってもらえ。」
「やったー! ありがとう! 大事にする!」
飛び上がって喜ぶベリスを見て、思わず頬が緩む。
「帽子ボロボロだね。」
ひとしきり喜ぶと、ベリスは思い出したかのように呟いた。
「あ?」
日よけの帽子を手に取ると、確かに穴が空いていた。いつ買ったかも憶えていない安物の帽子だ。
ベリスは帽子の穴から俺を覗き込むと、にっこりと笑って言った。
「新しい帽子必要だね。」
「そうだな。」
「これのお礼に買ってあげるよ。」
俺は笑いながら帽子を被る。
「買うのは旦那様だろ?」
「お金はお父様だけど、選ぶのはアタシだから。」
「そうか。ありがとうな。」
ベリスは「ふへへへ」と言って照れると、ゴロリと木の下に寝転がった。
この世に生を受けてから二十年と少し。大して面白みのない人生だが悪くはない。このままずっと、この日常の繰り返しでも構わない。
この時は、居もしない神とやらに感謝を捧げても良いとさえ思っていた。
◇◇◇
その日は雲一つない星空が広がっていた。春にしては気温が低く、季節外れの冷たい風が吹いていたのを憶えている。
竜神祭も無事に終わり、気分の良かった俺は柄にもなく酒を飲んで顔を赤くしていた。
「なかなか良いじゃねぇか。」
街の壊れかけたベンチで葉巻を吸いながら、俺は被っていた黒い中折れ帽を触りながら呟いた。帽子に詳しくはないが、触っただけでも上質なものだと分かる。
街は居酒屋の客引きや、陽気な酒飲みの声で賑わっていた。通りの向かいでは、保守派だの革新派だの、酔っぱらいが語気を荒げながら政治論争をしている。近くの居酒屋では、軍人らしき男が、月島で間もなく起こるだろう戦争について語っていた。
物騒な世の中になってきたものだ。
だが、ただの庭師である俺には関係のない話。明日も、そのまた明日も、変わらず貴族のお嬢様と他愛のない会話をしながら庭の手入れをするのだ。
そう思っていた。
吐き出した白い煙が星空に吸い込まれていく。
それを呆けた顔で眺めていた俺の目は、街の奥で揺れる赤い光を捉えた。
「飲みすぎたか……。」
酔いのせいか、視界までふらついてきたらしい。俺は酒の瓶に蓋をすると、葉巻を踏み消して立ち上がった。
しかし。
「火事だ!」
誰かが叫んだ。見間違いではなかったのか?
「貴族の家で火事だってよ!」
俺の足が止まった。
あの方角にある貴族の家。頭ではなんとか否定しようとするが、直感が俺に訴えてくる。
「おい! その貴族ってのは、どこの家だ!」
俺はその通行人の胸ぐらをつかむと、自分でも驚くほど大きな声で言った。すると、その男は縮み上がりながら、震える声で答えた。
「ぺ、ペレイス家だよ! で、でも、あくまで噂だから……うわ!」
俺はその男を道に投げ捨てると、黒煙の立ち上る赤い炎を目指して走り出した。
「あぁ……」
それ以上言葉が出なかった。炎に呑まれた部屋の中で、俺はベリスの体を抱き上げる。
腕の中で眠る小さな体は、ピクリとすら動かない。赤く染まった胸には小さな刃物が突き立てられ、わずかに開いた目元には涙の跡があった。
俺は床に落ちていた首飾りを拾い上げると、まだ暖かいベリスの手に握らせる。しかし、首飾りは力なく開いた手のひらから零れ落ちた。
この世に神は居るのか?
これが神から与えられた試練だとでも言うのなら、こんなものを与える存在は神ではない。悪魔だ。
俺はベリスをボロボロになったベッドの上に寝かせると、その胸に突き刺さっていた刃物を抜いた。
◇◇◇
俺は湿った黒い手袋を脱ぎ捨て、新しい手袋をはめた。ナイフに付いた血を指先でぬぐい取ると、ゆっくりと扉を開ける。
「悪いな。お茶はそこの机に……うわ! 誰だお前は!」
部屋に居た男は読んでいた本を投げ出して椅子から転げ落ちる。
俺の手に持っていたナイフを見て、その男は慌てて壁際まで逃げ出した。そして壁に飾られていた剣を抜くと、俺に切っ先を向ける。
「も、門番は何をやっているんだ!」
「門の前で寝てるぜ。まぁ、二度と起きてこねぇが。」
「な……」
俺が一歩進むと、男は壁に張り付きながら剣先を震えさせる。
「よ、用心棒が! この屋敷に不審者が入ればすぐに気づくはずだ! あの男さえ来れば、お前なんぞに……ひっ!」
俺の投げたナイフは、男の顔の真横に突き刺さる。
「大の大人が慌てんじゃねぇよ。心配せずとも、その用心棒とやらにはすぐに会わせてやる。……が、少し待て。一年前にペレイス家で火事があったのは憶えてるだろ? それについて聞きたいことがある。」
俺は懐から短刀を取り出し、ゆっくりと歩いて行った。男は剣を振りかぶろうとするが、その腕を斬りつけてやると、剣を放り投げて崩れ落ちた。
俺は膝をついて目線を合わせると、血の滴る刃を見せながら尋ねる。
「どうして皆殺しにした?」
「な……、何を………」
短刀で男の右耳を切り落とした。
「うわぁあ!」
「聞こえねぇ耳は要らねぇよな。だが、俺は優しいからもう一度だけ聞いてやる。どうして皆殺しにした?」
「ぺ、ペレイスが……、私が受け取った賄賂の証拠を掴んでたんだ……。それで、私を強請ってきて………ぐっ!」
俺は男の顔面を殴りつける。
「革新派のペレイスはアンタの賄賂の証拠を掴んでいた。保守派筆頭であるアンタは、革新派に引きずり降ろされるわけにはいかねぇ。それで証拠を丸ごと焼き払った。そうだろ? それくらいなら調べがついてんだ。だが、俺が聞きたいのはそれじゃねぇ。」
短刀を持つ手が震える。
「俺は、何故『全員を』殺したかって聞いてんだ! あの娘は……、ベリスをどうして殺しやがった!」
「わ、私じゃない! あれは依頼した暗殺者が勝手にやったんだ!」
男は床でうずくまりながら叫んだ。
俺はその体を無理やり起こして、首元にナイフを当てた。
「そいつはアンタに命令されたって言ってたぜ。」
「私はあの男が握っていた証拠を残さずに抹消しろと言ったんだ! 全員殺せだなんて、私は一言も……」
男の口はそれ以上動くことは無かった。胸に突き刺したナイフを抜くと、噴水のように血が溢れ出てくる。
一年だ。ここまで来るのに一年かかった。
だが、悪魔はこの手で仕留められた。これで全てが終わった。
「お……父さん………?」
咄嗟に振り向くと、扉の横に少年が立っていた。身なりから察するに、この男の息子だろう。
その少年は血塗れの俺と動かない父親を交互に見ると、みるみる表情が変わっていった。
「殺してやる……!」
少年は机の上からペンを拾うと、それを俺に突き立てようと襲い掛かってきた。
だが、所詮は素人。それもまだ子供だ。俺は振るわれたペンを躱すと、少年を横から蹴り上げる。
「ぅ……殺して……やる………!」
体を壁に叩きつけられた少年は、うめき声を上げながら俺を睨みつけた。
それを見て、俺は悟った。
この世には神も悪魔も居ない。
ベリスを殺し、この少年から父親を奪ったのは人間だ。この世にあるのは、無限に連鎖し続ける人間の悪意だけだ。
終わってなどいなかった。終わるはず無かったのだ。
俺は短刀を握り締める。
この少年を殺せば連鎖を断ち切れるだろうか。いや、それでは終わらない。どうすれば、この悪意を終わらせられる?
「……おい。」
俺は短刀を少年に向けると、静かに言った。
「お前の父親は俺が殺した。俺を恨め。」
この地獄を終わらせる方法を一つ思いついた。それは、俺が悪意を一身に受けること。
「俺を恨み続けろ。そして、いつか殺しに来い。」
そして、俺が恨まれたまま殺されること。
もちろん全ては不可能だ。だが、こんな血に塗れた俺ができるのはそれしかない。
幸運なことに俺は独り身だ。居なくなったところで、誰かを恨むような人間が生まれることは無い。
少年は涙を浮かべて俺を睨み続ける。
それでいい。俺を恨み続けろ。俺の心臓に刃が突き立てられるその日まで。
「……強くなれよ、少年。」
俺はそう言い残すと、静かに部屋から立ち去った。




