29
冷たい風が頬を撫でる。
ゆっくりと瞼を開けると、窓から差し込む陽光に目が眩んだ。
「……あ! 起きた?」
ソフィアの声だ。答えようとするが、喉が掠れてしまって声が出ない。
「換気しようと思って窓開けたんだけど、寒かったかしら。」
「……み………ず…………」
「あ、そうよね。今持ってくるから、ちょっと待ってて。」
しばらく待つと、ソフィアが水差しで水を飲ませてくれた。
次第に視界がはっきりしてくる。どうやらここは病室らしい。窓では白いカーテンが風に揺られている。
ユドラーの腹を刺した辺りから記憶が無い。
「ユドラーは?」
「大丈夫。ちゃんと勝ったわ。軍本部は無くなったけど……。」
「そうか……」
右腕に目をやると、青く光る腕輪がはめられていた。ソフィアに聞くと、どうやらヘクターが戦闘後、すぐに着けてくれたらしい。その後、気を失っていたアクレスは病院に運びこまれ、それから二日間が経過したという。
額に手をやると、まだ赤黒い結晶が残っていた。
「……ソフィア、これなんだ。」
「ん?」
「腕輪を外したら、全身に結晶が出てきたんだ。前はこんなこと無かったんだがな。」
ソフィアの目の色が急に変わった。「待ってて!」と言って病室から飛び出ると、紙の束やらなにやら大量の荷物を抱えて戻ってきた。
「それ、めっちゃ気になるわよね! 私も気になって調べてみたのよ!」
「お、おう。」
「そしたら………、これ!」
ソフィアは興奮した様子で資料を見せてくる。
「分かるかしら!」
「いや、分からん。」
「この結晶ね、魔物の角とほとんど同じ成分なのよ。」
「なるほど?」
「そうなの。たぶん、腕輪を外した時に、魔法とかで消費しきれなかった魔力が結晶化したのよ。いわば純度の低い魔晶石ね。たぶん、アクレスの魔力抑制器官が相当損傷してるんだわ。でも、あれほどの火力を出しておきながら、それでも消費できないってことは第一制御系の………」
ソフィアの口が止まらない。アクレスは適当に相槌を打っているが、話の内容は欠片も理解できなかった。
ひとしきり話し終えた辺りで、アクレスはもう一度尋ねる。
「で、つまりはどういうことだ。」
ソフィアは水差しの水を飲み干すと、一呼吸おいて答えた。
「出力魔力が前よりも多くなってるわ。これ以上酷使すると、確実に魔力制御系が壊れる。」
「壊れるとどうなるんだ。」
「五年前にも言ったでしょ? 体内の魔力が一気にあふれ出て死ぬわ。」
「そうか。ようやく分かった。」
アクレスは窓から外を眺めた。小高い丘の上に建っているこの病院からは、遠目に賑やかな街の様子が見える。
寿命が短いことは知っていた。戦争に勝ち、やり残したことは無いと思っていたが、いざ死ぬと言われると心残りだらけだということに気付く。アクレスが死んだ後も、この国は存続していかなければならないのだから。
それに、彰のこともある。
少年がたった一人で見知らぬ世界に飛ばされたのだ。友人はおろか、家族すらいない世界で生きることが、一体どれだけ心細いことか。この世界に住む人間として、一秒でも早く元の世界へ返してやりたい。
「……そういえば、二日経ったと言ってたな。」
「そうね。」
「アキラたちはどうなった。もう帰って来てるだろ。」
「あ……、そうよね。言ってなかったわ。」
ソフィアは何やら深刻そうな顔で言う。
「どうした。」
「アキラ君たちのことなんだけど、実は……」
その時、病室の扉がいきなり開いた。
「よう、アクレス! やっと目が覚めたか! ずいぶんと派手にやったらしいのぉ!」
扉の前に立っていたのは、がっしりとした体格の男だった。伸ばした黒い髪の毛は後ろで束ねられて、だらりと下に垂れている。
「すいません、アクレスさん。今は行くなって言ったんですけど……。」
その横では、ヘクターが男の袖を引っ張りながら申し訳なさそうに謝っていた。
アクレスはその男を見て尋ねた。
「ルシウス。なんでお前が居るんだ。今は北島勤務だろ。」
「仕事じゃ、仕事。『万年二番手』と言われとったワシも、今じゃお前より階級高いけぇのぉ。毎日仕事ばっかしでいかん。そのうえ、中央都に来てみたら軍本部は無くなっちょおし、訳が分からん。」
「そうか、大変だな。」
「ちょお待て待て。ワシの話、聞いとったか? ワシのほうが階級は上じゃ。しっかり敬語使ってもらわな。」
「お前、相変わらずめんどくさいなぁ……。」
「ルシウス准将!」
病室に一人の女性が駆け込んできた。彼女はアクレスを見ると姿勢を正して敬礼する。
「アクレス大佐、ソフィア先生。お久しぶりです。お騒がせして申し訳ありません。」
「あら、ビオラちゃん。久しぶりね。」
「本当にすいません。准将、このままだと会議に遅刻しますって!」
「そりゃいかんの。」
ルシウスはアクレスの肩をバシバシと叩いた。ユドラーから受けた傷に響き、アクレスは思わず眉間にシワを寄せる。
「手合わせしようち思うちょったが、こげん様子じゃ無理じゃな。そうじゃ。いつか二人で北島に遊びに来るとええ。観光案内くらいはしちゃるわ。」
「准将! 早く!」
「分かっちょる! ヘクター君も付き合わせて悪かったのぉ。ほいじゃ、行こか。」
ルシウスはそう言って、笑いながら病室を後にした。ビオラは三人に一礼すると、慌ててその後を追いかけていった。
再び静寂が訪れた病室で、ヘクターは大きなため息を吐く。
「すいません……。俺が伝えてしまったのが間違いでした……。」
「いや、気にすんな。ところで、アキラたちは帰ったのか? あいつらも見舞いに来てくれてもいいと思うんだが……。」
すると、ソフィアとヘクターが悲しそうに顔を見合わせた。
アクレスは胸を抑えながら階段を駆け上がると、二階の最奥にある扉を開いた。病室に飛び込むと、ベッドにいた少女が目を開けた。
「あ……、アクレスさん。」
病室にいたのは、リリアとシスティアの二人だった。システィアは窓際のベッドで静かに寝息を立てている。
アクレスはリリアに駆け寄ると、肩を抱いて起こした。
「リリア。大丈夫か。」
「ごめんなさい……。何もできなかった………」
泣きながら謝るリリアをアクレスは抱きしめる。
「お前が謝ることはない。謝らないといけないのは俺だ。三人で行かせた俺の責任だ。怪我は大丈夫か?」
「アタシは大丈夫だし、エリさんもなんとか無事に救出できた。でも、アキラは連れていかれたし、それに……、それに、システィアさんが……」
「システィアがどうした。」
アクレスが尋ねると、リリアはシスティアの寝ているベッドを見て言った。
「システィアさんが、目を覚まさないの。」
◇◇◇
冷たい風が頬を撫でる。
ゆっくりと瞼を開けると、全身に走る鈍痛に顔をしかめた。
「……いっでぇな。」
ベッドから重い体を起こすと、ランプの揺れる炎が目に入った。太陽光を遮る分厚いカーテンが、窓から吹き込む風に揺れている。
館でエナスに蹴り飛ばされてから記憶がない。ここへ運び込まれたようではあるが、どうやら病室ではないらしい。
部屋に置いてある家具は、彰が寝ていたベッドに、小さな机と椅子のみ。頑丈そうな扉には鍵がかけられ、窓には外側から鉄格子がはめられている。
牢屋のような部屋だ。持っていたはずの剣も無い。着ていたはずの上着も何故か無くなっている。
そこまで考えて、彰は固まった。
囚われているということは、彰はエナスに捕まったということだ。つまり、あの館にいた他の三人は殺されている可能性がある。
「何もできなかった……」
彰は拳を強く握りしめた。
エナス相手に戦えていたのはシスティアだけだった。もしも彰がもっと強ければ、結果は変わっていたかもしれない。
いつもこれだ。
誰かを守ることはおろか、自分の身を守ることすらできない。そして、周りの大切な人々を失い続ける。積み上げた努力を嘲笑うかのように、残酷な現実をいつも目の前に突き付けられる。
相手は大人たちだ。まだ子供の彰がどう足掻こうと、圧倒的な力の差でねじ伏せられてしまう。だが、それでも戦わなければならない。
力が欲しい。
元の世界へ帰るために。そして何より、大切な人をこれ以上失わないために。
その時、視界に小さな人影が見えたような気がした。この世のものではないような。そう、まるで精霊のような……。
「あー……、アキラ君。起きたかな?」
扉の向こうから声がした。それを聴いて、彰は扉を睨みつける。
この声には聞き覚えがある。通話機越しでの会話だったが、忘れるはずがない。
戦争屋だ。
「返事くらいしたまえ。私の言葉は君たち『日本人』と同じ言語のはずだ。」
「日本人、だって?」
「そのことも含めて、少し話をしよう。あぁ、もちろんここではなく、向こうの部屋でだ。」
その言葉の直後、ガチャリと錠の開く音が聞こえた。
彰は扉まで歩いていくと、ゆっくりとドアノブを回す。そして、一つ呼吸を整えると、勢いよく扉を開けて、目の前の男に蹴りを放った。
だが、その蹴りは屈強な腕によって受け止められてしまった。
「テメェ……」
無表情で蹴りを止めたのはエナスだ。その陰から、一人の小柄な老人が薄い笑みと共に現れた。
「いい蹴りだ。血気盛んな若者は嫌いじゃない。」
「お前が戦争屋か。」
彰が尋ねると、その男は嬉しそうに答えた。
「初めまして。いかにも、私が戦争屋だ。さぁ、アキラ君。科学の話をしようじゃないか。」




