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 システィアの実力は、彰とリリアの想像を遥かに超えるものだった。

 あの男の猛攻を完全に防ぎきっているのだ。そして彼女は宣言通り、男を彰ではなくシスティア一人に注目せざるを得ない状況に追い込んでいる。

 しかし、システィアの剣撃を何度も受けているはずの男には、一切傷が付いていない。鋭い刃を受けているはずの両腕も、服が切れているだけで、赤い血の一滴も垂れていなかった。

 ただ、現状の目標は男を倒すことではない。エリの救出である。

 彰はエリの肩を担ごうとするが、エリはそれを断って立ち上がった。

「戦争屋って奴は、あの男の事ですか?」

 彰が尋ねると、エリは首を横に振る。

「戦争屋は数日前に出て行ったわ。私を餌にアキラ君を呼んだのは完全に罠ね。」

「それじゃ、あの男は?」

「あいつはエナスって呼ばれてたわ。あいつさえ居なければ、私も逃げられたんだけど……。」

 エナス、と言えば、アクレスが以前「化け物じみた奴」と言っていた男だ。

 システィアが完全に対応しているせいで分かりづらいが、二人の戦闘は彰やリリアでは入れるような隙が無いほど高次元なものである。以前手合わせしたヘクターでも、エナスには対応できないだろう。アクレスが「化け物じみた」と表現したのも無理も無い。

 その戦闘を見ていたリリアが言った。

「……で、どこから逃げればいいの?」

 この部屋の窓は鉄格子で封じられており、出入り口は一つしかない。ただ、その前では、二人が激しい戦闘を繰り広げており、その隙をぬって逃げられるような状況ではないのだ。


 それはシスティアも十分に理解していることだった。システィアは、エナスの攻撃を引きつけつつ、三人のための逃げ道を作らなければならない。


 エナスの体を斬りつけた剣は、硬い感触に弾き返された。斬りつけた場所の服が破けるだけで、流血は全く見られない。

 これが、システィアが戦闘の主導権を握ることができない理由だ。理由は分からないが、全身どこに打ち込んでも悉く弾き返されるのだ。

 相手の攻撃をどれだけ防いだところで、こちらの攻撃が通用しないのでは意味がない。

 焦るシスティアとは対照的に、エナスは一切表情を変えずに拳を撃ち込んでくる。人間の限界を超えたような恐ろしい速度だ。寸分の狂いなく弾かなければ、たちまち骨を折られるだろう。

 神速の攻撃に、鉄壁の防御。隙など無いようにも思えるが、どうしても防ぎきれない場所がある。

「らぁッ!」

 システィアは攻撃をいくつか捌くと、エナスの目を狙って剣を突き出した。

「……ッ!」

 剣が当たる寸前、エナスは上体を逸らして腕で目を覆った。初めて防御したのだ。

 システィアの攻撃を弾くと、エナスは後ろへ飛び退いた。

「眼球までは防げないみたいですね。」

「……。」

「何とか言ったらどうですか?」

 システィアは煽るが、エナスは静かに笑みを浮かべているだけで何も答えない。だが、彼の生気の無かった瞳には、興奮を抑えきれないような爛々とした光が宿っていた。

 システィアはそれを見て小さく舌打ちする。

 互角などではなかった。今までの戦闘で、この男は試していたのだ。システィアが自分と渡り合える実力を持っているのか、否かを。


 すると、突然エナスは上着を脱ぎ棄てた。上半身が露わになった彼を見て、その場にいた全員が言葉を失った。

 彫刻のように鍛え上げられた肉体には、隙間なく構築式の刺青がなされており、その筋肉の流動に合わせて青く淡い光が全身を流れている。その姿が与えたのは恐怖ではなく、洗練された美であった。ただ一つの目的を達成するためだけに造られた、一つの芸術作品が立っていたのだ。

 彼は武器を持っていなかったのではない。彼自身が武器だったのである。

 エナスはそのまま両腕を構えると、挑戦的な目でシスティアを睨みつけ、小さく手招きした。


「ここからが本番ってことですか……。」

 システィアは呼吸を整えると、眼帯を外した。淡く輝く碧眼が静かに敵を見据える。

 これから先は一瞬でも気を抜けば即死するだろう。敵の気を引きつつ、逃げ道を作ることなど不可能だ。

 全員を守るには、この男を殺さなければいけない。

「……覚悟を。」

 システィアは呟くと、地を蹴った。

 エナスの構築式は、おそらく身体能力の底上げと体表面の硬化をするものだろう。この男を倒すには、まずは硬化の術を破らなければならない。

 一気に間合いを詰め、同時に義眼の構築式を発動させる。エナスの体勢が大きく崩れた。

「らぁッ!」

 システィアの刃は隙だらけになったエナスの眼球を狙うが、エナスは直前でなんとか躱した。しかし、その頬からは赤い血が垂れている。

 やはりだ。

 これまでの攻撃を全て弾いているせいで気付かなかったが、全身を常に硬化させていては、あれだけの動きをすることは不可能である。エナスが硬化するのは、攻撃を防ぐ一瞬。それも、攻撃を受ける一部分のみだ。

 今の攻撃を繰り返すことができれば、この男を倒すことができる。


 システィアは再び義眼で体勢を崩させ、剣を振るった。急所を狙った一撃。エナスは避ける素振りも無い。

 しかし、剣は高い音を立てて弾き返されてしまった。

 義眼が効かなかったのではない。エナスは体勢を崩したのと同時に全身を硬化させたのだ。弱点だった目も、腕で完全に防御している。

「まっずい!」

 システィアの攻撃を完全に見切ると、エナスは驚異的な速度で蹴りを放った。剣で受け流すには間に合わない。咄嗟に義手で攻撃を防ごうとする。

「ぐッ……」

 大きな炸裂音が響いた。細かく砕けた義手の破片が宙を舞う。

 生身の蹴りではこうはならない。蹴りと同時に足を硬化させたのだろう。

 義手の構築式が破壊された以上、右腕はもう動かない。握り締めていた剣は、音を立てて地面に落ちた。

 右腕が使えないというのは致命的だ。左手一本と剣一本で、エナスの猛攻を捌くのは不可能だろう。

 どうすればいい。このまま殺されてしまっては三人を守り切れない。

 その思考にたどり着いた瞬間、システィアの体は硬直した。


 エナスはこの一瞬の隙を逃さない。すぐに体勢を立て直すと、がら空きになった右半身に再び強烈な蹴りを放つ。

 しかし、その攻撃は一本の剣によって弾かれた。

「いっでぇぇ!」

 攻撃を受け止めたのは彰だ。

 その直後、エナスの腕に細い糸が絡まっていく。その糸は、咄嗟に硬化させた腕を音を立てながら締め付けていった。

「ちょ、硬すぎでしょ! 切れないんだけど!」

 リリアは糸を解くと、システィアの落とした剣を拾い上げて構えた。

「アキラ君、リリアちゃん! 二人とも何して……」

「あんな化け物、システィアさん一人に押し付ける訳にはいかないでしょ。」

「結局、あいつ倒さないと逃げられないんだ。俺達が右腕になるよ。」

 彰がそう言って親指を立てると、エナスから鋭い蹴りが飛んできた。その攻撃をシスティアがなんとか弾き返す。

「っぶな!」

「一瞬でも気は抜けないよ! 二人とも、絶対に死なないで。」

 システィアはそう言うと、義眼の構築式を発動させた。エナスの体勢が崩れると同時に彰とリリアが攻撃を畳みかけていく。

 エナスは二人の攻撃を硬化によって凌ぐと、すかさず蹴りを放った。

「もう目が慣れたよ。」

 彰がその蹴りを躱すと、間髪入れずにシスティアの剣がエナスに襲い掛かった。咄嗟に防ごうとするが硬化が間に合わない。システィアの剣は構築式ごとエナスの左腕の肉を切り裂いていく。

 この調子で構築式を破壊していけば、エナスは硬化能力を無効化できるはずだ。

 システィアだけでは、この男に勝つことはできなかっただろう。しかし、三人なら……。


 エナスは不利を悟ったのか後ろに飛び退いた。そして、自身の左腕から滴る血を見て、嬉しそうに笑った。

「なんだあいつ……。気持ち悪いな……。」

「きっと根っからの戦闘狂なんだよ。……まぁ、何にせよ、これ以上関わりたくないね。」

「二人とも、無駄話は後にして。まずはあいつを倒さないと……」

 システィアはそこで言葉を切ると、剣を構えなおした。エナスの様子がおかしい。

 通常、構築式の発動光は淡い青のはずだ。しかし、エナスの胸の中心に描かれた構築式が赤く輝き始めたのだ。その赤い光は、まるで無数の蛇が這うように、彼の全身に広がっていく。

「何だよあれ……。」

「つくづく、底が見えない男ね……。二人とも、私の後ろに」

 その瞬間、彰の横からシスティアの姿が消えた。

 いや、消えたのではない。システィアは後ろの壁まで吹き飛んでおり、システィアの居た場所にはエナスが立っている。システィアは一瞬の内に、遥か後方へ蹴り飛ばされていたのだ。

「なッ……、なにが……。」

 彰がそれを認識した瞬間、目の前のエナスから鋭い蹴りが放たれた。今までの蹴りがスローに見えるほどの速度だ。驚きのあまり硬直している彰に回避することは不可能である。

 しかし、彰の固まった体は無理やりに背後へ引きずられた。リリアの糸が彰を巻き取ったのだ。豪速の蹴りが鼻先を掠める。

「リリア! マジで助かった!」

「次は無理だから!」

 彰は背後に転がると、リリアの前に立って剣を構える。目の前のエナスは、両腕をだらりと垂らすと、大きく息を吐きだした。

 赤い光の巡る彼の全身には赤黒い結晶が浮き上がり、その目からは血涙が流れ落ちている。しかし、彼の口は三日月のように吊り上がった笑みを浮かべていた。

 人ではない。人の形をした怪物である。

 次の瞬間、エナスが地を蹴った。微かに捉えた彼の残像の向かった先は、彰ではなかった。

「リリア!」

 エナスの足は、リリアを庇った彰の背中を蹴り上げた。

「アキラ君! リリアちゃん!」

 壁に打ち付けられた二人にエリが駆け寄るが、二人の意識は既に無い。エナスは起き上がらない彰の姿を見ると、少しつまらなそうな顔で息を吐いた。

 エナスとエリの間にはもう誰もいない。この男に対抗できる術はもう無いのだ。エナスはエリは震える手で彰とリリアを抱きしめると、顔を逸らして目を閉じた。


「エリさん。二人をお願いします。」

「……え?」

 その声に顔を上げると、目の前に片腕のシスティアが立っていた。彼女はエナスを見据えてゆっくりと剣を構える。

 対するエナスは呼吸は荒く、体力を大幅に消耗しているようだ。その頬には固まった血の跡が赤黒く残っており、その上から塗りつぶすように血涙が流れている。

 だが、それでも彼が戦う事は十分に可能だろう。エナスの顔に浮かんだ不気味な笑みがそれを証明していた。

「無茶よ!」

 エリは思わず叫んだ。

「あいつには勝てないわ! 全員殺される!」

 すると、システィアはチラリと振り返り、優しく微笑んで答えた。

「それでも、剣を取るのが軍人です。」


 ――システィア、お前は死ぬ覚悟があるか?

 五年前。あの戦争が始まる直前に、上官から問われたことがある。その時は「はい、あります」と即答したのだが、後になって疑問に感じるようになった。

 本当に自分には死ぬ覚悟があるのだろうか? 戦場に立ち、胸に剣を突き立てられた時に、満足して人生を終えられるのだろうか?

 そのことを、同じくアクレスを師と仰いでいた兄弟子、アイアスに尋ねると、彼は「あるわけねぇだろ」即答した。

「え? 無いの?」

「戦場で俺たちが死んだら誰が国を守るんだ。俺たちは盾だ。いつ、どんな目に合おうとも、絶対に死ねないんだよ。そもそも、お前は俺が死なせないから安心しろ。」

 アイアスは座っているシスティアの頭を軽く叩いて答えた。目を逸らして少し顔を赤らめるシスティアを見て、アイアスは優しく笑いながら言った。

「その上官に言っといてやれ。軍人に必要なのは死ぬ覚悟じゃない。守りたい物を守り抜く覚悟だってな。」


 システィアは目の前のエナスを睨みつける。

 エナスは何らかの方法で速度と攻撃力を大幅に上げた。だが、その反動は非常に大きいようである。時間と共に出血も酷くなっており、長時間あの状態を保っていることはできないはずだ。

 この男に勝てるのはアクレスくらいだろう。敵が限界を迎えるまで耐える。それが三人を生かす、唯一の方法だ。

 問題は、それまでシスティアが持つかどうかである。

 背後にいるリリアと彰が視界に入った。

 出来る、出来ないではない。この身を犠牲にしてでも、やらなければならない。残された、たった二人の家族を守るために。

 システィアは剣を握り締めて咆哮すると、赤黒い笑みを浮かべる男に斬りかかった。

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