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25

 目的の館は中央都から遠くない場所にある。

「なんか鳥肌凄いんだけど……。」

「なんというか……、気温的なもの以外の寒さを感じるな……。」

 昼だというのに薄暗く、どこかに魔物でもいるのか、時折獣の声まで聞こえてくる。その上、冬の凍える風が、唸り声をあげながら森を吹き抜けていった。

 中央都から遠くは無いが、この場所を訪れる人はほとんどいない。その大きな理由は、この森の雰囲気だろう。

 事実、館の人影を見たのは肝試し中の若者だったらしいし、この森に入ってから人の姿を見ていない。

「二人とも、見えてきたよ。」

 いつにも増して真面目な顔つきのシスティアは、森の奥を指さして言った。彰とリリアはその先を見て、思わず言葉を飲み込んだ。

 所々が崩れ落ちた外壁に、木の板で裏打ちされた窓枠。古いレンガ造りの壁は枯れたツタで覆われている。

「…………本格的な幽霊屋敷じゃん。ホントにあそこに入るの?」

「……よし、帰るか。」

「ちょっと、二人とも!」

「いやいや、冗談だって……、冗談だよ……、うん。」

 彰はぶつぶつと呟きながら、館へ向けてゆっくりと歩き始める。が、すぐに立ち止まって腰の剣を抜いた。同時にシスティアも身構える。

「おいおいおい……、何なんだよアレ………。」

「そう簡単には入れてくれないみたいね。」


 三人と館の間に、のっそりと立ち上がる巨大な影。

 黒い体毛に覆われた巨躯を支える四本の脚にはびっしりと鱗が生え、狼のような頭には牡鹿のような二本の角が伸びている。青白く光る両の眼は三人の姿を捉えると、途端に怒りの色へと変化していった。

「……あれも魔物なのか?」

 彰が呟くと、システィアが首を横に振った。

「いや……、魔物じゃないみたい。」

「少なくとも、アタシたちの味方じゃなさそうだね。」

 獣は唸り声をあげながら尻尾を高々と上げる。その高さは、優に三メートルは超えているだろう。

 しばらく三人を睨みつけると、牙を剥き出しにして吠えた。

「アタシに任せて。」

「いや、無茶だろ! ここは三人で慎重に……って、おい! 話聞けよ!」

 リリアは飛び出すと、それに応じるように獣も太い脚で地を蹴った。ずらりと並んだ鋭い牙が目前まで迫る。

 しかし、その牙が肉を裂くことは無かった。

 リリアは直前で獣の腹下に滑り込むと、そのまま背後へ回り込んでいた。同時に細い糸を伸ばして獣の前足首に巻き付けると、両手を一気に引く。

「ギャァァオオオ!」

 獣が叫び声をあげると、その両前脚から血飛沫が上がった。そして、支えを失った胴体は、どさりと地面に落ちる。だが、まだ獣は死んでいない。

 彰は咄嗟に獣の胴に飛び乗ると、背中から剣を突き刺した。

 その剣は、ちょうど獣の急所に当たったらしい。獣は小さく唸り声をあげると、やがて静かに目を閉じた。


「この世界には、魔物の他にも化け物が居るのかよ……。」

 彰は剣に付いた血糊を拭き取りながら呟いた。システィアは獣の死体を見ると、不思議そうな顔で言った。

「魔物は、通常の動物に何らかの異変が生じた生き物だと言われてるの。でも、この生き物は……、まるで、いろんな動物を無理やり混ぜ合わせたみたいね………。こんな生き物見たことない。」

「新種の動物ってこと?」

 魔物ではないならば、未発見の動物だったという事になる。しかし、彰は首を傾げた。

「胴体は毛に覆われていて、脚の部分だけ鱗が生えるなんてこと、自然界で有り得るのか? そもそも、この二本の角も生え方が不自然すぎるだろ。それに、頭の大きさと体の大きさが合ってないし……」

「それじゃ、この生き物は何なの?」

「そうだな、例えば………、人為的に作られた、とか? でもなぁ……」

 任意の動物を生みだすには、遺伝子レベルでの操作が必要になる。ただ、この世界にそんな技術があるとは到底考えられない。そもそも、彰のいた元の世界の技術でも、そんなことは不可能だ。

 考えられるとすれば、彰のいた時代よりも未来の技術が、長い時を経てこの時代の人間に発見された、という事だろうか。

 だが、これまで旅をしてきた中で、前文明の遺構などは見ていない。つまり、この時代は、前文明の終焉からは相当な年月が経っていると考えられる。その長い間、遺伝子操作の技術だけが風化せずに遺るというのも無理な話だ。

 二人が首を傾げていると、システィアはパン、と手を叩いた。

「考えるのは後にしよう。今はエリさんの奪還が第一だよ。」

「あ、あぁ、そうだな。」

「二人とも、気を引き締めて。これから敵の罠の中に突っ込むようなものなんだから。危ないと思ったら、すぐに逃げるんだよ。」

 二人はそれに頷くと、エリの待つ不気味な館へと向かった。



 若干ではあるが血の臭いがする。家具はもちろん、照明器具なども一切なく、天窓から微かに入る陽光が、吹き抜けの玄関ホールを照らしていた。

「ここからは私が先頭で行くので、二人は私の後を……、リリアちゃん?」

「……な、なに?」

 リリアは館へ入るなり、すぐにシスティアの服の裾を握り締めていた。

「おいおい。ここまで来てまだ怖いのかよ。」

「ゆ、幽霊とか出たらどうするの!」

「さっき化け物の脚を切り落とした奴の言う台詞か?」

「実体があるなら殺せるからいいけど、お化けとか出たらどうしようもないじゃん! も、もしも出たら、アキラを囮にしてアタシだけでも逃げるからね!」

「何だそりゃ……。」

 彰はため息を吐くと、剣の柄を握り締めた。

 館に入ってから気配を探っているが、生き物の気配は一切感じ取れない。戦争屋が待ち受けているかとも思ったが、歓迎してくれるような人影も無かった。

 館は二階建てのようで、玄関ホールの脇には二階へと続く螺旋階段がある。一階には幾つか扉があり、中央には一際大きな両開きの扉が見える。そこには擦れた文字で「食堂」と書かれていた。

「……とりあえず、一階から探索しますか。」

 システィアはそう言うと、周囲を警戒しながらゆっくりと進んで行く。そして、中央の扉に手をかけると、一息に開いた。


「だ、誰?」

 開けると、すぐに小さな声がした。殺風景で広い部屋の奥には、一人の女性が椅子に縛り付けられている。

 その姿を見るや否や、彰とリリアは飛び出していた。

「エリさん!」

「あ……、え? アキラ君にリリアちゃん?」

「そうです! 助けに来ました!」

 システィアは剣を抜くと、エリの腕を縛っていた縄を斬った。

「エリさんですね? 詳しいお話はあとで伺います。まずはここから……」

「どうして来たの!」

「え?」

「これはアキラ君をおびき出す罠よ! すぐにあいつが……、ほら後ろに!」

 その言葉に振り返ると、部屋の入り口に一人の男が立っている。

 その男は、首元まで隠すような上着を着ており、その手は力なくだらりと垂れ下がっている。生気を感じない両の目は、真直ぐに彰を見つめていた。

 この男からは一切の敵意を感じない。だが、三人は目の前の男に対して、これまでに無いような恐怖感を覚えた。

 三人とも、全く気配を感じ取れなかったのだ。

 今まで館のどこに潜んでいたのかも、いつ部屋に入ったのかさえも分からない。目の前にいる今でも、全く人間の気配を感じ取れない。

 その姿を見て、エリは激しく動揺しながら叫んだ。

「今すぐ逃げて! 全員殺される!」

「な、何言ってるんですか。俺たちはエリさんを助けに」

 彰はそれ以上言葉を発することができなかった。剣の柄を握ろうとしていた手が震えている。

 この震えの原因は恐怖だ。そして、その恐怖の原因は、あの男だ。男が拳を構えた瞬間、部屋の空気が一変したのだ。

 少しでも動けば死ぬ。

 言葉で言われずとも、彰の本能は生物としての圧倒的な差を直感していた。


 直後、男は飛び出した。固く握りしめられた拳を、ゆっくりと後ろに引く。死への緊張と恐怖の中で加速された視覚だけが、男の動きを認知していた。

 拳はゆっくりと彰の腹部に目掛けて伸びてくる。このままでは殺される。しかし、体は動かない。

 ここで死ぬのか? これまでやってきたことは何だったんだ? ここで殺されて、全て無駄になるのか?

 様々な記憶が脳内を駆け巡った。だが、この現状を回避できる策は何処にもない。


 ここで終わりなのか。


 彰が死を悟ったその時、目の前の拳が剣で弾かれた。

「アキラ君、リリアちゃん。エリさんと逃げてください。この男は私が抑えます。」

 拳を弾いたのはシスティアだった。ふと横を見ると、リリアも青白い顔で震えている。どうやら、あの恐怖の沼の中で動くことができたのは、システィアだけだったようだ。

「リリア! しっかりしろ! リリア!」

 彰が何度か呼びかけると、リリアは我に返ったようだ。その場に崩れ落ちると、胸を抑えながら呼吸を整え始める。

「システィアさん、一人で大丈夫なのか?」

 彰が尋ねると、システィアは答えた。

「大丈夫。ここは姉弟子に任せなさい。三人まとめて、しっかり守るから。」

 その言葉の直後、彰の目の前で火花が散った。男が攻撃を再開したのである。

 まさに、息をする間もないような猛攻。しかし、システィアの剣は、目で追えないほど速い拳を全て弾き返していった。

 簡単に仕留められないと分かったのか、男は一度距離を取る。システィアも、それに応じるように剣を構えると言った。

「こう見えて、私も意外と強いんだよ。」

 それを聞いてか、目の前の男は嬉しそうな顔で笑った。


 ◇◇◇


「どうしました? 顔色が悪いですが。」

「い、いや。大丈夫です。」

 アクレスは目の前のシルヴァにそう答えると、額の汗を拭った。

 これから軍内で会議がある。アクレスがこの会議に参加すること自体は初めてではない。だが、今回の会議に限っては行く足が重たかった。

「今日の会議で、ユドラー大将に揺さぶりをかけます。」

 全ては、会議前に言われたシルヴァの一言のせいである。それに伴って、密かに警備の兵も数人配置したらしい。

 ただ、未だにユドラーが情報を流したというのは信じられなかった。

「入りますよ。」

 シルヴァはそう言うと、アクレスの返答も待たずに会議室の扉を開けた。会議室には総帥をはじめ、軍の首脳部が勢ぞろいして机を囲んでいる。

 ちらりと横を見ると、机を囲んでいる将校の中には当然ユドラーも居た。ユドラーは二人に気付くと、普段と変わらない笑顔で片手を挙げた。


 会議は滞りなく進行した。

 このまま無事に終わってくれたら、どれだけ良かっただろうか。しかし、その時は訪れた。

「……ユドラー大将。この場で、一つお聞きしたいことがあります。」

 シルヴァが言うと、ユドラーは少し目を細めて「何だね?」と呟いた。

「中央都の大火、および前国王暗殺事件。そして、月島での現国王暗殺未遂。これらの事件には一人以上の内通者が関係していると考えられます。」

「あぁ。内通者は私だ。」

「その件に関して…………は? 何を……?」

 場が一気に静まり返った。その静寂を破るようにユドラーが笑い出す。

「どうした。端からそのつもりだったのだろう?」

「何故、自供したのですか? まだ確たる証拠はない。逃げることは可能だったはずだ。」

「君の事だ。それでも逃がさない手を用意しているのだろう、シルヴァ君。それに我々も、もう打つ手が無いんだ。やけの一つも起こしたくなるさ。」


 ユドラーがそこまで言うと、アクレスは思わず立ち上がった。

「アンタは何を言っているんだ! このまま認めたら、アンタは裏切り者として死罪になるんだぞ! もしも……、もしも本当だとしても、何かの理由があるはずだ……。」

「理由? 理由か……。強いて言うならば、嫌気がさしたんだ。この、あまりにも不平等で不条理な世界にね。」

 ユドラーは懐から小銭を取り出すと、机の上に放り投げた。

「もしも、ここが関東郡であれば、すぐに子供の群れができていただろう。今、こうして会議をしている間にも、何人かの人々が貧困によって亡くなっている……。一方で、まぁ、ここにいる大半の連中はそうだろうが……、産声を上げた時から財に恵まれ、焼け焦げた虫の味も知らずに、のうのうと生きている連中も存在する。おかしいと思わないのか? これが健全な世の中か? 何故、国は何もしない。」

 誰も何も言わなかった。いや、何も言えなかったのだ。


 関東郡はマテラス国の東に位置する地方である。

 借金に追われた人、日の当たる場所を歩けない犯罪者、捨てられた子供たち。その地方には、かつて行き場を無くした人々の集まる巨大な貧困街が広がっていた。

 当然ながら治安は悪く、暴力や窃盗が当たり前のその地域の存在は、国民であれば知らない者は居なかったが、同時に国民はその地方を「知らないもの」として扱っていたのは事実である。

 ただ、国は何もしていなかったわけではない。これまでにも様々な政策が何度も行われている。しかし、どの政策も格差の是正にはつながらなかったのだ。

「結局、動いたのは我々九頭龍だったじゃないか。今から七年ほど前、関東郡を牛耳っていた連中を皆殺しにしてやったことで、多少だが格差は縮まっただろう。」

「……それで貧困で苦しむ人々を救ったつもりなのか?」

 アクレスの握り締めた両の拳が震える。

「そのせいで関東郡の治安はさらに悪化したんだぞ……。統治者が居なくなったことで、その遺された富を求めて、多くの人々が争いを始めた!」

「それこそ私の求める世界だ。」

「なんだと?」

「争いに勝てば、誰しもが富を得ることができる。産まれた場所も、性別も関係ない。まさに平等な世界じゃないか。」


 すると、それまで黙って聞いていたシルヴァが口を開いた。

「暴力による解決は、さらなる暴力を生むだけにすぎません。我が国が目指すのは、より多くの国民の幸福であり、国民の平等な不幸ではない。その歪んだ理想を実現させないためにも、貴方の身柄を確保します。警備兵!」

 その言葉の直後、会議室の扉から数人の兵士が現れ、ユドラーを取り囲むようにして槍を構えた。彼らがシルヴァの用意したという警備兵である。

 ユドラーの手に武器は無い。腰のベルトにも剣を提げていなかった。

 しかし、ユドラーは自身を囲む槍を見ても表情を一切変えない。それどころか、不敵な笑みを浮かべながら、悠々と椅子から立ち上がった。

「実を言えば、私の計画は七年前に潰えていたんだよ。それも全て、君と言う存在が居たからだ、アクレス君。」

「俺が?」

「だいたい数十年に一人の割合で精霊に選ばれ、『契約者』となる人間が生まれることがある。君の人間離れした体力も、五年前の戦争で帝国の軍を退けた強力な魔法も、全て契約によって得られた力なのだろう? まったく……、君の存在は、我々にとって唯一にして最大の誤算だったよ。」

 そう言うと、ユドラーは両手を挙げた。

「ところでアクレス君。私は今、四人の兵に槍を向けられている。我が軍の兵は非常に優秀だ。少しでも不穏な動きを見せれば、間髪入れずに鋭い槍が私の体に目掛けて伸びてくるだろう。………だが、もしも、君が私の立場に居たならばどうだね?」

 丸腰で槍を向けられた老兵は、やけに余裕をもって尋ねてきた。

 どう見ても、逃げられるような状態にはない。完全に追い詰めているはずだ。しかし、彼の普段と変わらない言動は、まるで人間では無い物のような不気味さを、その場にいた全員に与えた。

 アクレスは少し身構えながら尋ねる。

「……何が言いたい。」

「これだけの数で足りるのか、と聞いているんだ。」


 その言葉が終わるのと同時に、アクレスの目は小さな青い火の粉を捉えた。咄嗟にアクレスは横に居たシルヴァを庇う。

 そして、次の瞬間。


 マテラス国軍本部を、巨大な青い火柱が貫いた。

正月は寝るので来週の投稿サボります

良いお年を

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