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玄関に飛び込むと視界は真っ白な霧に包まれた。冷たい空気を吸い込むと、微かに血の臭いがする。
「ディアス。」
剣の柄を握ったヘクターが背後のディアスに声をかけると、じっと目を瞑っていた彼は上を指さした。
「上から音がする。三……いや、四人だ。一人だけ気配が薄い。」
「前方は。」
「誰も居ない。」
この時間帯に居るのは、父、母、そして執事長のバトレルの三人だけのはずだ。
聞くなり、ヘクターは剣を抜いた。やけに幅の広い刀身には、細かな模様が淡い光と共に浮かび上がっている。
そのまま目の前に続いているはずの廊下を見据えると、ヘクターはそこへ向けて剣を振るった。たちまち強い風が巻き起こり、白い霧で満たされた空間を貫いていった。
「階段はこっちだ。」
「了解。」
短く言葉を交わすと、二人は目の前の白いトンネルを抜け、階段を駆け上がっていく。
二階へ辿り着くと血の臭いが強くなった。奥の部屋から金属音が聞こえる。まだ殺されていない。
再びヘクターが剣を振るうと、二階の廊下の霧が晴れる。二人は廊下を走り抜けると、最も奥にあるシルヴァの寝室へ転がり込んだ。
部屋は他よりも更に濃い霧で包まれている。ヘクターが何度か剣を振るうと、やっと部屋の様子が分かった。
「ヘクター……、ディアスも居るのか。」
「義父さん……!」
部屋の中央では、肩から血を流しながらも剣を構えるシルヴァの姿があった。その背後には、血だらけになり意識を失ったバトレルを母が必死に庇っているのが見える。
そして、部屋の中央でシルヴァと対峙する細身の男。黒い服に身を包み、その手には霧を纏った細剣、そして帽子の下から覗く鋭い眼光。忘れるはずもない。目の前で両親を殺した、あの男だ。
ヘクターは折れそうなほどの握力で柄を握り締めると、目の前の男に斬りかかった。
「これは……、良い剣筋ですね。」
男は細剣で斬撃を受け流しながら言う。それを見て、ヘクターは圧倒的な技量の差を直感した。しかし、彼の攻撃が止まることは無い。今の彼を動かしているのは、理性ではなく怒りという本能的な衝動だ。
男は素早く身をひるがえすと、ヘクターの肩口を狙って剣で突いた。ヘクターはそれに反応するが、細い剣先が掠めていく。
「ですが、まだ青い。」
その言葉の直後、男は目にも止まらぬ速さで斬り込んできた。なんとか躱したヘクターだったが、それによって大きく体勢が崩れてしまう。
ヘクターが自身の失策を理解した時、視線の先では銀に光る刀身が、真直ぐ心臓へと差し込まれようとしていた。
この攻撃を避けることはできない。ヘクターが、せめて急所への一撃を避けようと体を捻った瞬間、目の前で細剣が弾かれた。
ヘクターが転がると、更に何発か発砲音が聞こえた。部屋の扉の前には、小銃を構えるディアスが見える。
「素晴らしい腕前ですね。」
男はそう呟くと、左右に大きく剣を振るった。たちまち部屋は深い霧の中へと飲み込まれていく。
それを見てヘクターが剣を構えると、背後から声がした。
「シルヴァさん達なら逃がした。行くなら引かずに突っ込め。」
短く「あぁ」と答えると、淡く輝く剣で霧を薙いだ。猛烈な突風が部屋を駆け抜け霧を裂いて行く。
「ほう、面白い。」
被った帽子を押さえながら、細剣を片手に男が呟く。それと同時にヘクターが地を蹴った。
一瞬で距離を詰めると、低い姿勢から切り上げた。その攻撃は細剣で難なく受け流されてしまう。しかし、ヘクターは巧みな手さばきで剣を持ち直すと、間髪入れずに男の眉間目掛けて叩き込んだ。男はかろうじて避けたものの、剣先が掠めた彼の頬に血が垂れた。
男は後ろに大きく下がると、頬の血を指で拭うと急に笑い出した。
「何が可笑しい。」
「不思議なものですね。貧困街出身の私でも、一振りの剣があれば、貴族相手でも対等の場に立てる。まぁ、そうでもしないと、目も合わせて頂けないのですがね。」
男はヘクターに剣を向ける。
「さて、お話はもう十分でしょう。言い遺すことはありますか?」
ヘクターとディアスが黙って武器を構えると、男はつまらなそうに「そうですか」と呟いた。
「では、覚悟を。」
その言葉の直後、男は濃い霧と共に姿を消した。すかさずヘクターが霧を払うと、既に男の剣先が目の前に迫っていた。
ヘクターは寸前でそれを弾くと、大きく薙ぎ払った。巻き起こった突風によって、男の体勢は大きく崩れる。同時に銃声が三度響いた。
ディアスの狙いは正確。崩れた体勢では避けようがないはずである。
ところが、男は三発の弾丸を剣で弾くと、何事も無かったかのように再び剣を構えた。
「おいおい、化け物かよ……。」
ディアスは呟きながら更に弾丸を撃ち込むが、男は当然のように全て躱してしまう。そして、銃の残弾が切れたと見るや否や、一瞬で距離を詰めてきた。
心臓を狙った正確な突きを、ヘクターはぎりぎりで弾き返す。
現役の軍人二人を相手に優勢を保つとは、恐るべき技術と体力だ。とても白髪交じりの老人の動きとは思えない。
ディアスは弾切れの銃を投げ捨てると、腰に提げていたもう一つの拳銃を構えた。再びヘクターが風を巻き起こしたのを合図に、数発の弾丸を撃ち込む。ほとんどは弾かれてしまったが、一発の弾丸が男の肩を掠め飛んでいった。
「厄介ですね。」
男は呟くと、剣を振るって霧の中へと姿を消した。直後、背後で数発の銃声が響く。
「ディアス!」
ヘクターが霧を払うと、男の前で崩れ落ちるディアスが見えた。男の持つ細剣からは赤い血が滴り落ちている。その光景は十三年前に見た光景と全く同じものだった。
十三年間。あらゆるものを捨てて、ひたすら剣の訓練に明け暮れた。
同じ悲劇を繰り返さないために。この男に勝つために。
だが、それも無駄だったというのか? 俺は相変わらず無力なままだというのか?
「負けてたまるか……!」
ヘクターは剣を握ると、目の前の男に斬り掛かった。男は冷静にそれを受け流すと、剣を真直ぐヘクターへと突き出す。その剣は、正確に胸の中心を狙っていた。
正に一閃。回避は不可能だ。
その瞬間。突然、全ての時間が停止したかのように見えた。思考だけが、凍り付いた時の中で加速していく。
そして、思考だけが加速した世界の中で、ヘクターは一つの答えを導き出した。
残された一瞬で、ヘクターはわずかに体を逸らした。男の剣は急所を逸れ、肩を深く貫いていく。
それと同時に、ヘクターの手は男の右肩を捕らえていた。男は咄嗟に剣を手放すが、ヘクターの手を振り払うことはできない。
「終わりだ!」
叫ぶと、そのまま男の胸を深く突き刺した。男はうめき声と共に血を吐きだす。
ヘクターは剣を引き抜くと、その場に膝を着いた。
「毒は既に回っています……気付いた時には……手遅れ……………」
男は小さく呟くと、その場にどさりと崩れ落ちた。




