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おまけの短編 -蟷螂の鎌-

 紅色や黄色に染まった葉を眺めながら、ゆっくりと森を進んで行く。視界の端で、小さなリスがドングリを抱えているのが見えた。忙しない夏を終えたばかりだというのに、森はせっせと冬支度を始めている。

「にいちゃん! これおいしい?」

 小さな少女が前方から駆け寄ってきた。その小さな手には毒々しいキノコが握られている。

 俺はすぐにそれを取り上げると、遠くへ投げ捨てた。

「あれはどう見ても食えないだろうが。」

「でも、でも、カラスのオジちゃんが『ゲテモノは案外旨いのが多い』って言ってたよ?」

「あのジジイ……。いいか、リリア。森でキノコを食うのは極力避けろ。飢死する前に中毒で死ぬぞ。」

「はーい。」

 リリアは若干不満げな様子で答えると、再び森の中へ駆け出していった。俺はその背中を眺めながら、のんびりと後について行く。

 この少女とは別に親しくはない。単に親同士が同業で、月に何度か会う程度の関係だ。

 だが、それでも彼女が俺に懐いてくれていたのは、きっと心を許せる相手があまり居なかったせいだろう。

「あら、また面倒みてたのね。」

 突然背後から声がした。

「母さん。定例会議はもう良いの?」

「仕切りの鴉はやる気ないし、肝心の龍も欠席。無駄過ぎて途中で抜けて来ちゃった。」

 立っていたのは俺の母親だ。職業は暗殺者。その方面では蟷螂と呼ばれており、俺の家は昔からその名前で代々暗殺業をしているらしい。俺もいつかはその名前を継ぐことになるのだろう。

 散らばっていたドングリを拾っていたリリアは、こちらに気付くと笑顔で走ってきた。そして、集めていたドングリを俺の母に渡す。

「カマキリのおばちゃん! これあげる!」

「あら、ありがとう。リリアちゃん、もうお父さんのところに戻りなさい。そろそろ会議も終わるわ。」

「わかった!」

 すると、リリアは俺の手に小さな耳飾りを握らせた。

「なんだこれ。」

「キレイでしょ! アタシとおそろい!」

 そう言って笑う彼女の左耳には、同じ耳飾りがついていた。

 俺は受け取った耳飾りを右に耳に付けると、リリアの頭を優しく撫でた。

「ありがとう。大切にするよ。」

「うぇへへ……。」

 変な笑い方で照れると、リリアは手を振りながら走り去っていった。

 その背中を見送ると、母はゆっくりと歩き出した。俺もそれについて行く。

「ずいぶん懐かれてるじゃない。」

「まぁね。」

「でも、あまり深く関わらない事ね。人付き合いは最低限にしておきなさい。いつか自分の身を滅ぼすことになりかねないわ。」

「え?」

「……いつか選ばなければならない時が来る。そのうち分かる日が来るわ。私の息子なら。」

 聞き返したが、母はそのまま黙っていた。隣で歩くのはいつもと変わらない母のはずだが、その時見えた横顔は別の女のようだった。


 ◇◇◇


 あれから数年。

 母の所属していた組織は『九頭龍』と名前を変えた。その構成員は母をはじめ、みな国内随一の腕を持つ暗殺者たちだ。その中には俺と同い年くらいの少女もいるらしい。一度だけ話しかけようとしたことがあったが、彼女の目を見た瞬間、住んでいる世界の違いを思い知った。

 俺も蟷螂の名を継ぐ人間として修行を積んできたつもりだが、その才能が無いことは自分が一番分かっていた。

「暗殺の才能なんて無い方が良いよ。」

 横に座るリリアが言った。

「暗殺者失格じゃないか。」

「良いじゃん、暗殺者じゃなくても。そうだ、これを機にパッと辞めちゃえば?」

「……そう簡単にいくかよ。」

 暗殺稼業から足を洗う事は、そう簡単なことではない。要人を殺すという職業柄、様々な組織が抱える「公にしたくない情報」を幾つも知ってしまっているからだ。突然辞めるとなれば、他の暗殺者から一生追われることになるだろう。

 ため息を吐く俺の背中を、リリアは軽く叩いた。

「まぁ、なんとかなるって! お兄ちゃん強いし、色んな事知ってるし。きっとやろうと思えば何でもできるよ!」

「……お前、成長したなぁ。」

「え?」

「この前までドングリ拾って喜んでたのに……。」

 リリアは今年で十歳になったらしい。俺の半分くらいしかなかった身長も、今ではだいぶ伸びた。

「いつの話してんの? そりゃ、そんな昔と比べたらアタシだって成長してるよ。」

 そう言ってリリアは笑う。あれから数年経った今でも、降り注ぐ陽に照らされた彼女の笑顔は変わらないままだ。森を吹き抜ける風が小さな耳飾りを静かに揺らしていた。

「なんでもできる、かぁ……。」


 俺も昔はそう思っていた。敵わない相手であっても果敢に立ち向かったこともあった。

 だが、現実はそれほど甘いものではない。圧倒的なものに直面した時、若さゆえの根拠の無い自信は簡単に折られる。この短い人生の中でも、俺は何度も自身の無力さを思い知った。

 いつしか俺は立ち向かう事を諦め、敵わない相手からは目を背けるようになっていた。「これは恥ずべきことではない。俺は最善の選択をしている。」と言い聞かせながら。


「そうだ!」

 突然何かを思いついたようにリリアが言った。

「今からアタシと逃げちゃおうよ!」

「は?」

「このまま二人でどっかの街に行ってさ、誰にも見つからないように静かに暮らすんだ。」

「九頭龍の面々が鬼の形相で追ってくるぞ。」

「大丈夫だよ! アタシもお父さんから糸の使い方教わったし!」

 そう言いながらリリアは無邪気に笑う。

 当然、このまま二人で逃げ出すなど不可能だ。逃げたとしても、九頭龍の追手に敵うわけがない。

 ただ実際、このまま二人で逃げ出せたら、どんなに素晴らしいだろうか。何にも縛られず、自由奔放に生きられたら、どれだけ世界が違って見えるだろうか。

 そんな考えをため息とともに吐き出すと俺は立ち上がった。

「バカなこと言ってないで帰るぞ。そろそろ幹部が集まる頃だ。」

 リリアはつまらなそうに「はーい」と答えると立ち上がった。

 このまま暗殺者として生きる方が、きっと俺にとっても、リリアにとっても良いことなのだ。今はとにかく安定を、最善を選び続けるべきだ。そうしていれば、いつかは小さな幸運にも巡り合えるかもしれない。

 歩きながら呑気に考えていると、ふと数年前に母が言っていたことが頭をよぎった。

 ――いつかは選ばなければならない時が来る。

 何故か胸騒ぎがした。

 その時は今なのか? いや違う。違うはずだ。

 心の中で何度も言い聞かせて、俺は母の言葉を振り払った。


 その日は、珍しく定例会議に龍という男が出席するらしかった。俺はその男を見たことが無いが、母曰く「鬼のように恐ろしいが、不思議な安心感のある男」だと話していた。

 ただ、そんな男に興味は無い。リリアと別れた俺は、今回の会議が行われる広い遺跡の中をふらふらと歩いていた。

 この遺跡は古代文明の建物が奇跡的に遺ったもので、森の小さな階段を地下へと降りると辿り着くことができる。中は幾つかの部屋に分かれており、俺が声を聞いたのは遺跡の中でも最も小さな部屋の前を通った時だった。


 ――その時には、お前が俺を殺してくれ


 思わず俺は足を止めた。聞いてはいけない物を聞いてしまったような気がした。だが、俺は自然に足音を殺しながら、その部屋のドアに耳を近づけていた。

「おいおい……。冗談なら勘弁してくれよ。」

「いや、鴉……。全て本当のことだ。」

 声の主は鴉と蜘蛛だ。

「お前にしか頼めない。」

 緊迫した口調で蜘蛛が言う。

「娘を……、リリアを逃がしてくれ………。」

 俺は静かに立ち上がると、再びふらふらと歩き出した。

 ――いつかは選ばなければならない時が来る。

 母の言葉が再び頭の中で疼き始めた。リリアの身に何かが起ころうとしている。

 だが、俺の足は止まった。

 俺に何ができる? 無力さは自分が一番分かっていた。自分が立ち向かったところで、何も変えることはできない。

 俺が取るべき最善の道は……?

「お兄ちゃん?」

 気付くと、目の前にリリアが立っていた。

「どうしたの? なんか顔色悪いよ?」

「あ、あぁ……。」

 俺は喉まで出かかった言葉を飲み込むと、無理やり笑顔を作った。

「いや、何でもないよ。」

「本当に?」

「本当に。」

「そっか……。」

 リリアはそう言うと、「お父さん呼んでくるから」と言って、俺が来た方向へ走っていった。

 これで良い。俺は何も聞かなかった。何も知らなかった。可能な限り苦難を避けることが最善なのだ。

 そう言い聞かせて頬を叩くと、俺はゆっくりと歩き始めた。最善であるはずの道を。


 ◇◇◇


「目標は蜘蛛とその娘。見つけ次第、すぐに殺す。良いわね?」

 そう言って手渡された鎖鎌を、俺は震える手で握り締めた。その手を母が優しく包みこむ。

「辛いのは分かるわ。でも、蜘蛛が軍将校と繋がっていたことは事実。裏切り者には死を。それが九頭龍の、いえ暗殺者の掟よ。」

「で、でも……、リリアは……」

「確かに、あの子は関係ないかもしれない。でも、可能性は出来る限り潰さないといけないの。」

 母は「覚悟ができたら来なさい」と静かに言うと、俺を残して夜の森へと去っていった。

 俺は手に握られた鎌を見る。

 進んだ道は最善の道などではない。自分の身だけを守り他を見捨てる道だ。俺は自分可愛さにリリアを見捨てたのだ。

 俺は走り出した。

 そのまま立っては居られなかった。吐き出しそうなほどの自己嫌悪と、狂いそうなほどの後悔から逃れるために走った。


「お兄ちゃん……?」

 リリアは森の中で俺を見つけると、おびえた声で言った。彼女のいた場所は、奇しくもあの小さな耳飾りを俺に渡した場所だった。

 俺は鎖鎌を投げ捨てると、リリアの元へ走った。

「大丈夫か? 怪我はしてないか?」

「お兄ちゃん……、お父さんが……お父さんが鴉に殺された……。目の前で……首が……」

 擦れた声で呟く。月の無い夜の森でも、リリアの青い顔がよく分かった。

「どうしよう……。どうすれば……。」

 一緒に逃げよう。

 その言葉を言おうとするが、俺の口はパクパクと動くだけで声が出ない。

 一緒に逃げるという事は、九頭龍を敵に回すことになる。それだけではない。蜘蛛に依頼をしたことのある者は、余さず俺たちの首を取ろうとするに違いない。

 果たして、俺は勝てるのか? 一匹の蟷螂として、その巨大な相手に鎌を振り上げることができるだろうか?

 答えは明白だ。敵うはずは無い。数日のうちに首から上が無くなるだろう。

 俺の震える手は、懐から小さな袋を取り出した。そして、それをリリアの冷たい手に握らせる。

「……これだけの金があれば数日は食いつないで行ける。このまま西へ走るんだ。大きな街に入れば、お前を探すのは難しくなるはずだ。」

「わ、わかった………。」

 リリアは消え入りそうな声で答えると、西へと走り出した。俺はただ茫然としながら、その背中を見つめていた。

 その時、背後で草を踏む音がした。俺はすぐに振り返る。

「あ……。」

 立っていたのは、鎖鎌を持った母だ。その目は真直ぐ、俺の更に向こう側、リリアの走っていった方角を見据えている。

「か、母さん……」

 俺が何とか声を絞り出すと、母はこちらへ歩いてきた。そして、そのまま鎌をしまうと、俺を静かに抱きしめた。

「私は何も見てないよ。」

「え……?」

「さぁ、帰ろう。鴉が蜘蛛を殺した。娘は逃がしたが、今はそれよりも逃げることが最優先だ。まもなく軍の追手が来る。」

 母は優しくそう言うと、俺が捨てた鎖鎌を拾い上げて俺に握らせた。

「これはお前が選んだ道。一度歩き始めたのなら、最期まで進み続けなさい。分かったね?」

 両手に鎌の重みがのしかかっている。

 振り返ってはいけない。選択の時は過ぎてしまった。選んだ道を引き返すことはできないのだ。たとえ、その選択が誤りであっても。

 俺はその冷たい鎌をしまうと、闇の中へと進んでいく母の後を追いかけた。その時、俺の手は自然と右耳を塞いでいた。

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