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 梟は手に持った細剣を振った。刀身が淡く輝き、同時にふわりと白い霧が溢れ出る。

「怒り、焦り、不安。心の動揺は大きな隙を生みます。」

 白い霧は、たちまち辺りを包み込んでいった。目の前に立つ梟の姿が次第に霧の中へ消えていく。

「視覚に頼り切った人間は、視覚を奪ってしまえば大きな不安感を覚えます。」

 彼の言う通り、彰の周りは白い霧で覆われ、視覚は完全に奪われた。隣に立つリリアの姿がかろうじて見える程度だ。

 リリアは彰と背中合わせに立つと、小さな声で言った。

「アイツは霧に乗じて斬り込んでくるから。背中は任せたよ。」

「……おう。」

 そう答えるしかない。剣を握る手が若干汗ばんでいる。

 相手は格上。それに視界も悪い。果たしてどこまでやれるのか。

 彰は静かに息を吐くと目を閉じた。

 視界が不明瞭ならば、逆に捨ててしまった方が良い。そうすることで、他の感覚が鋭くなるはずだ。不安だが、それが最善だ。そのための修業をしてきたのだから。

背中はリリアに任せ、感覚を前だけに集中させる。

 頬を撫でる風の感覚。揺れる枝の音。立ち上る土の匂い。その中で、微かに感じる人の気配。それを更に探る。

 微かな殺気を感じる。なぜか殺気の数は一つだ。これは蟷螂ではなく梟の物だろう。

 地面を蹴る音が聞こえる。梟は目の前から右横まで走って行く。そして……。

「ッぶねぇ!」

 彰は梟の突きを何とか躱した。だが、その剣先が頬を掠めていく。

 当然、まだ実力差はある。だがこれまでの彰ならば避けることはできなかっただろう。あの修業は無駄ではなかったという事だ。

 伸びた実力がごく僅かでも、以前の自分よりも強くなっている。それだけは確かだ。

「ほう。よく避けましたね。」

「アクレスに比べたら遅すぎるね。」

 彰の言葉に、梟はニヤリと笑って更に猛攻を仕掛けてきた。

 口では余裕ぶってみたが、実際のところ、梟の攻撃速度は修行でのアクレスの剣よりも段違いに速かった。淡く輝く剣を目で追いながら躱していくが、それでは間に合わずに幾つか浅い斬撃を受けてしまう。

 だが、梟を彰に集中させることができれば良い。

 彰が剣を弾くと、同時に梟の背後からリリアが飛び出した。

「貰った!」

 風を斬って糸が飛ぶ。梟にとって、この攻撃は死角のはずだ。

 しかし、梟は鼻で笑うと、その糸を難なく躱した。

 彰は攻撃が途切れた一瞬ですぐに体勢を立て直すと、梟に斬りかかる。相手は彰の目の前。この間合いで外すことはあり得ないはずだ。

 しかし、その剣は霧を裂いただけで肉を斬った感触は無かった。まるで体が霧へ溶けてしまったのかと錯覚しそうになるほどだ。

「アキラ! 伏せて!」

 リリアの声が聞こえる。彰が伏せると、その頭上で風を斬る音が聞こえた。

「当たったか?」

「もちろん!」

 リリアが手の糸を一気に引くと、霧の中から細い剣が飛んできた。その剣はリリアの手にすっぽりと納まる。これは梟の剣だ。微かに光の残る刀身からは、白い霧が溢れ出ている。

 まさか、霧に隠れている中で攻撃されるとは思っていなかったのだろう。だが、アクレスに鍛えられた彰とリリアの感覚は、容易に彼の居場所を突き止めることができた。

「剣だけかよ。」

「仕方ないでしょ。これしか届かなかったの。」

 リリアは剣を片手に霧を睨みつける。

 辺りを包んでいた深い霧は、梟がこの魔法具を使って出していたものだ。つまり剣を奪ったことで、梟は攻撃の手段と身を隠す手段の二つを失ったことになる。

「さ、これで無力化したも同然。後はひたすら……」

「リリア! 後ろだ!」

 彰が叫ぶと同時、リリアの背後から鈍く輝く刀身が飛び出てきた。リリアは咄嗟に避けようとするが、その刃はリリアの脇下あたりを貫いた。

 後方へ倒れこむリリアを抱えると、彰はその人影に剣を振るった。だが、剣は霧を小さく揺らしただけで、何かを斬ったような感触は無い。

「父親と同じく甘いですね。」

 梟の声が聞こえる。だが、その姿は見えない。

 彰は右手で剣を握り締めながら、必死に気配を探る。

「勝利を確信した人間ほど脆いものはありません。」

 左手の指の間から温かい血が溢れ落ちていく。リリアの小さなうめき声が、より彰の鼓動を加速させる。

「そして、精神的均衡を崩された人間には大きな隙が生じます。」

 その言葉の直後、背後に殺気を感じた。もう直前まで迫っている。

 剣を向けようとするが、リリアを抱えた状態では防げない。頭の中に浮かんだのは、はっきりとした死のイメージ。


――兄ちゃんが来たんだ。もう大丈夫だって!

 泣きじゃくる直哉の顔が頭に浮かんできた。走馬灯と言う奴だろうか。

いじめられることの多かった直哉を、昔はこうして庇ったものだった。

 直哉を守ること。これが、彰が直哉にしてやれる唯一の「兄らしいこと」だった。そして、次第に表情が明るくなっていく直哉が、彰の兄としての存在意義だった。

 しかし、その小さな自信は、あっけなく打ち砕かれる。

「大丈夫だよ、兄ちゃん! すぐに治してくるって!」

 白い顔で笑う直哉を見て、彰は自身の無力さを呪った。

 直哉は病院で白血病と診断を受けた。医療の知識は何もない彰でも、この病の名前は知っていたし、同時に簡単に治る病ではないことも知っていた。

 弟が目の前で日に日に弱っていくのが分かった。守れるはずだった存在は、手の届かない場所へ行ってしまった。何もできない自分の無力さを何度も呪った。

 また守れないのか? このまま自分も死に、リリアも死なせるのか?

 左手にリリアの鼓動を感じる。小さいが力強い。まだ、手が届く。

 

 彰は右手の剣を投げ捨てると、リリアの体を抱えて地面を転がった。梟の剣が体を掠めていく。深い傷を負ったのが分かった。痛みを超えた熱さが全身を駆け巡る。

「剣を捨ててどうするんです? まさか、逃げ切れるとでも?」

 よろけながらも立ち上がる彰に梟が言った。

 背後は山の急斜面。梟の言う通り、ここから彼を振り切れるような策も道も無い。だが、リリアを生かすには、ここから逃げ切るしかないのだ。

「置いていって……」

 抱えたリリアが小さく呟く。

「置いてく訳ないだろ。」

「なんで……」

「弟子ってのは師匠に似るんだ。」

 そう答えると、リリアを抱える手に力を籠めた。ゆっくりと近づいて来る梟を、彰は睨みつける。

 麓の街まで行けば病院はある。だが、ここから山道を行けば、その間にリリアが力尽きてしまうかもしれない。

 残された道は背後の斜面。ここへ飛び込むことが麓の街への最短経路だ。そこまで急斜面ではないが、危険であることは確かだ。

 問題は梟がそれを追ってくるかだ。追ってこられては簡単に追いつかれてしまう。

 一か八かの賭けだが、これしか方法は無い。彰は呼吸を整えると、じりじりと斜面に近づいて行った。

「その荷物を抱えて斜面を下りるつもりですか? 私が追い付けないとでも?」

 梟はそう言うと地を蹴った。十分あったように思えた間合いが一瞬で縮まる。

――追いつかれる!

 彰がそう直感した瞬間、鎖の鳴る音が聞こえた。そして、その直後、黒く光る鎌が霧の中から梟に襲い掛かった。

 梟はその鎌を弾くが、青く輝くその鎖は梟の体に絡みつく。

「勝利を確信した瞬間、人間は一番脆くなる。そうだろ?」

「蟷螂。これはどういうつもりですか?」

 霧の中から現れたのは、淡く輝く鎖鎌を持った男だった。

 彼は、梟に刺された片足を引きずりながらもう一つの鎌を構える。

「……ただの気まぐれだ。」

「私情を捨てきれない未熟者が。」

 梟が呟くと同時、その体は鎖に引きずられて霧の中へと消えていく。

「アキラ。こいつは俺が抑えてやる。その間にそいつを連れて行け。」

「え、いや、どうしてお前が……。」

 一瞬の沈黙の後、蟷螂は答えた。

「俺は進むべき道を間違えた。お前は見失うなよ。」

 霧の中から梟が飛び出してきた。蟷螂はその剣を鎖で弾くが、梟の素早い蹴りが腹部に入る。

 梟はそのまま彰に襲い掛かろうとするが、蟷螂がその足を鎖で捕らえた。

「行け、アキラ! そいつを……リリアを頼む。」

 彰はそれに無言で頷くと、リリアを抱えて背後の斜面へと飛び込んだ。

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