16
アクレスは大きく息を吐くと剣を構えた。目の前の男は、首の捻じ曲がった兵士を地面に捨てると、ゆっくりとアクレスに向き直る。
「お前……、何者だ……?」
アクレスが尋ねると、エナスはアクレスに飛び掛かった。数メートルはあった間合いを一歩で詰める。恐るべき速度だが、アクレスにとっては反応できない速度ではない。アクレスは構えた剣で横に薙ぎ払った。
完全に捉えた。この速度からでは急には止まれない。
「なッ……!」
アクレスの口から思わず声が漏れた。エナスはアクレスの剣を腕で弾いたのである。剣を振るった手には、まるで鋼鉄を叩いたかのような硬い感触が跳ね返ってくる。
アクレスは直後に繰り出されたエナスの拳を躱すと、距離を取ろうと後方へ飛び退いた。しかし、エナスはそれに瞬時に反応し、アクレスの動きと同時に距離を詰めて拳を振るう。アクレスもそれに対応し、翻した剣で弾き返した。
この男の戦闘技術は、軍の兵士でも対応できる者は数えるほどしかいないだろう。この域まで達するには、それ以外の物を全て犠牲にするような努力が必要だ。
先ほどの爆発のせいで、少し動かす度に鈍い痛みが全身を走る。いつしか、アクレスの顔からは余裕の色が消え、額にはじんわりと汗が浮かんでいた。その一方でエナスの顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
「射撃隊、構え!」
その時、突然アクレスの背後から声が聞こえた。アクレスがチラリと後ろを確認すると、いつの間にか銃を構えた兵士がずらりと並んでいる。先日の襲撃を経験しているせいなのか、非常時の対応が早い。
アクレスは剣を握り締めた。腕輪の構築式が輝きだす。
「おらァ!」
叫んで剣を振るうと、アクレスのいた場所を大きな火柱が飲み込んだ。これにはエナスも一度距離を取るしかない。
その火柱を合図にアクレスの背後から一斉に射撃が始まる。数えきれない弾丸が火柱を貫き、エナスの体に襲い掛かった。
何とか後方へ転がり込んだアクレスは、その場にいた兵士の肩を借りながら立ち上がる。そして、荒い呼吸を整えながら前を見る。
「やったか……?」
どこかの兵士が呟いた。その場にいた誰もが、蜂の巣にされた男の姿を想像したに違いない。
少しして、立ち上る煙の中から、ぼんやりと影が浮かび上がった。その影は、小さく首を横に振ると、しっかりとした足取りで歩いてくる。
「おいおい、冗談だろ……。」
アクレスが思わず呟いた。
砂煙の中から姿を現したその男は、服こそボロボロになっていたものの、一滴の血も流していなかったのである。彼の体には掠り傷一つ付いていない。破れた服の穴から見えた彼の肌には、弾痕の代わりに構築式の刺青が見えていた。
そのまま涼しい顔で全員の前に進み出ると、彼は再び拳を構えた。それを見たアクレスは、右手に付けた腕輪に左手を添える。
「そこまでだ、エナス。」
その時、彼の背後から男の声が響いた。
「もう見たいものは十二分に見た。さすがにこれでは多勢に無勢だ。さ、後は他の役者に任せて、我々は観客席へと戻ろう。」
瓦礫の陰で男が言うと、エナスはだらりと両腕を下げた。これ以上戦う気は無いらしい。隙だらけだが、あの弾丸の雨を無傷で生還した男に銃を向ける兵士は居なかった。
「おい! 待て!」
アクレスは歯を食いしばりながら二人に剣を構えると、ゆっくりと立ち去っていく二人に叫んだ。
「お前たちは何者だ! 答えろ!」
すると、前を歩いていた男が振り返ってニヤリと笑って答えた。
「私は『戦争屋』と呼ばれている者だ。主に武器を斡旋している。君たちも銃やら剣やらが必要になったら連絡したまえ。少し割引してあげよう。」
そして、彼らは不気味な笑い声を残して立ち去って行った。
◇◇◇
マサを見送った彰は、一人、眼下の街を見下ろした。
アクレスとシスティアがいるはずの駐屯地からは、いくつもの煙が立ち上っている。マサが向かったのもそこだろう。
街へ降りてくるな、とは言われたが、何度か爆発の音を聞かされていると不安にもなる。
「まぁ、とりあえずは……、リリアのとこ行くか。」
リリアは母屋の方で寝ているはずだ。彰は木刀を拾い上げる。
マサとの剣の修業は、道場が汚いからという理由で、道場から少し離れた場所で行われていた。ここから母屋までは歩いて数分だ。
彰は木刀を置くと、木に立てかけていた真剣を手に取った。木刀で慣れていたせいか、ずっしりとした重みが手にかかる。これを持つと、肉を斬る感触が生々しく蘇ってくる。だがその感触も、何度か経験するうちに不思議と慣れて行ってしまった。
だが、あの時の狼の顔は、死を目の前にした人間の顔は今でも瞼の裏に焼き付いている。
狼という九頭龍の幹部を斬った後も、この月島に来るまでに何度か化け物の相手をした。犬や猿、中には兎の姿をした化け物も居たが、どれも獰猛な性格だった。
ここが未来の日本だとして、これらの生物の存在は明らかに異質だ。何年経っているのかは知らないが、この世界には普通の犬や猿も居る。それらが単純に進化したものとは考えにくい。
「……ずいぶん探したぞ。お前がアキラだな。」
彰はその声に振り向く。
「誰ですか。」
立っていたのは若い男だ。マントで身を包んでいるせいで、何を隠し持っているか分からない。だが、フードの下からは、隠しきれない殺気が漏れていた。
間違いない。この男は転移者狩りだ。
彰は剣の柄を握りしめた。それを見た男は、小さく笑った。
「察しが良いな。」
「……九頭龍か?」
「そうだ。蟷螂と呼ばれている。」
男が被っていたマントを取ると、その右耳で小さな耳飾りが揺れた。
彼の両手に握られていたのは大きな鎌のついた鎖鎌だ。強くなった殺気を敏感に感じ取った彰は、すぐに剣を抜いて構えた。
「知っても、なお逃げずに向かってくるか。」
「あの英雄、逃げ方を教えてくれないんでね。」
現在の二人の距離では、ぎりぎり剣が届かない。対して、鎖鎌であれば容易に彰の急所に手が届く距離だ。間合いを詰めなければ攻撃できない。
螳螂は彰に鎌を投げた。彰は同時に地を蹴る。鎌と剣がぶつかり合い、激しい火花が散った。
休む間もなく繰り返される猛攻に何とか対応しながら、彰は気付いた。
動きが見える。
風を斬る音、鎖の鳴る音、蟷螂の視線、殺気。あらゆるものが一つの流れとなって、鎌の向かう先を教えてくれる。それさえ分かれば、あとは避けるだけだ。
彰は剣を強く握り、一気に距離を詰めた。確かに相手は強いが、実力差はほとんど感じない。それどころか、相手の動きの中で、幾つか隙を見出せていた。
倒せる。
アクレスとマサの修業は、確実に彰の身に付いている。剣を振りながら、彰は思わず頬を緩めた。
二つの鎌を捌くと、敵の体はガラ空きになった。大きな隙だ。彰は素早く相手の懐に潜り込む。この間合いに入ってしまえば、攻撃できる。その剣を振り上げる刹那、蟷螂と目が合った。そして気付いた。
この目は死を悟った人間の目ではない。むしろその逆。勝利を確信した人間の目だ。
彰は咄嗟に身を引こうとするが、もう遅かった。淡く輝く鎖が、彰の首元にスルスルと巻き付いていく。そのまま首を絞めあげると、鎖は鞭のように動いて、彰の体を地面に叩きつけた。
「人間ってのは、勝ったと思い込んだ瞬間が一番脆い。英雄には習わなかったか?」
蟷螂がそう言うと、鎖はより強く彰の首を絞めつけた。必死に解こうとするが、まるで歯が立たない。
彰は誘い込まれたのだ。彰の見出したと思っていた隙は、蟷螂が故意に見せていたものに過ぎない。全ては彰の油断を誘うためである。
彰がそれまで感じていた自信は、一瞬にして絶望へと変わった。
一人で戦えるようになるために、死に物狂いで修業した。流れを読む術も知り、体得した。マサとの修行でも、日を追うごとに怪我の数が減っていた。自分が強くなっていく、という事をわずかながらに実感していた。
しかし、結果がこのザマである。
「少し修行を積んだらしいが、本当に『少し』だったようだな。殺しはしない。安心して眠れ。」
蟷螂の声が遠くなる。鎖を掴む手から力が抜ける。
だが突然、鎖は死んだように緩まった。そして、何者かがジャラジャラと音を立てながら鎖を外していく。
「早く立って、剣を握って! このまま眠ってたら、またアクレスに叱られるよ!」
視界に入ったのは、見馴れたボロボロの小さい手。いつもこの手に救われてきた。
「ありがとう、リリア。また助けられた。」
「お礼言われるのも、これで何度目だろうね。」
彰がその手を掴むと、リリアはその体を引き上げた。
前を見ると、蟷螂が地面に突っ伏して倒れている。どうやら彼の背後からリリアが蹴飛ばしたらしい。鎖が緩んだのも、そのせいだろう。
蟷螂はすぐに起き上がると、両手を広げた。それに呼応するようにして鎖は淡く輝き、鎌はすっぽりと彼の手に収まる。
「リリア、邪魔をするな。」
蟷螂がそう言うと、リリアは一歩前に出た。
「……アキラ君には手を出さないで。」
「そうはいかない。依頼の放棄は許されない。イリヤ・アキラは必ず連れて行く。」
「それなら……、アタシを殺してからにして。」
「お、お前、何言ってんだよ!」
敵は九頭龍だ。リリアも標的のはずである。
しかし、リリアはチラリと振り返って彰を制止した。ただ、その目には若干の恐怖が見えた。
蟷螂は二人に鎌を向ける。
「最後の警告だ。そこを退け。」
「……言ったでしょ。アタシを殺してからにして。」
その言葉を聞いて、蟷螂は鎌を投げた。
「避けろ!」
彰は叫ぶが、リリアは微動だにしない。このままでは本当に殺されてしまう。
だが、刃先がリリアに達する直前。それは急に方向を変え、リリアの頬を掠め飛んでいった。
「リリア、退いてくれ……。」
蟷螂は絞り出すような声で言った。リリアはこらえていた息を吐き出す。
「……今回は見逃して。」
「それは……」
「それはいけませんね。」
柔和な声が聞こえたかと思うと、薄い幕が下りるように辺りに白い霧が立ち込めた。霧の向こうに見える蟷螂の陰の向こう、木々の陰から新たに一つ細い人影が浮かび上がった。
その人影は細い剣をクルリと回して見せると、その剣先を地面に突き立てる。その刀身は、遠目にも淡く輝いているのが見えた。おそらく彼の魔法具だろう。
「貴方の言動が少し気になったので後をつけて来ました。そのまま二人を仕留めるのならば私も黙っていましたが、どうも違うらしい。」
「ふ、梟……。」
蟷螂が小さくそう言うと、梟と呼ばれた細身の男は彼の足を細剣で突き刺した。蟷螂はその場にうずくまる。
「我々は依頼のまま対象を殺す一個の暴力装置であるべきです。それが、個人的な感情によって行動を左右されてはいけない。」
目の前の梟という男は白いハンカチで剣に着いた血を拭うと、その剣をリリアに向けた。
「今まで、よく生きてこられましたね。」
「生きてちゃ悪かった?」
「えぇ。もちろんです。」
梟は剣をクルクルと回しながら答えた。
「貴方は他人を不幸にする人間です。あなたに関わった人間は、総じて不幸な目に会っている。例の孤児院の女性もその一人だ。」
リリアの表情が固まった。
「気立ての良い、美しい女性です。貴方さえ居なければ、彼女は孤児たちと共に幸せな人生を送っていたはずでしょうね。ただ、貴方に出会ってしまったせいで、狼に孤児院を破壊され、負わなくても良かった傷を負ってしまった。」
「レイナおばさんに何をした!」
「何もしてませんよ。まだ、ね。」
リリアの呼吸が荒くなる。
「ただ、貴方のせいで、大小はあれど、不幸な目に会った人間は多いでしょう。貴方は不幸を振りまいているんです。貴方さえ居なければ、一体どれだけの人間が幸せに過ごせていたか、考えたことはあるでしょう? 貴方はそれに気付いていたはずだ。」
梟は再び言った。
「今まで、よく生きてこられましたね。」
リリアの両足から力が抜けた。脳内で様々な記憶がフラッシュバックする。
これまでの人生において、「自分の物」は父親から貰った魔法具だけだ。他の物は、全て誰かから盗んだ「他人の物」だった。
身の回りが「他人の物」で溢れてくるにつれて、自分自身の存在が希薄になっていくように思えた。
私が盗んだものの中には、きっと誰かの思い出の品もあっただろう。私が盗んだせいで、ひどく悲しんでいるに違いない。
そんな中、自身を家族として迎え入れてくれたレイナは、リリアにとっては唯一の心の支えだった。やっと、自分の存在を認めてもらえた気がしたのだ。
しかし、そのレイナも自分のせいで襲われてしまった。私が居なければ、レイナは襲われることもなく、幸せに暮らせていただろう。
この世界は不幸に溢れていると思っていたが、実は私自身が不幸を振りまいているのでは……
「リリア!」
声に続いて金属のぶつかり合う音が聞こえた。リリアが顔を上げると、彰の背中が目に入る。泥だらけでボロボロで、頼りない背中。
「あいつの出鱈目に耳貸すな! 何度俺の命を救ったと思ってんだ! お前のお陰で俺は生きてんだぞ!」
彰は梟の剣を弾き返すと、ゆっくりと息を吐きながら構えた。
「リリア、戦えるか? また、いつもみたいに助けてくれ。俺にはお前が必要なんだ。」
リリアは小さく笑うと、両足に着いた土を払って立ち上がる。そして、彰の横に並ぶと、自信に満ちた声で「もちろん」と答えた。




