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 アクレスは大きく息を吐くと剣を構えた。目の前の男は、首の捻じ曲がった兵士を地面に捨てると、ゆっくりとアクレスに向き直る。

「お前……、何者だ……?」

 アクレスが尋ねると、エナスはアクレスに飛び掛かった。数メートルはあった間合いを一歩で詰める。恐るべき速度だが、アクレスにとっては反応できない速度ではない。アクレスは構えた剣で横に薙ぎ払った。

 完全に捉えた。この速度からでは急には止まれない。

「なッ……!」

 アクレスの口から思わず声が漏れた。エナスはアクレスの剣を腕で弾いたのである。剣を振るった手には、まるで鋼鉄を叩いたかのような硬い感触が跳ね返ってくる。

 アクレスは直後に繰り出されたエナスの拳を躱すと、距離を取ろうと後方へ飛び退いた。しかし、エナスはそれに瞬時に反応し、アクレスの動きと同時に距離を詰めて拳を振るう。アクレスもそれに対応し、翻した剣で弾き返した。

 この男の戦闘技術は、軍の兵士でも対応できる者は数えるほどしかいないだろう。この域まで達するには、それ以外の物を全て犠牲にするような努力が必要だ。

 先ほどの爆発のせいで、少し動かす度に鈍い痛みが全身を走る。いつしか、アクレスの顔からは余裕の色が消え、額にはじんわりと汗が浮かんでいた。その一方でエナスの顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。

「射撃隊、構え!」

 その時、突然アクレスの背後から声が聞こえた。アクレスがチラリと後ろを確認すると、いつの間にか銃を構えた兵士がずらりと並んでいる。先日の襲撃を経験しているせいなのか、非常時の対応が早い。

 アクレスは剣を握り締めた。腕輪の構築式が輝きだす。

「おらァ!」

 叫んで剣を振るうと、アクレスのいた場所を大きな火柱が飲み込んだ。これにはエナスも一度距離を取るしかない。

 その火柱を合図にアクレスの背後から一斉に射撃が始まる。数えきれない弾丸が火柱を貫き、エナスの体に襲い掛かった。

 何とか後方へ転がり込んだアクレスは、その場にいた兵士の肩を借りながら立ち上がる。そして、荒い呼吸を整えながら前を見る。

「やったか……?」

 どこかの兵士が呟いた。その場にいた誰もが、蜂の巣にされた男の姿を想像したに違いない。

 少しして、立ち上る煙の中から、ぼんやりと影が浮かび上がった。その影は、小さく首を横に振ると、しっかりとした足取りで歩いてくる。

「おいおい、冗談だろ……。」

 アクレスが思わず呟いた。

 砂煙の中から姿を現したその男は、服こそボロボロになっていたものの、一滴の血も流していなかったのである。彼の体には掠り傷一つ付いていない。破れた服の穴から見えた彼の肌には、弾痕の代わりに構築式の刺青が見えていた。

 そのまま涼しい顔で全員の前に進み出ると、彼は再び拳を構えた。それを見たアクレスは、右手に付けた腕輪に左手を添える。

「そこまでだ、エナス。」

 その時、彼の背後から男の声が響いた。

「もう見たいものは十二分に見た。さすがにこれでは多勢に無勢だ。さ、後は他の役者に任せて、我々は観客席へと戻ろう。」

 瓦礫の陰で男が言うと、エナスはだらりと両腕を下げた。これ以上戦う気は無いらしい。隙だらけだが、あの弾丸の雨を無傷で生還した男に銃を向ける兵士は居なかった。

「おい! 待て!」

 アクレスは歯を食いしばりながら二人に剣を構えると、ゆっくりと立ち去っていく二人に叫んだ。

「お前たちは何者だ! 答えろ!」

 すると、前を歩いていた男が振り返ってニヤリと笑って答えた。

「私は『戦争屋』と呼ばれている者だ。主に武器を斡旋している。君たちも銃やら剣やらが必要になったら連絡したまえ。少し割引してあげよう。」

 そして、彼らは不気味な笑い声を残して立ち去って行った。


◇◇◇


 マサを見送った彰は、一人、眼下の街を見下ろした。

 アクレスとシスティアがいるはずの駐屯地からは、いくつもの煙が立ち上っている。マサが向かったのもそこだろう。

 街へ降りてくるな、とは言われたが、何度か爆発の音を聞かされていると不安にもなる。

「まぁ、とりあえずは……、リリアのとこ行くか。」

 リリアは母屋の方で寝ているはずだ。彰は木刀を拾い上げる。

 マサとの剣の修業は、道場が汚いからという理由で、道場から少し離れた場所で行われていた。ここから母屋までは歩いて数分だ。

 彰は木刀を置くと、木に立てかけていた真剣を手に取った。木刀で慣れていたせいか、ずっしりとした重みが手にかかる。これを持つと、肉を斬る感触が生々しく蘇ってくる。だがその感触も、何度か経験するうちに不思議と慣れて行ってしまった。

 だが、あの時の狼の顔は、死を目の前にした人間の顔は今でも瞼の裏に焼き付いている。

 狼という九頭龍の幹部を斬った後も、この月島に来るまでに何度か化け物の相手をした。犬や猿、中には兎の姿をした化け物も居たが、どれも獰猛な性格だった。

 ここが未来の日本だとして、これらの生物の存在は明らかに異質だ。何年経っているのかは知らないが、この世界には普通の犬や猿も居る。それらが単純に進化したものとは考えにくい。

「……ずいぶん探したぞ。お前がアキラだな。」

 彰はその声に振り向く。

「誰ですか。」

 立っていたのは若い男だ。マントで身を包んでいるせいで、何を隠し持っているか分からない。だが、フードの下からは、隠しきれない殺気が漏れていた。

 間違いない。この男は転移者狩りだ。

 彰は剣の柄を握りしめた。それを見た男は、小さく笑った。

「察しが良いな。」

「……九頭龍か?」

「そうだ。蟷螂と呼ばれている。」

 男が被っていたマントを取ると、その右耳で小さな耳飾りが揺れた。

 彼の両手に握られていたのは大きな鎌のついた鎖鎌だ。強くなった殺気を敏感に感じ取った彰は、すぐに剣を抜いて構えた。

「知っても、なお逃げずに向かってくるか。」

「あの英雄、逃げ方を教えてくれないんでね。」

 現在の二人の距離では、ぎりぎり剣が届かない。対して、鎖鎌であれば容易に彰の急所に手が届く距離だ。間合いを詰めなければ攻撃できない。

 螳螂は彰に鎌を投げた。彰は同時に地を蹴る。鎌と剣がぶつかり合い、激しい火花が散った。

 休む間もなく繰り返される猛攻に何とか対応しながら、彰は気付いた。

 動きが見える。

 風を斬る音、鎖の鳴る音、蟷螂の視線、殺気。あらゆるものが一つの流れとなって、鎌の向かう先を教えてくれる。それさえ分かれば、あとは避けるだけだ。

 彰は剣を強く握り、一気に距離を詰めた。確かに相手は強いが、実力差はほとんど感じない。それどころか、相手の動きの中で、幾つか隙を見出せていた。

 倒せる。

 アクレスとマサの修業は、確実に彰の身に付いている。剣を振りながら、彰は思わず頬を緩めた。

 二つの鎌を捌くと、敵の体はガラ空きになった。大きな隙だ。彰は素早く相手の懐に潜り込む。この間合いに入ってしまえば、攻撃できる。その剣を振り上げる刹那、蟷螂と目が合った。そして気付いた。

 この目は死を悟った人間の目ではない。むしろその逆。勝利を確信した人間の目だ。

 彰は咄嗟に身を引こうとするが、もう遅かった。淡く輝く鎖が、彰の首元にスルスルと巻き付いていく。そのまま首を絞めあげると、鎖は鞭のように動いて、彰の体を地面に叩きつけた。

「人間ってのは、勝ったと思い込んだ瞬間が一番脆い。英雄には習わなかったか?」

 蟷螂がそう言うと、鎖はより強く彰の首を絞めつけた。必死に解こうとするが、まるで歯が立たない。

 彰は誘い込まれたのだ。彰の見出したと思っていた隙は、蟷螂が故意に見せていたものに過ぎない。全ては彰の油断を誘うためである。

 彰がそれまで感じていた自信は、一瞬にして絶望へと変わった。

 一人で戦えるようになるために、死に物狂いで修業した。流れを読む術も知り、体得した。マサとの修行でも、日を追うごとに怪我の数が減っていた。自分が強くなっていく、という事をわずかながらに実感していた。

 しかし、結果がこのザマである。

「少し修行を積んだらしいが、本当に『少し』だったようだな。殺しはしない。安心して眠れ。」

 蟷螂の声が遠くなる。鎖を掴む手から力が抜ける。

 だが突然、鎖は死んだように緩まった。そして、何者かがジャラジャラと音を立てながら鎖を外していく。

「早く立って、剣を握って! このまま眠ってたら、またアクレスに叱られるよ!」

 視界に入ったのは、見馴れたボロボロの小さい手。いつもこの手に救われてきた。

「ありがとう、リリア。また助けられた。」

「お礼言われるのも、これで何度目だろうね。」

 彰がその手を掴むと、リリアはその体を引き上げた。

 前を見ると、蟷螂が地面に突っ伏して倒れている。どうやら彼の背後からリリアが蹴飛ばしたらしい。鎖が緩んだのも、そのせいだろう。

 蟷螂はすぐに起き上がると、両手を広げた。それに呼応するようにして鎖は淡く輝き、鎌はすっぽりと彼の手に収まる。

「リリア、邪魔をするな。」

 蟷螂がそう言うと、リリアは一歩前に出た。

「……アキラ君には手を出さないで。」

「そうはいかない。依頼の放棄は許されない。イリヤ・アキラは必ず連れて行く。」

「それなら……、アタシを殺してからにして。」

「お、お前、何言ってんだよ!」

 敵は九頭龍だ。リリアも標的のはずである。

 しかし、リリアはチラリと振り返って彰を制止した。ただ、その目には若干の恐怖が見えた。

 蟷螂は二人に鎌を向ける。

「最後の警告だ。そこを退け。」

「……言ったでしょ。アタシを殺してからにして。」

 その言葉を聞いて、蟷螂は鎌を投げた。

「避けろ!」

 彰は叫ぶが、リリアは微動だにしない。このままでは本当に殺されてしまう。

だが、刃先がリリアに達する直前。それは急に方向を変え、リリアの頬を掠め飛んでいった。

「リリア、退いてくれ……。」

 蟷螂は絞り出すような声で言った。リリアはこらえていた息を吐き出す。

「……今回は見逃して。」

「それは……」

「それはいけませんね。」

 柔和な声が聞こえたかと思うと、薄い幕が下りるように辺りに白い霧が立ち込めた。霧の向こうに見える蟷螂の陰の向こう、木々の陰から新たに一つ細い人影が浮かび上がった。

 その人影は細い剣をクルリと回して見せると、その剣先を地面に突き立てる。その刀身は、遠目にも淡く輝いているのが見えた。おそらく彼の魔法具だろう。

「貴方の言動が少し気になったので後をつけて来ました。そのまま二人を仕留めるのならば私も黙っていましたが、どうも違うらしい。」

「ふ、梟……。」

 蟷螂が小さくそう言うと、梟と呼ばれた細身の男は彼の足を細剣で突き刺した。蟷螂はその場にうずくまる。

「我々は依頼のまま対象を殺す一個の暴力装置であるべきです。それが、個人的な感情によって行動を左右されてはいけない。」

 目の前の梟という男は白いハンカチで剣に着いた血を拭うと、その剣をリリアに向けた。

「今まで、よく生きてこられましたね。」

「生きてちゃ悪かった?」

「えぇ。もちろんです。」

 梟は剣をクルクルと回しながら答えた。

「貴方は他人を不幸にする人間です。あなたに関わった人間は、総じて不幸な目に会っている。例の孤児院の女性もその一人だ。」

 リリアの表情が固まった。

「気立ての良い、美しい女性です。貴方さえ居なければ、彼女は孤児たちと共に幸せな人生を送っていたはずでしょうね。ただ、貴方に出会ってしまったせいで、狼に孤児院を破壊され、負わなくても良かった傷を負ってしまった。」

「レイナおばさんに何をした!」

「何もしてませんよ。まだ、ね。」

 リリアの呼吸が荒くなる。

「ただ、貴方のせいで、大小はあれど、不幸な目に会った人間は多いでしょう。貴方は不幸を振りまいているんです。貴方さえ居なければ、一体どれだけの人間が幸せに過ごせていたか、考えたことはあるでしょう? 貴方はそれに気付いていたはずだ。」

 梟は再び言った。

「今まで、よく生きてこられましたね。」

 リリアの両足から力が抜けた。脳内で様々な記憶がフラッシュバックする。


 これまでの人生において、「自分の物」は父親から貰った魔法具だけだ。他の物は、全て誰かから盗んだ「他人の物」だった。

 身の回りが「他人の物」で溢れてくるにつれて、自分自身の存在が希薄になっていくように思えた。

 私が盗んだものの中には、きっと誰かの思い出の品もあっただろう。私が盗んだせいで、ひどく悲しんでいるに違いない。

 そんな中、自身を家族として迎え入れてくれたレイナは、リリアにとっては唯一の心の支えだった。やっと、自分の存在を認めてもらえた気がしたのだ。

 しかし、そのレイナも自分のせいで襲われてしまった。私が居なければ、レイナは襲われることもなく、幸せに暮らせていただろう。

 この世界は不幸に溢れていると思っていたが、実は私自身が不幸を振りまいているのでは……


「リリア!」

 声に続いて金属のぶつかり合う音が聞こえた。リリアが顔を上げると、彰の背中が目に入る。泥だらけでボロボロで、頼りない背中。

「あいつの出鱈目に耳貸すな! 何度俺の命を救ったと思ってんだ! お前のお陰で俺は生きてんだぞ!」

 彰は梟の剣を弾き返すと、ゆっくりと息を吐きながら構えた。

「リリア、戦えるか? また、いつもみたいに助けてくれ。俺にはお前が必要なんだ。」

 リリアは小さく笑うと、両足に着いた土を払って立ち上がる。そして、彰の横に並ぶと、自信に満ちた声で「もちろん」と答えた。

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