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03.がりがりたべる

 晩ごはんを食べたら、お風呂の時間。


 身体と頭を洗ってから僕が湯船につかると、一緒に入っていたお父さんが「ちょっと待ってろよ」と言ってお風呂から出て行った。

 と思ったら、すぐに戻ってくる。その手には、長方形の袋が二つ握られていた。


「食べるぞ」


 そう言って目の前に突き出されたものを、僕は反射的に受け取ってしまった。

 それは、持っていた袋の片方から取り出された、棒付きのイチゴアイス――お母さんのお気に入りだ。お父さんも、棒付きのあずきアイスをもう一つの袋から取り出して、すでに口にくわえていた。


「おかあさんに怒られるよ。『お風呂で食べるなんてお行儀が悪い』って」

「お風呂で食べたなんて、言わなきゃバレない」


 僕の言葉に、お父さんが答えながらにやりと笑う。それは、何か悪い事を考えるときにお父さんがいつも見せる笑い方だった。


 もう袋から出されてしまったアイスを取っておく事は出来ない。僕はお父さんがしているみたいにそれを口にくわえた。舌に当たるつぶつぶしたイチゴの食感が、ちょっと面白い。


 お父さんが、僕と向かい合わせになる場所に腰を下ろした。ざぶん、と湯船に大きな波が立つ。

 くわえたアイスを、お父さんはがりがりとかじっている。お父さんはこのあずきのアイスが好きだけど、僕は硬いから苦手だ。イチゴアイスの方が、ちょっと柔らかくて、甘酸っぱくて、美味しいと思う。


「……別に、無理してお兄ちゃんになる必要なんて、ないんだぞ」


 がりっとアイスを噛み砕いて、お父さんがそんな事を言った。


「お父さんも……お母さんも。お前にお兄ちゃんになれ、なんて言ってないだろ?」


 そう聞かれて、僕はちょっと考えてからこくん、と頷く。


 僕の事を『お兄ちゃん』と呼ぶのは、この家ではたった一人、僕だけだ。大きくなったお母さんのお腹をそうっと撫でながら、僕が赤ちゃんに『おにいちゃんだよ』と自己紹介していただけ。


 担任の先生に『お兄ちゃんになるんだね』と言われて、お母さんについて行った病院で看護師さんに『お兄ちゃんは偉いね』と褒められて、僕が勝手に僕の事を『お兄ちゃん』と呼んでいただけ。お父さんもお母さんも、僕を『お兄ちゃん』とは呼ばなかった。


「それに、お母さんは赤ちゃんだけのお母さんになるわけじゃない。お前のお母さんでもあるんだから」


 そう言ってお父さんがまた、あずきアイスをかじった。

 がりがり、がりがり。もうアイスは半分くらいなくなっていて、上からもちょっとだけ棒が見えている。


「だから、寂しい時は寂しいって言っていいし、泣いたっていいんだからな」


 僕はアイスをかじりながら、もう一度こくんと頷く。

 口の中にイチゴとミルクと練乳の味がいっぱいに広がっているけれど、また鼻の奥がつんとして、それが良く分からなくなってしまった。




 アイスを食べ終わってお風呂を出て、タオルで身体を拭いていたら、隣で同じように身体を拭いていたお父さんが「そうだ」と何かを思いついたように言った。


「明日はお前も、お母さんのお見舞いに行くか?」

「……行く」


 ちょっとだけ考えてから、僕は頷く。

 お母さんの事を考えると、まだちょっと胸の奥がじんじんするけど、さっきまでみたいに苦しくなる事はない。明日お母さんに会っても、僕はきっと泣かないで済むと思う。


「おとうさん」


 だから僕は、身体を拭くのを止めてお父さんの顔を見上げて、お願いをする。


「さっき僕が泣いた事、おかあさんには言わないで」


 お父さんは泣いてもいいと言っていたけれど、僕はもう二年生だ。お母さんがいないのが寂しくて泣くなんて、やっぱりすごくかっこ悪くて恥ずかしい。


 すでにパジャマのズボンを履いていたお父さんは、上着に袖を通しながら僕の顔を見下ろして、ちょっとびっくりしたような表情になって。それからまた、悪い事を考えたみたいに、にやりと笑った。


「えー……どうしようかなぁ?」


 からかうような調子で、ちょっと意地悪い声でお父さんはそんな事を言ったけど、僕は落ち着いて言い返す。


「もし言ったら、おとうさんがお風呂でアイス食べた事、僕もおかあさんに言う」

「……お前も共犯だぞ?」

 

 僕の言葉にお父さんは、む、と眉間にしわを寄せて、念押しするみたいな反論を返して来た。

 だけど、僕はひるまない。だってこっちには、切り札があるから。


「僕はおとうさんに脅されて、仕方なく食べたって言う」

「……ぐ」

「しかも、おかあさんのイチゴアイスを食べさせられたって」


 僕のチョコモナカアイスだって冷凍庫にはちゃんと入ってるのに、お母さんのイチゴアイスを持って来たのはお父さんだ。それに、僕が食べるとも食べないとも言わないうちに、お父さんはアイスの袋を開けてしまった。

 だから脅された、というのはさすがに大げさだけど、お父さんが、僕がアイスを食べなきゃいけない状況にしたのは本当の事だと思う。


 しばらくの間、お父さんはじとっと拗ねたみたいな目で僕の顔を見つめていたけれど――やがて観念したように、大きなため息をつく。


「お前、そういうところで妙に頭いいよな……」


 それからお父さんは、ちょっと呆れたような声でそんな事を言ったけど。

 褒められたのかそうでないのか良く分からなくて、僕はあいまいに頷いてそれに応えた。

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