第46決別
目を瞑る。
探すのは記憶の奥に押し込み隠した悪夢の1日。
瞬間、悪夢は脳裏で閃光のように映し出された後闇に消えていき、辛い思い出の余韻が胸をキュッと締め付けた。
確認のためにやったが、やはり心が準備不足らしく、これくらいのことでダメージを食らっている。
「晶花ちゃん…?」
私の隣にいたレーナさんが困惑顔でこちらを覗き見てくる。
「何でもない」
そう言うと、私は小さく深呼吸した。
「知り合いは、事情があって人との関りを断っていたわ。両親がいて、他にも頼れる人がいて、特別寂しい訳でもなかった」
頼れる人とは師匠のことだけれど、まさしくその通りだ。
師匠がいなければ、今頃どうなっていただろう。正直考えたくもない。
私は、あくまでも知人の話をしているという体を保ちつつ、自分の話を続けた。
「けど、ある日その知り合いに友達なんてものが1人出来たの。…それ以来、2人は一緒にいるようになったわ」
私とは違って、絆は活発で明るく、私はいつもそれに振り回されていた。ただ、その時の私は。
「楽しかった……って知り合いは言ってた」
両親といる時や師匠といる時に感じるのとは、また別の心地良さがあったのだ。温もりを感じたのだ。
世界が広がり、色づき煌めいた。
孤独でないことが、誰かが傍らで微笑んでくれることが、どれだけ私の心を救っただろう。
たったそれだけのことで、今まで見えていた世界が変わったのだ。
「けどッ……けど………」
その言葉を出そうとすればするほど喉奥で溜まって、息が詰まりそうな苦しみが私を襲う。
太股に置いた両手が、ズボンの布を思い切り握り締めた。
目に溜まった涙も、流さないよう必死に堪えた。
言えるはずだ、過去を見つめ直したいと決めたのは私なのだから。
「中学3年の修学旅行で、裏切られた…。誘拐事件でね…。2人とも連れ去られて、生きるか死ぬかを犯人に迫られたらしいわ」
頭に焼き付いたあの犯人の―――奴の狂った笑み。
奴は私と絆に散々傷を負わせ、精神が消耗しきった後にこう言った。
『今から10分時間を差し上げます。その間に2人のうちのどちらかが逃走した場合、逃走した方はそのままお逃げください。その代わり、残った方には魂ごと消えてもらいます。―――なお、2人とも逃走に及んだ場合、逃走権は早い者勝ちとなりますのでご承知おきを。クフフッ』
意味が、意味が分からなかった。
あの時私が目にしたのは、狂人。
それ以外の何と表現すればいいのだろうか。
「結果、逃げたのは知り合いの友達の方だった…」
伏せるべき内容は伏せ、過去を語った私は押し黙った。胸の痛みが加速する。思い出したくもない記憶に、心が殴られて。
「……辛い、ことがあったんだね」
「えぇ…。そうだった…みたい」
「他人事みたいに言っちゃダメだよ」
「…知ってたの?」
「まさか。でも、知らなくても顔を見てたら分かるよ。それくらいはね」
包み込むような笑みで、レーナさんは言った。
「それから距離を置くようになって、完全に離別して、そして分からなくなった。どうすればいいのかが…」
けれど、胸の痛みは?苦しみは?
どうにも出来ない、でもどうにかしたい。
八方塞がりだ。
「―――だったら、忘れちゃえばいいんだよ。辛かったことも、楽しかったことも、全部全部忘れちゃえば」
「え、な…な、何を言って……」
時が止まったような、あるいは世界が氷結したような感覚。
今のはレーナさんの言葉だった。
けれど。
「言葉の通りだよ」
冷えた声だった。
それが今の今まで隣にいた人物のものだと一瞬気付かない程に冷えた。
「辛いんだよね?裏切られて、人を信じられなくなって…。でも、考え方を変えれば、こうも言えるよね?その程度で切れる絆だった、って。だから、何もかもを忘―――」
気が付けば、彼女の頬を右手が平手打ちしていた。
「………ないでッ」
心の底から、魂の奥から、言いようもない怒りが湧き上がって来る。
止められない、止めるつもりもない、止めていいはずがない!
「知りもしないでッ!決めつけるな!」
何があろうと、誰が何と言おうと、絆と過ごした時間は本物だった。
私の大切な思い出だった。
それが偽物だったなどと、誰にも言わせはしない!
絆はそこにあった。簡単には砕けない、強固な絆が。
だから。
「忘れていいはずが……―――――ッ!!」
夏の夜風が横から殴り付けるように吹き、少女の金色の前髪を揺らめかせる。
露になったその青い双眸は僅かに細くなっていた。
呼吸が止まる。
「酷いこと言ってごめん。…でも、分かったでしょ?それが晶花ちゃんの『譲れない本音』の部分なんだよ」
「―――ッ!」
「『信じたい』って本当の気持ちは、確かに胸の中にあるんだから。だから、その気持ちは大事にしてあげるべきだって、そう思うの」
感情論だ、危うい思考だ。
でも、それでも…。
「……いい、の?また、裏切られるかもしれないのに」
「そうだね…それは怖いし、悲しい。でも、その分良いことだってあるはずなんだよ。だから少し、少しだけでいい―――持ってみようよ、勇気を」
柔らかな笑みのレーナさんを前に、私は沈黙のまま顔を背けた。
知らず知らずのうちに本当の気持ちを抑え込んでいた。いや、分かっていたはずなのに目を背けていたのだ。
その僅かな勇気が持てなかったことが原因で。
「あなた達と関わっている内に、どうかしちゃったのかしら…私」
過去に縛られ、恐れ、塞ぎこんでいた。
けれど、今は少し違う。
胸に秘めたこの想いを、受け入れろと、そう言われた。
だったら私は。もしも、もしも再び、絆とあの頃の関係に戻れるならば私は―――。
レーナさんに顔を向け、そして私は言った。
「向き合うくらいは…しないとね?―――本音ってものと」
その言葉に、うんっ、とレーナさんは頷いて言う。
「応援してるよ」
「……出来るなら、そばで……―――な、何でもない…ッ」
「そっか…うれしいな……」
無意識に口にしかけた言葉を途中で有耶無耶にしたつもりだったけれど、どうやら伝わっていたようで、私はそれが恥ずかしくて堪らなかった。
何とも地獄耳な知り合いを持ってしまった。
…でも、いつかこの子とも―――。
「さ、そろそろ帰りましょ?」
「うん、そだね」
そう言って、私たちは席を立って歩き出し――――――。
瞬間、前方より放たれた白い光が頬を掠めた。
「…………………ぇ?」
見ては…いけない気がした。
何が起こったのか、本当は分かっているのに、恐怖に染まった心がそれの知覚を拒んでいる。
けれど、頬に出来た傷口から流れ落ちる自身の血を感じながら、私はおもむろに振り向いて怯えた視線を彷徨わせた。
荒く、暴れる呼吸。
「う、そ……」
視界の先に映った、吹き飛び壊れたベンチ。土煙が上がっている所為でその全体は見えない。
しかし、見てしまった。ベンチの下敷きになっている―――その体の一部を。
「…レ、レーナさ―――」
「よぉそ見は…ぃいけねぇなァ!」
攻撃を受けた時点で気付くべきだった。
これは奇襲。これは危機。
恐怖で思考を散らしている暇など、私にはなかった。
振り向く。
視線の先、距離にして拳2つ分。
射抜くような鋭い目の男が私の眼前で―――狂笑を浮かべていた。
「ひッ…!」
男の手が、こちらに迫ってくる。
思わず瞼を閉じてしまう。
しかし。
「させ…ないッ!」
聞こえた声に目を開くと、夜の公園に金髪の髪が靡いていた。
そう、レーナさんが私の目の前に飛び出し、男に殴り掛かったのだ。
吹き飛んだ男は、しかし、不気味な笑みを崩さずにいた。
「キヒッ…!さァ…さァ、さァ、さァッ!―――悪夢の始まりといこうかァ!!」
どうも、文月です!
…投稿遅延(1週間遅れ)、や、やってしまいました。
すみません、ちょっとリアルでごたついてしまいまして。
それと、本編の内容変更による遅延です。
と、言いますのも、今回の話では最後に敵が現れましたが、実はその予定は本来なかったんです。もうちょっと後に出す予定だったんです。
けれど、作者は考えました。あ、こっちのが盛り上がる展開だわぁ、と…。
ので、敵を今話に持って来て話を変えました。そして、物語は第3章にも続きます。
あ、そういえば、『章』をつけてみました。
1章の『破滅の少女』はちょっと中二な発想ですが、そこはご愛嬌です。
それではまた来週…が、頑張って投稿をッ!
何せ、次はバトルですから!




