第38話頼るということ
この世界は生きづらいか?
そんな質問、考える必要など何処にもなかった。
三ヶ月前、高校の入学式で遭遇した脅威。
大切なものの喪失の予兆とその恐怖。
無力感と情けなさ。
あの時生まれた気持ちは、そこから今まで引き継ぎ続けたそれは、ずっと抑え込んでいたものだった。俺が抱き続けてきたこの気持ちが、問われた問いに対する答えだろう。
でも。
「生きてるだけで、幸せに決まってる、だろ…?」
欺いた。師恩さんを、それだけでなく、俺自身をも迷いもせず。嘘をついた後ろめたさから、俺は顔を背けた。
この感情を抱いた時から、それだけは絶対に言わないと、そう心の何処かで決めていた。
今まで一度もそれが脳裏を過らなかった訳ではない。晶花との戦闘の最中だってそうだった。それでも何とかなってきたのは、今までは逃げられたから。思考を放棄できたから。自分に嘘を付いて言い聞かせることが出来たから。でも、駄目だ、今回は駄目だ。ここで言ったら終わりなんだ。
認めさせられる。
目の前にいる人に問い詰められて、俺はこの感情を完全に認めてしまう。
そしたら、弱くなってしまう。感情が爆発して、その止め方を忘れて、俺の心は不安定になる。心を覆う、虚勢という鎧が剥がれてしまったら俺は、きっと今よりも弱くなってしまう。
だから。
「た、たく…。意味わからんタイミングで、そんなこと、聞いてくるな、よ…」
知られるな、師恩さんには、この人には知られちゃならない。そうすればきっと、俺は言ってしまう。もう、大事な時に誰かを守れるほど強くは、なれなくなってしまうかもしれない…。
だったら、今あるなけなしのこの勇気が、虚実のものだっていいじゃないか!だから俺は、こうやって惚けたふりを――
「真面目な話してんだ。惚けてんじゃねぇ」
「…ッ!は、はぁ?惚けてなんていやしない!そもそも今は聞きたいことを教えてくれるって、そういう時間じゃなかったのか?どうして逆に質問されてるんだよ?」
背けていた顔を思い切り上げ、俺は言った。自分でもぎこちない笑みをしているのが分かって、それでも強引に、話を方向転換させようとした。
だというのに、師恩さんは俺に近づきなから、
「そうだなっ。んでも気が変わった。だから今は私の質問時間だ、答えろ」
「いや、今言ったのが答えだって―――」
「そんな動揺しまくった顔してる奴から出た言葉ぁ信じる教師はいねぇ」
「………」
額が当たるほどの距離まで来て、彼女は俺にそう言った。俺の心を見透かしたと確信しきった、鋭く真っ直ぐな目だった。
思わず、俯き押し黙る。反論が思い浮かばない。何も言い返せず、それが自分が嘘をついたことの証明をしているようで決まりが悪かった。
何か言わないと。何か、何でもいいから…!だって、そうしないとバレてしまう。隠した心が、疲弊した虚勢がこの人に。
何かあるだろ?何を?早く。何を言葉にする?分からないッ!早く。ダメだ、考えろ、考えろ!早く。知られるな、バレたら俺は弱く…。だからさせない、させてたまるか!早く。この沈黙は危険なんだよ、早くッ!早く、早く、早く早く!!
「背負い過ぎだ」
「…ッ!」
ふと、師恩さんの口から出た言葉。短い言葉なのに、でも何故か…俺の胸をきゅッと、強く締め付けた。
「そういう奴は、何時か背負い過ぎた物の重みに潰される。精神的にも、身体的にもだ」
痛い。どうしてか胸が、途轍もなく痛い。拳を握りしめて耐えるけど、やっぱりこの胸の圧迫感は強くなる一方で。
「これ以上何か重いもん背負うってんなら、私は何も教えねぇ」
「い、嫌だ…教えてくれ…。でないと、何のために俺は……」
「教えねぇよ」
意地悪するのは止めてくれ。そんな俺の願いは聞き入れられず、胸の締め付けとは別に焦燥感が生まれて、それが胸を焼き焦がす。
守らなきゃ、守ってって言われたんだ。進まなきゃいけない。俺は、恐くても、守るために、知るべき情報をこの人から聞き出す必要が、あるんだ!
「お前はなんも知らんでいい。代わりに私がなんとかしてやる。だから安心しろ。安心していいんだ」
なのに、俺は。安心していい。優しげなその言葉に、どうしようもないほど甘えたくなった。
俯く。俺は…歯を、食い縛った…。
なんて情けないんだろう、俺は。守りたいものは自分で守るって、そう決めたはずなのに簡単に流されそうになって。
胸の痛みがより激しくなる。けれど、誰にもこの痛みを気取られないようにした。
痛い。時間を置く度に痛みが増す。耐えろ。でも、痛い。痛い。痛い。痛くてッ…………堪らないんだ……。分かって、いる、耐えなきゃ、いけない。
「桐島刃、お前は」
「――――いんだよ…。――――わるいんだよ…。背負うことの、何が悪いんだよ!」
「お前は」
「それがちょっとくらい重くたって苦しくたって、俺は守らなきゃいけないんだ!」
歯を食い縛れ、もっと強く。強く食い縛れ…。耐えろ、耐えるんだ。そしたら言えるだろ?他人も、家族も、友人も、自分さえも騙す小さな嘘を…。
「もう、決めたんだよ…。だから、俺は、守らなきゃ…」
「泣いてもいいんだ」
「…!」
突然、強引に引き寄せられた頭。感じた柔らかな感触。上を向くとそこには師恩さんの顔。
俺の顔面は、師恩さんの胸に埋めさせられていた。
「ほら、これなら誰にもお前の表情なんて見えない。私だってお前の顔がよく見えねぇ」
「……」
「だからさ」
「……」
「お前はもう泣いたっていいんだぜ?」
それ以上は、何も、俺は何も喋れなかった。嘘を付き続けられなかった。虚勢なんて張れっこなかった。
だって、だって、だって。
喉が、勝手に震えるんだ!泣いていいって言われたんだ!胸の痛みが―――泣いてしまいたいって心の痛みが、抑えられないんだ!
もう、もう止まらない。零れ出る涙が、止まらない。
「ちく、しょうッ……」
嗚咽混じりの声は掠れていて、何より、弱々しかった。俺を包む人の白衣と黒いスーツに染み込む涙。止まらない、止まらない、止まってくれない…。
「ち゛くしょぅッ………!」
「泣いて、そんで言っちまえ。お前の、本心を…!」
泣いても、どれだけ涙を流して泣いても、溢れてくる。ああ、そうだよ俺は。
「ごの、世界が、生きづらくて…じがだが……じがだが、な゛いよ!ぢぐじょぅ…………」
崩壊の兆しを見せていた結晶とした意志が、音を立てて砕け散った。この時、遂に俺は、強くいられなくなった。
それでも、
「でも、お゛れはぁッ!俺は、あいつらを守りだいんだ!」
きっともう、常に弱さを隠し続けることは出来なくなった。それでも俺は守りたいんだ。
ああ分かってる、強欲だってのは分かってる。理想を追い求める馬鹿だってのも分かってる。我が儘だって、そんなのは重々承知だ。
「俺は゛、弱いからざ。希望がな゛い未来なんて見れない゛よ…!間違ってんのは知っでる。けど、けど…」
「いいじゃねぇか」
「え?」
「いいじゃねぇか、見たって。つーか見ろ、希望をよ!大丈夫だ。弱くても、それでもそれを見たいって思えるなら、弱くても、お前のその答えは百点に決まってる。間違っちゃいねぇさ。だから、弱い自分を隠そうとだなんて思うな。一人で悩むな、頼れ!それが人間なんだからよ?」
そう言って、師恩さんは右手で俺の頭を押さえつけるように強く撫でた。
「頼れる人が、いない…。違う、頼りたくても頼れない!」
抱える悩みが、ポツリポツリ、言葉へと変わっていく。
「何でだ?」
「あいつらも、父さんも母さんも、爺ちゃんも!俺のこの体質について、知らないんだ…。そんなの、巻き込めない」
火ノ宮だって詳しいことまで知り得てない。これ以上は力を貸してもらえない。あいつには、俺に何かあった時レーナを守って欲しいから。頼れない、誰にも。
晶花と戦った時に諦めたんだ、その手段は…。俺よりも遥かに強い人間を狙う組織になんて、勝てっこない。だから諦めた。
「桐島刃」
耳に届いた師恩さんの声。同時、俺は両肩を掴まれ、顔面に感じていた柔い感触から離された。
目の前には師恩さんの鋭い目。両肩はまだ、彼女に掴まれたままだ。細い両の五指で強く、優しく掴まれたままだ。
ふいに、彼女の口が開く。
「なら私を頼れ。お前の体質なら理解してる、お前が相手にすべき敵なら既に知ってて、何なら敵対してんだ。巻き込むも糞もねぇ。しかも私は超強い。例え晶花が五、六人本気で束になって向かって来ようが私にゃあ勝てねぇ。そんくらい強い。だから頼れよ、少年」
師恩さんは片目を瞑って、にぃっと白い歯を見せてそう言った。豪快な笑みはどことなく爺ちゃんに似ていた。鼻を啜り、涙を右の人差し指で拭う。無論、涙は直ぐに目の端に溜まり水滴となって、それが頬を伝い流れ落ちる。けれど、俺は少しだけ笑った。
「その敵ってのがあんただとしたら、今俺は懐柔されてる真っ最中だな?」
「何だ、まだ疑ってたのか?」
「用心深いと言ってくれ」
俺がそう言うと、師恩さんは安心したような目をした。優しく。乱暴そうな目付きが、今は慈母のように優しく見えた。
「減らず口笑って叩けるようになったなら百点ってな!けどッ、未だに信用されてねぇのは、私の生来の目付きの悪さが原因なのかねぇ…」
両手を俺の肩から離し、右手でポリポリ後頭部をかく。
「だったら、話をしよう」
「話?」
「してくれるんだろ?」
俺は師恩さんに提案した。
すると彼女は、はぁ…、と溜め息をこぼす。
当然か。何故なら彼女はきっと。
「不安とか、そういうマイナスな感情に押し潰される前に助けてくれたのは分かる。ありがとう」
「で、ちっとばかし立ち直ったから即傷つきに行くってか?馬鹿かおま―――」
「ああ馬鹿だよ、存じております百も承知」
きっと、先程の行為は彼女の善意だ。俺が重圧で潰れそうになるのを予見してのこと。それを無碍にしようというのだから、呆れるのも無理はない。
それ故に本当はもう、感情的な面で言えば俺は彼女に信頼を寄せ始めている。
ただ、俺の冷静な部分が少しだけそれに待ったをかけているだけ。だから話をしたいと思った。
「でも、俺はやっぱり知りたい。敵の脅威の度合いとかは分からないし、正直恐い。もう常に虚勢を張れそうにない。だから、今までと違って簡単に気持ちが折れそうになる」
「それでもか?」
「それでもだ。守るって、この気持ちだけは誰にも譲れない」
断言した。嘘偽りなど何処にもない、純粋な真実の言葉だった。
確かに『常に強くあろう』という意志は砕かれた。ただ、『守る』というもう一つのこの意志は壊せない。この結晶となった想いだけは、決して砕かれることはないのだから。
「戦うべき敵を知りたい。ソイツらに俺の日常を奪われたくなんかない。それに、恐怖とか不安とか、諸々の重圧に押し潰されそうになったら助けて欲しい。そのためにあんたを信用したいから、だから、話をしよう」
誰かを頼ることが出来る。その喜びを噛み締めながら、俺はそれを口にした。
そんな俺に対し、師恩さんは根負けしたように小さく溜め息をつき、そして、
「いいだろうッ」
やれやれといった風な顔でそう応じてくれた。
おはようごさいます、こんにちは、もしくは、今晩は。文月ヒロです。
投稿が途轍もなく遅くなりましたこと、深くお詫び申し上げます。リアルが忙しくなり、少しだけ『なろう』を休ませて頂きました。また、その後戻って来たら主人公の心境を把握し直すのに時間がかかり、投稿がこんなにも遅くなってしまいました。
しかし、そんな中、やっとこの物語の主人公桐島刃という人間のことが理解出来ました。ふわっとしたイメージだったのが明確になった感じです。
キャラ、特に主人公の性格などは物語を書く前に決めておかねばと痛感しましたと同時に、作者として成長出来たように思います。
さて、やっと後書き書きたいことが書けます。お詫びの文章も書かねば!とは勿論思ってはいたんです。でも、一番書きたいのはこれではなく、というより、こんな長い後書きを読んでくださっている読者様が果たして何人いて下さるのでしょうか!ちなみに作者は、後書きは長ければささっとある程度内容が掴める程度読む派です。あと、活動報告は読まない派です(だから前書きや後書きに色々書かせて頂くのですが…)。
…また話が脱線してしまいました。申し訳ございません。
簡単に報告させて頂きます。次回より、少なくとも来年の二月、三月まで。投稿ペースが今回くらいになります。もしくはもっとペースが落ちるかも。
しかし、休載はしません(あれ、でも一回の投稿でこれだけ時間掛かってたら休載みたいなもん…いえ違います!)。休載と言ってしまえば作者はだらけるので休載はしません!多分、もしかしたら、絶対とは言えないけど!
やはり、こんな締まらない終り方しか出来ない作者でした。




